2019/07/19

犬と狂気


キャンプにちらほら、子犬が歩き始める。
子犬がぶらぶらしているのを見ると、
面倒を見たくなる、悪い癖を
一生懸命、自粛する、今日この頃。
子どもたちがいじめるので、
子犬の多くは、近づくと逃げていく。
大人な犬たちしか、画角に収まってくれない。





いしいしんじの、「ルル」という話。

久々に、途方もなくいい短編だと思った、一番の理由は、
犬を介して、心に傷を負った子どもたちが、
癒されていくその、とても抽象的で、言葉にはしずらい過程を、
見事に、描いていたからだった。
誰でも想像に難しくない、おばさんの愛情を
犬は思い出しながら、もらった愛情を、
夜な夜な子どもたちに、送り続ける。

でも、もう一つとても、いしいしんじらしくて、
どうにも素敵だと思ったのは、
その犬が、実はエアー犬だったのではないか、という
話の流れだ。

エアー犬の姿形、日々の様子は、
子どもたちによって、申し送りされる。
子どもたちの想像力が、犬を創り出す。

心身ともに、疲れ切って追い込まれた子どもたちが
生み出した幻想。
でも、時として、想像力は、現実にまさる力が、ある。




うちの向かいの部屋には、犬が2匹いる。
全力で尻尾を振り、全力で顔を舐めてくる
すこぶる愛想のいい、犬たちだ。

夏の間は、こちらがベランダにいると、
玄関がベランダだから、犬たちはご機嫌でやってくる。

他人の犬で遊べる特典付きの、家だ。


一度だけ、犬を買ったことがある。
子犬のラブラドールレトリバーは、
我が家にやってきてもずっと、お腹を下していて、
結局ブリーダーに返さなくてはならなくなった。
もう20年以上前の話。

今でも時々、
改築前の実家の廊下の奥で、
具合が悪そうにうずくまるあの犬の姿を
ふと思い出すことが、ある。

子犬も育てたし、可愛がっていた野良犬もいた。

ダニエルさん、という野良犬は、
私の車の助手席に乗るのが上手だった。
その頃乗っていた、ジムニーの助手席のドアを開けると、
当然のように、ひょいっと、乗ってきた。
ダニエルさん似の野良犬が、大量に居たところを見るに、
ぶいぶい言わせていたようだった。

ダニエルさんには、野良猫を追い立てるという、
悪趣味があった。
老いて具合が悪くなった冬、
いつもからかっていた猫たちに、たるんだ尻を噛まれていた。
元気が良かった頃、猫を追いかけ回すたびに、
捕まえて叱っていたけれど、
尻を噛まれても逃げることしかできない、
その様子が、あまりにも不憫だった。

その年のお正月を、4畳半の部屋で一緒に過ごしたけれど、
部屋を出ていく後ろ姿が、
ダニエルさんを見た、最後だった。

ぷりぷりの犬のお尻を見ると、いいことがある。

気分の問題かもしれないけれど、いい気分になるし、
実際いいことが、あったりする。

では、いいお尻の犬が、欲しいではないか。

でも、当然のことながら、
今の暮らしでは、犬も猫も、飼えない。
近い未来でさえ、決定できない、意志の弱い私は、
動物が自分の将来の身の振りを決めることに、
不安が先行してしまう。

エアー犬か、と、ふと、思う。

そこには、狂気の沙汰がある、とも言えるけれど、
もともと、想像力を持って生まれるのが人間だけならば、
その能力が備わっている時点で、
狂気と現実は、隣り合わせだ。

エアー犬を想像してみる。
でも、詳細が描ききれないことを知り、
まだまだ、究極的に追い詰められていないことに
ほっと胸をなでおろしたり、する。




手には入れられないけれど、
好きだったり気になったりするものがあると、
ずっとそれを、描く癖がある。
靴とか、猫とか、ロバとか。
だから、犬を描いてみる。
猫は骨格までよく、想像できるけれど、
犬はそうでもない、ということも、知る。

たぶん、しばらく犬の絵を、描き続けるのだと、思う。