2017/07/30

空中の住人たち


今住んでいるフラットは
丘のてっぺんから少し降りたところに建つ
アパートメントの屋上の、ペントハウスだ。

元々あった建物の屋上に
二つぽこっと、おもちゃの小屋みたいに建っている。
それぞれの小屋は2階建てなので、屋上には4世帯が、住んでいる


アンマン城が見られる景色も大事だけれど、
音楽を大音量で流せることも、
このフラットを選んだ理由の一つだ。
すぐ横に建つモスクからのアザーンを別にすれば
大方の夕方は、心ゆくまで音楽を楽しめる。

アザーンタイムになると、こんな感じになる。












最近よく、この動画をベランダで見ている。
東京タワーの代わりに、我が家から見ることができるのは、
立派なミナレットと、近くのアザーンと、いうわけだ。
アザーンが終わると、また近くのカフェの騒音が下から沸き上がってくる。


我が家の下の階には以前、ヨルダン人が住んでいた。
半裸でベランダに出る姿が、私の部屋の窓から見下ろすと視界に入ってきて、
ちょっと、困った。
早朝まで、大音量で映画を観ている人だった。

ある日、やたら工事の音がするな、と思っていたら
小柄だけれどおしゃれなレバノン人のおじさんが
ヨルダン人の代わりに、移ってきた。
初めて彼を見た日、
まだまだ寒いアンマンの、北風の強い屋上のテラスで
ダウンジャケットを着た彼は、巻きたばこを吸っていた。
なぜだか、自分ちのベランダに居るのに、サングラスをかけていた。

部屋の内装に手を付け、ベランダにも板を打ち付け、植物を植えた。
アンマン城を見ながら、おしゃれにお酒が飲める
バーカウンターまでついている。
部屋の中にはミラーボールが回っていて
その片隅には、サマンサという名前の、ダッチワイフが座っている。

イナセな方だ。

今年のラマダンの初めに、ふと窓から下を見たら
巨大なビニールの丸い物体がが設置されていた。
トランポリンだったら、困るな、と思った。
ギルバート・グレイプの初めのシーンみたいに
飛び上がったら、我が家の中が丸見えだ。


でも、それはレバノンから運んできた蓋つきのジャグジーで
ラマダン中だというのに、
外国人の美女が、昼間からビキニを着て
ジャグジーを楽しんでいた。


向かいの2階、つまり、私のまさにお向かいには、
2ヶ月前まで、下のおじさんと同僚の、レバノン人が住んでいた。
レバノンから連れてきた、という
ヒッチコックと云う名の猫も、ある日やってきた。
いつも立派なおっぱいが半分見えてしまうような
セクシーな格好をして出歩く
キュートで人懐っこい
アフリカンとアラブーをごちゃ混ぜにした不思議なダンスを
音楽が流れるとすぐ披露してくれる、素敵な子だった。

レバノン内戦時に逃げ出した人たちの移住先の一つである
セネガルに彼女が発ってしまった後、
彼女のルームシェアメイトが、残った。
アメリカ人の女の人で、まだ20代だろう、彼女は
早口だし、やたらクレイジーを連発する。
何を話したらいいのやら分からなくて
適当な挨拶しか、してこなかった。

この子もある日、犬を連れてきた。
坂の下のペット屋さんで購入したと云う。
ちょっとバカっぽいだけれど
とにかく子犬の何たるかを体現している、愛くるしい犬。

一時期、屋上でトイレのしつけをしていて
その犬のトイレの砂とか、おしっこシートが風に舞っていた。


我が家の下のおじさんは、
よくいろんな人を呼んで、パーティーをする。
騒音対策として、私も呼ばれる。
文句を云われる前に、取り込んでしまえ、というわけだ。
正直、全く初対面の、モヒートを水のように飲む人たちと、
どんな話をしたらいいのか、やっぱり分からない。
だから、時々顔を出す程度だった。

それでも、顔を出すと
それぞれの人物関係が分かってきて
近所や階段で会う人たちが
あの人とつきあっていたり、この人の親戚だったり、で
状況を把握するには、悪くないのかもしれない、と思ったりした。




ちょうど昨日、家に帰ろうと
アパートメントの前の坂を下っていたら
向かいのアメリカ人の子っぽい人が、道の先で
見たこともないほどゆっくりと、坂を降りていた。
何だか、とても声をかけられる感じには見えない、背中だった。

そのまま通り過ぎてドッキャーン(小さなスーパー)に寄って、
建物の入り口に向かったら、
まさに彼女はアパートメントの門に入っていくところだった。

このまま6階分の階段を
ただならぬ背中が何かを物語る彼女と、
一緒に上がるのかと、一瞬途方に暮れた。

でも、階段は一つしかない。

軽く挨拶をして、ふっと彼女の顔を見ると、
案の定、サングラスの下から
ぼろぼろと涙が流れていた。

ここでアラブ人ならば、
根掘り葉掘り、質問攻めにする。
でも、さすがにそんなことをする勇気もない。
こちらとしても、心当たりがないでもなくて、
だから余計に、途方に暮れた。

彼女の家に出入りする髭もじゃの男の人は
以前、下の階のパーティーにふたりの小さな娘たちを連れてきていた。



こちらも見られたくないので、できるだけ見ないようにしている。
それでも、私がベランダやキッチンに居る限り
お向かいの出入りは目に入ってしまうのだ。

彼が犬の散歩をしているところに、ばったり出会ったりもした。
とにかく、そういう関係なのだろう。
それなりの年になったら、どうしたっていろいろ、あるものだ。


とぼとぼと階段をのぼる彼女は、それでも
社交辞令で、今日はどうだった?と、訊いてくる。
早口で、いつもよりも、神経質な高い声で。

いや、シリア人のお宅に往っていてね、子どもと遊んでいたの。
仕事じゃないんだけど、知り合いになってね。

当然、彼女は私の一日になど、興味がないことぐらい、分かっていた。
ただ、6階分の間を持たせるために、
なんとか話の糸口を見つけたかった。

お宅の様子や、子どもたちの話をしながら、
ふと、左の肩に、くまのマリオネットを連れていたことを思い出す。

私がくまさんの入った袋に目をやると、
なに、それ?と訊いてくる。
明らかに、日本っぽい柄の、随分と長細い、不可思議な袋だ。


きっと、これだって、さして興味がないだろう。
子どもにもおもちゃにも興味のありそうに見えない人だったし、
こちらも荷物で両手が塞がっていた。
でも、もしかしたら、と、くまさんを取り出してみた。


くまさんが袋から顔を出した瞬間、
サングラスの上の眉毛がきゅっと下がって、でも、口元は柔らかく上がって、
見たこともないような、笑顔になった。
ふわっと笑う顔を、金髪の細い髪が撫でていった。

これは、本当にかわいいね、と
微笑んだ。


その頃には屋上に着いたから、
遊んでみたかったら、うちにきてね、と云ってみた。

たぶん、来ることはないだろう。
犬と一緒に来たら、くまさんはくしゃくしゃにされてしまうし。


だけれども、くまさんは大人にも、効き目があることを、
立証できた、夕方だった。



その後彼女は、屋上のベンチに横になって、本を読んでいた。
私は、ベランダで、Afterglowという楽曲を聴いていた。

まさに、Afterglowが美しい時間だった。
彼女も起き上がって、ふと、
残光の美しい西の空に、顔を上げていた。






彼らの暮らしと、話の断片 7月4,5週 ー子どもたちとだぼぅどぅーぶー


6月の一時帰国中、
仕事の事業で必要な資金の募金活動をしていた。
助けていただいた方々のご縁で
くまのマリオネットを譲っていただいた。

マリオネット作家さんが居てね、と
マリオネットの動画を見せていただいた。
熊本に無償でマリオネットを譲る活動の一環で
幼稚園を訪問しているシーン、子どもたちの表情に釘付けになる。




いつもの妄想癖で頭が一杯になった。
絶対に、シリア人の子どもたちも喜ぶに違いない。

いい年をしてすぐ思っていることが顔に出る、と未だに周りの人たちにからかわれる。
この時もよほど、この動画を見ながら
欲しそうな顔をしていたのだろう。

マリオネットをいただいたすぐ後には、ヨルダンに戻る予定だった。
帰りの地下鉄の中で
自分が新しいおもちゃをもらった子どものように喜んでいた。
バカみたいにただ単純に、嬉しかった。


一時帰国の度に、日本にうまく適応できないのではないかと、恐怖に襲われる。

いつか日本にもどらなくては、と思いながら、
でも、ヨルダンに住んでいる、ということしか、
自分に価値がないという事実を、日本に戻るたびに、見せつけられる。
そして、今回はまさに、それを使って仕事をするしかなかった。


あれほどさっさとヨルダンに戻るんだと思っていたのに
図らずも長くなった、仕事に追われる東京放浪生活で、
いろんな方に助けていただいたのに
思うように募金の数字も伸びないし、
恐怖と裏腹に、日本の空気に慣れつつある自分も、怖かった。

そんな中で、日本にいてよかった、と思える瞬間の一つだった。
1本の動画に真摯で優しい視点がにじんでいて、
幸いにも、それを紹介していただく機会があった。

人とのつながりはありがたいと、心底しみじみと、思った。


ただ、今度は事業承認の省庁手続きに手間取った。
キャンプの子どもたちに、といただいたのに
キャンプの申請が進まない。
数ヶ月前から申請しているのに
いつまでたっても、
ラマダンだったから、担当者が居ないから、承認審議の会議が開かれないから、と
先延ばしになっていた。

そろそろ子どもたちの顔を見ないと
なんでこんな、日本から離れた国にいるのかも分からなくなってしまうし、
せっかくいただいたものも、
シリアの子どもたちと出会わせてあげられなければ、意味がない。

こういう時にも、
また、周りに人たちにお世話になりっぱなしになる。
この家庭訪問の前にも
数回訪れたことのあったアンマンの母子センターのアポを取ってもらった。

その時、そのセンターの子どもがつけてくれた名前が
”だぼぅどぅーぶ”だった。
”だっぶ”がアラビア語でくま。
くまのぬいぐるみ、とかくまくまさん、という、語感だ。
個人的に、この音が、気に入っている。
とにかく、アラビア語っぽい。
ムハンマドがハッムーデという愛称になるのと、
同じような言葉の活用だ。

名前がついたところで、次にマリオネットを連れて行ったのが
前話の続きになる、この家庭訪問だった。


マルカ・ジャヌビーエ ハイ ラアブース ーくまのマリオネットとー



金曜の午後か土曜日の方が、

個人的な家庭訪問は圧倒的にしやすい。
2週に渡って伺ったお宅も
午前中にはもっとたくさん親戚が遊びに来ていた、と云っていて
それでも部屋には次から次へと
親戚の子どもたちが集まってきていた。

お休みの日は、親戚同士が顔を合わせる

大事な日になる。

1回目の訪問前、

男の子3人兄弟の家だ、と
紹介していただいた人から家族構成を聞いたとき
きっと、気に入ってくれるだろう、と
衝動的にマリオネットを取りに、家へ戻った。
最上階のペントハウスに戻る途中、
エレベーターのない長い階段をひたすら登りながら
うまく自分が操れるのかを考えていなかった、と練習を怠っていたことと、
どんな家族なのか知らないことに、
少し後悔した。

家によっては、笑顔が一つも見られない家庭もある。
また、私たち外国人への警戒心を
あからさまに見せてくる親御さんもいる。
せっかくだぼぅどぅーぶを連れて往っても
空気が読めない状況になってしまうことも、
あり得るのだった。

でも、ありがたいことに、そんな遅ればせの杞憂を一蹴してくれる
元気な子どもたちが、訪問先では待っていた。

屋上のビニールプールで遊ぶ3人の子どもたちは、

あまりにはしゃぎすぎて、
プールサイドでご両親と用事を話す合間にも
子どもたちは飛沫を飛ばしまくり
お父さんから、休憩を云い渡される。
ちょうどいいタイミングだろうと、くまのマリオネットを出す。

パンツ一丁でプールから出てきた末っ子が

だぼぅどぅーぶを見て、文字通り踊りながら、喜んだ。
このマリオネットのパワーはすごさを
あらためて思い知らされる、
なんともかわいらしい喜びの踊りだった。


階下には”だばでぃーぶ”が居るよ、とお父さんは云う。

どう云う意味なのだろうか、と思いつつ、
階下の部屋へ往くと
子どもたちが寝室から、次から次へ、ぬいぐるみを持ってきた。
くまが3匹、蛇やら何やらよくわからないものまで、
たくさんのぬいぐるみがあった。

くま、の複数形は”だばでぃーぶ”になる。

アラビア語は、本当に、難しい。

手足が動くくまのぬいぐるみを持ちながら

間接は、革ね、糸をつけて、、、、と
お父さんはだぶどぅーぶの構造を既製のぬいぐるみに当てはめて
どうやったら作れるのか、と
ぶつぶつつぶやいていた。

このお父さんなら、作れるかもしれない。


お父さんとお母さんが子どもたちの様子をしっかり見ていてくれていたので

背丈がまだ小さくて、この兄弟には難しいけれど
だぼぅどぅーぶを操ってもらう。

長男ラビアがまず、コントローラーを器用に握って

歩かせる。
指がまだ長くないから
口を動かす糸には指がとどかなくて
口が開きっぱなしになる。

すると、次男のヤーコブが

この糸が口につながってるんだよね、と
口をぱくぱく動かす。
末っ子のイスマイールが握手とキッスを浴びせかける。

なるほど、3人でやれば、できるかもしれない、と

新しい発見をした。

こちらでは、必ず会った時には、
アッサラーム アレイコムと云って、握手をする。
近しければ、もしくは、2回目に会った時からは
左頬に1回、右頬に3、4回、キスをする。
同じことを、だぼぅどぅーぶにもしてくれるわけだ。


でも、どう動かしているのかは自分たちでは見られない。

鏡はある?と訊いたら
ご両親の寝室に連れて行ってくれた。

ベッドの上にだぼぅどぅーぶを座らせて、

ベッドの上に子どもたちは立って、
きゃっきゃと云いながら、マリオネットで遊んでいた。
そのうち、そういえば、と
寝室の奥から、普段はたぶん、触らせてもらえないのだろう
秘蔵のおもちゃを持ち出してきて、
これはトルコに住む親戚から送られてきたの、と
電源につなぐと光の灯る、小さな家を見せてくれた。

長男ラビアが違うおもちゃに気持ちが向き始めたのをいいことに、

次男ヤーコブがまた、コントローラーを握り
一生懸命歩かせようとしていた。
あまりうまくいかないのだけれど
本人は満足げに、ご両親のところに連れて往った。

あまりマリオネットは器用に動かせなかったけれど

6歳のヤーコブは既に、47章までコーランを覚えている。
お父さんは近くでコーラン教室を開いているのもあって、
47章目をがんばって暗唱してくれた。

だぼぅどぅーぶと、無邪気な子どもたちと

無邪気に過ごせる環境を作り出しているご両親のおかげで
コロコロと笑いが絶えない、時間を過ごした。

2回目の訪問の時には、親戚の子どもたちも来ていた。

本当に、みんな同じように挨拶をする。
それがおかしくて、かわいらしくて、
いつまでたっても人気者のだぼぅどぅーぶは
キスをされまくり、握手をされまくり
アラブ風の踊りまで踊って、
大活躍だった。


シリアの子どもたちを笑顔に、といただいたのだけれど
私の方が、楽しませていただいて、
助けてもらっている。


2017/07/29

彼らの暮らしと、話の断片 7月 4,5週目 ー水泳(シバーハ)ー


アンマンは、例年よりも暑い、とみんなが口をそろえて云う。
今年は何だか蒸していて、いつもと調子が違っているせいか、
標高が高いアンマンだから享受できる、涼しい夜も
この週はお預けだった。

夕方を過ぎても
日本のように夕立があるわけでもない。

ただただ、ひたすら乾季のアンマンでは、
日が傾いても、色だけ少し黄色に染まった太陽が
じりじりと肌を焼いていく。

久しぶりにシリア人宅へ往く。
仕事ではないけれど、用事があった。
1回目はお願いごとの説明、2回目がお願いごとをしていただく日だった。

マルカ・ジャヌービーエ・ハイ ラアブース ーアパートの屋上ー

連れてきていただいた人と、建物の階段を昇る。

最上階の家のドアを叩いてみるけれど、気配がない。
その代わりに、子どものはしゃぐかすかな声が
屋上に続く階段の明るい光の先から、聴こえる。

屋上に上がると、丘のてっぺんの建物の、さらにてっぺんから

北東に広がるアンマンの街が、見えた。
ただ猫みたいに見晴らしのいいところが好きだから、
うぅんと、背伸びをする。

でも、景色を楽しむことを忘れさせるほど見事なビニールプールが

屋上の半分ぐらいを占めていて、
その中で、男の子が3人、きゃっきゃと騒いでいた。
そして、その脇で夫婦が、子どもたちの様子を見ていた。


初めて会った夫婦は、

シリア人家庭に伺うと感じる、目には見えないけれど、確固とした安定感があった。
これを感じるとき、いつも、とてつもなく、落ち着く。

子どもたちが水をばしゃばしゃしながら、心一杯遊ぶ横で
用件を話す。
感触通り、理解のある夫婦で、
用件はすんなりと話がついた。

その後、世間話をしていると、恒例のように年齢の話になって、
いくつなの?などと訊かれ、云いたくないですよ、と
仕方なくにやつきながら、答える。

お母さんはお世辞を云ってくれる。

もう、お世辞を云ってくれるであろう雰囲気さえ、分かるようになってしまった。
随分と若く見積もってくれたので、お礼を云いつつ
ずっと上なのよ、などと云うと、
お母さんはあら、じゃあ、私とあまり変わらないかしら、と云う。
聞けば、お母さんは3つ上、お父さんは1つ上だった。
姉さん女房は珍しい。
ただ、それよりも、お父さんが同じ学年だということに、驚いた。

すっかり髭が白髪になっているお父さんは

いや、白くなっちゃったんだけどね、と
こちらが抱いた印象を読み取るように、髭を撫でていた。

ホムスから来たという家族は

親族も同じアパートに住んでいて
屋上の建物をぐるりと見回しながら
あの建物も、そっちの建物も、
みんなシリア人が住んでいるんだよ、と云った。

こんな立派なプール、見たことなかったと、感心していると、
これはエジプト製なんだ、と自慢げに教えてくれる。
小さいけれど水質を保つフィルター付きポンプがついていて
塩素も入れているらしい。

子どもたちが本当に、身体も心もいっぱいに遊んでいる様子を見ながら

ここ数年の間、家庭訪問する度にずっと気になっていたことが、
それこそ、やっと家に帰ってこられた迷い猫のように、
すっと、納まった。

家庭訪問で、子どもたちに趣味は何か、訊いていた。

特にホムスとハマーから避難してきた家族は必ずと云っていいほど
シバーハ(水泳)と答えていた。
ヨルダンはそもそも水が限られていて、
人口当たりの消費できる水量もワースト10に入るような国だから
プールもほとんどない。
川も人が入って遊べるようなところはないから
ヨルダン人の子どもたちからこの解答は、一度も聞いたことがない。

聞き手の自分には想像がつかなくて

川が近くにあったの?とか、どこで泳いでいたの?とか
根掘り葉掘り訊いたこともあった。
場所は様々だったけれど、だれもがシバーハの話をするとき、
懐かしいような、寂しいような表情を一瞬、見せる。
その度に、申し訳ない気持ちになり、
その度に、でも、腑に落ちなかった。

確かに立派だけれど、泳げるほどのサイズではないビニールプールで

水遊び、と云った方がいいような風情ではあるけれど
見たことがないほど思い切り良く遊んでいる、シリア人の子どもたちを見て
ただ、無性に感慨深かった。


2回目に伺った時も、

その家族の末っ子が、彼よりも年上の親戚や兄弟がお祈りをしている様子を尻目に
ねぇ、上に行って泳ごうよ、と
ひそひそ声で誘ってきた。

上は10歳から下は4歳まで、6人の男の子と女の子1人が

プールの中でばしゃばしゃと水を掛け合い
飛び込んだり,文字通り少し泳いだりする様子を見られたのは
ただ、見ているだけなのに、
随分と、幸せだった。

結局一度も訪れることができていないシリアの、

どこかのどかな田舎の
川ベリの情景を、想像していた。

2017/07/03

湿っている、を、欲している


梅雨に帰国したのは、初めてだった。
何年ぶりの梅雨なんだろうかと、半ば呆然とする。
曇り空の下の緑は、日が差しているときよりも明るくて
自ら発光しているように、見えた。
目に見えない水気の粒子が
緑を映しとって、散りばめられる。

自分の身体が伸びているのを感じていた。

いくらか、みずみずしくなっていたって、おかしくない、と
いつもはかさかさの腕をなでてみたりしていた。

銭湯にたくさん往った。
たぶん滞在の半分ぐらいは銭湯にお世話になったと、思う。
指の先がぶよぶよになるまで、たっぷりお湯に入るのは
何よりも贅沢なことだった。

梅雨を面倒そうに語る人々の言葉を耳にしながら

なに、素敵じゃないかと、
身体いっぱい湿気を感じていたかった。

湿度が上がって、色のようにはっきりと立ち上がる

香りもまた、久しぶりに嗅いだ。
電車の中、神社の近く、隣の家、コンビニ、くちなし、遅咲きのバラや、人そのものの
随分とたくさんの香りを、楽しむ。



それでもまだ、湿気が足りない。

湿っぽいのは、名実ともに嫌いなはずなのに、
よほど乾燥が気になっていたのだろう、
さんざん視聴して買ったCDも、しっかり湿度があった。
他にも候補があったのに、結局このアルバムだったのは、
梅雨の夜の、たっぷり湿った少し冷たい空気が
服にも皮膚にも入り込むように、
1曲目の、初めの方の旋律と和声が、
しっかりと染み込もうとしてきたからだろう。

タワレコの冷房が効きすぎていた、というのもないわけではないけれど。





ブローディガンでさえもどこか湿って感じるのは
もう、気持ちの問題なのかもしれない。
ただ、訳者が違うからなのか、
いつもの控えめな、でもセンスのいい軽妙さが影を潜めて
彼の、どうしようもなく寂しい何かが、
いつもと違う間合いで、行間から滲んできたり、した。






あらためてAsgeirを聴いているのは、

すでに夜明けなのに外は30℃を越えたアブダビ。

私は、久しぶりに
日本に帰る前に、日本が怖くなるように
ヨルダンが少し、本能的に、怖くなる。