2010/09/30

小さな、ごく小さな住民の捕獲


朝、仕事場で小さなざわめきが興る
廊下に落ちていたらしい

吸血鬼はここから来たのだろう
咬まれたら確実に
狂犬病の菌を植えつけられる
夕方から飛び回る空の住民

危険だから捕獲され
こんなに小さい、まだ子どもの
こいつはペットボトルに入れられて
私のカメラに納められ
それから、きっと、ぽいと
コンクリートの上に捨てられた

よく見ると
耳があり、口があり、小さな牙があり、骨ばった手があり、獣の毛に覆われて
当たり前なのだけど
つくりもののように、よくできている

まじまじとペットボトルを回す
衰弱しきって腕を伸ばすこともないこいつは
でも、ひそやかに首を動かしている

ペットボトルが微かに曇っていた


2010/09/26

沼地に住む

この週末でやっと
来週搬入の作品が上がる
搬入と云っても、こちらから伺えないので
郵送し、他の出品者の方に搬入していただく

もう、10回目になるbookwormsに
ご無理を云って、出品させていただくことになった
おそらく、こちらにいる限り
展示の機会を見つけるのは本当に、難しい
だからこそ本当に、有り難い


知り合いの方に制作の近況などを書きながら
本の内容のところで、躓く

こちらでの生活の中で
私が得られたことは何なのか
自転車をこぎながら
タクシーになりながら
セオムに乗りながら
カフェでぼんやりしながら
街を歩きながら
パソコンに向かいながら、考えていた

暮らしの中からしか
表したいことは生まれてこなかった
ただ、それが私の今まで表現してきたものと
かけ離れていて
それは、でも仕方がないことなのだけど
どうして、こうなったのか
自分に問うたりした

例えば彫刻ならば絶対に主題になることはなかったであろうことごと

残していくことに
どれだけの価値があるのか
見極められないでいるけれど
それが今の状態であることには変わりなく
表出させてゆく手段がある限り
形にしてゆくことを
自分に課している

ものがたりは、今の私には作れないようだ
現実が、おはなしのように
複雑で、入り組んでいて、沈みそうで
それを正視できていないから
客観視も、できない

沼のような、話だ

では、沼ならば、意味がないのか?
他人に対して価値と意味がなくとも
自分に対しては、意味があるはずだ

そう、思い返し、本の荷造りをする



2010/09/17

街の雨期のさかり


最近大雨が多くて
家の床下にべランダから雨水が入ってきたり
その雨に床を押し上げられてしまったり
急に降られた雨のせいで
身体中がべしょぬれになったり
雨が激しすぎて家に帰れなかったり
傘が壊れてしまったり
どうも、振り回されている

少しでも天気がいい日には
街の様子を写真に納てゆこうと外出を予定するのだけど
空のご機嫌にお伺いを立てなくてはいけない

朝から雨が降る日は珍しい
そんな日が日曜日にあたってしまったりすると
そこはかとなく悔しい思いで
灰色の空をにらみ続ける

やっと雨がやむ
そこら中がちょっとした川のような道路に
自転車を走らせる

川のような道路の中を
金魚売りが自転車にたくさんの金魚をぶら下げて走ってゆく

袋をぷすりと
破ってしまいたくなる衝動



2010/09/09

いくらかの焦りとともに

0月に例年参加させていただいている絵本展がある
唯一今、作品の締め切りを意識する展示で
本当に、あらゆる意味で、貴重な機会になっている

どうも、そういうときばかり、仕事先も忙しくて
思うように作業も制作も進まず
欲求不満が溜まっている

しょうがないので
疲れきって家へ帰っても仕事ができない日は
せめて心持ちだけでも再生させたいと
音楽を聴く
切り替えができないからだ

つい最近までほぼ5ヶ月
ブラームスのピアノコンチェルトばかり聴いていたが

なぜか今は
くるりのアルバムがいいようで
それこそ、岸田繁の大好きな電車のように
通り過ぎてゆくものものの潔さ
爽快感のようなもが、心地よい
ちょうど、欲しているもののようだ

通過していってしまうのに
しっかりどこかで残っているものがあるのは
歌詞が私には、しっくりくるからなのかもしれない
歌詞についていろいろ云うことは危険なのだけど
少なくともくるりは
音楽全体の印象と歌詞が
私の中で
ちょうどいい具合に合致するようだ

そんなことをぼんやり考えていると
制作はさっぱり続かない
でも、私には今
そういう音を聴く時間がありがたい
文字通り、有り難い