2018/01/23

泥の道


東京の雪が、きっときれいな青空できらめいていた頃
アンマンにもザータリキャンプにも、雨が降る。
朝から滑り落ちるように階段や坂を降りて
キャンプへ、向かう。

雨と天気に気を取られている時に限って、失態を犯す。
携帯を行きのバスの中に落としてしまった。
キャンプに着いてから気づいたから、
来た道をまた、最寄りのバスターミナルまで戻らなくてはならくなった。

幸い携帯は、まるでそこに置いておきました、というように
座席の脇の隙間に納まっていた。
バスで集金していた10歳ぐらいの少年が
次の乗車まで鍵をかけていたバスの扉を開けて、
カーテンを閉め切って真っ暗なバスにエンジンをかけてくれる。
そして、携帯を見つけた私に、にやっと、笑いかけてきた。

なかったらどうしようか、
見つかるまで朝からの行動や言動のあれやこれやを、後悔していた。
携帯が見つかって嬉しいやら、忘れてしまった情けなさやら、
くしゃくしゃの気持ちのまま、またキャンプへ戻る。

湿度で曇っているのかと思っていたバスの窓は
跳ねた泥と埃のせいでくぐもっていた。

雨の土漠地帯は、でも、青空ばかりのカラカラの景色より
どこか親密で、優しかった。
3月の雨を思い出す。



需要の高い雨の日は、キャンプの中のセルビスにも乗れなくて
仕方なしに、歩いてキャンプの端から端まで
4キロ以上の道のりを、仕事場へ歩くはめになった。


途中でキャンプの中の警察署に寄る。

電気が通らない昼間のキャンプだけれど、
そこだけジェネレーターがあるから暖房の効いた部屋で、
ドアがうまく閉められない私に
いつもは全く笑わない顔見知りの警察官が、
勢いよく閉めれば閉まるよ、と
ほんの少しだけ笑みを浮かべながら、ジェスチャーつきで、伝えてくれる
みんな寒いのは、嫌なのだ。


小雨の降るキャンプの道は、
たとえコンクリートで舗装されている道でも泥だらけだった。
長いワンピースをはいた女性たちは
裾をたくしあげながら、歩く。
裾の下から、何とも派手な色のズボンがちらちらと、見える。

泥の跳ね返りは、絡みつくように布に染み込んで
乾いても手では払えない。
乗客を乗せながら無情に通り過ぎていく車たちは
泥をまきあげてゆく。
雨水を浴びるように、泥をかけられることになる。



天気がよかったら、気温が低くてもみんな、外で太陽を愛でる。
道など外国人の私が歩いていたら
女の子も男の子もおじさんもおばさんも
興味本位で声をかけてくる。

でも、雨の日の道は人もまばらで、
道を往く人たちはみな、うつむくか顔をヒジャーブかスカーフで隠しながら
とにかく目的地に向かって、静かに黙々と、歩いていく。

だんだんと泥の道を歩くのにも慣れてきた頃には
身体も温かくなってきて、
そこに住む人たちにとって、つきあっていくしかない泥だらけの道を
目一杯体感しようと、思い直す。

プレハブの家の中も、きっと外から帰ってきた
家族の誰かの靴についた泥で
汚くなっているのだろう。
寒いのに必死で、水をまいて家の三和土を掃除していた。



道幅の広い2本の道が交差する角にある
シュワルマ屋さんの肉の焼けるおいしい香りが
いつもよりも濃く、空腹を刺激する。
匂いに色がついているかのように、
店を通り過ぎてもなお、流れ出ていた。

雑貨屋の店の中では
客が来ないことをいいことに、談笑に花を咲かせるおじさんたちが外を眺めている。
彼らばかりはいつも通り、うぇるかむちゃいな、と声をかけてくる。

各世帯の脇にある水タンクは
高低差を利用して水圧を上げるために
シンプルな台の上に設置されている。
その鉄の足場には見事にどれも
足裏の泥をこそげとった跡が残っていた。
無機質な鉄の棒に、茶色い不規則な飾りがつく。

何故だか今日は、通り過ぎる男性がみな、赤白のハッタを被っていて
どこもかしこも灰色か茶色の景色の中で
色鮮やかなハッタ柄だけが
上下に、左右に揺れながら
ゆっくりと移動していく。

皆、できるだけ泥が跳ねて服にかからないように
工夫しながら歩いていた。

靴下に直接サンダルを履いている人が多い。
泥に汚れていない靴下を見る度に
どうやって歩いているのか観察していた。
足をつける時に少しだけ、足を滑らせていた。
なるほど、サンダルは見事に泥の塊に埋もれていた。


舗装されていない土の道から出てきた姉妹が二人が、
私の前を、配布されている青いバッグを背負って
ただただ足元を見つめながら歩いていく。

冬休みに入って、学校のない子どもたちだけれど
アクティビティをしている教育関連の団体は
冬休み中も授業をしている。
仕事先も同じように事業をしているので
学校で会う子どもたちの多くもまた、
きっと同じように黙々と歩みを進めながら
アクティビティに来てくれているのだろう。


計45分ぐらい歩いて、
結局上手に歩けるようにはならなかった。
私の靴は汚いドットになって
ズボンも膝上までブチハイエナのような柄になってしまった。

家に戻って洗濯前に
ズボンを水洗いする。
赤茶色の荒い粒子のような土が
洗い流してもしばらく、白い洗面台に残っていた。

雨の日のための靴は履き慣れなかったし
泥の中での歩みは、普段と歩き方が違った。
ふくらはぎに違和感があって、
いつもより幾分、疲れている。

でも、ぺちゃぺちゃと、足裏に細かな粘土質の泥がまとわりつく、
あの感触が、ほんの少しだけ、雪の次の日のそれと、似ていた。


2018/01/06

年の瀬から年始にかけての、音楽事情


年末には必ず、今年の音楽まとめ、のようなことを勝手にするのだけれど、
あまり豊作とは云えない年だった、と
12月に入ったあたりで、思っていた。

そもそも、いつも新しい楽曲のアップデートは、帰国中にする。
タワレコに往く日、というのが帰国のスケジュールに必ず、丸1日とってある。
本屋と並ぶ、大事な時間だ。

旧年中は1回だけしか帰れていなくて、
そこで買ったCDは1枚だけだった。
だから、豊作ではない、ということになる。

ただ、最後の数ヶ月でライブ音源を中心に小さなヒットを連打し、
昔から聴いている曲たちと、いい具合に混ざって
個人的には一貫性があった、らしい。



視聴できない代わりに、
今年一年も、NPRのTiny Desk Concertに随分と助けられることになる。

いつまでも、自分でもよくわからないところに居ると、
とかくよく思う、年末だった。
定住できない人間は、ノマッドを体現する曲調で、自己肯定を試みる。
飽くまで試みなので、うまくいったためしはない。

浮遊していても素敵じゃないか、なんて思いながら
地に足つけるために、屋上の部屋から毎朝出勤のために降りるわけだ。






このサイトで、年末にみっけものだったのは、この曲だった。
ライブ版の方がいいので、最後の曲(10分ぐらいから)のものを。



ピアノがあったら、歌いながら弾けるのにな、と思った。
アラブの曲は、歌詞を口にするだけで必死にならざるを得ない
吉田拓郎も驚きの歌詞詰め込み型が多いのだけれど、
この曲ならば、歌える。

この人の不思議な踊りは、以前うちのお向かいに住んでいた
レバノン人ローラちゃんを思い出す。
ほんと、お酒を飲んでご機嫌になると、そっくりな身体の動かし方をしていた。

歌詞が少なめで何とか追えるけれど、
アラブ人独特の、若干本来の音よりも低く感じる
憂いのある声は、残念ながら
平均律で育った私には、一生出ることはないだろう。
それでも、音だけは出し放題の屋上の家で、1人真似をしてみたり、していた。


そして、自分の声に、あらためて失望することになる。

仕方あるまい、音楽は聴くものだ、と、腹をくくる。

日本に戻って、アルバムを買ってからしばらく、
ずっと聴き続けていたAsgeirもライブをしている。







11月にあたりから、よく聴いていたのは、この曲だった。
アルバムの1曲目だから、というのもあるのだろう。
他の曲もいいのだけれど、いつでもどこでもSting、という感覚は、残念ながら、ない。
イントロの音だけならば、スコットランドでも思い出しそうなものだけれど、
荒野のイメージは、この土地に合っていた。








やはり、寒いからだろうか。こういう楽曲に往きがちになる。
そして、心底冷えて、これはいけない、と何か、親密なものを聴くことにする。




以前も載せたけれど、やはりこのライブの音源が一番いい。


そして、近くて親しいものものはいくつかあるのだけれど、
最終的にはいつも、この音源になる。




いつ聴いても、グールドのintermezzoは、
濃淡や光と影が、明確に描き出されている。
他の人の演奏の方が正当派なのかもしれないけれど、
聴きたいと思うのは、この音源だ。
随分練習した曲だから、ピアノがあったら弾けるのに、と思う。


この映像も12月によく聴いていた。
完全にジャズというよりはフュージョンだけれど、
元々はクラシック畑の人なんだということが実感できる旋律だ。
楽しそうなのが、とにかく、とてつもなく、素敵だ。
これを聴いてから、よし、仕事へ往こう、ということになる。
幾分暴力的だけれど、そうでもしなければ、出かけられない事情もあるのだ。







年の瀬に豊作ではないことを後悔し始めた頃、
年末恒例BBCの昨年のベストアルバムをチェックしていて
久しぶりの名前を目にした。






この人たちの曲をよく聴いていたのは日本だったので、
私はこの曲の感覚がどこから来ているのか、分かっていなかったんだと、
気づくことになる。
寒さから一転、恐ろしく乾燥したところに耳だけが移動する。
マリの砂漠。


BBCサイトの紹介では、この人の楽曲も全般的に好みだった。
音の作りもそうだけれど、声が好みだ。
それから、素敵なドレッド。
ぜひ、次に日本に戻ったら、アルバムを買いたい。







年が明けてやっと2連休が取れた日の朝、
たまたま掃除の間にかけていたこのライブが、気に入った。

年末年始に預かっていた猫の毛が家中に落ちていて、
何だか掃除をしながら、寂しくなる。
アンマンは雨が降っていて、雲が形と厚みを変えながら
流れ続けていた。
寒いところからやってきた音楽だ。






つまるところ、昨年から年始にかけて
時々寒すぎて、暖を取ったけれど、
アイスランドやスウェーデンなど
寒いところにご縁のある音楽事情だった。

アイスランドに往ってみたらいいのかしら、と
アイスランドの景色の写真とかを、見たりした。
いっそのこと、極寒の地で潔く、寒さを楽しんだら、いい。

こんな大量の電気を消費しながら
あんなに寒いのがいやだいやだと云いながらも、
きっと、あの空気にさらされたら、
もう少しまともな思考回路になるはずだ、と
あの、鼻がつんとするような、
脳天を刺激する冷たさが、恋しくなり始めている。