2010/04/24

とにかく青いものもの




フンブン王の休日というものがあって
祝日がとれた

クチトンネルへ往く

日のよく通る森の中で
たくさんの観光客に紛れる
実感の湧かない戦争の重さと
いい具合に観光地された商業のにおいが
奇妙なバランスで、広がっていた

近い、あまりにも近い戦争の過去を
随分と明るい森の中に見る
ちょうど、現地の人々がベトコンの制服を着て
小さな地下トンネルから顔を出し
たくさんの白人の観光客の写真に納まっている
そのたぐいの、明るさもあった

入場料を取られる入り口の脇には
熟れ始めた果物が実る
一面の緑と、それらの根が張る
固くて丈夫な、穴だらけの土

2010/04/17

いくつかの新しい曲など


本から帰ってくる時、買いたいCDがいくつかある中で
財布と相談した結果
結局ほとんど冒険をせずに
いつももともと持っていたアーティストの
新しいアルバムなどを購入する

kings of convenienceのアルバムはもう
アルバム全体の雰囲気が欲しい時に聴くようになってしまった
静かであることにも、ただ静かなだけではなく
いろんな音の要素にバランスのよさが必要であることを知る

いただいたCDもあった
素敵な曲たちの最後の方に
シューベルトの弦楽4重奏ハ長調のadagioが入っていて
いくらか心が落ち着かない日には
いつでも聴けるように仕事場のPCにも入れる
誰の演奏家はわからないのだけど
弦なのに、ほんの少しくぐもった音で
バイオリンの音も、どこか褪せている
平らな気持ちになる

今日はブラームスのレクイエムを手に入れる
カラヤンが指揮するたっぷりな感じの録音だ
でも、合唱の荘厳さと清冽さのようなものが
頭の中の余分なものを押しのけてくれる気がする

ノリのいいものがないのは
結局のところ今はそういう気分ではない、ということのようだ
できるだけまっさらな状態で
曲を身体に入れたい

2010/04/14

同じようなかたちの中で



例えば、どこかコーヒーの飲める場所で
ずっと本を読んだり、仕事をしたり
メモを取ったりするのは
随分と以前から変わらない習慣のようで
だから、どこへ往っても、やっている
できないと、不安になる

最近は、だんだんと通うカフェのようなところも定まってきて
何件かのお店をぐるぐる
回遊魚のように回る
おかしいほど、日本にいる時と同じだ

たまたま早く帰れることが多くて
今日も好きな岩場にでも隠れるように
気に入った席に座る

行動が同じなように
でも、思考もあまり変化がないのかもしれない
にわかに、焦る

開かれない、ということについて
自分でどうにもできないで、いる
軸がないから、開かれない
揺れ動くような歳でもなくなって
なのに、さっぱり安定しないから
代わりに、閉じることで安定を得ようとしている

生活の形が変わらないのも
形式の中に安定を見いだそうとしているからかもしれない

日本にいる時と違うこと、といえば
いつもいつも
川からの風がまともに吹きつける
屋外が固定席になっていることで
その、外からの変化を
受け身の姿勢で、ただ、できるだけ身体いっぱい
感じようとしている

2010/04/05

太宰治など


日本から本を何冊か持ってきた
買った本もあるし、家から持ってきたものもある

なぜか、実家に帰ると必ず
太宰治を読んでしまう
たまたま、寝室の本棚にあるからなのだけど
すべて短編集なのが
寝る前に読むのに、ちょうどいいからというのも理由だろう

勢いで、こちらへ持ってくる
たまたま、こちらの古本屋で
「太宰治」という岩波の本も見つける

ここまで書かれたら仕様がないか、と思えてくるほど
ある意味自虐的で冷たくて、
でも、自分が大好きで、人にやさしく
心が忙しい人だ、と思う