2022/02/26

この日のはなし ー 日常のドラマシリーズ

 
親族の人々の話を聞くのは、面白い。
アラブ人、特にアラブ人女性の口から聞く、
家族の話はどれも、個性と性格の面白さが際立つ。

でも、あまりにもおばさんやおじさんや
いとこやらまたいとこやら、登場人物が多すぎて、
多くの場合、混乱する。

今日もまた、私はそのお宅へ伺う道のりの途中まで、
違うおばさんのお宅へ行くのかと、勘違いしていた。

古い街並みの残る、サルトの中心へ向かう丘の連なりの中腹に位置する
そのお宅は、玄関の周囲に小さな鉢植えが並んでいて、
家の建物の脇には、アーモンドの花が見えた。

お宅の訪問に関する流れのすべてが、楽しかったのだけれど、
詳細を書こうにも、書き残しておきたいことが多すぎる。


実のところ、伺うお宅の人物についてどんな印象を持っているか、
ぜひ聞かせて欲しい、と伺う道すがら、お願いされていた。
外向きには評判のいいその人物が、実のところ、
少なくとも親族の中では、気をつけるべき人物、として
認識されていることと、客人である私が抱く印象とを
照合してみたい、と思っているようだった。


気をつけるべき、という言葉の中には、
さまざまな意味がある。
粗相をせず、気を回さなくてはならない人物だと、
私は理解していた。

例えば、気の利かないお土産は持っていかないように、
お菓子選びには注意しなくてはならない、という
使命があったりした。

さて何を持っていこうか、と昨日は思案していた。
家の近くのお菓子屋さんでは、随分とファンシーな
チョコレートしかなくて、お店の人に散々商品の説明をさせた挙句、
でも、お年の方だから、こんな可愛らしいものでは
気に入ってもらえないかもしれないから、と断ったりした。

結局、Paulの焼き菓子を買いに出かける。


赤白ハッタをかぶり、伝統的な長いワンピースを着た、
小柄の可愛らしいおばあさんが、私たちを待っていた。
居間にはすでに、たくさんのお菓子が用意してあって、
到着して早々、一つ一つのお菓子を説明してくれたりする。

娘さんが言われる前からもう、ウェルカムコーヒーを準備してくれていて
そのコーヒーを淹れるカップの柄について触れたら、
さっそく、家にあった残りのカップを包んでくれたりする。

視界に入るさまざまなことを、説明してくれつつも、
あら、結婚しているの?などと訊いてきて、その後には
知り合いの結婚と離婚の噂について、アラビア語で
親族間のホウレンソウが始まったりする。

マロウの青いお茶など、珍しいものも出してもらい、
しっかり写真映りも気にしてくれる。

そんなことをしていると、いつの間にか遅い朝食の時間になり
昼食の部屋に行ってみると、なんとも見事な
アラブ式朝食のセットが並んでいた。






食べている間も、色々とテーブルの上に載っているものを勧められる。
ホンモスやファラーフェルに加え、
さまざまな味付けの羊のチーズ、クシュタ、ゲーマ、ハロウミチーズ、
羊肉のミンチの入ったパン、ザアタルパン、ほうれん草の惣菜パン、
タイムの練り込んだチーズパン、ガライエ(トマトの炒めもの)、ピクルス、
アボガドのペースト、サムネ(ヤギのミルクのバター)で焼いた目玉焼き、
などなど、ありとあらゆるものが、私のお皿に乗せられていく。
どれも安定の美味しさだったけれど、何よりも
たくさん食べた後にいただく、甘い紅茶が一番
心とお腹をほっとさせてくれた。


こういう場面で困るのは、すでに10年以上住んでいるせいで、
一通りのものはいただいていて、一通りの場所は行っている私は、
外国人を呼んで自分の国の文化を紹介をするのが大好きなヨルダン人にとって
さっぱりもてなしがいのない客人であることだ。

紹介しようとする食べ物の材料が、英単語で出てこなくて、
思い出そうとしていたりすると、
私がアラビア語で名前を言い当てたりしてしまったり、
どこかへ行く道について説明しようとしてくれて、
その場所を知っている、と言いそびれたまま説明を聞いたりすると
目印となる角の建物を言い当ててしまったり、
そんなことが起きがちになる。

こういう状況を想定して、今日こそおとなしくしていよう、と思っていた。

けれども、おとなしくて話さないと、どんどんと食べ物を勧められて、
もう無理だ、と心から言っても、聞く耳を持ってくれない。
結果、話していた方が得策である、ということに途中から気がつき、
アラビア語と英語の混じった会話に、参戦する。

お腹の満腹度との戦いを終えたと思ったら、次は
キナーフェを作る、と言われる。
まだお腹はいっぱいなのに、一体どうしたらいいのだろうか、と
途方くれている私など、眼中にないようだった。

キナーフェ自体は、自宅で作っている様子を見るのが初めてなので、
調理の工程や、焼き加減の見方など、
新しいことがたくさんあって、楽しくかった。
けれども、お皿にキナーフェが乗った頃には、見ているだけでさらに、
お腹が膨れてくるような気持ちになる。

たくさん食べられないのは申し訳ない、と思いつつも
焼きたての香りたつキナーフェを、ただ眺める。


だから、思い返してみても、とにかくお腹がいっぱいである、という
事実がとにかく、1番の記憶となる。

けれども、2番目の記憶は、気遣いのできる女性たちだった。

招いてくれた家主であるおばさんの
子どもさんやその従姉妹が、とにかくよく働く。
おばさんのしたいこと、思っていることを先回りして、
即座に立ち上がって、やるべきことをする様子が
なんとも甲斐甲斐しくて、ただただ感心ばかりしていた。
それは同時に、自分の怠慢さが際立つということでもあるのだけれど。

その様子を見ながら、昔のお盆とお正月を思い出していた。

父の実家に行くと、母はとにかく手伝いをしていた。
実家は旅館、父の兄弟も多く、必然的にお嫁さんもやってくるから、
膳の上げ下げやら、調理場の手伝いやら、やることはある。

そこで働きが悪いことはつまり、いい嫁ではない、という
暗黙の、そして不名誉なレッテルの原因になるから、
誰もが顔には笑顔をぶら下げながら、たぶん必死で
やるべきことを探し、ぼうっとしていると思われないようにしていた。
だから、母はお正月家に帰った後は、とても疲れているように見えた。

たぶん、今日もまた、私たちが帰った後、
おばさんは、私や他の客人が
彼女の望んでいたタスクをきちんとこなせていたのか、
レビューしているだろう。

私の粗相は、連れて行ってくれた人のマイナス点になってしまう。
その事態を避けられていたのか、不安になって
帰りの車の中で、大丈夫だったか尋ねる。

あなたの仕事は、きちんともてなされる、ということだったし、
おばさんは終始嬉しそうにしていたし、
お土産のお菓子の一切れを食べ切っていたから、
ここから1ヶ月はいい親族として認知してもらえてありがたい、と
反対にお礼を言われる。

ずっと忙しそうにしていた彼らは、なんだか大変だ。
てっきり休日はのんべんだらりとしているのかと思いきや、
こんな肉体的にも精神的にも忙しい時間を過ごしているなんて、
想像していなかった。

そんなことをそのまま言葉にして、正直な感想を伝える。

まぁ、確かに点数は付けられるだろうし、
陰で何か言われているかもしれないけれど、
こっちも点数はつけるし、感想は言い合うの。
ホームドラマの渦中に毎日いると思ってたら、
飽きなくて楽しいのよ、と、
朗らかに笑いながら、言ってのけていた。

ジメジメして陰湿な、
おしんや渡る世間的な世界とは一線を画す、
もっとある意味アグレッシブで、でも、あっけらかんとした
これぞ、私の知る、ザ・アラブ、だ。

ザ・アラブシリーズがあったら、
私は間違いなく見るだろう。


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