2011/06/30

アジア人であること



様々なブリーフィングが続く毎日

ヨルダンという国のはなし
ヨルダンに対する日本の支援のはなし
安全対策や健康管理のはなし
日本人だと云えば、友好的である、というはなし

日本人であることを云わないと
例えば、中国人、とか、フィリピン人、と揶揄される
出稼ぎできているインドネシア人も多い
多くはメイドとして金持ちの家に住み込む

夜の街を歩けば
男ばかりの乗った車の中から
中国人、と怒鳴られたりする
お金はあるんだよ、などと云われることもあった
いや、私は日本人だ

云うのは簡単だけど
そう云って、何かがひっかかる
確かに日本人だけど
中国人でも、韓国人でも、フィリピン人でもないということを
意識的に区別しなくてはならない気になってくる


街中で東南アジアの女の人を見ると
心いっぱいたまらないほどに懐かしくて
つい、にこりとしてしまう
きっと彼女たちは返してくれる
だって、そういう土地から来たのだから

私には、バトナムでずっと見てきた
彼らの笑顔が近しい


朝、往き道のアパートメントの窓の桟に
跨いで座りながら外側のガラスを拭くメイドさんがいる
たぶん、インドネシア辺り


私の顔を見つける
知り合いの誰かのように
にこっと笑う
こちらも笑いながら手を振る

アンマンじゃないみたいだ



こんな遠くまで来て

きっと向こうもそう思っているだろう
こんなもう7月だというのに冷たい風の吹くところに来て

彼女はよほどたくましい
例えば、湿気にむせ返る裏道あたりの情景
彼女の土地でしてきたことを
きちんと再現できている

2011/06/29

ヨルダンに着く





今、朝5時
もう少し寝ていたのだけど、もう眠れない

風が弱く絶え間なく吹いていて
ドミトリーのすぐ脇にある木の葉を揺らす
細くて長くてよく揺れる木

ドバイから飛行機を乗り換える
窓際の席からずっと、下を見ていた

ドバイの建物の塊はあっという間に砂埃に消えて
それからずっと、茶色い土地だった
本当に、何もない

時々青いようなコンクリートの道があって
時々白い箱のような町があって
時々緑の点があって

本当に、何もない
ほとんど海のようだった
色が違うだけ

こんなところに住む人は一体どんな思いで暮らしているのだろう

今落ちたら死んじゃうな
と、云ったら
ここじゃなくても死ぬよ、と云われた

その通りだ
星の王子様みたいには往かないだろう


アンマンの空港の周りもわずかな緑だけだった
覚悟はしていたけれど
すべての色の浅さが、ほんの少しさみしかった

白っぽい街にはでも
ところどころ緑があって
果樹や花が咲く

そう云えばヨルダンは
大した地下資源はないけれど
野菜を輸出していたことを思い出し
スーパーの小さな桃の匂いをかぐ
甘くて濃い桃の匂い

どれだけの植物を見つけることができるだろう

たくさん歩いてゆこう
たくさん見てゆこう



2011/06/26

オンネンを抱き、お迎えを待ち続ける



また2年空けるので
おばあちゃんのところへあいさつに往く
県は違うけれど
隣の町に住んでいる


おばあちゃんはもう今年で88歳になる、確か

時々、一人でおばあちゃんのところへ往くと
昔の話を聞いたりする

膝の手術をしたおばあちゃんは
もともと膝が悪い

運動のし過ぎなんていけない
まだおじいちゃんが元気だったころ
毎朝裏の山へ散歩へ往って
ぐんぐん進むおじいちゃんに文句も云わず
ついていったのがよくなかったの

そう、おじいちゃんのことを少し、なじる
おじいちゃんはもう亡くなっていて
お土産に持っていったおまんじゅうを
封を切らずに箱のままお供えして
どうせ食べられないんだから
と、云う
それもそうだ


膝が痛いから
和式の便所には座れない
そんな話から
初めて洋式の便所を使った時のことを
思い出す

どう使ったらいいか分からなくて
便座の上にしゃがんだの

べトナムの公衆便所では
よく便座の上に足跡がついている
外国人が多い研修所でも
洋式トイレの使い方の説明文が
英語で書かれていた


なるほど、だって初めてだもの
わからないよね
はずかしいったらありゃしない
昨日のことのように照れ笑いをする


県庁に勤めていた頃
タイプの練習をするために
仕事の後に4時間も5時間も
勉強に往っていた

大変だなんて、親には云えなかったな

偉い人が出張に往くと
普通は仕事がなくなって暇なのよ
なのに、タイプができると
本人はいなくても
仕事は山積みになっていて割にあわない
だから、できるようになったけど
やめちゃった

聞いたことも見たこともない
菅沼式の和文タイプライターの
効率のいい使い方について
少しだけ説明をしてもらう


昼食を一緒に食べる

外のお店に出かける
おばあちゃんは意外としっかり
鳥唐揚げ南蛮などを食べていて
うどんをへたくそにつまむ私を尻目に
どんどん食べ進めていった


近くの席に
老人ホームから外での食事に来ていた
車いすの老人二人がいて
職員の人と一緒に
少し、食べている


時折その人たちの後ろ姿を見ながら
こんなしっかり食べられるんだから
ありがたいと思わなきゃ
そう、云う

食べられなくなったら
もうお迎えの時期だね
早くお迎えが来ないかね

膝をせっせとさすり
デザートの抹茶ゼリーを食べながら、云う

まだ、当分大丈夫だ

きっと2年後もしっかり今のように
お迎えが来ないかね、と
云っている気がする

わたしは私の親族の中で
おばあちゃんが一番立派でまともだと、思う

2011/06/23

夜の電話



月曜日の出国に向けて
もっぱら本とCDの収集に労力を費やしている
本来なら、もっとやらなくてはならないことがあるのだろうけど
どうも、優先順位を変えることができない

本は重量に限りがあるから
厳選して段ボールに詰める
さんざん吟味した挙げ句
ホーチミンへ持っていったものをそのまま
また詰めたりする

「プラテーロとわたし」を手に取った時のうれしさが
忘れられない
また、このはなしが読める、と
仕事場で一人、喜んでいた

少しだけ、小説を多めに詰める


CDには金銭的な限りがある
昔聴いていたけれど
どこかへ往ってしまったCDを
入れ直していきたいと、思っていた

ただ、題名も分からない曲も、あった
10年以上前に
兄からもらった音源だった
一度だけ昔、兄に訊いたことがあったけれど
しらないな、の一言で片づけられてしまった

だいたいこのあたりのアーティストかな、と目星をつける
でも、youtubeにそれらしきものはなかった
気になりだすと、居ても立ってもいられない
また、むげにあしらわれることを覚悟して
夜も遅い時間
兄に電話をする

きっと寝ていたのだろう
あまり、機嫌は良くなかった
でも、こちらも時間がない
曲の説明をする
ただ、鼻唄を唄えるほども
覚えていなかった

ほら、お兄ちゃんが家に居る時に
よく寝る前、聴いていた曲

、、、、ああ、King of Sleepだな



youtubeでチェックをして
思わず、おお、と歓声をあげる


残念ながら、このCDは
廃盤になって
日本に居る間に手に入れることはできない

ただ、タイトルもアーティストも分かったから
聴きたかったらサイトを探せばいい

それでも、諦めきれず
真夏のような名古屋の街を
中古CD屋求めてさまよう


ホーチミンよりも、よほど日差しが強い気がした

さて、探していたCDのタイトル曲を

懐かしの80年代どっぷり、という感じだけれど
何度も聴いていると、もう分かっているのに
次の展開が聴きたくて仕方なくなる
おかしな中毒性がある

http://www.youtube.com/watch?v=jvQ8BRit6ws



2011/06/21

小さくて大切な旅



週末、挨拶回りに出ていた

2年ぶりに会う人
1年ぶりの報告をする人
違う土地へ旅立つ人
どんどん大きくなってゆく子どもたち

お世話になっていた大学の先生からは
焦らないように、と
お言葉をいただいた
今は貯める時期だと思ってたくさんいろんなものを吸収しなさい
私が表現できないでいる焦りを
先生はきっと、読み取ってくださっていた

2年前をあらためて思い出す

先生の彫刻の形は本当に適切で、変わらず温かかった


お世話になったお店では
おいしいお酒をいただいた
変わらない人たちとの大切な時間だった

深夜、店長に2年の報告をする
で、ハルコにとって2年間はどうだったの?

来るであろう質問に
酔いながらも考えて
できるだけ偽りのないように話す
話しながら、でも、
気持ちは次の土地へと動いていて
べトナムはステップだったことを、知る
それは、ヨルダンがステップであろうことと、変わらない
たくさんの反省を、次こそは、と
身体に貯めながら、でかける


松本では小さな子どもの力と
圧倒的な緑を感じる

市街の外れにある
小高い丘の上の広い公園のはしっこで
安曇野を見ながら小さな子と一緒に
シャボン玉をたくさん吹いた
勢いよく、林の方へシャボン玉は飛んでゆく
シャボン玉の液がなくなって
小さな子は、泣いた
私も少し悲しかった

ヨルダンへシャボン玉セットを持ってゆこう


また、2年後に同じ人たちと会うだろう
私は何を携えて帰るのだろう

また違う国へ往くのか、と
自分で選んでおきながら
どこかで倦んでいるのも、確かだ
べトナムの記憶が、ヨルダンのそれに書き換えられるのが
恐ろしい


それでも、懲りることなく
2年前と同じように
私は小さく私に、希望を抱こうとしている


2011/06/16

深夜の映画—ユリシーズの瞳



計画は頓挫した

月を愛でようと思った
明け方まで起きているには
何かしていなくては

月の見える窓の下で映画を見始めたら
途中で疲れてしまった

テオ・アンゲロプロスの「ユリシーズの瞳」

言葉の意味を考えながら
美しいのだけど
それだけではすまされない
荒涼として
余白に多分な意味を含んだ映像を見つめながら
ずしりとした重さと物悲しさの
感覚だけが残り、眠る


朝、続きを見る
サラエボの霧の中で、近しい人たちが殺される場面だった

バルカン半島ををさまよった
マナキス兄弟という映画監督が撮った
未現像の3巻を求めて
映画監督ハーヴェィ・カイテルが
兄弟の足跡をたどりながら
バルカン半島を
ギリシャ、アルバニア、ブルガリア、ルーマニア、セルビア、ボスニア
移動をしてゆく

3巻のフィルムはサラエボにあった

サラエボに住む技師によって現像される
現像が成功した日
霧の中を散歩する家族
霧の日はお祝いの日なんだよ、と云いながら

そして、不意に会った兵士に殺される

「before the rain」という映画を思い出していた
後方にエーゲ海を望む岸壁に建った修道院へ
走ってゆく少女の姿


ドナウ川を渡る巨大なレーニン像や
夜の町に静止する黒い傘をもった人の群れや
国境の、雪の覆う何もない丘を無言で歩いてゆく密入国者や
焼け果てた家を見つめ、舳先に立ち尽くす女や
生き物のようにがれきの中を漂う霧や
廃墟の前で演奏する小さなオーケストラや
泣き果ててくしゃくしゃに崩れたハーヴェィ・カイテルの顔が
一つ一つ、頭から離れない

朝の曇った空に
暖かで、往く手を覆う霧を見る
月はもう、とっくに消えてしまった


2011/06/12

声の根、のようなもの


実家に戻ると
部屋には楽器があって、ついつい時間が過ぎる

ピアノをいつものように弾こうとして
よくよく慣れているはずの
重たい鍵盤を触りながら
でも、どうもこの音は
慣れてはいるけれど
好きではないな、と思う

ピアノの脇で電話などしていると
声がピアノに響く
おそらく私の声が
反響板に共鳴しているのだと思う

よくよく、響くピアノなのは
何となく知っていた
ただ、どうも響きすぎて
どこかキンキンとした音になる

つい最近まで違うピアノを弾いていたせいもあったか
この音の違いが、いつもより
気にかかっていた

街中に出ようと電車に乗り
ぼんやりと音楽を聴いていた
歌のバックにピアノが入る
丸みのある声に温かいピアノの音

いろんなピアノの音があるものだ、と思い
ふと、気づく

どうも、私の家のピアノの音は
音の基、みたいなところが
私の声に似ているのだ
だから、気にかかる

変に響くところなど、特に

特に高音域はペダルを踏まなくても
きん、と他の音に音が映ってゆくところなど

反対かもしれない

私が物心ついた頃には既に
このピアノは家に居た
この声の質は、ずっと
このピアノに共鳴し続けた
結末、なのかもしれない


ライサ フナーカ ハッル






2011/06/10

続・花のおわり






実家の花々

何週間か前は本当に花だらけだった、と
豪語する母親の言葉に
そうだったんだろう、と妙に納得する

庭には、たくさんのばらと
じゃがいもや
フェンネルや
フェイジョアや
ペルシャンジュエルや
レースフラワーや
カモミールや
私の知らないたくさんの花

まだ、庭中が
盛りだった頃の余韻にひたっている


花たちが落ちてゆくその脇で
すくりと立つ若い桂の木が
でも、私は好きだ
どの花よりも甘い香りがする


2011/06/07

鯨をしまう



大阪をそろそろ離れる時がやってきている

どうにも不思議な生活だった気がする
本当に宙ぶらりな
なのに熱気に包まれている生活

あんまりにも人は近いし
みんな思いがいっぱいで
どうにも、まっすぐな感じだった

私も負けじと
周りのことや遠い土地のことや
他人のことや自分のことについて
自分なりの真剣さで
向き合ってみた

他人にはそうは見えないかもしれないけれど
でも、自分では随分と、真剣だった

うまく往かないことの方が多かったけれど
そんな時間を持つこと自体が
随分と久しぶりで、だから
随分と貴重だ


部屋の鯨ポスターをしまう

持ってきたはいいけれど
うまくテープではつかなくて
畳んだまま棚の上に置かれていた

次の土地にも
持ってゆくつもりだ

ただ、同じものが手に入るのなら
新しいものが欲しいな、と思っている
べトナムでテープを貼りすぎて
埃で汚れすぎて
黄ばんでいる

紅海には
鯨は居るのだろうか