2018/04/24

銭湯恋歌


日本のお水でお風呂に入った瞬間が一番
日本に帰ってきた、と感じる。

アルカリの強いきしきしとした感触と全然違っていて、
温かな水にひとたび触れると
肌も髪も、すべらかになる。
柔らかい薄い膜に覆われている感触。
風呂上がりの乾燥具合も全く、違う。
急激に乾燥してぱりぱりするのに慣れているから、
日本の湿気は、どこまでも、優しい。

銭湯に行くのが、滞在中の一番の楽しみだ。


美術系なので、女性の裸はもういい、と思うほど見せられている。

以前は服を着ていても、
この人は意外と腰が張っている、とか肋骨に肉がついている、とか
透視術でも持っているかのように、見透かすことができた。

こういう能力も、時間が経つにつれて衰えてきて、、
モデルにおばあさんが来ることはなかったので、
あらたな境地を、事前に勉強することになる。

銭湯とは、年を取るとこういう体形になるのか、と
学ぶ場である。
若い人が入ってきた時などは、
当然自分の老いもまた、認識することになるのだけれど。



下町の銭湯は、だいたいがおばあさんばかりで
あそこのトマトが安いだの、
かけたパーマのボリュームがいいだの悪いだの、
角の家の息子さんがどうの、だの、
あら、奥さんその髪の感じなんていいじゃない、だの、
ほてった身体を扇風機で冷やしながら、
風呂上がりにドライアーをかけながら、
誉めあったりしている。

小さな男の子を連れた若いお母さんが
隣のシャワーに座ったおばさんと
子どもの話をしている。

風呂のお湯が熱いのに、何度も入ろうと足の先をつけては引っ込める。
そんな男の子の様子を
見知らぬ人たちが母娘のように眺めていた。


はたと、これはよく慣れ親しんだ何かだ、と思いつく。

銭湯が好きで落ち着くのには
アラブ圏に慣れているからなのだろう。
女性ばかりの場所の方が、居やすくなってしまったようだ。


銭湯という場は、裸のつきあい、
さまざまなコミュニティの中で、
他人同士の距離を最も近くできる場所なのかもしれない。

そうなってくると、人の距離が異常に近いあちらに
いよいよ似ているような気になってくる。
他人同士が織りなす会話は、
よく知っているあちらの学校の職員室の会話や
美容院の会話と、同じだということに、気づく。