2009/04/30

解放記念日の一日


今日はベトナムの祝日で
仕事も休みだった

でも、仕事場へ往って久しぶりに心ゆくまでピアノを弾く
アップライトの音は響くので
平日では弾けない
こそこそと弾き始めるも
あっという間に4時間経っていた
へたくそなので、一曲弾くのに時間がかかるのだ

そんなこんなで
ベトナムの楽器を発見する
固い葉っぱみたいで木製のもの
カスタネットみたいに鳴らすようだ
形と質感がいい


ホーチミンCD事情


今は心の状態として難しいのだけど
以前はずっと音をテーマにした作品を作っていて
今でも音楽は私にとって、
何ものにも代え難いたいせつなもの

でも、こちらではなかなかCDに種類がない
とりあえず目抜き通りの本屋に入っている
CDコーナーに往ったのだけど
ほんの少しのクラシックとベトナムポップス
しかもクラシックは海賊版で
思いっきり安価なコピーがジャケットを飾っている
一枚90円
ドビュッシーのCDは日本のCDのコピーだった

きちんとしたものは
クラシックに関して云えばとりあえず
ハノイ出身の有名なピアニストのものだけだった
しょうがない、それを買った
リストのピアノ集

どうもCD、DVD街というものがあるようなので
今度はそこで心ゆくまで
海賊版をあさろうと思う
いいものが手に入ったら
報告しましょう

2009/04/27

物語と思想


ここ数ヶ月ほど、考えてみたらまともに本を読んでいなかった。
心の余裕もなかったし、
自分で本を作っているのもあってか
今は、いい、という時期だったような気がする。

教育機関のありがたいのは
必ず本があること。
こちらでは英語の本さえあまり手に入らないし
本屋自体がほとんどない。
そんな状態の中で、図書室など私にとっては、天国だ。

日本に居る時は、本屋で表紙だけを見て
印象に強い写真に心惹かれたものの
単行本で値段が高いのもあって
読まなかった一冊。
久しぶりの池澤夏樹だった。

もう池澤夏樹は、いい歳だ。
でも、人と思考と関心が、いつもいつも広がっていて
それが小説に還元されている。
方向性は若い頃から変わっていないのだと思うのだけど
その、目指しているものや、関心のあることが
きっと、自然と寄ってくる人なのだと、思う。

それは、自分のスタンスがはっきりしているからで
とてつもないパワー
ただ、きっと本人は、流れるようにしなやかなのだろう。


今回の話は、崩れてしまった家族の再生への道のり
それだけだと積み木崩しみたいなのだけど
その過程で
生き方を提示しているヨーロッパのコミュニティーや
インド仏教やチベット仏教の思想が入り交じっていて
世界観が立ち上がってきている。
家族それぞれの視点、歳を経た迷いや悩みと
解決への光が、
弱く、太く、様々な色あいで
でも、真っ直ぐに貫いている、本だった。





2009/04/19

周囲の様子





カメラのレンズが壊れていた、
直しにだして、3500円

たぶん法外な値段だ
けれども、日本でだったら
業者に出したら2週間かかって5000円
なんてこともざらだから
いいことにする
何せ、即日仕上げ

やっと撮れる町の様子

偽物大国


ヴェトナムには著作権はない。
だからどんなものでも、本物に似せて作ることができる。
The North Faceの立派なバックパック、50リットル以上のものが1500円
グッチのサングラスが600円

笑いがこみ上げていたのも最初だけで
だんだんこちらの値段に慣れてくると
偽物なら偽物なりに
真剣な値段交渉が始まる。

そして、買ったのが写真のもの
子供用のサイズがちょうど良かったので
お店の人に値段を訊いてみたら
900円だと云う。
でも、隣のチェルシーのユニフォームは540円
どうして?と詰め寄ったら、したり顔でおばちゃんが答えた
だって、これはヴェトナム製じゃなくて、中国製だもの。

そうか、と、思う。

本物のと偽物の差は、一体なんなのだろう。
谷川俊太郎の詩を思い出す。

ほんととうそはよくにてる
うそとほんとはよくにてる
ほんととうそはそうせいじ

そんな詩だった。

うそのなかにうそをさがすな
ほんとのなかにうそをさがせ
ほんとのなかにほんとをさがすな
うそのなかにほんとをさがせ


2009/04/12

家の話




ホーチミンは建設ラッシュで、
いたるところが重機だらけ
高層マンションや、アパートメントを作っている

私の家も、隣は今、まさに作っている途中で
朝から土方さんたちが集まっていた

でも
私の住んでいるアパートメントもそうなのだけど
なんだか原始的な作りをしている。
写真のレンガが建物を構成している。
レンガをモルタルで重ねていって
空洞に鉄心を入れる
鉄骨代わり、のようだ。
地震があまりないのだろうか?

道ばたや空き地にはよくこのレンガが落ちていて
それを見る度に、少し不安で少しおかしい

さて、家に帰ってくると貼ってあるのが
写真の二人組。
この人たちは一体何なのだろう。

2009/04/07

食べ物のこと


本当はあまり、なんとか紀行、というような感じの
文章にはしたくないのだけど
ベトナム、と云ったら、だれもが
食事、おいしんでしょ、と云うから、
少しだけ食べ物のはなし。

確かに食べ物はおいしい。
けれども、食べるときにはカメラを持っていないので
いつまでたっても写真が撮れない。

肉も魚も味もいいのだけど
私が密かにはまっているのは
シソ、もしくはバジル、と日本人の人は云っている
葉っぱ。
葉っぱはいろいろな食事と一緒に出てきて
口の中がさっぱりする
だいたい、その葉っぱと一緒に
間違いなくドクダミ、と思われる葉っぱも乗っていて
これはまだいくらか抵抗があるけれど
これから、好きになれそうな気もする


さて、友人がケーキを買って食べていた写真を。

バターケーキだったようで
味はあんまり。
でも、色がきれいでかわいらしかった。
いつか、食べてみよう。

2009/04/05

買い物

今日は日曜日で
買い物へ往く

目抜き通りをあちらこちら
かなりの日差しにもさっぱり負けず
サングラスを売り、靴を売り、バイクを走らせる。

大きな電気屋の中からは一時代前の音楽

プリンタと携帯を買う
プリンタがあれば、仕事ができる

ホーチミン最初の朝





朝は、もう夏の朝の空気
向かいの空き地の砂で、雀が砂浴びをする

部屋の中は涼しい
さっそく昨日の夜買ったベトナムコーヒーの器具で
コーヒーをいれる

東京での最後の日買った
BEIRUTのCDを聴く
今の私の状況にはちょうどいい
どこか、土地を移動するもの
ジプシーのような音づくりで
地に足着かない感じ
タイトルを見たら
「The  Flying Club Cup」
たくさんお話を聴かせていただいた
五十嵐先生の鳥人間の話を思い出す

時間のあるうちに
とにかくアップをしてゆきます

2009/04/04

ホーチミンの夜



ホーチミンへ到着して5時間経過

飛行機を降りた瞬間、
むっとする懐かしくて胸を一杯にするような
暑い空気が押しよせてくる

緑の多い町
建物の色も凝っているし
いちいち手の込んだ鉄格子
いちいち装飾的なランプ
何もかもが、初めてで、目を奪われる

とりあえず部屋に入って
すてきとは、残念ながら云いがたい
絵の上に
鯨のポスターを貼りなおす

それから、いただいた梵字をはって
ひとまず落ち着く。

2009/04/02

名前のこと

今まで本を作ったり彫刻を作ったりしていました

何かを作り続けることは、変わりがない
たくさんのものを見て、感じて、それをアウトプットする
その作業は、怠りたくない

でも、これから
私はきちんとふたつの仕事をしていくことになります
片方は、とても、とても、気質の仕事です。

そこで

それぞれの仕事へのスタンスを分けるために
ほんの少しですが
制作の方は、名前を変えさせていただきます

本当に、本当にこっぱずかしいのですが
たぶん、やらないと
私の中でいろいろなものが混乱してしまって
よくないと思う。

せっかく地球のずいぶん東側で生まれたので
東子、ということにいたします。
制作の方だけは、
こちらでよろしくお願いいたします。

2009/04/01

カンバセーション ピース






 犬山は桜がもう、八分咲きで
 私のあまり好きではない季節がやってきました

 いつも見送るばかりだったこの季節
 出て往ってしまう人を、寂しく、恨めしく、見送っていました。

 それが、この春初めて自分が、見送られて
 こんなに気忙しく
 それなのに
 こんなに思いに囚われて
 こんなに寂しく
 こんなに尾を引くものかと
 初めて、知りました

 離れる土地でお世話になった方々
 本当に、ありがとうございます。

 最後の最後までお世話になったお店で思ったことについて、少し。

 前のところでも書きましたが
 しばらく、自分の居場所について考えていました。
 なんだか青臭いことなのですが
 単純に、つくばを離れることになって
 単純に、つくばという場所について
 ぼんやり考えていたから、でした。
 
 18歳までの犬山と
 18歳から29歳までのつくばでは
 長さに関係なく、全く重みも経験も違う。
 だから、いつの間にか私のいる場所はつくばになっていました。
 居るべき場所なのかどうかは、ずっと疑問のままでしたが。

 例えば実家から、疲れ果てて高速バスに乗って
 大きな通りの真っ直ぐな並木を見ながら
 ああ、つくばにやっと帰ってきた
 そう、思っている自分がいました。
 風景のこと。
 正直、来たばかりの頃は、この殺風景な風景に
 気がおかしくなるのではないか、
 そう思っていました。
 それが、見るだけで落ち着く、
 私のあらたな原風景に、なりつつあったように思います。

 それから、居場所のこと。
 居場所は、でも、
 自分がそこに居るだけではできない。
 自分がそこに居ることを、みとめてくれる
 自分がそこに居ることを、当たり前にしてくれる
 周りの人たちがなくてはいけないように思います。
 そのためには、よく、話さなくてはならない。
 よく話して、よく聞かなくてはならない。
 ならない、と書いたけれど、
 本当は、それが一番楽しいし、嬉しいこと

 一人でも何とかやってくいけるのかもしれないけれど
 だからといっていつも一人では、つらい
 ふと、そう思ったときに
 すぽ、っとはまる人と人の間があって
 それが居場所のようなものだな、
 そう、ぼんやりと、思いました。
 とりとめもなく、申し訳ないけれど
 何となく、そう云う気がしています。

 私の居場所を作ってくださった方々に
 本当に、感謝いたします。
 
 また、次の場所で
 私は居場所を作っていきます。
 永久欠番は、きっとないでしょうから
 今までの居場所の方々とも
 遠方より、カンバセーション ピース
 
 末永く、よろしくお願いいたします。