2017/10/15

新しい暮らしを約束してくれる土地





勧められた本だから、というのもあるけれど
この本を読もうと思ったのは、
ここ数年、ずっと疑問として頭を擡げていたことの答えが
もしかしたら本の中にあるかもしれない、と、思ったからだった。

私の周りに居るシリア人はみな
当然、私の周りだから、ヨルダンに居る。
ヨルダンに居るシリア人のほとんどは
シリアから直接避難していて
他の国を経由してやってくることはない。
もっとも、一度ヨルダンのイミグレで、レバノンに送られた、
という家族は居たけれど、
地理的にも、経由の必要はない。
そして、他の国へ往こうにも、
シリア、イラク、パレスティナに囲まれたヨルダンから
空路を抜きにして移動するのは、サウディの他、選択肢がなく
サウディに往こうとしている人など、一度も会ったことがなかった。

今までに私の会ったシリア人の中にも
息子が地中海を渡った家族、親族がドイツで永住権を得た家族がいた。
そんな家族は皆、ヨーロッパに憧れつつ
第三国定住の申請をしつつ、
それでもヨルダンに居ることを一時的にでも、選択していた。

シリア人を含め、アラブ人の気質をそれなりに知っている私は、
ヨーロッパに渡るシリア人たちが、
ただただ海を渡り、想像を絶する距離を移動するニュースを見聞きしながら
きっと、その先でまた待っている困難を想像しきれていない、かもしれない、
彼らの盲目さに、そこはかとない不安を抱き続けていた。

シリア人は、リスクの大きさを、どれだけ考えているのだろうか。
大量のシリア人を受け入れることの難しさがすぐに
政策の変更につながるだろうと予見していたら、
案の定、ヨーロッパ諸国の難民受け入れの条件がどんどんと厳しくなっていった。

ヨーロッパの各地でテロが起こる度に
移民、難民としてその国々に居る人たちの暮らしを脅かしていることを思い、
胸が痛んだ。



何よりも、たどり着いた先で待っている暮らしが、
シリアよりもよほど寒くて、知り合いも少なくて
大なり小なり偏見を持たれ、言葉も通じず、宗教も違う、ということの意味するところを
どれぐらい、想定し、考えているのだろうか、と
こんなに長く住んでいてもヨルダンに馴染めない私には、
彼らの勇気よりも無謀さが、どこかで決定的に、腑に落ちなかった。


ヨルダンがいい、と云っているわけでは、けして、ない。
ただ、少なくとも、言葉が同じで、宗教、宗派も多くのシリア人にとって同じで、
過去から人の行き来があった国の方が、
たとえ労働許可を取れる可能性がものすごく低くても
生活の基盤は作り易いはずだ、と、思ったりした。
教育だって、同じ言語か否かは、最重要問題と、云える。


本の中では、ヨルダン経由、トルコ経由、北アフリカから、アフガニスタンから、
様々な移民や難民が登場する。
多くの人々の状況は、移動していけば往くほど苦しくなり、
移動を始めたら最後、
冷ややかに、暴力的に、間接的に、自分たちを阻害する人や国を通過して、
自分が目指すゴールまで
移動し続けるしか、ない。

今居るところよりましなところが、きっとある。
自分たちを温かく受け入れてくれる国が、その先にある。
難民の権利を認めてくれる国へ、家族と共に暮らせる国へ、とにかく移動し続ける
その壮絶な旅の記録や背景が、本当に仔細に、書かれていた。

移動していかざるをえない人々にとって
移動を突き動かすものは、
「新しい暮らしを約束してくれる土地」だった。
未来が描ける環境が、特に子どもを抱えた家族にとって
何よりも、かえがたいものだと。
これが、ただただ明確な、彼らの移動の理由だった。

自国で受けた仕打ちに比べたら、
国境のフェンスを越えるのも
ぼろぼろの船に乗るのも、道ばたで野宿するのも、
大したことではない、と、多くの人は本の中で語っていた。

自国で受けた仕打ち、は
私の周りのシリア人のほとんども、また
経験しているはずだった。
本の筆者がずっと同行していたシリア人が
ヨルダンへ出国するまでに経験したことが詳細に書かれた部分を読んだとき
あえて私も詳細を訊いたことのなかった、周囲の人たちの
内戦後のシリアでの経験を、見た気がした。

片や、様々な理由でヨルダンに留まり、
片や、移動をし続ける。

現在の第三国定住や難民申請のプロセスでは
どちらがいい、とも、言い難い。

ただ、死とすれすれで移動してきた人たちを突き動かしたものと同じものを、
シリア人の多くがどこにいても、まだ抱いているはずで、
私の周囲のシリア人の多くも、当然、抱いているはずだ。


彼らの未来に夢を抱ける環境、
それが、受け入れを行うヨーロッパの国々なのか
ヨルダンやレバノンなどの隣国なのか、
情勢が安定する、いつの日かのシリアなのか、分からない。

祖国のすぐ脇で、
移動もできず、希望も捨てられず、
踏みとどまる苦しみ、というものもあることを、
移動し続ける人々の姿の背後に、見た気がした。