2018/10/27

自然の情景を、聴く


ヨルダンの寒さは、日本と質が、違う。
足元が、しんしんと、冷たい。

どことなく夏を引きずったような、
中途半端な日々が、9月から2ヶ月近く続いた後の、
雨だった。

空気が、澄む。
そして、音楽が耳に馴染む季節がまた、やってくる。
そして、毎年のように、
寒さが、音を連れてくる。もしくは、
寒さに、音の温かさが、沁み入る。

夜に、無音の音がするのが、
寒くなってきた証拠のような、気がする。
しん、とした空気は、
秋と冬にしか、存在しない。




ずっと欲しかったデータを、ダウンロードする。

何だか、本当に、
音が好きなんだ、と思わせてくれる。
ありとあらゆる、周囲の自然の音は
セッション相手、というように。


#1から#51まで。
Bandcampという音楽サイトから購入できる。

自宅で録音された音には、ピアノの他に
雷や虫の鳴き声、雨だれの音が、入っている。

自然の音を聴きながら、
鍵盤に手を乗せて、演奏した記録のようなものだ。


もっと早くダウンロードしていればよかった。
虫の音には、少し寒くなりすぎた。

リリースのタイミングが、演奏した時季。
だから、春も、夏も、秋も、冬も
それぞれの時季の音が、入っている。

ピアノを弾きながら、ふわっと漏れる声や
アイヌ音階のかけらや、
ささやかな合奏も、入っている。

不思議なのは、
このデータを聴いていると、とりあえず
何かを集中してする、態に入る、ということだ。


ライブなども久しぶりに見たり、する。



なんだか、とにかく幸せそうだし、気持ち良さそうで、
あぁ、なんでこんな風に、ずっと
ピアノが弾き続けられたらどんなに、素敵だろう、と
思う。








最近、ぎすぎすした音楽しか聴いていなくて、
それはわたしがぎすぎすしていたからだ、と
分かっていても、どうしようもなかった。

実に3ヶ月は続いた、
致命的な「いい音楽不足」に
終止符を打てる、はずだ。





2018/10/26

彼らの暮らしと、話の断片 10月4週目


この日、アンマンは朝から強い風が吹いていた。
8年前、初めてみた、雨の降る予兆を忘れられない。
突風が、黄色い雲を運んでくる。
砂塵と湿気を含んだ雲が、空気を変える。

もう限界だ、と、
大気が水を絞り出しているように、思える。

どこも谷と丘のアンマンは、
空を見上げるたびに、建物が視界に入る。
いつもは青いばかりの背景に、
グレースケールと、黄と、青の
見慣れない色合いが広がる。

タイヤを前日に履き替えた、というスタッフと
アンマンの治水事情の話をしながら、
滑り落ちるように、急な坂を下る。

この日、海抜が0mを下回る死海のほとりでは
鉄砲水で子どもが亡くなっている。

訪問の途中から降り出した雨は、
一瞬で街中の道路を川に変えてしまった。


1件目:ジャバル ズフール

ヨルダンの街路樹にはよく、オリーブが植えられている。
丁寧に剪定されている木もあれば、
育つがまま、の木もある。
訪問したアパートメントの入り口には
もさもさと葉が茂り、
今が季節のオリーブの実が、道路にちらばる。

お父さんは、訪問の理由を知りたがった。
訪問理由は、訪問のアポを取る時に話してあるのだけれど、
浅黒く、瞳も黒いお父さんは、
じっとこちらの目を見ながら、わたしたちの心のうちも
探っているように思える。

出迎えてくれたのは、お父さんとお母さんだった。
子どもの影が二つ、奥の部屋にちらちら見える。

お母さんは着古したキティちゃんのプリントされた
長いワンピースを着ていて
ピンクの口紅が若い、かわいらしい人だった。
お父さんの佇まいと、対照的だった。

この家の子どもは、今住んでいる地域から離れた学校に通っている。
今の家の近くにある学校から、
以前住んでいた場所で通わせていた学校に子どもを戻している。

片道、公共交通機関でも、1時間かかる。
それでも、その学校に通わせていた。

校長先生は自分の子どものことを、よく見ていてくれる。
息子のことを、「この子はいいこだから」と、
誉めてくれる。
一学年一クラスしかない、その学校は、
先生たちも協力的で、面倒見がいい、と。

お父さんは始終重い表情で、にこりとも笑わない。
その横で、お母さんの方に時々、視線を上げると、
その度に、ふわっと、笑いかけてくれる。

家には3人子どもが居て、長男の他に、長女と次男が居る。
長女は絵を描くのがすき、と話す。

絵を描くのが好きだ、という話を聞くたびに、
反対にそれぐらいしか、家でできる楽しみがないのかもしれない、と
憶測することになる。

シリアでは、美術も体育も音楽も、
みんな先生がきちんと教えてくれたのに、
こちらでは、そうではないんですよね、と
残念そうに、お母さんは、云う。
校舎を出て、外の景色を描く授業だって、あったのに。

まだ2部制の午後に登録している長女は、学校に往っていなかった。
お母さんに促されて、描いた絵を持ってくる。

日本のアニメの存在感を、また知らしめられる。
個人的には、もっと描写に重きを置いた、
見ること、を真剣に体得できる美術教育のあり方を
もう少し重視してもいいのではないか、とも思うのだけれど、
その子が、単純に描くことを楽しんでいるのであれば、
それはそれで、本当は、いい。


以前訪問した、ホムスからの家庭には、
水と緑がいっぱいの、風景画を描く、女の子が居た。
この家族もホムスから、やってきている。

学校でもっと、美術の時間をしっかりやってくれるように
云ってもらえないか、とお願いされる。

今回のプログラムでは、美術教員の技術強化は入っていない。
どう、お願いされたことを少しでも、還元できるか、
次の訪問の道のり、考える。

その間にも、どんどんと雲は低くなって、
アンマンの端にあるその丘の頂上からは、
うねる街が雲に覆われていく様子が見える。



2件目:ジャバル・ジョーファ

ダウンタウンのすぐ裏手にあるこの丘は
個人的にとても、気になる場所だ。
どちらかというと、貧しい人たちが多く住むこの地域は、
急な坂道ばかりの丘に、ひしめき合うように
3、4階建ての建物が並んでいる。
でも、並んでいる、という表現はあまり適切ではなくて、
丘の中腹でも、凹凸のある地形に合わせて
道がうねっているから、
その道に建物がくっついている、という方が
何となく、合っている。


訪問先の近くのモスクで待っていると、
お母さんが迎えにきてくれた。
顔も、身体もまんまるのお母さんだった。

ゆるくカーブするモスクの脇を歩いていくと、
目的のアパートメントに面した道に、
垂れ幕と色とりどりの旗が、飾られている。
結婚式をするから、誰でも来てください、と書かれた
その垂れ幕は、何ともおめでたい感じで、
思わず、写真を撮る。





部屋の中は、よく見慣れた、古いアパートメントの一室だった。
古くてぺらぺらのアラビーマットしかなくて、
部屋のドアの木材は、摩耗して端が削れている。

ベランダに通じる扉からは、さっきのめでたい、旗がはためく。

9年生になる息子は、学校に往った後で、仕事をする。
この丘を下れば、ダウンタウンだから、
ものを運ぶ仕事をしている、という。
学校の先生は、ダウンタウンで仕事をしている息子に
きちんと挨拶をしてくる。

もう1人居る長男は、カレッジを出ているけれど、
その卒業証書がヨルダンでは認められなくて、
学歴に合った仕事が見つからない。

ヨルダンに来たのは2012年、その年の初めには、
子どもに働いてもらわなくてはならなくて、
しばらく学校にも登録していなかった。

次男は、足の指を手術している。
その、空を切り取っているベランダに通じる鉄の扉に、
足を挟んでしまった、という。
手術代に150JDを捻出しなくてはならなくて、
とっさにお金を準備できなかったから、
借家をさらに、担保にして、お金を借りたという。

セルビスを使わずに坂を登ると、
1時間はかかる。
その道のりを、息子たちは仕事帰りに、歩いて帰ってくる。
学校に往って、仕事に往ったら、もう家で
遊んだり勉強をする体力も残ってないから、
後は、寝るだけよ、とお母さんは笑う。
授業中に居眠りとか、しちゃったりしてるらしいわ。

シリアでは、体育の授業を受けられないのは、
罰、だったらしい。
身体を動かすことが楽しみだから、
わたしも体育が大好きだったのよ、と
お母さんは話す。

どこかしら、親近感が湧くのは、
ヨルダンに住み始めた頃に居た家に似ているからなのか、など
お母さんの顔を見ながら思っていたのだけれど、
ダラアから、と聞いて、合点が往く。
話し方が、やっと聞き慣れ始めたものだったからだ。

国境が開いたけれど、帰るつもりはありますか、という質問に
変わらない朗らかな表情に残しながらも
お母さんは、首を横に振る。
17歳から兵役だから、今国境を越えようとしたら
国境のシリア側ですぐ、兵役に取られてしまうわ。

大学に往くか、国外で兵役免除のためのお金を支払わなければ、
自動的に兵役が課せられる、という。

それが本当なのかどうか、分からない。
そして、兵役に取られることが、
彼らにとって、何を意味しているのかも、
はっきりと、窺い知ることができなかった。



3件目:ジャバル・アハダル

ホブズ、というこちらのパンを焼いているお店が
ここの近くにあるんだよね、と
訪問先の丘にさしかかったところで、口にしたのは、
以前この地域で事業をしていて、
その時に訪問した家のことを、よく覚えていたからだ。

5角形という、納まりの悪い客間に通された。
脚の悪い大柄の息子さんが居る、
お父さんが亡くなっている家庭だった。
娘さんが勉強のできる子だったから、
タウジーヒ用の奨学金を取れた、という話と、
お母さんが、何のきっかけか忘れてしまったのだけれど、
涙を浮かべていた、という記憶。
とても、きちんとしたお母さんだった。

偶然にも、同じアパートメントが、訪問先だった。
わたしの記憶では、同じ部屋のはずだった。
でも、通された客間は四角だった。

シリア人はよく引っ越しをするので、
違う家庭が住んでいる可能性は、大いにあった。

階段には、パン屋さんのおいしいパンの香りが漂う、
あれは、わたしの記憶違いだったのだろうか。

家には、まだ午後シフトに出る前の息子たち二人と、
就学年齢前の男の子、そして、1歳半ぐらいの女の子がいた。

みんな、お父さんに顔が似ていた。

お父さんは着ぐるみみたいな、濃いピンク色の服の
娘をずっと膝に乗せたまま、話をしてくれる。
娘だけが、お母さんに似ていた。

学校への文句は絶え間なく続いた。
どこでも聞く、話。
その間に、二人の息子たちは、じっともしていられなくて、
塗装の剝げかけた壁に、鍵で傷をつけてみたり、
こちらをむすっとした表情で見たりしていた。

お父さんの目は寄っていて、視力に問題があるようだった。
そのために仕事もできなくて、国連機関の支援を受けている。

お父さんの、息子たちに対する叱り方が気になったのだけれど、
どうも、息子たちは学校でも問題だらけのようだった。
2年生の上の子は、勉強がなかなかできない、
1年生の下の子の方が、既に学力があるから、
困った話だ、と、お父さんはきつい表情で、話す。

学校の対応も問題だけれど、そもそも
息子たちが問題だらけだから、しょうがない、と
話すお父さんの脇で、息子たちは
自分たちのことを話されているなどと、
つゆにも思っていないようだった。
二人とも指をしゃぶりながら、じゃれ合っていた。


帰りにもう一度、聞いてみる。
この家には5角形の部屋はありませんか?と。
そんなのはないわよ、とお母さんは云う。

釈然としないままアパートメントを後にして、
待っていた車に乗り込んだら、
子どもたちがさっきまで居た客間の窓から
こちらを見ていた。

こちらの子はよくやるのだけれど、
鉄格子のはまった窓に両足をかけて、
窓の桟に、座る。

そう云えば、前回この家に来たときも、
誰かがその窓から、ああやってわたしたちを見ていた。





4件目:ハイ・ナッザール

目印の学校の脇で待ち合わせていたので、
しばらく車の中で、家の人が迎えにくるのを待っていた。
急な坂ばかりの街には、階段でしか往けない家も多い。
この階段からくる、と見当をつけて階段を見ていたら、
視界に突然、転がるソファが入ってくる。
その後を、10歳ぐらいの男の子たちが3、4人、
わらわらと追いかけて、そのままソファを道の反対側まで持っていく。
どうも、捨てたかったようだ。

迎えにきたのは、まだ5、6歳ぐらいの小さな男の子だった。
狭くてよく見えなかった階段は、思いのほか長かった。
軽やかに駆け上がっていく男の子を目で追いながら、
おとなのわたしたちは、すっかり距離を取られる。

やっと階段を登りきったかと思ったら、
もっと細い階段があって、
そこをのぼってやっと、階段の途中に家の入り口があった。

部屋に入った瞬間、湿気のにおいがする。
風通しが悪い、家の密集した地域の、一階の家の、におい。
家賃が安いので、似たような条件に住むシリア人が、多い。

でも、この家庭は15年前にエジプトからやってきた、
母子家庭だった。
お母さんはヘルスセンターで清掃の仕事をしている。
だから、家に居る娘たちが、わたしたちの相手をしてくれた。

子ども向けのアニメ番組がずっと、テレビから流れていた。

病弱なのかとも思われるような、アラブ人にはめずらしい
小柄で色白のお姉さんと、顔つきの全くちがう、妹。
お姉さんは、ゆっくりとゆっくりと、
ことばを確かめるように、話をする。

学校では頭がいい子しか、先生たちは目をかけないから、
そうじゃないと、どんどん落ちこぼれてしまうんですよね。
一番下の子の心配をしているようだった。

一通り聞き取りを終えて、少し、この娘たちが、気になる。
タウジーヒをもう一度受け直す、というお姉さんは
心理カウンセラーになりたい、という。

姉妹でも、また近所の、同じ学校に往っていた子たちとも、
どこかへ遊びにでかけたりは、するようだった。

一番下の子は、何をして遊んでいるのだろうか。
こんな坂ばかりで、平地のないところでは、
サッカーもできないだろう。
そう思っていたら、どうも近所の女の子と
家の前の階段で、おままごとごっこをしたり、
ビー玉遊びをしている、という。

キャンプでは少し前まで、空前のビー玉ブームだったけれど、
キャンプ外でビー玉の話を聞くのは、初めてだった。
転がり落ちたら、どこまでもどこまでも、
落ちていってしまうだろう。


訪問を終えて、部屋の扉を開けると、
狭い階段に、水滴が落ちる。
雨が、降り始める。

なんだか嬉しくなって、ビデオを撮る。

車の場所まで、階段を降りていく途中で
呆れるほど興奮した男の子たちが居る。
ソファを投げていた子たち。

雨が降ってきた、というフレーズの歌を
声をそろえて歌いながら、
はしゃいでいた。





5件目:ジャバル・ウェブデ

ダウンタウンを通過して、次の訪問先に往く。
既に、道路や階段は、水であふれていた。
木曜日なのも重なって、どこも大渋滞だった。

ウェブデは、外国人の多い丘だ。
アンマンで一番おしゃれなところだと、思っている。
以前、この地域に住みたくて家を探したことがあるから、
家賃が安くないことも、知っていた。
こんなところにも、シリア人が住んでいるのを、知らなかった。

アパートメントの前で待っていたお母さんは、
緩くヒジャーブを巻いて、眼鏡をかけた
端正な顔立ちの、きれいな人だった。

ここも、母子家庭だった。

もともとは違う地域に住んでいたようだ。
でも、息子が学校へ往ったり、近所に買い物に往ったりするとき
汚いことばを使う人たちが周りにたくさんいて、
子どもの教育によくない、と思ったお母さんは
1年半前に、この丘に移ってきた。

実はその、よくないとお母さんが云った地域に、
同行していたナショナルスタッフは住んでいる。
少し、ひやひやしながら、彼女の表情を伺う。

子どもたちの教育には、とても熱心な人のようだった。
お母さん自身も、ボランティアで
近くのローカルNGOに通っている。
読み聞かせや音楽鑑賞のアクティビティをしているらしい。

シリアでは、公立学校のアクティビティの中で
かなり専門的なFirst Aidの授業もあったという。

近所のシリア人の子どもが、ヨルダンに来て、けがをした。
近くにきちんと処置の仕方を知っている人が居たらよかったのに、
居なかったから、後遺症が残っている。

そういうことも、シリアではきちんと勉強できたのに、と
お母さんは話す。

教育の質は国内でも、相当の格差がある。
ヨルダンでも、いい学校の提供するサービスは
日本の公立校よりいい、と思われるものも、ある。
シリアでもそうなのだろう、と憶測してしまうのは、
違う家庭で、全く違う話も、耳にするからだ。
もっとも、日本の学校にも当てはまる話だけれど。

夏休みのアクティビティがないを、どうにかできないのか、と
お母さんは尋ねてくる。
シリアでは、学校が夏季アクティビティを実施していたそうだ。
以前の事業ではやっていたのですが、と返答に詰まる。

ただ、この家庭の通っている学校は、
とても建設的で、理解のある校長先生が居るので、
校長先生と相談してみたらいいのかもしれない、と
頭の中で、できることを、思いめぐらせる。



お母さんの働いているそのセンターに興味が湧いてきたので
連絡先を教えてもらう。
その場ですぐに、センター長に連絡をしてくれた。

この家庭訪問でも、お母さんは始め、
なぜこの家庭に来たのか、を訊き続けていた。
学校からもらった連絡先を尋ねている、という回答に、
納得できないようだった。
何で校長先生は、うちを勧めてきたのだろう、と。

でも、聞き取りを終えて、納得がいく。
子どもの教育に熱心で、自身もアクティビティを積極的にしようと、
しているからだった。

このお母さんは、きゅっきゅっと、音を締めるような
話し方をしていた。
不思議なリズム感がある。
おそらく、ダマスカスの人だろう。



帰りの道は、絶望的に渋滞していた。

東京が雪にうまく対応できないのと、
ヨルダンが雨にうまく対応できないのは、
よく似ている。
考えてみたら、ヨルダンも、
まとまった雨が降る頻度は、雨期の冬でも、そこまで頻繁ではない。

埃に執心していた人たちは、
この雨を使って、車を洗う。

オリーブの実も、一雨降れば、きれいになる。

そして、雨が降ると一気に、
冬がやってくる。
一雨降る毎に、気温が下がる。

秋は、短い。


2018/10/06

ひさびさの宮沢賢治


仕事用のバッグの中には、
宮沢賢治全集5、短編集が入っている。
「マグノリアの花」という好きな短編が入っているので
いつでも読めるように。
いつでも読める、という安心感が、結果的に
読まない原因となっていた。

最近通勤中も仕事をしていることが多くて、
本を開く気持ちになれなかった。

昨日、休日の金曜日も、仕事をする。

最近まともに音楽も聴いていなかった。
聴いていたものといえば、AsgeirとJames Blake、それから
運良く聴けた、日本のラジオ番組で紹介されていた
Tigran Hamasyanだけだった。

今日の朝、ひさびさに朝、グールドのバッハを聴く。

薄い雲が漂うアンマンの空には
秋らしい、黄みがかった光が漂い、
どこでいつ聴いても、グールドのバッハは
見るものと考えることを、整理し、落ち着かせる。

なぜ、ひさびさにバッハを聴いたかと云えば、
理由にもならないけれど、
朝、万葉集の秋にまつわる句を
読んでいたからだった。

秋の七草など、鑑賞することもできないけれど、
はて、なんだったか、と気になって
万葉集の句のいくつかから、記憶をたぐっていた。

どの句にも、秋の光と、しめやかな湿度と
色のやわらかな花々が見える。

悪くない、ひさびさに悪くない朝だった。

だから、机の上に置きっぱなしにしてあった
宮沢賢治全集2、「春と修羅 第3集」「詩ノート」「疾中」を手に取る。

自然の気難しさと美しさが、
対峙し続けるからこそ、拭いきれない
苦みを含みながら、描写されている。

それらどれも、ここでは鑑賞することも、
体感することもできない。
ただ、懸命に、季節の移ろいを感じようとした過去の記憶が、
今、見ることのできないものものを
補完しようとする。

それには十分すぎるような、丁寧で美しいことばたちだった。

日中でかけて家に戻ってくる。

この季節、やっと雲が出てきたアンマンでは、
夕方の空を、赤にはやわらかい雲が
彩りを添える。

朝読んだ詩を、思い出す。


美しき夕陽の色なして
一つの呼気は一年を
わが上方に展くなり


西側には家があるから、夕陽を我が家からは見ることができない。
雲の色に、夕陽を見る。

この夕陽を宮沢賢治が見上げたのはいつの季節だったのか、
記されてはいない。
でも、わたしにとってはおそらく、
美しき夕陽を、視覚的に感じる季節は、
今から、始まる。