2018/04/24

銭湯恋歌


日本のお水でお風呂に入った瞬間が一番
日本に帰ってきた、と感じる。

アルカリの強いきしきしとした感触と全然違っていて、
温かな水にひとたび触れると
肌も髪も、すべらかになる。
柔らかい薄い膜に覆われている感触。
風呂上がりの乾燥具合も全く、違う。
急激に乾燥してぱりぱりするのに慣れているから、
日本の湿気は、どこまでも、優しい。

銭湯に行くのが、滞在中の一番の楽しみだ。


美術系なので、女性の裸はもういい、と思うほど見せられている。

以前は服を着ていても、
この人は意外と腰が張っている、とか肋骨に肉がついている、とか
透視術でも持っているかのように、見透かすことができた。

こういう能力も、時間が経つにつれて衰えてきて、、
モデルにおばあさんが来ることはなかったので、
あらたな境地を、事前に勉強することになる。

銭湯とは、年を取るとこういう体形になるのか、と
学ぶ場である。
若い人が入ってきた時などは、
当然自分の老いもまた、認識することになるのだけれど。



下町の銭湯は、だいたいがおばあさんばかりで
あそこのトマトが安いだの、
かけたパーマのボリュームがいいだの悪いだの、
角の家の息子さんがどうの、だの、
あら、奥さんその髪の感じなんていいじゃない、だの、
ほてった身体を扇風機で冷やしながら、
風呂上がりにドライアーをかけながら、
誉めあったりしている。

小さな男の子を連れた若いお母さんが
隣のシャワーに座ったおばさんと
子どもの話をしている。

風呂のお湯が熱いのに、何度も入ろうと足の先をつけては引っ込める。
そんな男の子の様子を
見知らぬ人たちが母娘のように眺めていた。


はたと、これはよく慣れ親しんだ何かだ、と思いつく。

銭湯が好きで落ち着くのには
アラブ圏に慣れているからなのだろう。
女性ばかりの場所の方が、居やすくなってしまったようだ。


銭湯という場は、裸のつきあい、
さまざまなコミュニティの中で、
他人同士の距離を最も近くできる場所なのかもしれない。

そうなってくると、人の距離が異常に近いあちらに
いよいよ似ているような気になってくる。
他人同士が織りなす会話は、
よく知っているあちらの学校の職員室の会話や
美容院の会話と、同じだということに、気づく。





2018/03/23

木の芽どき



梨木香歩のエッセーの中に
木の芽時、という言葉にまつわる話がある。

植物の様子だけで見ればすっかり、芽吹き時など過ぎさり
その言葉の持つ、目に見えない秘めた力はすっかり放出されて、
ただただ、きらきらと華やかな時季。
春真っ盛りの日和を謳歌するべく、
ベランダで読書でもしようと思い
久々に思い出してその章を読んでいた。


春には灰汁の強い植物が多いけれど、
植物の灰汁抜きと同じように
この時季は心身の灰汁を抜くタイミングだと思うと、
それも悪くないと思える、というところから始まる話。

木の芽時、もしくは芽吹き時は
心身のバランスを欠きやすい、ということを、
その話を読むまで知らなかった。
私にとってこの言葉は未だに、単純にその文字通り、
春先を指し、その根本的に明るい。

細い枝先にほころぶ柔らかな緑を想像してしまう私は
でも、ふとあることに、合点が往った。

ずっと、自分の喉の状態を
膨らんでいく木の芽のようだな、春だからかな、
などと無駄に風流に、思っていたからだった。



喉が腫れて、声が出なくなった。
話せないことはないが、
話せば話すほど声は枯れていく。

大事な会議で、何を話しているのか聞き取れないといわれ
タクシーに乗っても行き先が通じず

子どもたちには「ぼくのおじいちゃんみたいだね」と真顔でいわれ
電話をしていたら見知らぬ若者に、真似される。

物理的に話すと喉が痛いので
できるだけ声を出さないでじっとしている。
タクシーの運転手に行き先の文句を云われても
おじいちゃんでは性別さえも違うじゃないか、と思っても
言い返すには声が通らなすぎるので、
真顔で見返すのみ。

なるほど、こういう対処法もあったのか、と
あらたな処世術を身につけつつある。

話さないと、言葉が身体に溜まっていく。

それは、時に不健全だけれども
溜まった言葉を反芻して
大概は口にしなくてもいいことだったりして
随分無駄なことばかり話しているものだ、と
自分に呆れる。

余計なことばかり話しているから
いい加減、もう少し慎めと、
戒められているのかもしれない。
これならば、いくらかは思慮深くなれるかもしれない。


おしゃべり好きのアラブ人は
私があまり話さないと
どこか不安な表情を浮かべる。
怒っているのではないかと、不安になるのだ。
喉が痛いからだと、仕事場のみな分かっているのに
どことなく、不穏な空気が流れる。

どちらかと云ったら、相手の機嫌を取っていることの方が多いので
時にご機嫌伺いされるのも、悪くない。


この原因はなんだろうか、と
薬も効かないので途方に暮れていたのだが、
先日、会話の中でふと、
予想される原因に、往き着いた。


春も盛りになってくると、
オリーブやらアーモンドやらの花粉が飛ぶ。

日本では花粉症なので、
こちらでもいつかはやってくるだろう、と
実は、毎年ひやひやしていた。
今年も大丈夫みたいだ、と思った頃
ついに、思わぬ形で花粉症の症状が出た、のかもしれない。

身体が物理的に芽吹き時、ということになる。

幸い、おかしくなってしまったのは喉だけで、
気の方はまだ、確かなはずだと、信じたい。



2018/02/24

桜前線の地図


いつの間にか、アンマン城がみどりに覆われて
日本ならば、桜の咲く時期のような
薄墨が夕方の空に漂う、
空気にほんの少しの湿気が残る日暮れがやってくる。
ベランダから、デッサンでもしたくなるような
質量の十分なまるい雲がいくつも、浮かぶ。



アルバムはノリがよすぎて買わなかったLaura Mvulaの
しっとりとした音源を見つける。
春の始めに、よく似合う。



先日ついに、パスポートを書き換えなくてはならなくなって、
大使館の待合室でぼんやりと、NHK worldを見ていたら
桜前線の日本地図が出てきた。
桜前線の地図なんて、何年ぶりに見たのだろう。




桜の季節になると思い出す話が、この本の中にあった。

市ヶ谷の桜並木を、数十年ぶりに再会した
昔のルームメートと歩くシーンが話の最後に、ある。

カティア・ミュラーという女性の人生についての短編だ。
中学校教師だった彼女が、40に手の届く歳になって
自分の人生を考え直すために、フランスへやってくる。
その後、彼女はミッション系のグループに入り
フィリピンで奉仕活動をしつづける。

ヨーロッパに縁のない私は
フランスとイタリアの他は、往ったことがない。
でも、ヨーロッパと云う国々の何たるかを、
私はただひたすら、彼女の本から学んだ。

どちらかというと、イタリアでの生活に関する話よりも、
フランス、イタリアに住み、その後もイタリア文学と
イタリアにおける日本文学の普及に携わった須賀敦子の
人や文化への見方や描き方に憧れていた。
その根底にはやはり、人に対しても、文化に対しても、
信仰し、ずっとそのあり方を思索し続けたキリスト教に対しても、
また、当然文学に対しても、深い造詣があり、
それらが、彼女の文章に奥行きを造り出す。

国は違えど、私ももう、長くこの国にいる。
言語にも文化にも、いくらも慣れないまま
徒に時間が過ぎていくのを、仕事のせいにしている。

だから、ここ最近は、この本を手に取るのが、どこか怖かった。

まだ日本に居るころには、本当にいつも、彼女の本を持ち歩いていた。
あの頃、もっと世界の広がりを体感できる精神を持っている、と
なぜあんなに自分を過信していたのだろう。



桜にまつわる話はたくさんあるけれど
つい最近の訃報で、また、思い出したものがあった。

なぁ、かかしゃん、しゃくらのはなのいつくしさよ

この一片だけを、何度も口にしていた時期があった。
だからなのか、大使館からの帰りのタクシーの中で、
知らぬ間に口に出して、云っていた。

合っているのかどうかも分からない。
それは読んだのではなく、耳にしたはずだった。
美術の先生の性急ででも、朴訥とした音読。
その人もまた熊本の出身だったから、
授業の中で、取り上げられていた。

水俣病で麻痺した身体のまま
はらはら舞い散る桜の木がある庭に面した縁側に座って、
少女が口にした言葉だったような、気がする。
もう、その少女の目は見えなくなっていたのに
記憶の中の桜を思い描いて、そう口にする。

病に冒された人々の様子を、
時として美しいほどに丁寧に記録した
作品の中にあったはずだ。


次に日本に帰ったら、苦海浄土をもう一度、手に入れたい。
おそらく、石牟礼道子の視点には
須賀敦子に通じるものがあって、
それは、たぶん今、必要なものだ。

きっと、今年は桜を見ることができるだろう。
その代わりに、ブラックアイリスは、見られない。
お祭り騒ぎのようなヨルダンの春も好きだ。
ただ、そろそろ久しぶりにひとときでも、
桜を愛でてもいい頃合いなのかもしれない。





2018/01/23

泥の道


東京の雪が、きっときれいな青空できらめいていた頃
アンマンにもザータリキャンプにも、雨が降る。
朝から滑り落ちるように階段や坂を降りて
キャンプへ、向かう。

雨と天気に気を取られている時に限って、失態を犯す。
携帯を行きのバスの中に落としてしまった。
キャンプに着いてから気づいたから、
来た道をまた、最寄りのバスターミナルまで戻らなくてはならくなった。

幸い携帯は、まるでそこに置いておきました、というように
座席の脇の隙間に納まっていた。
バスで集金していた10歳ぐらいの少年が
次の乗車まで鍵をかけていたバスの扉を開けて、
カーテンを閉め切って真っ暗なバスにエンジンをかけてくれる。
そして、携帯を見つけた私に、にやっと、笑いかけてきた。

なかったらどうしようか、
見つかるまで朝からの行動や言動のあれやこれやを、後悔していた。
携帯が見つかって嬉しいやら、忘れてしまった情けなさやら、
くしゃくしゃの気持ちのまま、またキャンプへ戻る。

湿度で曇っているのかと思っていたバスの窓は
跳ねた泥と埃のせいでくぐもっていた。

雨の土漠地帯は、でも、青空ばかりのカラカラの景色より
どこか親密で、優しかった。
3月の雨を思い出す。



需要の高い雨の日は、キャンプの中のセルビスにも乗れなくて
仕方なしに、歩いてキャンプの端から端まで
4キロ以上の道のりを、仕事場へ歩くはめになった。


途中でキャンプの中の警察署に寄る。

電気が通らない昼間のキャンプだけれど、
そこだけジェネレーターがあるから暖房の効いた部屋で、
ドアがうまく閉められない私に
いつもは全く笑わない顔見知りの警察官が、
勢いよく閉めれば閉まるよ、と
ほんの少しだけ笑みを浮かべながら、ジェスチャーつきで、伝えてくれる
みんな寒いのは、嫌なのだ。


小雨の降るキャンプの道は、
たとえコンクリートで舗装されている道でも泥だらけだった。
長いワンピースをはいた女性たちは
裾をたくしあげながら、歩く。
裾の下から、何とも派手な色のズボンがちらちらと、見える。

泥の跳ね返りは、絡みつくように布に染み込んで
乾いても手では払えない。
乗客を乗せながら無情に通り過ぎていく車たちは
泥をまきあげてゆく。
雨水を浴びるように、泥をかけられることになる。



天気がよかったら、気温が低くてもみんな、外で太陽を愛でる。
道など外国人の私が歩いていたら
女の子も男の子もおじさんもおばさんも
興味本位で声をかけてくる。

でも、雨の日の道は人もまばらで、
道を往く人たちはみな、うつむくか顔をヒジャーブかスカーフで隠しながら
とにかく目的地に向かって、静かに黙々と、歩いていく。

だんだんと泥の道を歩くのにも慣れてきた頃には
身体も温かくなってきて、
そこに住む人たちにとって、つきあっていくしかない泥だらけの道を
目一杯体感しようと、思い直す。

プレハブの家の中も、きっと外から帰ってきた
家族の誰かの靴についた泥で
汚くなっているのだろう。
寒いのに必死で、水をまいて家の三和土を掃除していた。



道幅の広い2本の道が交差する角にある
シュワルマ屋さんの肉の焼けるおいしい香りが
いつもよりも濃く、空腹を刺激する。
匂いに色がついているかのように、
店を通り過ぎてもなお、流れ出ていた。

雑貨屋の店の中では
客が来ないことをいいことに、談笑に花を咲かせるおじさんたちが外を眺めている。
彼らばかりはいつも通り、うぇるかむちゃいな、と声をかけてくる。

各世帯の脇にある水タンクは
高低差を利用して水圧を上げるために
シンプルな台の上に設置されている。
その鉄の足場には見事にどれも
足裏の泥をこそげとった跡が残っていた。
無機質な鉄の棒に、茶色い不規則な飾りがつく。

何故だか今日は、通り過ぎる男性がみな、赤白のハッタを被っていて
どこもかしこも灰色か茶色の景色の中で
色鮮やかなハッタ柄だけが
上下に、左右に揺れながら
ゆっくりと移動していく。

皆、できるだけ泥が跳ねて服にかからないように
工夫しながら歩いていた。

靴下に直接サンダルを履いている人が多い。
泥に汚れていない靴下を見る度に
どうやって歩いているのか観察していた。
足をつける時に少しだけ、足を滑らせていた。
なるほど、サンダルは見事に泥の塊に埋もれていた。


舗装されていない土の道から出てきた姉妹が二人が、
私の前を、配布されている青いバッグを背負って
ただただ足元を見つめながら歩いていく。

冬休みに入って、学校のない子どもたちだけれど
アクティビティをしている教育関連の団体は
冬休み中も授業をしている。
仕事先も同じように事業をしているので
学校で会う子どもたちの多くもまた、
きっと同じように黙々と歩みを進めながら
アクティビティに来てくれているのだろう。


計45分ぐらい歩いて、
結局上手に歩けるようにはならなかった。
私の靴は汚いドットになって
ズボンも膝上までブチハイエナのような柄になってしまった。

家に戻って洗濯前に
ズボンを水洗いする。
赤茶色の荒い粒子のような土が
洗い流してもしばらく、白い洗面台に残っていた。

雨の日のための靴は履き慣れなかったし
泥の中での歩みは、普段と歩き方が違った。
ふくらはぎに違和感があって、
いつもより幾分、疲れている。

でも、ぺちゃぺちゃと、足裏に細かな粘土質の泥がまとわりつく、
あの感触が、ほんの少しだけ、雪の次の日のそれと、似ていた。


2018/01/06

年の瀬から年始にかけての、音楽事情


年末には必ず、今年の音楽まとめ、のようなことを勝手にするのだけれど、
あまり豊作とは云えない年だった、と
12月に入ったあたりで、思っていた。

そもそも、いつも新しい楽曲のアップデートは、帰国中にする。
タワレコに往く日、というのが帰国のスケジュールに必ず、丸1日とってある。
本屋と並ぶ、大事な時間だ。

旧年中は1回だけしか帰れていなくて、
そこで買ったCDは1枚だけだった。
だから、豊作ではない、ということになる。

ただ、最後の数ヶ月でライブ音源を中心に小さなヒットを連打し、
昔から聴いている曲たちと、いい具合に混ざって
個人的には一貫性があった、らしい。



視聴できない代わりに、
今年一年も、NPRのTiny Desk Concertに随分と助けられることになる。

いつまでも、自分でもよくわからないところに居ると、
とかくよく思う、年末だった。
定住できない人間は、ノマッドを体現する曲調で、自己肯定を試みる。
飽くまで試みなので、うまくいったためしはない。

浮遊していても素敵じゃないか、なんて思いながら
地に足つけるために、屋上の部屋から毎朝出勤のために降りるわけだ。






このサイトで、年末にみっけものだったのは、この曲だった。
ライブ版の方がいいので、最後の曲(10分ぐらいから)のものを。



ピアノがあったら、歌いながら弾けるのにな、と思った。
アラブの曲は、歌詞を口にするだけで必死にならざるを得ない
吉田拓郎も驚きの歌詞詰め込み型が多いのだけれど、
この曲ならば、歌える。

この人の不思議な踊りは、以前うちのお向かいに住んでいた
レバノン人ローラちゃんを思い出す。
ほんと、お酒を飲んでご機嫌になると、そっくりな身体の動かし方をしていた。

歌詞が少なめで何とか追えるけれど、
アラブ人独特の、若干本来の音よりも低く感じる
憂いのある声は、残念ながら
平均律で育った私には、一生出ることはないだろう。
それでも、音だけは出し放題の屋上の家で、1人真似をしてみたり、していた。


そして、自分の声に、あらためて失望することになる。

仕方あるまい、音楽は聴くものだ、と、腹をくくる。

日本に戻って、アルバムを買ってからしばらく、
ずっと聴き続けていたAsgeirもライブをしている。







11月にあたりから、よく聴いていたのは、この曲だった。
アルバムの1曲目だから、というのもあるのだろう。
他の曲もいいのだけれど、いつでもどこでもSting、という感覚は、残念ながら、ない。
イントロの音だけならば、スコットランドでも思い出しそうなものだけれど、
荒野のイメージは、この土地に合っていた。








やはり、寒いからだろうか。こういう楽曲に往きがちになる。
そして、心底冷えて、これはいけない、と何か、親密なものを聴くことにする。




以前も載せたけれど、やはりこのライブの音源が一番いい。


そして、近くて親しいものものはいくつかあるのだけれど、
最終的にはいつも、この音源になる。




いつ聴いても、グールドのintermezzoは、
濃淡や光と影が、明確に描き出されている。
他の人の演奏の方が正当派なのかもしれないけれど、
聴きたいと思うのは、この音源だ。
随分練習した曲だから、ピアノがあったら弾けるのに、と思う。


この映像も12月によく聴いていた。
完全にジャズというよりはフュージョンだけれど、
元々はクラシック畑の人なんだということが実感できる旋律だ。
楽しそうなのが、とにかく、とてつもなく、素敵だ。
これを聴いてから、よし、仕事へ往こう、ということになる。
幾分暴力的だけれど、そうでもしなければ、出かけられない事情もあるのだ。







年の瀬に豊作ではないことを後悔し始めた頃、
年末恒例BBCの昨年のベストアルバムをチェックしていて
久しぶりの名前を目にした。






この人たちの曲をよく聴いていたのは日本だったので、
私はこの曲の感覚がどこから来ているのか、分かっていなかったんだと、
気づくことになる。
寒さから一転、恐ろしく乾燥したところに耳だけが移動する。
マリの砂漠。


BBCサイトの紹介では、この人の楽曲も全般的に好みだった。
音の作りもそうだけれど、声が好みだ。
それから、素敵なドレッド。
ぜひ、次に日本に戻ったら、アルバムを買いたい。







年が明けてやっと2連休が取れた日の朝、
たまたま掃除の間にかけていたこのライブが、気に入った。

年末年始に預かっていた猫の毛が家中に落ちていて、
何だか掃除をしながら、寂しくなる。
アンマンは雨が降っていて、雲が形と厚みを変えながら
流れ続けていた。
寒いところからやってきた音楽だ。






つまるところ、昨年から年始にかけて
時々寒すぎて、暖を取ったけれど、
アイスランドやスウェーデンなど
寒いところにご縁のある音楽事情だった。

アイスランドに往ってみたらいいのかしら、と
アイスランドの景色の写真とかを、見たりした。
いっそのこと、極寒の地で潔く、寒さを楽しんだら、いい。

こんな大量の電気を消費しながら
あんなに寒いのがいやだいやだと云いながらも、
きっと、あの空気にさらされたら、
もう少しまともな思考回路になるはずだ、と
あの、鼻がつんとするような、
脳天を刺激する冷たさが、恋しくなり始めている。




2017/12/24

移動しながら、考える


乗り物に乗れる機会が、最近あまりなかった。
旅が苦手なせいか、休みが続けて取れないせいか、
長距離の移動をすることもなかった。

日常的に歩くことも少ないので、

歩きながら考える、という
そう云えば大事だったことも、久しくできていない。
これはヨルダンの道の作りのせいなのだけれど、
そもそも、どこかへ往くことも、あまりなかった。

奇しくも、仕事の予算のせいで、最近バスによく、乗る。

合計、うまく乗り継げても2時間ほどかかる道のりを
バスやらセルビスやらを乗り継いで、サイトへ出かけなくてはならなくなった。





バスの思い出で一番鮮明なのは、大学に入ったばかりの6月の移動だった。

祖父が亡くなったという連絡を受けての帰郷だった。
学生でお金もないので、東京から実家近くの街まで、
バスで帰った。

東京から横浜までの小さい、大きい、建物ばかりの景色から

小田原から熱海にかけてのトンネルと、一瞬見える、海。
富士山を拝みながら、開けた平野と大きな川を越え、
見事に剪定された茶畑の濃い緑、みかん畑の中を抜けて、
また住宅が増えてくると、下車が近づく。

祖父についての記憶を辿りながら、

過ぎ去る景色をただ、一つも見逃すまい、と
バカみたいに真剣に窓の外を見ていた。
たまたまその時によく聴いていた、ショパンのピアノコンチェルトは
繊細だけれど潔い、甘くなりすぎることのない、ピリスの演奏だった。
大きなCDウォークマンを膝に載せて、聴く。
CDが終わってもまだ、ずっと頭の中を旋律が徒に駆巡るので
結局何度も、繰り返して聴くことになった。
その頃は常にノートを持ち歩いていたので、
思うことや感じることを、よく、ノートに書いた。


その後、ショパンのピアノコンチェルトを聴くと、反射的に、

日本平の穏やかな白っぽい海と、三ヶ日あたりの鮮やかな緑を
思い出すこととなった。

移動する時に音楽を聴くと、

まるで映画の1シーンのように、
目に映る景色が違って見えてくることがある。
その時の気持ちに合わせて、
その時の景色に合う音楽を選ぶ。
乗り物に乗る時の、楽しみでもある。
1人の移動には、欠かせない。


ヨルダンに住み始めた初めの2年、

毎朝10分ぐらいだけだけれど、バスに乗って出勤していた。
朝早い時間のバスの中では、コーランが流れていることが多くて、
坂道を転げ落ちるように下るその道のりでコーランを聞けると、
きっと、事故はないだろう、と妙に安心した。
今でもコーランが流れている時には、音楽は聴かないようにしている。



今月の頭、仕事でとてつもなく憔悴して帰った日があった。

その美しさを愛でるより他に、できることがなくて
進行方向に沈む夕日を見続けていた。
辺りは一面の土漠で、どこにも緑なんてない。
満員のバスは人いきれで暑いような、でも
空調のせいか冷たい風が頭をかするから、寒いような、
頭と同じぐらい感覚も混乱していて、
唇が乾燥していくのを、そういうものとして、感じながら、
ただただ、放心していた。
その時は、新世界を聴いていたけれど、
その音楽の壮大さと、自分の頭の中の混乱は、どうにも釣り合いが取れなくて
ただ、できるだけ違う何かへ意識を向けさせるためのものでしかなかった。


音楽と、景色と、心持ちがうまく合う瞬間があるバスの移動は、

つらつらとものを考えるのに、とてもいい。
どのみちそこで浮かんでくる考えに、
大したものなどないのだけれど、
どこか、大事な時間のように、思える。

今の移動時間では、まだ物足りない。

目的と手段が逆になってしまう滑稽さを持っても、
ただ考えるためだけに、ずっと長距離バスに乗っていたい。



2017/12/09

そして、アンマン城参り


城を見る、というのは、どうも
生まれた時からの習性のようだ。
私の今のアパートメントからアンマン城までの距離と
実家から山城までの距離が、直線でちょうど同じぐらいだ。


実家の台所から西に見える山城は
夕日をバックに黒い輪郭を描いていた。
そして、アンマンのアパートメントから南東に見えるアンマン城は、
遠い夕日に色が黄色く、赤く、染まる。



冬になるとなぜか、アンマン城に往きたくなる。


小春日和にはもう遅い、初冬のアンマンで
穏やかな冬の、傾いた日射しを享受するには
アンマン城が一番、いい。

残念ながら、緩やかな坂道ばかりの山城への道のりと
丘を下って登る、アンマン城への道のりでは
疲労具合が違う。
それでも、自分の足で下って登る、というのは
決まり事になっている。

最近疲れきっているせいか、足が重い。
だから、ダウンタウンの入り口の、墓場の横の階段が何だか、長い。
うつむく青年、詩のタイトルを思い出す。

でも、城壁が見えてくると、足取りが軽くなる。
入り口への最後のスロープの手前の、いつもの店で濃いコーヒーを買って
鬱陶しいガイドを適当にあしらって
西の端っこへ、往く。

初めてアンマン城に来た時から
ここで休む、と決めている場所がある。
奇しくも、その後アンマン城好きが高じたせいで
その場所から自分のフラットがよく、見える。




遺跡の残骸の、石の壁に、すぽっと身体を納めて
夕日が落ちていくのを、鳩が旋回するのを、見る。

旋回の角度と道筋を決める群れの一羽が、
随分と大回りをしながら、随分と気持ち良さそうに先頭を飛ぶ。
何もない、ということを色にした、
どこまでも澄んだ、濃い青い空を
小さな鳩の姿が粒になって突っ切っていく。





私も、あの、何にもない空間に、身を置いてみたくなる。
もしくは、
あそこを立方体に切り取って、ずっと心のどこかに取っておきたい。
そして、ずっと、いつまでも、宝石みたいに、眺めていたい。


空を見ると、身体が少し、伸びる。
そして、肩こりにちょうどいい。

でも、首周りがすっと寒くなって、またきゅっと首をすくめる。
亀みたいだ、と思う。

頭も空みたいに真空にしたい時には、馴染んだ曲を聴くのが、いい。

金太郎あめみたいだ、と村上春樹が評した
内田光子のシューベルトの21番を
最後まで、夕日をみながら集中して、聴く。

日が落ちると、急に寒くなる。
そして、家に帰らなくては、と思う。






帰りに人に溢れたダウンタウンを歩きながら
また、Water Water Camelを聴く。
「あなたは ずっとちいさな にんげんだったのよ
 うつわじゃなかったの でも なんだっていうの」
知らない人ばかりの道なのに、
1人で、でも、親密な空気の中に居るような、気分になる。
「よろこびは しょくたくに かなしみはといれに」





お伊勢参りの帰りに買う生姜糖みたいに、
アンマン城からの下るとあるダウンタウンのお菓子屋さんで
オスマンリーエを、買う。
暖かい家履きのスリッパが必要だ、とか、思いつき
あやしい古着屋さんでスリッパを買う。
買ったあとで、そう云えば前も買ったんだった、と思い出す。

たぶん、何度も何度も、似たようなことを毎年、している。

アンマン城参りは、私にとって、
儀式のようなものなのだろう。