2022/02/10

この日のはなし ー キナーフェの甘さ

  

ずっと事務所でひたすら、単純作業をしていた。
単純だけれど、どうにも時間のかかる作業で、一人ただ黙々と、
遠い国のニュース番組を見ながら、作業をする。

たっぷり11時間作業をし、そのうち6時間はニュースを聴き続ける。

ウクライナ情勢、アメリカ歴代大統領の心的病理、
ヒトラーの政治的能力、核戦争を描いた本の解説。

途中から疲れてしまって、聴くのをやめた。
意外と、作業には注意力の必要な工程があったりして、
そちらに気を取られていると、大事な部分が分からなくなってまた、
聴き直さなくてはならなくなったりするからだ。

どの番組も、男たちがときに声高に、ときに学者風に
解説をし続けていた。
なぜ世界情勢は男たちによって語られがちなのだろう、と
運動などしていないのに、変な具合で疲れた頭と目で
ぼんやりと考えながら、窓の外の降りしきる雨を見つめる。

途中でスタッフがキナーフェを差し入れしてくれた。




皿にたっぷり乗ったキナーフェは、作業しながらつまめる代物ではなく、
結局作業の手を止めて、歯に染みるように甘いキナーフェを
ちびちび食べながら、糖分を摂取したからといって、
頭の回転が良くなるわけではないのだ、という経験をしたりする。


キナーフェはこちらの代表的なお菓子の一つ、
こんがり焼いたセモリナ粉の生地の間に、
羊のチーズが挟んであるものが、キナーフェ・ナブルシ、
パレスティナの街、ナブルス発祥のキナーフェ。
セモリナ粉ではなく、ごく細い麺のような生地に
同じく羊のチーズが挟んであるものもある。
もしくは、羊のチーズの代わりに
クシュタと呼ばれる、羊のミルクを沸騰して取れる膜を
挟むキナーフェ・オスマンリという種類もあって、
私はこのキナーフェの方が好きだ。
ただ、どのタイプのものにも、たっぷりと砂糖蜜がかかっていて
これが、歯と、ついでに脳味噌も、溶かしていく。


こちらの人たちは、呆れるほどこのお菓子が好きだ。
夜も11時を回るような深夜近く、キナーフェを売る店には
成人男性が群がったりする。
飲んだ後にラーメンを食べたい、という感覚と、
アルギーレを吸って散々話した後に、キナーフェを食べたい、という感覚は
おそらく同じようなものなのだと思う。

こちらの人の砂糖の摂取量は、おそらく日本の人たちには
想像がつかないほど、多い。
難民キャンプの配給や、ホストコミュニティの配給でも、
1週間に消費するには明らかに多すぎると思える砂糖の袋が
必ず入っている。
砂糖が入っていなかったら反乱が起きるからね、と
冗談とも真面目ともつかない顔つきで、シリア人に言われたことがある。
たぶん、家庭内の反乱、という意味だけでも
想像するに、事実そうなのだと思う。

しかも、この甘いお菓子を、同じぐらい歯に染みるほどの砂糖が入った
香り高い紅茶と一緒にいただく。
こちらに住み始めた結構早い段階で、
これは中毒の一種なのだ、認識することにした。

正直私は、いただいたら食べるけれど、
自分でこのお菓子を買おうと、普段思うことは滅多にない。


ただ、今日のキナーフェは、いつもよりも美味しく、
身体に沁みていく感覚があった。

少しずつ口に運びながら、深夜、店先で列を作る
男たちの姿を思い出す。

その男たちもきっと、こちらの人たちの常で、
近隣国の情勢の話や、母国の凄惨な状況や、生活苦の恨みつらみを
普段の暮らしの中ですぐ、話題にあげたりするのだろう。

けれども、同時に、この甘いお菓子を嬉しそうに食べるのだ。

それは、ただの偏見なのかもしれないけれど、何とも
ギャップとおかしみに溢れた情景となって、ふと
頭の中にまざまざと浮かび上がってくる。



苦い暮らしに甘い砂糖。

物理的にでも、甘さを手に入れることができる、という事実が
何の解決にならなくてもなお、大事な時もある。


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