2024/04/22

本を読む体験と、身体感覚



その前の週末もずっと、本を読んでいた。
「戦中・戦後の暮らしの記録」
タイトルの通り、戦中戦後の人々の営みを記した
100編以上もの手記が編纂されている、
暮しの手帖社から出版された本。






そろそろ、想像力が限界に近づいてきている、そう思えていた。


頻繁に、戦地からは連絡がきて、
その惨状と状況の悪化が伝えられる。
受け取るたびに、申し訳なさと伝わらない苛立ちで、
心が真っ暗になっていた。

けれども、次第に麻痺してくる。
できることはした、今わたしができることはこれ以上ない、
そう頭の中で繰り返し
英語のメッセージをぼんやりと見つめる日々がやってくる。

ニュースを確認する、そこで国は、
色とりどりの枠に囲まれた塗り絵の一部となり、
関係する国々がどう立ち居振る舞ってきて、これから
どう見を振るのかを予見する記事であふれている。

必死でニュースを追うのが、せめてできることだ、
そう思ってしがみついていた、けれど、
物理的な距離の遠さは、情報の視座も遠くする。
人々の影形が見えなくなってくる。
心痛めることもなくなってしまった。

そのことに、ある時ふと、気がつく。




日本にいるのだから、日本の戦争の詳細からまず、
もう一度見つめるしかない、そう思い立ち、
手に取った本だった。


多くの場合、戦中戦後を経験した人々の手記や語りが
親族や知人の人々の手によって文章となり、投稿される。
それらがまとめられた本だった。
書いた、語ったご本人はもう、存命ではないこともある。
それでも、本州の都道府県、北海道、沖縄、満州、奉天、
場所と時は、特定されていた。

さまざまな年齢と性別と環境と境遇の人々の話だ。
随分小さな時の断片的な記憶もあれば、
まさに経験の記憶が頭から離れず、だから語ってこなかった話もある。
比較的裕福な環境もあれば、強烈な飢餓と貧困の環境にいる人もいる。

空襲の情景、生死を分ける偶然、肉親を探し彷徨う道、
戦中戦後の生業、ひもじさの度合い、食べ物と大切な持ち物の交換、
疎開先での肩身の狭さ、よそ者への冷たさ、戦地へ赴く人の見送り、
待ちわびる兵士となった肉親の帰り、逃げ惑う山の中。
中国の大地の寒さ、先の見えない引き上げへの道のり、
飢えた赤子を手放す母親、心を病む帰還兵、空襲の跡、
子どもを生かすための親の苦労、蔓延する病気の数々、
死に瀕した人々であふれた病院の情景、終わらない心の中の戦争、
亡くなった肉親が生きていたら、という仮定。


戦中戦後を経験した誰しもに
膨大な記憶、しかも、ひどく心を酷使した記憶に
溢れているはずだ。
その中から、この場面を、このことを伝えたい、そう厳選した話が
100編以上も続く本は、重い。
そして、その話の背後にもっとたくさんあったであろう
見たこと、聞いたこと、嗅いだこと、触れたものを想像する。

ひたすら続く戦争にまつわる体験を読み続けた。
週末の2日の空いている時間をその本に費やし、月曜日の朝、
最後の話を神社の境内で読み終えた。
わたしはコーヒーができるのを待っていて、周りには朝から
白人の観光客が何人も、席の順番を待っていた。

たくさんの人の経験がわたしの中で混じり合い、
詳細の断片が蓄積され、感情の澱が身体全体を漂い、
一つの体験として、残る。




そして、またやってきた週末に手に取ったのは、
どうにも払拭できない暗さが滲む夢の描写から始まる。
読むことへの覚悟を、要求される本だった。





ハン・ガンの「すべての、白いものたちの」は
映像と感覚の混じり合うさまが、生死にまつわるものごとと裏腹に
ひどく美しい、印象深い作品だった。
視覚で得られる情報の描写の一つ一つが丁寧で、常に
読み手にある情感を喚起させる。
形容詞では表しきることのできない、
身体の、哀しさを主る場所へ連れて行かれるような感覚に
何度も襲われた。




この新刊にもまた、背をそっとなでられて身体の芯が震えるような
美しい情景が何度も、出てくる。
同時に、物理的な痛みを表す場面も何度もやってきて、
その描写もまた、読み手の身体を貫く体験となる。
だから、精神の、そして身体の痛みと
視覚的な美しさが絶え間なく、交互に、同時に押し寄せてくる
ひどく特異に感覚的な、読書体験をした。



済州島4・3事件を経験した人々の記録と、
その事件を経験した肉親と人生をともにした女性と、
その女性と、夢の中のビジョンを分かち合ったもう一人の女性が
時間と場所のうつろいの中で、生きていくことを
再び手に入れようとする。


登場人物の一人は映像作家であることも、一つ
理由ではあるだろうが、精緻な物質と情景への描写と
史実の正確さと生々しさが一体となった時、
その人が、何を見て、何を感じているのか、
意識の底を這うたくさんの伏線を辿ることとなる。

その手法は、書き物としてのみとして読んでも、見事なものだった。



わたしの身体に直接感じられるような痛みを
いくつもやり過ごしながら、読み進める話は、
奇しくも、戦い、虐殺の文脈で
一つ前に読んだ100編のいくつかと、酷似する。
そして、5日ほど前に読んだ話の断片が、いくつもいくつも
より鮮明な、圧倒的な痛みをともなって
再生されていくさまを、もう一人のわたしが
わたしの身体の斜め上あたりで、見守っているような気がした。



読み終えた深夜、しばらく呆然としていた。
戦中の日本の占領下における植民地化に端を発する
済州島で起きたことの詳細を、読むまで知らなかった。
そんなわたしの中で、
小説の中の身体的で鋭利な痛みと、100以上の戦争の経験の断片と
無知であることの痛さが、深い泥沼をかきまわすように混じり合う。

身体のどこかが、ずっとあれ以来、うっすらと痛い。





正直、読後になにかが癒される感覚はなかった。

痛みを通じてこそ回復に至れる、という信念をハン・ガンは持っていると
訳者の斎藤真理子は解説している。
作者自身は、「究極の愛の小説」とこの作品を表現していたが、
その中で描かれる愛は、小説の世界で経験しうる類では
本来表しきれないような想像を絶する痛みをともなう。

読書好きとしては、幸いなことなのだろう、
痛みを知りたい、とたぶん、無意識のうちに
2冊の本を読む前のわたしは願っていたのだから。

ただ、その感覚だけはをしっかりと認知しているわたしは、
それが何によるものなのか、見極められないでいる。




2024/04/18

戦争の時を往く音楽


キリル・ゲルシュタインの新譜の、モノクロのジャケットは美しい。
”Music in Time of War"

夜に飛ばされる、ミサイルの光の筋だ。
反射的に、さっき布団の中で見た映像を思い出す。





朝、目覚めにうとうとしたまま、携帯で仕事の連絡を確認する。
ラマダンのあとの祭日も終わり、仕事が再開する朝、
チャットには映像がいくつか共有されていた。

真っ黒な空に、花火のような火の玉がいくつも飛び、
赤い光が中空で散っていく。

意識が朦朧としたまま見た後に、急にはっとして
海外のニュースを確認する。
イランが飛ばしたミサイルを迎撃している映像だった。


暗澹たる気持ちでふとんから這い出て、ニュースの詳細を読む。
反撃の可能性を示唆する記事はそれまでにたくさん出ていたけれど、
実際に起きると、その先にある可能性についての悪いシナリオが
急に現実味を帯びて、頭の中をかけめぐる。
いい加減にしてくれ。せめて、他の国は介入するな。

なんてひどい、日曜日の朝なのだろう。



日曜の朝は、いつもより余裕を持って音楽が聴ける日のはずだった。
わたしがこんなところで、いくら悪いシナリオについて
思いを巡らせても意味がない。

Apple Classicを開いて、気になるものがないか確認する作業に徹しようと、
携帯を見つめる。
一番初めに出てきたのが、その二日前にリリースされた
ゲルシュタインのアルバムだった。












社会の動きに呼応する芸術家たちのアウトプットを
心から尊敬する。
自分が反応したところで表現する手段を持たないから、という前提もあるけれど、
殊、Fine Artやクラシカルな音楽に関しては、
そのジャンルの純粋性が社会との関連を希薄にしがちで、
さらに、その世界を好む人々の他には開かれない傾向があるから
なおさら、社会に向けた問いかけをしようとする試みそのものが
稀有でとても大切なもののように、思える。


さらに言うならば、録音はかなり前に終えていたとしても、
ロシア系ユダヤ人のゲルシュタインが
ウクライナで起きていることについてのみならず、
パレスチナで起きていることも包摂せざるを得ない
戦争というテーマを、このタイミングでタイトルに残し、
リリースしたこともまた、
個人的には、気持ちを寄せるきっかけとなった。


ただ、ドビュッシーとコミタスのピアノ曲や歌曲が交差する曲目を
戦争と関連づけることは、
フランス語もアルメニア語もわからないわたしにとって、ひどく難しい。

一見すると、ただ同時期を生きた作曲家二人の組み合わせ、としか
見えないこのアルバムを戦争と結びつけるには、コミタスの人生と、
選曲されたドビュッシーの曲目が作られた時代背景を
知らなくてはならない。




コミタスは、1869年生まれ、1916年に亡くなったアルメニアの音楽家で
比較音楽研究や作曲家として知られている。

と書いたが、わたしはこのアルバムを聴くまで、
コミタスの名を知らなかった。
アルメニア人である、ということと、アルメニアだけではなく
中東から東欧にかけて聴くことのできる、独特の旋律が
たっぷりと享受できるピアノ曲と歌曲を聴いて、
俄然興味が湧いて、調べたことを書いている。

(シリアをはじめヨルダンやパレスチナにも
アルメニア人は住み、コミュニティを形成している。
アレッポやダマスカスに住むアルメニア人たちが
クラシック音楽を牽引していること、そして、
好きなシリア人歌手のLena Chamamyanもアルメニア人で、
それだけあれば、わたしにとって調べるに十分な条件となる。)



アルバムの中に収録された曲は、どれも魅力的だけれど、
特に、このAntoniという曲の、
つかみづらい調に没入しながら
少ない音の中でたゆたう旋律に感じ取る美しさの余韻を
表現することがとても、できる気がしない。

途方もなく悲しい歌詞は、翻訳を読むまで想像がつかなかった。






トルコでアルメニア人の両親の間に生まれたコミタスは
早くに両親を亡くして孤児となり、親戚に育てられたのち、
12歳でアルメニアの地に初めて行き、
アルメニア正教のコーラス隊に入ることとなる。

キリスト教の聖歌の採譜に9世紀ごろから用いられたネウマ譜から
アルメニア音楽の表記法も学び、その後、
3000曲以上のアルメニア民族音楽をはじめ、
クルド音楽なども収集、採譜し、研究をしている。
(バルトークもまた、民族音楽の収集と研究をしていて
ルーマニアやハンガリーの民族音楽をもとに
曲を作っていることを思い出させる)

トビシリやベルリンで音楽を勉強し、アルメニア音楽の演奏のため
ヨーロッパの国々も回ったのち、生まれ育ったトルコに住み、そこで
1915年のオスマン帝国によるアルメニア人大虐殺に巻き込まれた。
コミタス自身も逮捕、強制送還されるが、
著名な文化人たちの助けで解放される。
けれども、この間に見た、強烈な虐殺の記憶に神経を苛まれたまま
翌年、パリの精神病院でその生涯を終えた。


コミタスと同じ時代を生きたドビュッシーが、
コミタスの紹介するアルメニア音楽に感銘を受けた記録が残っている。
先のAntoniを聴いたドビュッシーは
”コミタスがこの一曲だけを作曲していたとしても、
偉大な作曲家とみなされたであろう”と言っている。


ドビュッシー自身も第1次世界大戦で、妻の連れ子を戦争に送っている。
また、アルメニア人虐殺の犠牲者をはじめ、
戦争の被害者に対するチャリティコンサートも開いていた。
だから、ドビュッシーの晩年の歌曲
「ホームレスの子どもたちのためのキャロル」も
このアルバムの中に入っている。

Antoniがアルメニア語でHomelessを意味することから、
ドビュッシーの「ホームレスの子どもたちのためのキャロル」が
シンクロすることをゲルシュタインはApple Classicのインタビューで語っていた。




"ぼくたちには家がない
敵軍がみんな奪って行った
僕の小さな寝床も
お父さんはもちろん戦争に行っている
かわいそうなお母さんは死んでしまった
このありさまを見る前に
ぼくたちはどうしたらいいのだろう”

「ホームレスの子どもたちのキャロル」の歌詞と
Antoniの歌詞は重なり合う。


”わたしの心は崩れ去った家のよう
ばらばらになった材木や柱は崩れ
鳥たちはその朽ちた土地に巣を作るだろう
飛ぶ魚たちのための餌になるよう
川にたどり着いたら、その中に飛び込めたらいいのに

あぁ、あなたの家は壊されている

白さをたたえた黒海をわたしは見ている
波は叩き合い、けれども、ともに混じり合うことはない
こんな皮肉な海を誰が見たことがあるだろうか
戻る家のない心は、狼狽えた国そのもの
お願いだから、これ以上わたしの心を暗くしないでくれ

あぁ、あなたの家は壊されている”







2台のピアノによる「白と黒」の、小さな、大きな無数の影の揺らぎも、
「6つの古代の墓碑銘」が作り出す、音と音の間に漂う余白も、
12のエチュードがそれぞれに持つ、豊かな色彩も、
コミタスの歌曲を担うルザン・マンタシャンの言葉と音が膨らむさまも、
どの演奏も、純粋に音楽として、素晴らしい。

このアルバムの中のドビュッシーの曲のほとんどは、
1914年から始まった第1次世界大戦の中で作られていることを知る。


すると、敏感に戦時下の空気を察知したドビュッシーが
癌と戦いながら、音楽家として表現しようとした
不穏と不安が、伝統的な調や和声から解放された
ドビュッシーらしい音色の中で時折、極まって響く。


それが、知識を得たのちの聴こえ方なのか、
何も知らなくても、うっすら感じられるものなのか、
もはやわからない。


知らなかった知識を携え、
知らなかった音階、旋法を使う楽曲を、注意深く味わいながら
このアルバムを何度も通して聴く。

わたしが見てきた、映像や写真、人の話が
時折、蘇ってくる。

そして、恐怖、不安、故郷への愛情、喪失感、
二人の作曲家がそれぞれに捉え、表現しようとした
人の為す凄惨な闘いの跡を往くという、体験を繰り返す。






「戦争とジェノサイドが私たちの暮らしに存在しうることを
ほとんど意識することはありませんでした」



ウクライナ、イスラエル、ガザ、そして、
多くのアルメニア人が命を落としたナゴルノ=カラバフでの紛争が
よりこのアルバムのテーマを重要なものにしている、という
流れをうけたゲルシュタインへのインタビューの最後は、
こう括られていた。


「2024年にアルバムを作るとは、どのような意味を持つのでしょう?
ニュースの文脈や重苦しい歴史の話や講義などではなく、
文化を通じて、聴き手がこれらの問題と向き合い、認識を新たにする
手助けをすることにあるのではないか、とわたしは考えています。
ここに、文化の高い価値があるのです。」






2024/04/08

大人になって知る、絵本からの学び

 

自分が子どもの時に読んでいた絵本を
見つけた時は、ひどく懐かしい幼い頃の友だちに会ったようで
無条件にうれしい。

子どもの頃を思い出し、自分の子どももきっと、
同じ読書経験をするだろう、そう思って親御さんたちは、
20年、30年前の絵本を買うだろう。
数多ある文芸作品でも、よほどの名著でなければ、
30年後には消えている本が多いだろうから、
絵本のロングセラーは、その母数に比べて、
もしかしたら、比率が高く、作品の寿命も長いのかもしれない。


わたしもまた、懐かしい絵本から、手に取る傾向にある。
子どもの頃とは異なる印象に、その絵本の魅力を
再確認することもある。

大きくなってから読む小説や詩から知ることとなる
好きな作品の作者が、絵本の世界でも、
作者、翻訳家として、作品を残している。

子どもに向けた言葉は、シンプルに数が少ないからか、
その分、大切に丁寧に、選ばれているように見える。
愛情と気遣いと優しさに満ちている。

子どもだから感じる面白さを大事にしている
作品に出会うことができれば、大人と子どもの間の
フェアな視点の大切さに気づく。



どんなふうに日常を見つめるのか、
どんなふうに面白さを見つけるのか、
どんなふうにものごとを感じるのか、
どんなふうに世界を捉えるのか。






絵本というからには、絵も、とても大切な要素になる。

自分の小さな頃を思い返す時、
話の展開よりも、絵本に描かれている細かなものものを
一つ一つ確認していく作業が好きだったような気がする。
だから今でも、思い出す絵本の断片は、
窓に飾られた花の鉢植えだったり、猫の柄だったり、
海の色だったり、建物の亀裂だったりする。

それから、しかけのある絵本や、形に特徴のある絵本も好きだった。
ページをめくっていくと、丸い穴の向こう側が見えて、
トレーシングペーパーでぼやけた霧が晴れていく
ブルーノ・ナワーリの「きりのなかのサーカス」や
縦長で、高く昇る月と地上の両方が画面に入っている
イブ・スパング・オルセンの「つきのぼうや」や、
360度開くと、各々のページが半立体になる、
有名な童話のシリーズが、
絵本の形状とともにはっきりと、記憶に残っている。

何度も何度もめくったり、開いたりした絵本は
すっかりぼろぼろになって、テープの跡だらけになっていた。


個人的には、大人になって知らない絵本を読む時、
日常を丁寧に淡々と描いているものや、
子どもの想像力を刺激するもの、
言葉が面白いものを、好む。





先日、1冊の絵本を手に入れた。






初めて見る、長田弘が訳をしている絵本
「この世界いっぱい」
リズ・ガートン・スキャンロンが文章を
マーラ・フレイジーが絵を描いている。

詩人の翻訳はとりわけ、言葉が丁寧だ。
長田弘らしい、優しいけれど力強く平易な
少ない言葉と、絵本一面の絵。

この世界にある、海も嵐も畑も木も闇夜も
そこに暮らす人の営みも、すべてを享受できるのだ、と
伝えようとしている。

いい絵本だな、と素直に思って、選んだ1冊だった。






家に戻って絵本をじっくり見ていた時、ガザから連絡がくる。

送られてきた写真は、家の遠景だった。
家の前の瓦礫だらけの道と、何棟もの黒焦げたアパートメント。
前日にはついに、家が壊されたと動画が送られてきていた。
崩れたブロックの残骸だらけの階段を、ひたすら登り、
たどり着いた部屋には、人の暮らす部屋だったことの
いくらの残骸も見つからない。






イラストレーターのフレイジーは、カリフォルニア沿岸の景色を描く。
この世界のすべてを享受できると、十分に信じることができる
豊かな農作物と緑と海、暖かな室内、温かな窓の灯り。









今、ガザの友人がこの絵本を見たら、
一体何を思うのだろう。
アメリカのカリフォルニアの子どもたちには享受できるけれど、
彼の周りにいる子どもたちには、ガザにいる限りおそらく、
一生かかっても手に入らない豊かさを、この絵本は素敵な絵で
ページ一面に見せてくる。



ふいに、ひどく傲慢な何かを見せつけられたような気がして
反射的に、動揺が走る。
その動揺は、ついさっきまでこの絵本を見ながら、
心から素敵だ、と思った自分がいたからかもしれない。


「世界はうつくしいと」という本を長田弘は書いていた。
彼は亡くなるまで、この世界は誰にとっても美しい、
そう信じていたのかもしれない。
この詩集は、とてもいい、けれどそれは
希望を失くして生きることの辛さを心底味わった
大人に向けた言葉である時、きっと、一番響く。



世界のすべてを慶ぶことのできる、と
どんな状況に置かれた子どもたちにも、伝えたい。


けれども、それは本当なのだろうか。
わたしを含む大人たちの判断と選択の誤りの集積は、
そんな本来、当たり前にあって欲しいことを
あからさまに、不可能にしようとしている。

子どもに嘘をついている、もしくは
できない約束をしているような気持ちになる。






願いの強い絵本が抱くその信念は、時にひどく、
誰かを傷つけることになるのかもしれない、と思い至る。
だから、小さい頃のわたしはあまり、
願いに溢れた絵本があまり好きではなかった、と。



自分の子どもにはこうあってほしい、そう思って書かれたのだろう、
姿美しく心のきれいな人の話を読んで、心洗われたすぐあと、
身近な友人や兄弟へ、嫉妬や羨望を抱き、
鏡の前で自分の顔を見た時の、
自分への救いようのない失望を、思い出す。


もちろん、その願いに響鳴して、
希望を抱き続けることのできる子どももいるだろう。
だから、作者や作品が悪いわけではない、
合うか合わないか、の問題なのだと思う。


子どもと向き合う時、子どもの声を聞きそびれた大人は
身勝手になりがちなのかもしれない。
大人になって、絵本の好みの幅が広がったけれど、
それは、大人の視線で絵本を読むことを知ったからなのではないか、
そう、思い当たる。


込めたい願いが、子どもの願いではなく、
わたしの、わたしたち大人の願いなのではないか、と
問いながら、絵本を読むことを学ぶ。

それは、大人になったからやっと、できるようになった。






2024/04/06

この世の不純な、無数の白




川面を埋め尽くす桜の花びらが、無数の雨粒の波紋に乗って
小刻みに震える。
哲学の道は、踏みしだかれた花びらで覆われていた。
茶色く変色した花びらと、川面に揺れる白い花びら、どちらも
暗い街灯の光が、ぼんやりと照らしていた。


京都の桜が一番美しく見えたのは、あの時だった。

強い雨の夜が、一番花を美しく見せるのだという
高校生の時の映像と認識と記憶はいまだに、鮮明だ。



細かな無数の傷に変色した花びらと、
暗い川の中を流れる花に惹かれた記憶は
梶井基次郎とともに、随分と長い歳月を経てもなお、
盛りを過ぎ、衰え、消えていく、生と死の象徴のはずだった。





頭のおかしい人だ、
そう思われるのは、みっともなくていやだ。
頭のおかしい人、の定義がどれだけ、
島国の異常に苛烈な同調圧力のせいだとしても、
日本に住む、とはその圧力に甘んじて押されることだと思っている。


だから、川岸に並ぶ桜は、深夜か早朝に、見にいく。
混んでいるのも、あまり好きではないけれど、
なにより、立ち止まれないし、ふらふら歩けないし、
一人でいる、というのは居心地が悪いからだ。
犬でも連れていればいいのだろうけれど、
桜を見る散歩のためだけに、犬を飼うことはできない。




満開のほんの少し手前の桜は、
静かなしとやかさを孕み、ほんのりと赤みががった白を
枝いっぱいに携えて並んでいる。
曇った空に、その花の色は不思議と際立つ。


川にはまだ、花びらがいくつか、流れているだけだった。






今年の花見の友は、ケーゲルの田園にする。
自死する1ヶ月前に、日本で演奏されたコンサートの音源。
冷ややかで研ぎ澄まされ、そしてどうにもならない悲壮感の漂う音で
背筋をそっとなでられるような震えとともに、
美しく、奏でられている。


耳から身体全体に流れ込ませる。
予防のためだ。
すぐ調子にのって、たぶん、どこか浮ついてしまうから。





白、という色の種類は計り知れない。
もし純白がこの世にあるのならば、だけれど、その白に
どんなに美しい色でも、どんなに少量でも、ひとたび混じったら、
たちまち、純白ではなくなる。
だから、この世にはたくさんの不純な白が、
無数に存在していることになる。


鮮烈な赤でも、底の見えない黒でもなく、
真っ白い、ということが狂気の片鱗を思い起こさせる。
きっと、その白が純粋であればあるほど、
そして、面積が広ければ広いほど、
感覚のどこかが、おかしくなるのだろう。

曇った日の桜は、空よりも白い、けれども
光をたっぷり浴びて光り輝くこともなく、
それがどこかしら、不安を和らげてくれる。

真っ白では存在し得ない、あらゆる生の不純さをも
いくらか想起させるその無数の白は、曖昧でわずかに温かい。





白という色を思う時、ハン・ガンの小説を思い出す。
「すべての、白いものたちの」






生死をめぐる、近しい、もしくは遠い国の人々の記憶が、
白、という色の持つ象徴、抽象度の高い余韻と混じり合い、
痛みを伴いながら、昇華されていく過程を描いている。

手に取り、序章を読むだけで、心の中を
雪の日の夜のように、しんとした静けさで満たす。
そんな稀有な作品だから、何度も読んだけれど、
魅力を語れるほどには、いまだに消化できていない。


”私の母国語で白い色を表す言葉に、
「ハヤン(まっしろな)」と「ヒン(しろい)」がある。
綿あめのようにひたすら清潔な白「ハヤン」とは違い、
「ヒン」は、生と死の寂しさをこもごもたたえた色である。
私の書きたかったのは、「ヒン」についての本だった。”


ヒン、という音を、小さく声に出して呟く。
本の書き出しを彷彿とさせる、静かな心持ちになる。




この「ヒン」という言葉と、ケーゲルの田園に支えられて、桜を見る。


政治的立場で常に悩まされながらも活動を続けた末、
夢に描いた”本当の社会主義”が実現しないことを悟る
うつ病のケーゲルが抱いていたであろう、
深い深い絶望が乗り移ってしまった音色は、奇しくも
光り輝く自然を往く幸福感を、描いた曲だった。
その見事なほどの矛盾は、
正気にさせるのに、十分だった。

生死に直結した狂気の際を奏でる音を、往く。


最終楽章の最後の和音が宙に消えたとあとには、
「ヒン」が残る。
生死を表すその言葉が、桜の色の不純さと溶け合う。








2024/04/04

目覚めの夢と、シャンデリアの光

 

例えば、朝意識がはっきりする手前で、
さまざまな夢を見ることがあるだろう。

記憶している夢は、日頃の心配ごとや気にかかっていることが
なぜそうなってしまうのだろう、というような、
不可思議な状況で描かれる。
面白いのは、おそらく起きることはないだろうけれど、微妙に現実的で、
現実世界では関係のない人々が、夢の中では接触をはかり、
それぞれの人々に対してわたしが抱いている不安が
複合されることだ。

結果的に、目覚める時にはひどく生々しく、
悲しかったり辛かったりする。

実にいやなことを主題にするものだ、と
自分で自分の無意識に呆れる。

たぶん、もっと楽しい夢も見ているのだろう。
楽しい夢はそのままで居たいから、目覚めることもない。
いやな夢は、見ている間にひどく心痛み、
そんな痛みで覚醒してしまうから、覚えているのだと、
勝手に分析している。


よほど印象に残るような状況でなければ、
生々しさに呆然とする目覚めをやり過ごしたのち、忘れてしまう。

けれど時々、強烈な感触の断片が頭のどこかで記憶されていて
ある瞬間にふとしたきっかけで、映像が思い起こされたりする。







その日の演奏会は、曲目そのものには非常に興味があったけれど、
ほとんど馴染みのない曲ばかりだった。
ブルックナーの3番はいくつかのアルバムを聴いていたけれど、
正直、ブルックナーの交響曲の中では、あまり聴かないもので、
第2稿にいたっては、聴いたことがなかった。

けれども、初めてのバージョンを聴く、というのは
その曲が初めて演奏された時のことを想起させる。
一体その時代の人は、初めての音楽をどのように聴いたのか、
体感してみたくなることが時折、ある。

そんな極シンプルな興味に、安いチケットが手に入る、という
幸運が重なることもある。



前半の、アルマ・マーラーの歌曲は、その人物像が先走りすぎだったせいか、
想像していたよりも複雑で繊細な音が多く、
選ばれた詩の言葉との幾らかのギャップもあいまって、
その面白さを追っていたら終わってしまった。


ブルックナーが始まると、当初抱いていた新しい曲目としての関心より、
オーケストラの音に耳を奪われていた。
わたしが記憶していた音とはまったく異なっていた。
よく降る雨に打たれて洗い流された後のように、
瑞々しい音は明度をぐっと上げていた。

自分の耳が急に、今日その瞬間だけ、性能が良くなった気がした。
行き道にどんなクラシックでもなく、スティービー・ワンダーを聴いたのが
今日の勝算だったのかもしれない、と頭の片隅で思いながら、
随分久しぶりの生の音を、楽しんでいた。

ただ、やはりわたしの知っているブルックナー3番、
第3稿との違いにいくらかの戸惑いを抱く。
だからといって、比較できるほどの細かな譜面の違いが
分析できるはずもなく、ただ純朴な素人のクラシック愛好者として
とにかく音を楽しもうと、腹を括る。

大好きなブルックナー独特の節回しや
音の重ね方は十分に美しかった。
どこか、パッチワークのようにフレーズが途切れたり繋がったりするのを
構成として認識し直したりすることも諦めて、
ひたすら音の美しさを堪能することにした。






けれども、2楽章の途中で意識が音楽から離れてしまう。
きっかけは、遠くの2階席に座っていた、見も知らぬ女性の姿だった。
1楽章が終わり、咳払いや衣擦れの音が響く中、
何気なくステージから顔をあげた時、目に飛び込んでくる。


その女性の姿とよく似た人を
目覚め前の夢に、時折、見る。

髪の長さ、肌の色、服の趣味、随分遠くに座っているのに、
詳細を鮮明に見ることができる。
いや、正確には鮮明に頭の中で、描き直すことができる。
そして、見知らぬ女性を夢の中の女性と、もっと似せることができる。


けれども、その作業をわたし自身は、まったく望んでいない。

遠くの見知らぬ女性を見た瞬間から、
夢の辛い感触だけが、身体全体を支配して
胸の辺りがひどく痛み出す、そんなことなど
いくらも望んではいないのに、止められない。

夢に出てくる女性には一つの否もない、ただ、
そんなふうに、詳細を描けるほどのわたしの意識が
勝手に、夢の悲しい感触に溺れさせる。


2楽章の旋律は、沼のように変化に乏しく響く、
そして、音などいくらも耳に入らなくなる。
音楽の記憶がその部分だけぽっかり空いて、
ただただ、ひどくはっきりとした夢の感触を
意思に反して丹念に確かめる工程が繰り返された。
なぜそうなってしまうのかと、問いかける作業が
よけいに自分を苦しめる。


気がついた時には、さっきと同じ旋律が流れている、ような気がする。
それがリピートによるものなのか、思い違いなのか、
もはやさっぱり、わからなくなっていた。

音の煌めきに集中しよう、そう小さく頭を振り、
天井からぶらさがる幾何学のシャンデリアを見ながら
音とガラスの輝きを重ねる。
視覚と聴覚を連動させて、
よけいなものを一掃しようと必死になっていた。


瞑想のような2楽章が終わる。
そして、きれのいい、見事な出だしの3楽章に救われ、
再び、音楽の中に身体が戻っていった。







演奏が終了し、拍手の音に満ちる会場の中、
その日に聴いた音を反芻しようとする。
すっかり抜け落ちた、おそらく10分ぐらいの音のことは
思い出さないように、シャンデリアをじっと、見つめる。

聴いたことのない演奏だったから、集中力が落ちてしまったのだ、
そう言い聞かせて、ホールをあとにした。


雨に濡れそぶる桜の花が、街灯の光に照らされて暗く光る。





今日の音は、こんな妖艶さなどなくて、
もっと澄んだきれいな音だった。
強いていうなら、アルマ・マーラーのあの、
時折掴みどころがないような、フランスものを思い出させる
伴奏の弦の和音だ、と記憶を辿る。

よけいなものは、目に入らないようにしなくては。
湿る空気の中、傘を深くさして、
濡れた地面に映るさまざまな色の光だけを見つめる。




2024/04/02

漂う春の、いくつかの花の香り

 

ようやっと、ふわりと、どの花なのかはわからない、
けれども、日の光を集めたような明るい香りが時々、
漂う時季になった。


春といえば、けれども、3月のはじめ、
沈丁花の香りから始まる、と思っている。


あの香りは独特だ。
あのつんとした刺激を含む香りは、
そのものに本質的な冷たさを孕んでいる。

その花が咲くまで、そこにあったとは気づかないような、
地味な葉と背丈、風にもなびかぬ、
たおやかさからはほど遠い律儀な形の花弁、しかも、
枝ぶりと花の数は均一で、
こんもりとした低木の全方向に顔を向けている。

香りも形も咲く時季も、これほどまである種の
抑制を思わせる花はない、と幾度となく
香りが鼻をかすめるたびに、思ってきた。

香りが消える頃には、心弾む暖かな空気が来るだろう、
けれども、それまでの寒く凍える季節の最後には
終わりにふさわしい、象徴的な花を残しておかなくては、
そうして選ばれた花のようだ。

だから、というわけではないけれど、
沈丁花の香りが好きだ。
頭をすっきりさせる清々しい寒さと、
その香りはよく呼応している。

そして確実に、その残り香の先には、春がある。







中東で花の香り、と言ったら
誰もが真っ先に、ジャスミンを思い浮かべる。
少なくとも、アラブ人に香りのある花は、と尋ねたら
おそらく9割以上、ジャスミンだと答えるだろう。

日本では、ダマスカスローズ、という香りの強いバラが人気だから、
地名を含む花の名に、彼の地を想像することも、あるかもしれないけれど、
ヨルダンでは、ダマスカスローズよりもジャスミンの方が、
育てやすさもあってか、目にする頻度は圧倒的に高かった。

難民キャンプの庭にも、見事に咲き誇るジャスミンを
何度となく見たし、それを愛で、自慢する人々の嬉しそうな顔もまた、
たくさん見てきた。

シリアの子どもたちが書く詩の中に出てくる、ジャスミンの香り、は
故郷の芳しさと美しさを象徴するものだった。
ジャスミンの季節になると、小さな白い花を摘み取る子もいる。
外国人が珍しいからか、道端や学校で会った幾人かの子が、
ふと、ポケットからジャスミンの花を取り出して、
わたしにくれたりした。







白くて星の形の小さな無数の花が、春先から咲き出す。
スタージャスミン、とも呼ばれているもので、一番一般的な種類だ。
ヨルダンでヤスミーン(ジャスミン)の香水を試すと
この花の香りになる。



日本では時折アラビアジャスミン、もしくはマツリカ
と呼ばれている種類には、アラビア語だと
ジャスミンとともに、フル(فل)という名もついている。
香水も、ヤスミーンとフルでは、種類も香りも異なる。


わたしにはマツリカと梔子の花の形が、種類によっては似て見える。
梔子の学名はGardenia Jasminoides、
ジャスミンのようなガーデニア、という名になる。
ただ、マツリカには、梔子のような、
あの身体中に充満して頭の芯まで麻痺させるような
ひどく魅惑的で強い甘さはない。


(実家にもカロライナジャスミンがあったと思い出し、検索してみたら、
これもまた、ジャスミンという名はついているけれど、梔子と同様
リンドウ目で、ジャスミンとは種が異なっていた)


なぜジャスミンのことなど思い出したかといえば、単純に、
白いスタージャスミンの鉢植えが、ある日家にやってきたからだった。
小さな鉢植えのスタージャスミンは、けれども
随分と気前よく、香りを振り撒いていた。

わたしにとっては懐かしい香りでもある。

けれども、湿気ばかりの日本の気候に、
このジャスミンの香りは、いくらか重すぎる。
からりといつも晴れていて、湿度も一桁台が続く中東の空気には
強く甘い香りも薄まって漂うけれど、
日本の住宅の中では、目に見えない湿度の粒子の一つ一つに
香りはぴったりとくっついて、停滞しがちだった。



その鉢植えが、地面に植え替えられた頃、外では
沈丁花の季節がやってきた。

一言に花の香り、と言っても、もちろん
花の種類の数だけ、香りもある。

ただ、随分と対照的な香りを同時に嗅ぐことになる。

ジャスミンにも、初夏の夜に野外で聴くウードの演奏のような
静謐さと気品を、持ちうる。
けれども、春先の日本では、その資質と魅力は
十分に発揮できないようだった。

蝶々夫人のアリアと、フォーレのヴォカリーズぐらい
性質も種類も状況も異なる花の香りを、
毎年やってくるものとして、いつかはきちんと、
愛でることができるように、とりあえずは、
きちんと地面に根付くように水をまこう。