2021/12/29

年末、火傷と虫歯


口を大きく開けようとすると、なぜか目も大きく見開いてしまう。
これは小学生の頃、合唱団に入っていた名残だ。
だから、合唱する人たちの顔は、どこか怖い。

日本みたいに、目にガーゼとかかけてくれないから、
自ら目を瞑らない限り、すべての様子が見渡せる。
口を大きく開けるたびに顔を反らせてしまって、
歯科助手のお姉さんの着ている服にプリントされた無数の
歯ブラシを携えた歯のキャラクターが、目の端でチラつく。


最新鋭の機材が揃った診療室のモニターには
レントゲン写真か、治療しなくてはならない歯のリストが
ずっと表示されていた。
おかげで、歯の番号に無知だったが、
レントゲンと照合させて大体、覚えることができる。
麻酔が効くまでの間じっと、モニター画面を見ていたのは、
画面の他に、見るものがないからだった。

小鳥みたいに小さな口ですね、と言われても
これ以上大きく開けることはできない。
それでも頑張って口を開けながら、小さい頃のことを思い出していた。

子どもの頃、口が小さくてよく、ものを食べこぼした。
ジュリア・ロバーツみたいな口になりたい、
小学生のとき、姉の買ってきたロードショーの表紙を飾る
彼女の顔を眺めながら、本気で思った。
そうしたら、ぼろぼろものを口からこぼさなくて済む。

断続的な治療のせいで、すっかり赤くなってしまった口の両側に
先生はヴァセリンを塗ってくれる。


在外でかかる病気は、一番困る状況の一つだけれど、
十数年間、そこそこギリギリな生活をしている私は
一通り、病気の色々を経験している。

緊急外来のすったもんだを高熱にうなされながら眺めたり、
デング熱でひたすら点滴を打ってもらったり、
(この時、優しいホーチミンのベトナム人看護師さんは
「世界に一つだけの花」を一生懸命日本語で歌いながら、
点滴の針を腕に刺しくれたりした)
熱帯の新種の虫みたいに色鮮やかな薬を大量にもらったり、
日本なら腕にするはずの解熱剤をお尻に注射されたり、
痒みが一瞬で引く、恐ろしく強力な軟膏を処方されたり、
見たこともないぐらい立派な絆創膏を貼ってもらったり。

数年前ヨルダンで手術した時は、キャッシュレスにするために、
ロンドンの保険会社に掛け合って万事整えた手術当日、
前日と違う受付スタッフが、保険は効かないの一点張りで、
手術前の1時間、ひたすら激しく戦った。

4、5時間の手術の後、麻酔が切れたらものすごく寒くて
布団乾燥機を直に布団に入れてもらっても、体がガタガタ震える。
寒い寒い、とアラビア語やら英語やらで訴えている私を尻目に、
ちゃんと見ておいた方がいいわよ!と、看護師さんは
笑いながら陽気に、摘出した部位の入った漬物瓶を見せてくれた。

手術の次の日の昼食に、ハンバーガーかフライドチキンかどっちがいいか
と尋ねられ、2択しかない事実に恐れ慄き、すぐ退院した。
本来ならば1週間ぐらいは、軽く入院するような手術だったけど。


でも、歯医者へは、ほとんど行かなかった。

クリーニングには時々行った。
その歯科にはヒジャーブをかぶっていなくて、
胸がメロンみたいな歯医者さんがいた。
確かに病院内も歯医者さんも綺麗だったけれど、
整形が中心のようだった。

数年前、別の歯科へ行った時は、詰め物が取れたからだった。

同僚が通っている歯科へ一緒に行く。
先生は治療の時近づいてくるといい匂いがする、というのが、
その歯科に対する同僚なりの売りだった。
いい匂いには興味はないが、ぽっかり空いた歯は
想像するだけでスカスカして、居心地が悪い。

電灯が切れかかり、手すりの朽ち果てたぼろぼろの階段を登っていくと
私が小学生の時に通っていた歯医者と全く同じレベルの機材が
診療室に並んでいた。
受付の奥には、歯医者と彼の友達、という人がいて
治療前にシャニーネ(しょっぱいヨーグルトジュース)を勧められる。
こちらにありがちな拒否権なしの状況で、何故かシャニーネを飲みながら
自分の順番が回ってくるまで、同僚の治療の様子を見ていた。

その日、診療も終盤だったのだろう先生には、
誰かからひっきりなしに電話がかかってきた。
歯医者が電話をしている5、6分の間、
同僚の口には唾のバキュームホースを差し込まれたままだった。
同僚はただひたすら、頬をブルブル震わせながら唾を吸われている。
歯科助手は誰かとチャットをするのが忙しくて、
同僚などまったく、眼中にないようだった。

その時治療した詰め物の歯に、全く違和感がなかったわけではなかったけれど、
両側の歯を均等に使わないと大物政治家みたいに顔が歪むらしいから、
それは困る、と気をつけて両側で咀嚼していた。



ここ数ヶ月、寝ている意外はずっと仕事をしているような生活だった。

忙しすぎた数週間前の深夜、その日一食目のパスタを茹でていて、
茹だった鍋を持った手が滑る。
そして、お腹に大きな火傷を作った。

パジャマのゴムに沿って、横向きの竜の落とし子みたいなアザになった。
来年の干支はまだ辰じゃない、と突っ込んでみたり、
どんな流行りに敏感な女子よりもハイウエストにパンツをはいてみたり、
色々気を紛らわせようとしたけれど、とにかく痛かった。

火傷の一件から、何だか弱ってきた気がしてくる。
貧血など、なったこともない身体だったのに、
立ちくらみをするぐらいの頭痛に悩まされた。

そして、治療した詰め物の入った歯が今回、痛み出したことに気づく。
気持ちではなく、物理的に歯が問題だったのだ。


前回のような、素性の分からない怪しい歯科には行かないと心に決め、
日本人がよく行く歯医者さんにかかる。
病院内はとても綺麗で、衛生環境をどのように保っているのか
丁寧な説明まで、初日にはしてもらった。

自分の歯を見せるのは、裸で外を出歩くぐらい恥ずかしい、と
誰かが言っていたけれど、激しく同意、だ。
歯医者は、痛くなってから行くところではないと
知ってはいたけれど、行きたくなかったのはただひとえに
本心からそう、思っていたからだった。

レントゲンを撮ってから、一つ一つ説明をしてもらう。
きっと、歯医者冥利につきるぐらい、心躍る患者だったに違いない。
ぼろぼろの遺跡の壁でも修繕するような感じで
患部を削っては詰め物をして固めていた。

今の海外保険では歯の治療はカバーされないから、日本へ帰ったら、
と毎回思いつつ、日本の歯医者は予約を取るのに大変、
帰国期間中、特にコロナ禍では自由に動ける時間もなさすぎて、
及び腰になっていた最近のツケが、回ってきたのだった。



麻酔を下の歯に打たれると、舌も痺れる。

目が合うとニコッとしてくれる優しげな歯科助手のお姉さんに
気を紛らわすため、冗談の一つでも言っておこうと、
最近食べたアラビー菓子の名前を列挙しようとする。
でも、アラビア語は舌が痺れていると
正確に発音して話せない言語なのだ、ということに気づく。
(それに比べると、日本語はそれほど舌を動かさなくてもある程度話せる)

もう煮るなり焼くなり好きにしてくれ、
まな板の鯉、猫に睨まれたネズミ、などなど、
あらゆる言い回しを鎮痛な心持ちで思いめぐらせながら、
あの悲痛なルーターの音を聞く。

齧歯類みたいに歯がどんどん伸びていったら大変だろうな、とか、
歯のほとんど残っていない知り合いのおじさんの顔とか、
いろいろなことを治療中、考える。

ついには、歯医者さんの気持ちに思いを巡らせたりした。
他人の歯を見続ける人生、というのは、どのようなものなのだろう。
その人の癖とか、食べ物の趣向とか、歯を見たらわかるのかもしれない。
私、歯磨きは大好きなんです、と伝えたところで、
趣向と癖は変えられない。


意気消沈甚だしいまま、仕事に戻り、
心散り散りな歯の治療にまつわる諸々を、ローカルスタッフに報告する。

ヨルダンの水は石灰が多いから歯にはすこぶる悪い、という話を聞き、
ぼろぼろにするのは髪だけではなかったか、と慄く。
それでも、結構長生きしている知り合いはいるから、
何とか生き延びる術はあるのだろう。


結局年内には、歯の治療が終わらなかった。
新年までに、歯のコンディションを完璧にしておきたかったけれど、
そういうわけには行かないらしい。

そして、年始に歯の治療は終わっても、火傷の跡は数年残るだろう。
面の皮は厚目だと思われている節があるけれど、
実際のところ私の皮膚は、随分繊細にできている。

歯磨きは本当に大好きだけれど、
大好きだから虫歯ができないわけではないらしい。


一体、自分の身体を労る、とは、どうしたらできるものなのか
正直よく、分からない。

火傷の原因をすっかり忘れて
もう2つも湯たんぽを持っているのに、
また新しい湯たんぽを買ってみたりした。






来年こそ、ちゃんとした人たちがきっとしているのだろう、
そういう何だか当たり前のことを、きちんとできるようになりたい。