2021/02/26

自分の髪を愛せない人間の末路

 
小さな頃、少女漫画に描かれるふわふわの髪をした主人公に
羨望の念を抱きながら、あぁ、大人になったら
自分でこんなふわふわした髪にするんだ、と思った。

量も多く、太くて立派な私の髪は、
大人になって、どれだけお金をかけても、
思ったような髪型になど、一度としてなったことがない。
もっとも、美容師さんからしてみたら、
無理難題とかやめてほしい、という次元なのだろう。


日本にいた頃は、それなりに諦めず、さまざま試してみたけれど、
海外暮らしも長引く頃には、髪に対する意欲も削がれていった。

ベトナムに住んでいた時には、韓国人の方がやっている美容院にお世話になっていた。
韓国のバラエティがテレビから流れている。
サラサラストレートか、ふわふわの髪をした
美しい女性たちを見つめる時間だ。

そのお店には何度か通って、韓国のバラエティが楽しみになったりした。

年中暑いし、よく走っていたので、
ある日思い立って、柴犬みたいなおじさんのやっているローカルなお店で、
加藤登紀子みたいなショートカットにした。
あまりに加藤登紀子だったので、途中で茶色くしてみたら
どこかで見たことのある、お猿になった。

ローカルのお店に一度行ってみたかった、というのも、ある。
何事も、自分で経験してみないと気が済まない性格が、災いする。

短髪はそれはそれで、気持ちよかったけれど、
日本にはあまり適応できなさそうな髪型だったので、
その後、懸命に伸ばすことに注力した。

ベトナムからまたすぐ、ヨルダンにくる。

ヨルダンの美容院事情は、ベトナムのローカルなどとはまた、
全く違う凄みがあった。


男女で人生の一大イベント結婚式も葬式も別々に行うヨルダンでは、
女性の美容院は外からは決して、見えないようになっている。
ヒジャーブで髪を覆っているぐらいだから、外から見えてはまずいのだ。
店の中ではおそらく、男性の想像もつかないような世界が広がっている。


アラブ人にとって、美容院や床屋は社交場でもある。
男性たちが床屋に出かけたまま2、3時間話をして戻ってこない、
などという話はよく耳にする。
秘密警察はまず、床屋に潜入するという話を聞いたのも
一度や二度だけではない。

女性たちもまた、旦那や子ども、姑やご近所との
さまざまな愚痴や心配ごとを携えて美容院にやってくる。
結婚式の時には一家で美容院を貸切にして、
髪のセットからメイクまで、女親族総出で準備していく。
(思い返してみたら、ベトナムの韓国人のお店も、
 韓国人の方たちが用もなく、出たり入ったりしていた)


ヨルダンで最初に行ったのは、同僚の先生から紹介してもらったお店だった。
UNRWAのマンモス女子校には60人ぐらいの教員がいたけれど、
ヒジャーブを被っていない人は二人しかいなかった。
そのうちの一人に紹介されたお店の売りは、
ヨルダン人ではなく、ルーマニア人がやっている、というところだった。

家にでも招かれない限り、ヒジャーブの下の髪の毛を見ることはない世界では、
確実にルーマニア人の方が信用できる気がした。

アラビア語で半泣きになりながら予約をして出向いてみると、
残念ながら、ルーマニア人の店主はいなかった。
でも、随分と歓迎されたのは、私がアジア人で、
従業員のほとんどフィリピン人だったからだ。

なんだか本当に嬉しそうな顔をしたフィリピン人の女の子たちが
望みの髪型をプリントした紙を渡すと、
楽しそうに回し見て、いきなり買い物に出かけてしまった。
なぜなら、彼らの判断では、私のしたいパーマにできる
ロットの数が足りなかったからだ。

終始彼らは楽しそうだったし、そんな彼らの姿を見ている私も
何だか、久しぶりにアジア人に囲まれて、嬉しかった。

他の客が揃いも揃って、大仰なヨルダン人ばかりだから、
きっといつも、理不尽な注文や威張った態度を取られて
嫌だったのだろうな、といろいろ想像してみたりした。


ただ、出来上がりは、持参した写真とは似ても似つかぬものだった。
ぐりぐりになった髪でアパートメントに戻ってきて、
同じ建物に住む友人たちに、写真と仕上がりの違いについて訴えていた。
陽気で楽しそうなフィリピン人の女の子たちには、言えなかったから。


ヨルダンの初めの5、6年は、日本に帰れるのが年に一度かそれ以下だった。
懲りずに、現地の美容院へ行き続けた、単純な理由だ。

ある日、猛烈に髪型を変えたくなる、そうするともう、
居ても立っても居られなくなる。
それは、どうしても豚骨ラーメンを食べたい、とか、
どうしても銭湯に入りたい、とか、
その手のものによく似ている気がする。


二度目にそんな衝動に駆られた時、
アパートメントの並びにあるお店が気になったのは、
単純に中がどうなっているのか、見てみたかったからだ。
その頃住んでいた地域が、日本人は基本的に、住まないような
かなりローカル色の強い地域だったことを忘れていた。

中は、場末のバーみたいなところだった。
スポンジの出た椅子、絞首刑台みたいな洗面台、汚い鏡、
そこらへんに散らばった誰かの髪の毛。

美容院へ入ると、女たちはヒジャーブを脱ぐ。
すると、赤とか黄色とか、オランダのチューリップ畑みたいに
色とりどりだったりする。
店の女主人は、ひたすらタバコを吸いながら、ものすごくめんどくさそうに
私の髪にロットを巻いていった。

そして、一回めの液体を塗布した後、アラビア語で
「子ども迎えに行くから、一度家戻ってちょうだい」と言い捨てる。
自分のアラビア語力に全く自信がないので、
聞き間違いだと思った。
でも、お店にある汚いタオルを頭に巻かれると
車の鍵を手にして、さぁ、と入り口へ促された。
ストーブの前に座っていること、そして、2時間後に
店へ戻ってくること、と女主人から言い渡される。

寒い冬空の下、頭の液体が首筋を流れていく不快感に苛まれながら、
徒歩でとぼとぼと家へ帰る。
女性は基本的にヒジャーブを被っているから、
タオルを巻いたアジア人が歩いているところで、誰も気にしなかった。

そういえば、あのお店の洗面台のシャワーは固定式で、お湯が出なかった。


その後も、何度となく美容院へ行き、敗北し続けてきた。

ある時は、もう美容院に行くのをやめて、
日本から来る人にパーマ液を買ってきてもらい、
自分でパーマをかけたこともあった。
同僚や知人に髪の毛に小さな丸をたくさん作ってもらって
めでたくアフロになった。
奇跡的に、作った小さな丸の数は、百八つだった。
煩悩とストレスは髪に込めて、心は幾らかでも健やかにしておきたい、
という、結構切なる願いがあった。


当然、日本に戻って美容院へ行くと、
これはもう、髪ではありません、などと言われた。
時として、髪をいじることは私の場合、
一種の自傷行為なのだ、と知ったのはその時だ。

いい歳して、こんなことするものじゃないと思った頃には、
事業のドナーも変わって、年に2度ほど、日本に戻れるようになった。
だから、ここ数年、ヨルダンの美容院に足を向けることはなかった。


残念ながら、日本の美容院もまた私にとって、恐ろしい場所だ。
ヨルダンは強度の硬水なので、どれだけいいシャンプーやトリートメントを使っても
髪が藁みたいな感触になる。
なぜそうなっているのか、なぜ半年以上髪を放置していたのか
理由を話したいけれど、ヨルダンってどこですか?、から始まる
見知らぬ人との会話を楽しむほど、社交的ではない。
なんだったら、そもそも男性が女性の美容院にいることは
ヨルダンに絶対ないことなので、その時点で、緊張する。

そして、頭にタオルを巻かれた自分のまんまるな顔を
じっと正視しなくてはならないのも、苦痛だったりする。



今回も帰国中一度、美容院へ行った。
コロナで誰もが抱いているストレスを髪に込めて、
アフロにしたかったけれども、長時間滞在しなくてはならないのは
コロナだからよくないのか、と我慢した。
それに、髪をいじめるのはやめた方がいい、と
やっと分かったつもりでいた。


でも、ヨルダンに戻ってくると、早々に
また週末のロックダウンアナウンスが出る。
あぁ、また唯一と言っていい、ヨルダンの美しい季節に
出かけることができなくなるのか、と思うと、
何だか心底、悲しくなってしまった。

フィールドで学校回りをした後、道端までもが緑で覆われる
春真っ盛りの光景を目にしながら、また、髪型変えたい病が疼いてくる。
一緒に乗っていたスタッフが最近髪の色を変えたと聞いていたから、
その店へ電話をしてもらって、仕事終わりに出かけてしまった。


女主人と、おばさまと、若い女の子。
美容院の中では、誰しも自由にタバコを吸っていい、という
暗黙のルールでもあるのだろう。
どの工程の前後にも、タバコの匂いが店中に漂う。

折に触れて、各工程の始めや最後に、
「ビスミッラ(アッラーの名の元に)」と口にするので、
何だか、大層なことをするのではないかと、不安になる。




そして、燃えるように頭が熱くなったり、
熱いのにさらにドライヤーをかけられたりして、
2時間ぐらいだと聞いていた工程が、4時間近くになった頃には、
終わるのを待つ店主の娘と孫、若い女の子のお母さん、
おばさまとその娘さんが勢揃いして、身の縮む思いをする。
そして、待ちくたびれた人々が、ヒジャーブを巻いて、帰ってゆく。

おばさまと彼女の娘さんだけが、最後まで残ってくれた。

今週の給与の額が不当であること、
さっきまでいた店の店主が実はほとんど働かないこと、
でも、困った時には猫撫で声で何でもお願いしてくること、
などを、ドライヤーをかけながら大声で娘さんに話しかけている。

そこのお店のシャワーはお湯も出たけれど、
盛大にゴシゴシ洗われて、背中がぐっしょりと濡れる。
おばさまは暑いのか、半袖から逞しい腕を見せていたけど、
私のためにストーブをつけてくれた。
きれいにブローをして、FBに載せたいから、
と写真を撮って、全工程が終了した。


薄々気がついていたけれど、アラブ人には縮毛が多く
パーマではなく、ストパーの需要が高いから、
パーマは得意ではないらしい。
でも、ヒジャーブの下にはめくるめく色を隠し持っている人たちだから、
カラーリングは結構、上手なのだと思う。
もっとも、頭からは湯気が出ていたし、
カラー剤が顔について、私のこめかみは火傷の跡みたいになっているけれど、
それなりにおばさまは、誇りを持って仕上げてくれていた。




私はいつも、くすんだ鏡越しに女たちを見ながら
途切れ途切れの会話を耳にするだけだけれど、
かなり興味深くて、少しドキドキする。
どうせ外国人だから、と相手にされない感じも、
私にとってはちょうどいい。

きっとアラブ人だったなら、彼らの文化の中で
女性だけの守られた世界である美容院という場所をもっと楽しめただろうし、
そもそも、こんな髪質じゃなかっただろう。

かくして、私の髪の毛は今、白っぽいメッシュになった。
相変わらず、硬水に馴染めない生粋の日本人の髪は、文字通り藁になった。

また、しばらく日本には帰れない。



2021/02/20

生きながらえるための、本と紙の束


帰国中の本屋は、早く閉まりはするものの、いつでもどこでも
私を温かく迎えてくれる、大事な場所だった。

いつも通り、日本でたくさんの本を買った。
Kindleこそ、私のような人間のためにあるようなもののはずなのに、
どうしても本という形態から離れられない。
本たちが、先の見えない次の帰国までの
食料や日用雑貨のバラエティを制限する原因になっている。
トランクの重さを測る吊り下げ式の重量計が、いつも命綱となる。

アンマンの家に戻ってきて、本をトランクから出して、
あぁ、また買ってきてしまった、とほんの少し、後悔する。
いつかアンマンを引き払う日がきたら、この本たちをどうすればいいのだろう。






物語が私を救う、と書くと大仰なのかもしれない。
けれど、どうにも事実がとかく辛くなりがちな場所にいると、
目に見える範囲の世界で、処理しきれないものごとの中から、
何か美しいものごとや感情だけを、切り取って保存したがるらしい。
そして、凄惨なものごとや感情の中にある、
優しさや煌めきの片鱗を見つけ、大切に抱いておける
装置を、欲しがるらしい。

事実は、ただそこらへんにある石ころのように、
ポロポロと転がっていて、それだけでしかない。
ただ、石ころでつまづきながら、石ころそのものを憎まぬように、
石ころにまつわる話について、思いを巡らせなくてはならない。



それから、本とともに持って帰ってきた、
美術館のパンフレットを並べる。


何に自分が興味を持つのか、久々に美術館をはしごしながら、考えた。
それから、いわゆる芸術というものに、私は何を求めているのだろう、と。

新たな視点を気づかせるもの、が面白いと思えるようになった。

もともと、ひどくアカデミックな考え方の畑で美術を学んでいたものとしては
ものをつくること、そのものへの探究心が制作の動機になり得たし、
とかく彫刻を専攻していたから、物理的に制作に時間がかかることで
その時間に耐えうる恒久的なテーマ設定が必要だった。

ものをつくることで培われる技術は呪縛にもなりうる。
すっかりその呪縛に囚われている私には、多くの作品が
自由でのびのびとして、見えた。

結局いろいろな分野の作品を見たけれど、
今のところうまく、整理できていない。
ただ、瞬発性と恒久性の間で揺らぐものの、に惹かれるものがあった。

イメージが欲しい。
ぱっと一瞬で核心が伝わるようなイメージの共有ができたら、と思う。
初めて会った人の印象が切り取られて残るように
初見で残るような、すっと心に入るこめるようなイメージを。

でも、同時に、どうも事実の集積から立ち上がるものに、
ひどく慣れ親しんでいることにも、気づく。
写真美術館の展示で、同じテーマ、ほぼ同様の構図で、
ひたすら撮り溜められた写真が並ぶ様が、
ひどく心に馴染むのを感じた。

趣向は習慣と共鳴するものなのだろう。

何事にも鈍くて時間のかかる私は、どうにも
牛のように反芻し続けなくてはならない。

戦利品のように、アンマンのアパートに戻ってすぐ
本とパンフレットを並べて
美味しいものでもちびちびと食べるように、手に取っては戻す。

次の帰国まで、なんとかこの本と紙の束で、
やり過ごさなくてはならない。

こんな時には、自分の鈍さが結構、幸いだったりする。
残念ながら、どうも、瞬発性からは縁遠いらしい。
鈍重さをもって、生きながらえるより他、なさそうだ。