2019/08/17

彼らの暮らしと、話の断片 8月 3週目


終戦の日を、そこはかとない違和感とともに
意識するようになったのは、
今の仕事を始めてからだった。

戦いが終わっても、その後に残される
目に見える、そして見えない変化と影響から
戦争のせいで、という、心の中の負の残滓がある限り、
本当の意味で、戦争が終わったとは、言えないのではないか。
ここ数年、毎年この日がやってくるたびに、
そうぼんやりと、思う。

近くに、その影響で暮らしを変えなくてはならなくなった
たくさんの人々がいて、
それぞれがそれぞれの背景の中で、
多かれ少なかれ、
失くしたものを嘆き、過去を恨んでいた。
前向きに未来を見る人たちも居るけれど、
だからと言って、
明るい未来や、慣れてきた新しい土地での暮らしが
戦争のあった事実を忘れさせてくれる、
なんてことはあり得ない、という
当たり前の現実の中を、彼らは生きている。


隣国では内戦、紛争、戦争、
どの表現が最も的確かは分からないけれど
そのようなものが実際に続いていて
そこから逃げてきた人たちの多くは、
戦いの何たるか、を経験し、見聞きし、体感している。

それらを私が、どこまで想像できているのか、自信がない。
けれど、少なくても、近くにあるものとして
認識せざるを得ない。

その反面、何かが私の中で、手に取るように分かる、
という経験は稀だ。
中途半端な位置にしか立てない私には、
おそらく、日本人として、
自分の国の戦争を振り返ることに、
より近くに感じられる糸口があるはずだ、
そう、うっすらと感じていた。

だから、8月15日という日は、
改めて考えるのには、いい日のはずだった。

何か考えたい時には、できるだけ、歩きたい。
だから、去年も、今年も、歩いていた。

ただ、今年に関しては、
最近の日本のニュースを少なからず気にしながら、
あの戦争をどう捉えるのか、ということが
多く語られているように見えて、
捉え方の違いから生まれる摩擦や、気持ちの通じなさ、
のようなものに、気をとられがちだった。

その結果、心塞ぐことが必ずしも、
私が知りたいことや、考えたいことの延長にはなかったので、
どうしたものか、とぼんやり、思っていた。


戦時中、中国にいて、終戦後しばらくしてから、
船に乗って日本に帰ってきた時の
祖父の話を、歩きながら
必死に思い出そうとしていた。

亡くなる年のお正月に、
突然、引揚船で海を渡った時の様子ばかりを
話そうとする祖父の異変に、
おじいちゃん、そろそろかな、と
帰りのタクシーの中で、家族の誰かがぼそっと呟いた。
もう20年近く前の話だ。

何で、こんなところで、
荒れた日本海の様子を、頭に描こうとしているのだろう、と
ふと、思う。

戦いによって生み出され、隣国に残された、
難民の人たちの住むキャンプは、
風が強くて、砂埃が遠くで、青い空の地平線近くを
茶色く染めていた。

眼の前では、走っていく小さな子どもたちがいて、
その日の朝ニュースサイトで見た、
戦後の町の様子を写した写真の、裸足の子どもと重なる。
綺麗とはお世辞にも言えない服を着て、
素足のまま、段ボールを引いていく
3、4歳の子どもたちのグループ。

私が目に映るものから分かり得ること、は
いつでも、子どもは遊び方を知っている、ということ
それから、戦いには終わりがあるかもしれないが、
この暮らしを続けなくてはならない人たちが、
現実として存在している、ということ、
この子たちが、どんな大人になるかは分からないけれど、
彼らの成長に、戦いの影響がない、など
おそらく、あり得ない、ということだった。

もちろん、そこからの成長に、明るい望みはある。
でも、もしも、あんなことさえなかったならば
ここに住まなくても良かった、という
不毛な仮定が、久々に頭をもたげる。

しなくてはならない仕事を終え、
ずっと、伺う約束をしていたお宅へ、
新年の挨拶をしに行く。


ザアタリ難民キャンプ District 8


道を一本間違えて、どっちだったか、と
十字路で立ち尽くしていたら、
小さな女の子が駆けてきた。

おうちに来てコーヒー飲んでいって、と言いながら
指差した先には、軒先に座るお母さんが居た。

行きたいおうちがあって、迷ってるのよ、と言うと、
急に関心がなくなってしまったのか、
そうなんだ、と言って、女の子は家へ駈けもどる。
でも、お母さんはにこやかに、こちらへ手を振っていた。


写真に収まった家の近辺をよく、記憶していた。
あの時は寒かった。

砂埃がひどいから、と扉をしっかり閉めた部屋の中は、
思ったよりも、涼しかった。
ソーラーパネルで扇風機が回っていたし、
コンクリート敷きの広い土間は、冷たい。

子どもたちはみんな、家の中にいたけれど、
奥さんがいなかった。
もう少しで帰ってくるから、と言うので、
どこに行っているのか尋ねる。
来月子どもがまた生まれるから、
検診で病院に行っている、とのことだった。

しばらくして、病院から戻ってきた奥さんは
うっすら顔に汗をかいていた。

一番下の子は、最後に見た時にはまだ、
赤ちゃんだった。
立ち歩いて、上の兄弟からぬいぐるみを奪い取ったり、
駄々っ子ぷりを発揮する様子は、
すっかり子どもだ。

とにかく、長女がよく、面倒を見ていた。
そろそろ眠たくなる時間なのか、
むずがり始めると、
床に足を伸ばし、その上にクッションを置くと、
末っ子を寝かせて、ゆりかごのように
体を揺らす。

まだ線の細い長女の足では、安定感がないのだろう、
結局、うまく寝付いてくれなかった。

土間は広い。
そこで、双子のような次女と三女は
何がおかしいのか、ずっとキュッキュと笑いながら
ぐるぐる回り続けていた。
よく目が回らないな、と感心して呆れるほど、
回り続けていた。

長男は、突然の客にどうしようか、少し戸惑っていた。
でも、サイコロゲームや勉強のノートとか、
家長であるお父さんに言われるがまま、見せられるものは全部、
見せてくれる。


実は、他の家にも行く予定があった。
だから、挨拶だけして、帰るつもりだった。

なのに、家長からの質問は、
「朝食を食べてから、昼食を食べるか、
昼食だけ食べるか」と言う選択肢だった。

事情を話しても受け入れてもらえず、
紅茶が出てきて、水タバコまで準備され、
シリアのご両親が人づてに送ってくれた、という
美味しいクッキーを出してくれる。

知らないうちに、鶏が丸々2羽、解体されていた。

腹をくくるには、理由が必要だった。
前回来た時に、美味しくてたくさんいただいた、
カプセの作り方を教えてもらうことにした。
鶏の出汁で炊いたご飯の上に、
スパイスの美味しい、柔らかな鶏が乗っている食べ物。

ここの家のカプセの鶏の味は、他にはない何かが、使われていた。
それを教えてもらうには、いいチャンスだった。

土間の先に小さく区切られた、台所に入れてもらう。

もともとは、小学校低学年の担任の先生だった、という奥さんは、
私の拙いアラビア語を、上手によく、理解してくれた。
なんだかとても、安心できる人だ。

狭くて、ガスを使えば一気に暑くなる狭い台所は、
でも、とてもきれいに整頓されていた。
壁に取り付けられた棚、その下のスペースには
大きさの順番に重ねられた鍋、同じサイズのデーツのパック。
スパイスの入った大きなかご、油類は、
カーテンの奥に整然と、並べられていた。
棚の食器も、同じ食器を2段で交互に置き、
コップも列乱すことなく、
お店のディスプレーのように、並べられていた。
砂塵のせいで一瞬でザラザラになるはずの建物の中なのに、
どこにも砂はない。

使った食器やボールやまな板や包丁を
すぐ、丹念に洗っていた。
白くてふっくらとした、奥さんの手も、
その度に、泡だらけになる。

お腹が大きいので、水場に立つたびに、
お腹が水に濡れてしまう。
それでも、一生懸命、洗い続けていた。

手伝わせてくれないので、ただただ、
その無駄のない所作と、
手際よく鍋に入れられていく鶏やタマネギや
スパイスの数々を
大事な儀式でも見るように、ただ眺めていた。

土間は、セメントを敷いてツルツルになっている。
でも、そのセメントは、
ところどころ亀裂が入っていて、
それをまた、埋めていた。
埋めた部分もまた、ツルツルになっていて、
模様のようだった。

5、6年の間に、何度修繕したのだろう。

調理をしている奥さんの周りには、
私も台所に入ってしまったせいで、気になったのか
子どもたちが入れ替わり立ち代り、やってくる。

ガスを使い始める頃には、
一番下の子は立ち入り禁止にするのだけれど、
そんなのおかまいなしに、入ってきては外に出される。

名前を呼ばれて、末っ子を引き取りにやってくる長女、
ついでにやってきて、結局邪魔をしている次女と三女、
そして、粛々と進んでいく調理。

ふと、土間に目をやると、
砂がひどいから、と家長が箒で掃除をする。
末っ子が落としたクッキーのかけらも
掃除をする。

ツルツルの床はもっと、ツルツルになる。

仮住まいのはずの、プレハブの家を、
手間をかけて丁寧に、使っていた。
生活に必要なもの、そして、
生活を彩るものを、大事に使い、直す。
その繰り返しがなされた時間のうちに、愛着が湧いてくる。
そんな愛着が、清潔に保たれた、
薄暗い土間、台所、お手洗い、居間に、溢れていた。

食事をいただく頃、
末っ子はお昼寝を始める。
長女はお母さんの真似をしていたのだ、と分かる。
お母さんの足の上では、揺らし始めて2分もかからず、
あっという間に、眠りに落ちてしまった。
眠ってしまったら、動かしても起きない子だった。




カプセは、前回同様、美味しかった。

まだ小さい子どもたちは、そんなにたくさんは食べられない。
ヨーグルトやサラダを混ぜて、食べやすくした
皿をちょっとずつ、つついていた次女は
家長に叱られる。

たっぷりいただいて、お腹がいっぱいになった頃には、もう
お暇しなくては、ならない時間だった。

子どもたち一人一人に挨拶をして、
急ぎ足で、家を後にする。

車に乗ったところで、
無事出産できますように、と言うのを
忘れてしまったことに気づく。



埃は相変わらずひどくて、
どこかから結婚式のパーティーの音楽が
強い風と埃に乗って、どこかから流れてくる。

家の中の、静かで清潔で落ち着いた空間と、
外の砂埃と強い日差しのギャップに、頭が真っ白になる。

あの静かな空間が、
薄茶色に染まった、プレハブの一つ一つの中に存在する、
それは、静謐な秘密のように、思えてくる。


でも、いくつか伺ったキャンプの家の中には、
外見と同じぐらい、荒れ果てた家も、あった。
そのご家族は、家への愛着が抱けない、
心のあり様だったのかも、しれない。
ただ、家だけではなく、自分の子どもたちに対しても、
同様に、愛情が抱けなくなっている、家庭だった。
服が床の脇に散らばり、タバコの灰が舞い、
どこかの派閥の柄の入った細い襟巻きが、
だらりと、壁にひっかけられていた。

仮住まいでも、暮らしを少しでもよくしよう、
そう思えることそのものが、
実はとても、本来は困難なことのはずだ。

丁寧に洗ったり、並べたり、直したりする行為は、
何かを払拭しようとする、
もしくは、崩れかけた何かを、必死に元に戻そうとする
行為なのかもしれない。

おそらく、戦後間もない頃、
家や、それまで大切にしてきた物事を失った人々にも、
そんな行為を繰り返しがあり、
今の、日本の暮らしがある。

トタンを継ぎはぎしたバラック小屋の写真を、思い出す。
私にはまだ、その頃の詳細な暮らしの築き方に
想像の種が、足りない。

2019/08/09

彼らの暮らしと、話の断片 8月2週目


ヨルダンの夏休みは長い。
6月2週目あたりから、8月いっぱいまでお休み。
その間、キャンプではサマーアクティビティをしていた。
昨日が最終日で、発表会をする。

こじんまりとしていたけれど、
男の子たちが行儀よく椅子に座れないのも、日差しが強いのも、
女の子たちがよく手伝ってくれたのも、毎年通り。

今年も開けたことが、ありがたい。

オープンデーのために手伝いに来てくれていた、
キャンプの元同僚のお宅へ、帰りに少し、寄らせてもらう。



1件目:ザアタリキャンプ District 2


過去にも二度ほど伺ったことがあったけれど、
2年前に生まれた子に会ったことがない、ということは
2年以上、伺っていなかったことに、なる。


お宅へ入ると、スタッフのお母さんと
スタッフの奥さんのお母さんがいた。
小さな家族だから、毎日こうやって集まっているんだ、と。
確かにキャンプには、かなり大きな家族もいる。
一族郎党、という言葉が似合うような、巨大なファミリー。

でも、そういう家族に比べると、
2,3世帯しかない、彼の家は小さい。

いつも、彼はこちらの仕事のことを気遣ってくれる。
家族みたいなものだから、いつでも困ったら声をかけてくれ、
と言ってくれる。
そういうことを言ってくれる人は他にもいるけれど、
長く一緒に働いてくれていた彼の言葉は、
もっと重く、温かく感じられる。

彼が違う仕事を始める決心をした時、
残って欲しかった私は、恨めしそうに、
どうして転職したいのか、尋ねた。

キャンプの中でも、新しい能力や技術を学べる場があるのならば、
チャレンジしていきたい。
状況や環境はどうであれ、
自分を進歩させていかないとな、と思って。

そう話した彼を、私は心から尊敬している。

昔、ダマスカスで日本紹介の展覧会のようなものが、あったそうだ。
そこへまだ、小さかった彼を、ご家族が連れて行った。
日本人に顔が似ていてねぇ、と
おばあさんが面白そうに話す。
会場の椅子に座らせたら、日本の子みたいだった、と。

今はすっかり髭も濃くなって、キャンプの暮らしに肌の焼けた彼から、
いまいち上手く想像できないのが、顔に出てしまったのだろう。
子どもの頃の写真やら、過去の証明書の類を、
持ってきて見せてくれる。

確かに、小さな頃の彼の顔は、
髪の色も顔の彫りも薄くて、真面目さが際立った、神妙な顔をしていた。

娘さんは二人とも、奥さんに似ている。
色が薄い奥さんに似て、良かったねぇ、などと
おばあさんたちは二人で、ニヤニヤしていた。

日本の奨学制度の話を聞いたんだけど、あれは行けるのかな、と
彼は尋ねてくる。
学位的には問題ないが、英語が必須なので、
まず英語を勉強してから、日本語も勉強しないといけない、と
説明をする。

そうかぁ、じゃあまずは英語なんだな、と
くしゃっと笑いながら言う。
彼のお姉さんは、カナダに第三国定住で移っている。
あと1年したら、カナダ国籍が取れるんだ、と
嬉しそうに話していた。

彼女が発ってから、もうそんなに時間が過ぎていたのか、と
思う。

私たちが話をしている脇で、
すっかりお姉さんになっているかと思いきや、
家の中でだけお転婆の感が出てきた、娘さんが
お皿のケーキを食べようとしたり、
遠くにあるジュースを取ろうとして、
行儀が悪いと、叱られる。
2歳の下の子は、携帯電話をいじっていて
それを上の子に取られて、半泣きになる。

久々にカメラを持ってきていたので、
写真を撮っていいか尋ねると、娘さんは
決めのポーズをいくつか、披露してくれた。


キャンプのキャラバンは、どこの家庭に伺っても
窓が小さくて、日中でも薄暗い。
最近では、ソーラーパネルやジェネレーターを持っている家もあるけれど、
最低限しか使わないから、
日中に部屋の明かりをつける家は少ない。

あとで確認してみたら、ブレている写真が多かった。





外は、白っぽい砂に反射して、空のほかは
どこも、明るすぎる。
いつも、キャラバンから出るたびに、
目がくらくらする。

家のある通りを、いい加減覚えたくて、
目抜き通りからどこを曲がればいいのか、
写真を撮っておく。
ウェディングドレスのお店が、路地の向かいにあった。
あの店の名前はなんて意味なの?と訊くと、
天国にある、花の溢れた美しい場所だ、と
教えてくれる。

今週末には、若いスタッフの婚約式もある。

花に溢れた、美しい場所は、
キャンプの中のどこにも、存在しない。

砂にまみれた看板とは異なり、
ウェディングドレスのお店の窓ガラスは
内側はきちんと掃除されていて、
赤、ピンク、黄色と、花のように鮮やかな色彩が
暗い店内で、着られるのを、待っている。

まだ小さな娘さんも、いつかあんなドレスを
着る日がやってくるだろう。

その時、彼女はどこにいるのだろう。