2018/06/23

彼らの暮らしと、話の断片 6月 3週目


仕事の予算の関係で、なかなかフィールドに往けない。
久しぶりに子どもの顔がみたくなって
知り合いの家庭訪問に一緒についていった。

シリアに帰る、というメッセージを受け取った
この家庭をよく知っている人からのお願いで、
どんな事情なのかを訊いてきてほしい、と頼まれたのが、
家庭訪問の理由だった。

イード中に荷物を届けに往ったシリア人家庭も、
日本でお邪魔した留学生のシリア人家庭も、
この日訪問したシリア人家庭も、
苦悩の原因は同じだった。
先が見えない、保障してもらえることが、何もない。



随分来ていなかったお宅だった。
相変わらず青くて澄んだ空と
アンマンの中心部を遠景で見渡せる
丘の上のおうちに、お邪魔する。



マルカ・ジャヌビーエ

建物の入り口まで迎えにきてくれたお父さんの顔を見て
正直、言葉を失う。
ほぼ同い年のお父さんの表情は
最後に会った時よりも、よほど疲れていた。
遺伝だから他の兄弟もみんなすぐ白くなってしまうんだ、
と前回来た時に云っていた、
白髪の量も以前にまして、増えていた。

部屋に入って子どもたちの様子を見る。
大人が3人来たからか、どこか表情が固めだった。

本題から先に入った方がいい、と判断して
一通り挨拶を終えると、すぐに
生活の様子と、なぜシリアに帰りたいのか、という話題を振る。

それまでいなかったお母さんが
自宅用のてるてる坊主のようなかぶり物をして出てくると
そのくりくりした大きな目を見て、
やっと少し、どこか安心する。

ありとあらゆる支援団体に登録した。
でも、どこからもその後、連絡が来ない。
UNHCRの虹彩認証を待っているのだけれど
何度電話をしても、待っててと、云われる。
腰に痛みがあって、長い立ち仕事はできない。
病院の医療費も値上がりして、
治療も十分にできない。


違うシリア人のお宅にお邪魔したときも
UNHCRについて、似たような話を耳にした。
その家族の場合、引っ越しをして街が変わったから
その時に登録し直した手続きがうまくいっていないのではないか、
そう、家族は信じていた。
でも、実際のところは、
UNHCRの支援対象となるほど、暮らしが緊迫していない、
そう判断されたと、考える方が妥当だ。

どちらの家族も、はっきり
「お宅の家族は支援のレベルではないので、支援はありません」
と云われていなかった。
だから、彼らはいつ、電話がかかったくるかと、
首を長くして待っているのだった。

家族と通訳の間で、アラビア語の会話が始まる。

その横で、一番下の男の子が、
持ってきたハビーブの袋を見つけて、
袋の紐をいじっていた。

この中に何があるか覚えてる?と訊いてみる。
マリオネットのクマが居るよ、と答えてくる。

大人たちの会話は果てしがないから
子どもたちと遊ぶことにする。

少しずつハビーブのことを思い出し、
少しずつこちらにも慣れてくる。

家にあるクマのぬいぐるみは、全部で5個あった。
全部ソファの前に並べてくれる。
北極グマが2匹、パジャマ姿のクマが2匹、小さな小さなクマがひとつ。
たくさんの兄弟がいて、寂しくないね、というと
ハビーブはひとりなの?と訊かれる。


兄弟3人全員が遊んでいるのかと思っていたのに
ふと、長男を見ると、
少し離れたところから、大人たちの円陣を見つめ、
大人たちの会話をじっと、聞いていた。
一番上は8歳で、コーランもしっかり勉強している、賢い子だ。
大人の会話の何かしらを、理解している、もしくは、感じている。

恥ずかしがり屋のまん中の子がやっと、
ハビーブを踊らせてみるところまで慣れてきたところで
大人たちの会話に戻る。

やっとお父さんの表情も、いくらか柔んでいた。
でも、ずっとずっと、お金の話をしていた。
病院にかかる費用がいくら値上がりしたのか、
薬をどこでいくらで買ったのか、
他の地域の家賃はいくらが相場なのか、
病院までのタクシー代はいくらかかるのか、
幼稚園の月謝はいくらなのか。

本当にずっと、お金の話をしていた。
前回来た時には、ない話題だった。
もっとも前回は、子どもたちに会いにきたので、
そういう会話をするきっかけがなかっただけなのだけれど、
イード中に往ったお宅もそうだった。
お金の話ばかりだった。

どの家庭もお金がなくて、困っていた。
だから、この家も、シリアに帰る、と云いだしている。

意地悪だけれど、こころのどこかで、
ヨルダン人みたいだ、と思った。
彼らも常に、お金の話ばかりしているから。

そうやって、移り住んだ国の国民性に、
難民も移民も、似てくるのだろうか。


教育支援をしている、という話をすると
教育事情の話になる。
以前は幼稚園に往く学費を支援金で支払えていたけれど
支援金がなくなって、一番下の子を幼稚園に通わせることができない。
小学校の方はまずまずだけど、
学校のスペースがなくて、
上の兄弟はそれぞれ、シングルシフトとダブルシフトの
違う学校に往っている。

それでもまだ、交通費がいらない距離に住んでいるだけ、ましだ、と
また、心の中でどこか、安堵する。

結局のところ、話をまとめると、
子どもの教育が十分にしてやれないこと、
お父さんの体力や体調に合った就労の機会がないこと、
支援団体が急になくなってしまったこと、
これらの理由で、ヨルダンでの暮らしの限界を
感じ始めているようだった。

だからといって、シリアにもどってアテがきちんとあるわけではない。
出身地のホムスにはもう、親族は住んでいない。
アレッポの田舎に居るという。
連絡は取れているけれど、
そちらの生活だって、かなり厳しい。

シリアに戻ったら学校に子どもたちは往けるの?
そう尋ねると、
学校がどうなってるかは、わからないよ、
という返事が返ってくる。
帰っても軍で働かされるかもしれないし、
その時に家族への扶助はないだろう、と云う。

じゃあ、帰ったって、今よりよくなるか分からないじゃない。
そう云いたいけれど、
そう口にして、止める権利はない。
ただ、何もかもが不透明で、
何もかもに明確な希望が持てないのは、
ヨルダンに居てもシリアに居ても、
彼らにとって、変わらない。

支援をお願いされる。
日本人がひとり2ドルずつお金を寄付してくれれば
それでしばらく、きっと生活ができる。
そういうプロジェクトをしてくれないか?

この瞬間が一番つらい。
だから、家庭訪問には明確な理由が欲しい。
そうでないと、お金をくれる人がやってきた、と
彼らは勘違いするからだ。

そのお願いを、断る。
お金の支援は、私はできない。
その他にできることがあれば、どんなことでもする、と。

結局、お金がすべてだからね。
そう、云われる。
この家族も通訳もいい人たちだから、あからさまに呆れたりはしない。
でも、きっと、この人間はアテにならない、と
判断されただろう。

体調に無理のない仕事が、家の近くで見つかるのが、最善の道だ。
だけれど、この地域に全く明るくない私には
それを探す伝手はない。



帰りに玄関の近くにある、
植物の説明をしてくれる。
お腹が痛くなった時に飲むと効く、レモンの香りのする葉っぱ。
実のなる木。
子どもたちが、屋上からジャスミンの花を摘んで
手に乗せてくれる。
ヤスミーン・シャーミーエ(ダマスカス・ジャスミン)だ。
今の季節には、どこの庭先でも
蔓を伸ばして、小さな花が、甘い香りをいっぱいに漂わせている。



どれぐらい真剣に、彼らはシリアに帰ることを考えていると思う?
そう、帰りのタクシーを待つ間に、通訳の女性に訊いてみる。
そんなの、分からないわ。
いつ、戻るか、戻れるのか、誰にも分からない。

私の質問は、そういう意図ではなかった。
おそらく、それは彼女の返答だ。
そして、それは同時に、多くの私の知らないシリア人の、
正直で切実な、返答だろう。

2018/06/04

道徳心とわたしたちを取り囲む、システム、のようなもの



以前一回読んだきりだった、この本の曖昧だった記憶の一つは、
いいにおいだった女性が、
刑務所に居るある時点から
ぶくぶくと太ってしまって、
何年ぶりかに会った女性からは
老人のにおいがした、という下り。

それから、ナチスに加担した罪に問われた
主人公の過去に愛した女性が、法廷で
「では、どうすればよかったんですか?」と
裁判官に訊くシーン。

どちらかというと愚直な女性がした問いかけは
どこもかしこも不利なばかりの裁判の中で
彼女が口した、混乱の果ての、心の底からの疑問だった。

ストーリーは、なんだかんだ云って、どこか究極的に情緒的で
それがこの本の売れた理由の一つなのだと思うのだけれど、
私の記憶の中の本の印象は
果てしない無力感の、重く灰色をした塊のようなものだった。

ナチスの作り上げたというシステムの中にいた女性は
彼女にとっては不条理な判決の中で
自分なりのプライドを守りたいばかりに、
逆らう気力を失い、その後も何かに、諦めるしかなかった。
最後のあがきは、自死することで、
それは、おそらく彼女なりに、
塊を払拭する方法だった。


もう一度久々に読んでみて、気がついたことは、
その灰色をした塊が
そこかしこに、実は、存在している、ということだった。
昔よりも社会というものを、
私もその一員として、ある程度
把握できるようになったからなのかもしれない。

与えられた仕事や与えられた立場に忠実であろうとした人が、
道徳心を封じ込める、もしくは失う場面は
どこの社会にも、ある。
ごくごく、人間として当たり前の、
最低限の倫理でさえ、
時として、失う状況がある。
ある程度まともな人ならば、その後、
ひどい後悔の中を生きることになる。

歳を取ってきて同時に、見えてくるものもある。

そういう人たちに、道徳観を問いただすのは、
実は当たり前のようで、酷なことだったりする。
あまりにもたくさんの背景と文脈があって、
誰ひとり、責められている当事者の、その詳細を
追いきれないことの方が、多いからだ。

なんでこんなことを考えているか、と云ったら
日本に居る時に気になっていたことと、このことに、
私の中で、随分ぼんやりとだけれど
接点ができたからだ。
とてもぼんやりだけれど。

日本に戻っている時、こちらの子どもたちの話をしながら
でも、云いながらふと、
相手の心がしゅぅっと、音を立てて閉じていく瞬間を
幾度か、感じた。
それは、ある意味、子どもたちの存在が遠すぎて
当たり前の話なのだけれど、
一体どこに、閉じさせるポイントがあるのだろうか、と
ごく客観的に、疑問に、思った。

人の良心は搾取してはいけない、というのが
私の中でずっと、守るべきものの一つとしてある。
だから、ではないけれど、けっして相手を責めているわけではない。
ただ、シンプルに、そこに何があるのかが、
気になっていた。

この本をあらためて読んでなるほど、そこには、
その人の生きる社会や会社や組織のシステムがあるのではないかと、思う
もちろん、そんな漠然とした何かだけでは分かり得ない
それぞれの、心折れる、もしくは心を閉ざす
ポイントがあるのだとは思うのだけれど。

ただ、心の中で言い訳したり、
すっと、心がなくなる時には、
組織や、社会の中にいなくてはならない、という強迫観念みたいなものが、
確実に引き金の一つになっている。

もし、システムがきっちりと緻密に作られていれば作られているほど、
良心や道徳観が失われていくのであれば、
それは空恐ろしいものだ。
でも、そんなことも見せないほど緻密に作られたシェルターのようなものに
そこはかとない安心感を覚えるのは、
私も含め、普通の善良とも言える普通の、人たちだ。

一体、どうしたらもっと
バランスよくなるんだろうか、などと
壮大なテーマに、ひとり勝手に、呆然とする。


教員だった時の一番最後の挨拶で、
想像力の種、という話をした。
ただの本好きなので、
たくさん本を読んで、たくさんいろんなことを想像できる人になったら
おそらく、自分の中の何かが豊かに、なるだろう、
というような話だ。

それは、自分への戒めでもあるし、
想像力は、お金持ちになるためのツールには、時にならないかもしれないけれど
まともに生きるには、それなりに
助けになるものだ。
それから、想像力は共感力につながる。

残念ながら、今働いている業界では、
この共感力というのがありすぎると
仕事に支障を来すので、
ほどほどがいい、なんて、いわれているらしい。
全く、じゃあ何をモチベーションに仕事をすればいいんだろう、と
私は途方に暮れる。

でも、仕事でもありとあらゆる妥協をしている私は
役所というがちがちのシステムの中でただただ、
自分の仕事を全うすることしかない、
一ミリも融通の利かない目の前の役人が、
子どもからかかってきた電話で
楽しそうに話したりしていると、
その人の日常が見えてきて、
仕方がないか、と思ったりする。

確かに、これでは仕事の能力が低いわけだ、と
自分で妙に、納得してしまった。
システムから、こぼれ落ちる準備は、できているようだ。

やはり、バランスが必要なようだ。
そこを私はまだ、さっぱり会得していない。


2018/06/01

彼らの暮らしと、話の、断片 5月4週目


ラマダンに入ると、急に暑くなって
5月だなんて信じられないような、日が続いていた。
キャンプで吹く風は、キャンプの敷地近くを通過する羊たちの匂いが混じって
時に、あまり心地よく、ない。
湿気を含んだ風が、砂と混じって顔をちりちりといたぶる。


基本的に、キャンプでは家庭訪問をしていない。
単純に、プログラムの中に家庭訪問は含まれていないからで、
雇用する側としては、契約外のことはお願いしづらい。

ただ、どうにも気になる子どもが居た。
学校に来なくなってからまだ時間が経っていない。
今往かなければ、おそらくもうこの先、
学校で彼の姿を見ることはないだろう。
同じようにそのことを気にかけていた同僚と伴に、
とぼとぼと歩いて、その家を訪問する。

午前は女子、午後は男子シフトだから、
本来はまだ、その子が学校に来ているのならば、
学校に居る時間だった。
でも、ラマダンと期末テストが重なって
下校が早まっている。
どの子どもたちも、うだるような暑さの屋外を避けて、
家に戻って、次の日のテストの勉強でも、
しているはずの時間だった。



ザアタリキャンプ D8




案内をしてくれた近所の男の子は、
トタンと布で囲われた入り口で、その子の名前を呼ぶ。
しばらく誰もでてこなかった。
初めに出てきたのは弟とおぼしき男の子、
呆れるぐらい、兄とそっくりだった
次に父親、そして、母親、姉が順々に
入り口から顔を出す。

3つのプレハブをつなげてできた家の前には
トタンでできた鶏と鳩の小さな箱があった。
プレハブとプレハブの間には、セメントが敷かれていて
その上をトタンで覆えば、そこも立派な住居になる。

奥のプレハブは居間になっていた。
そこは、居間であり、寝室であり、客間でもある。
自由シリア軍の細長い旗が入るとすぐ、目につく。
大柄の花の模様の、薄いオーガンジィまがいの布の貼られた壁には
コーランの格言の書かれたプレートが飾られていた。

アラビーマットが部屋の脇に4つ敷かれていて
細長の部屋に、私と同僚、そして父親と母親が
対面する形で座る。
部屋の脇には戸棚とおぼしきものがあって、
そこの中には雑然と服が詰め込まれていた。

扇風機をつける。
電気がないはずなので、ジェネレーターを使っていたら申しわけないと断ると、
ソーラーパネルがあるから大丈夫だ、と、云う。


その子どもに起きた問題については既に、
親と過去に電話で話をしていた。
学校へ往くよう、親からその子へ話はあったはずで
でも、彼の姿をみていないことについて、
親と話し合いことになっていた。

その子どもが学校に来なくなった前日、
キャンプ内の工事用に入っている重機を
運転手の休憩中、勝手に運転しようとした。
それも一大事だったが、一番問題になったのは、
その重機の鍵が見つからないことだった。
鍵を持っていったのか、どこかへ放ってしまったのか、
どこにも見あたらない。
警察署に呼ばれて、さんざん問いただされた。
相当叩かれたり脅されたりしたようだった。
でも、鍵のありかは分からないままだ。



アラブ人の年齢は、分かりづらい。
ただ、40は確実に越えているだろう両親は
どちらかというと淡々と、こちらの話を聞き、
やはり、どちらかというと淡々と、
こちらの質問に答えていた。
一度として声を荒げることもなかったが、
一度として真剣に語ることも、なかった。

学校に往ってるかと思ったよ、
だって、10時には家を出て往くからね。
学校はどうだった?って訊いても
適当に返事をするだけだし。
今も買い物に出してから1時間半も経ってるから
一体どこでなにしてるんだかね。

兄弟は10人、その誰も、読み書きは十分にできない。

最初に見たそっくりの弟が部屋に入ってくる。
マットの上に置いてあった同僚の携帯電話に、手を出そうとする。
これはダメだ、と父親に云われても、耳を貸そうとしない。
同僚は、親の前でも教員のように、
子どもにきちんと、ダメな理由を話す。
よく理解しているのかどうか、でも
6歳になる弟の動きからは分からなかった。

面倒なのか仕方なくなのか、父親が自分の携帯を渡す。
客が来ていてもおかまいなく、
父親に携帯の操作を訊こうとしたり、
膝の上に乗ろうとする。
相手にされないことが分かっていても、執拗で、
止めようとしなかった。

母親はその様子をただ、少し笑みを浮かべてみていた。

キャンプでの父親の仕事の話をしていた。
水の配給車のアシスタントをしていたが、
それも予算カットでなくなった。

近所の人はみんな、うちのあの子のことを知ってるよ。
どこへ往っても悪いことしかしないからね。
今回のことだって、みんな知ってる。
今に始まった話じゃないさ。
道ばたの雑貨屋で、店のおじさんと座っていたりさ。
もの売ってるわけじゃないのに。

父親は、近所の子どもの話でもするように、
自分の子どもについて、話し続ける。

大人の会話をまた、弟は邪魔をしようとしていたので、
その日の朝、キャンプのゲートで知り合いの男の子からもらった
おもちゃをあげる。
ベトナムで私も遊んだおもちゃ。
プラスティックの小さなパーツをゴムに引っかけて空に飛ばすと
くるくる回転して、落ちてくるやつだ。

左手でこのパーツを持って、ここにゴムをひっかけて、ひっぱるの。
そう、こっちの手を離して、と
説明をする。
大人たちの話からやっと離れた弟は、
自分を構ってくれる、よく知りもしないアジア人でも、
とりあえずは満足したようだった。
小さな指で、必死にパーツをひっぱる。
うまく往かなくて、思い通りの方向に飛ばない。
それでも、何度か試してから、
おもちゃを持ったまま、部屋を出て往った。
と思ったら、ものすごい泣き声がした。

両親は二人とも、微動だにしない。声も、かけない。
泣き声はしばらく続き、
涙と鼻水でぐしょぐしょになった弟がまた、
部屋の中に戻ってきた。

ありとあらゆる水分を小さな手の甲で拭いながら
また、携帯電話をいじりはじめる。
あのおもちゃはどこへ往ったのだろう。
ゲームの画面には、色とりどりの球体が舞う。
その画面になる度に、嬉しそうに、私にも見せてくる。

配給の水には消毒の薬品が入っているから
おいしくないんだ。
タンクはゴミが入ったりするからね。

そこへ、待っていた子どもが、帰ってきた。
買い物に往ったはずなのに、手には何も持っていない。
でも、両親はそこには触れず、
ほら、来てくれたんだからそこに座りなさい、と云う。
子どもの顔は、見たことがないほど緊張していた。
ほぼ、無表情に近い。
じっと父親の顔を見たまま、しばらくは座りもしなかった。

やっと座った子どもに、同僚が話しかける。

文字が読めないのでは、バスに乗るのにも
どこへ行くバスなのか、わからないでしょ。
道ばたで桃を売るにも、金勘定ができなくては、
だまされてしまうでしょ。

子どもの表情は固まったままだった。
そして、おもむろに立ち上がると、
どこかへ往ってしまった。
出て往く彼に、両親は一言も何も、云わなかった。

母親はどちらかというと、薄く笑みを浮かべながら
終始話を聞いているだけだった。

何か云いたいことは他にある?と、訊かれる。

あの子は、ものをよく見たら、
それがすぐによく理解できる。
たぶん、とても賢い子だ、と
それだけ、云っておいた。


家を出る時には、既に子どもは家から居なくなっていた。


あの弟、あまりにも似ていておかしいね、
顔だけじゃなくて、動きもそっくりだった。
そんなどうでもいいことを話しながら
帰りの道のり、同僚と私は、おそらく
同じような、釈然としないこころもちになっていたのだと思う。


確実に、生気の抜け切った両親のもとで、
たくさんの兄弟とともに、
いくらかの関心ももたれないまま
彼は毎日を過ごしていた。

仕事がなくてずっと家に居る父親に
あんなにあからさまな恐怖心を抱いている。
動物的な、肉体的な、恐怖心。


そんな恐怖心と闘う家に居るよりは、
どこか外をふらふらと歩いている方が
彼にとってはきっと、こころ落ち着くのだろう。


シンプルに、愛情が足りないな、と思った。
でもたぶん、それは、決定的で、致命的なことだ。


2018/05/19

心の中の、小さな隙間と狂気





あんなに日本に長く居たのに、
あまり本を吟味する時間がなかった。

絶対買うと帰国前から心に決めたものを買ってしまったら、
購入欲が一度、消え失せる。
そして、帰国が近くづくと、まだこれでは足りないと、焦り始める。
それなのに、トランクは服やら出汁やら書類やらお土産やらでいっぱいになり、
これ以上本は買えない、というお決まりの状況に陥る。

戻る前日、代々木八幡での仕事と仕事の間、
小さな本屋で15分ぐらい時間を潰す。
随分偏りのある本ばかりだけれど、どれも面白そうで、
満杯のトランクを思い出しながら、一つだけ、レジへ持っていったのが、
Miranda Julyの短編集だった。


彼女の短編は、他の外国人作家との寄せ集めの中で初めて知った。
プールもろくな水場もないアメリカの片田舎で
洗面器と部屋の床を使って老人たちに水泳を教える
若い女の子の話。

水のない土地に居るからか、
茶色い砂埃の風景を見る度に、
老人たちが足をバタバタさせながら、床を這いずり回る描写を思い出した。
つまり、随分と気に入った。

読み口は軽いけれど、
情景描写と心象描写がみごとで、
細かな心のひだの、ちょうどここ、というところを
見事に書き表している。
短編映画でも見ているようだ、と思ったら、
実際に映画を制作しているらしい。
映画も見てみたい。

購入した本の話の一つ一つは、
どうにも不道徳だったり、破廉恥だったり、
頭がオカシイとしか思えないような、
どこかに破綻のある人たち、か、
どこにも破綻など絶対にあるべきではない、と
思い続けて結局、日常の小さな隙に、
嵌ってしまう人たちばかりだ


狂気の沙汰は、
満足している人間の中には、生まれ出ることもない。

ぽっかりと空いた隙間には、
埋めなくてはとてつもなく不安になるような、
寂しさがあって、
そこを何かしらで埋めなくては、となったとき、
狂気は心優しい友となったり、するのだろう。

そして、だいたいの場合、
他人を傷つける狂気も、傷つけない程度の小さな狂気も
自分自身を傷つける狂気も
人に、何かを強く欲する時に始まる。

強く欲するなにかは、狂気をしても、だいたいは叶うことがなくて、
ふと、その現実に気がついたとき、
とてつもなく、哀しい。
そして、自分のおかしさを、
あわれなほどにまざまざと見せつけられる。

短編を通して、そんな人たちの姿を
どうしようもないけれど、どこか愛おしいと思えるのは、
大なり小なり、叶わない切ない思いをして、
あわれな自分の姿を、見せつけられたことがあるからだ。

まさに、おおよその場合、何も叶えられない自分は、
どうしようもない人たちだ、と思いながら、
不覚にも、心の隙間が埋まっていくのを、感じる。






2018/04/24

銭湯恋歌


日本のお水でお風呂に入った瞬間が一番
日本に帰ってきた、と感じる。

アルカリの強いきしきしとした感触と全然違っていて、
温かな水にひとたび触れると
肌も髪も、すべらかになる。
柔らかい薄い膜に覆われている感触。
風呂上がりの乾燥具合も全く、違う。
急激に乾燥してぱりぱりするのに慣れているから、
日本の湿気は、どこまでも、優しい。

銭湯に行くのが、滞在中の一番の楽しみだ。


美術系なので、女性の裸はもういい、と思うほど見せられている。

以前は服を着ていても、
この人は意外と腰が張っている、とか肋骨に肉がついている、とか
透視術でも持っているかのように、見透かすことができた。

こういう能力も、時間が経つにつれて衰えてきて、、
モデルにおばあさんが来ることはなかったので、
あらたな境地を、事前に勉強することになる。

銭湯とは、年を取るとこういう体形になるのか、と
学ぶ場である。
若い人が入ってきた時などは、
当然自分の老いもまた、認識することになるのだけれど。



下町の銭湯は、だいたいがおばあさんばかりで
あそこのトマトが安いだの、
かけたパーマのボリュームがいいだの悪いだの、
角の家の息子さんがどうの、だの、
あら、奥さんその髪の感じなんていいじゃない、だの、
ほてった身体を扇風機で冷やしながら、
風呂上がりにドライアーをかけながら、
誉めあったりしている。

小さな男の子を連れた若いお母さんが
隣のシャワーに座ったおばさんと
子どもの話をしている。

風呂のお湯が熱いのに、何度も入ろうと足の先をつけては引っ込める。
そんな男の子の様子を
見知らぬ人たちが母娘のように眺めていた。


はたと、これはよく慣れ親しんだ何かだ、と思いつく。

銭湯が好きで落ち着くのには
アラブ圏に慣れているからなのだろう。
女性ばかりの場所の方が、居やすくなってしまったようだ。


銭湯という場は、裸のつきあい、
さまざまなコミュニティの中で、
他人同士の距離を最も近くできる場所なのかもしれない。

そうなってくると、人の距離が異常に近いあちらに
いよいよ似ているような気になってくる。
他人同士が織りなす会話は、
よく知っているあちらの学校の職員室の会話や
美容院の会話と、同じだということに、気づく。





2018/03/23

木の芽どき



梨木香歩のエッセーの中に
木の芽時、という言葉にまつわる話がある。

植物の様子だけで見ればすっかり、芽吹き時など過ぎさり
その言葉の持つ、目に見えない秘めた力はすっかり放出されて、
ただただ、きらきらと華やかな時季。
春真っ盛りの日和を謳歌するべく、
ベランダで読書でもしようと思い
久々に思い出してその章を読んでいた。


春には灰汁の強い植物が多いけれど、
植物の灰汁抜きと同じように
この時季は心身の灰汁を抜くタイミングだと思うと、
それも悪くないと思える、というところから始まる話。

木の芽時、もしくは芽吹き時は
心身のバランスを欠きやすい、ということを、
その話を読むまで知らなかった。
私にとってこの言葉は未だに、単純にその文字通り、
春先を指し、その根本的に明るい。

細い枝先にほころぶ柔らかな緑を想像してしまう私は
でも、ふとあることに、合点が往った。

ずっと、自分の喉の状態を
膨らんでいく木の芽のようだな、春だからかな、
などと無駄に風流に、思っていたからだった。



喉が腫れて、声が出なくなった。
話せないことはないが、
話せば話すほど声は枯れていく。

大事な会議で、何を話しているのか聞き取れないといわれ
タクシーに乗っても行き先が通じず

子どもたちには「ぼくのおじいちゃんみたいだね」と真顔でいわれ
電話をしていたら見知らぬ若者に、真似される。

物理的に話すと喉が痛いので
できるだけ声を出さないでじっとしている。
タクシーの運転手に行き先の文句を云われても
おじいちゃんでは性別さえも違うじゃないか、と思っても
言い返すには声が通らなすぎるので、
真顔で見返すのみ。

なるほど、こういう対処法もあったのか、と
あらたな処世術を身につけつつある。

話さないと、言葉が身体に溜まっていく。

それは、時に不健全だけれども
溜まった言葉を反芻して
大概は口にしなくてもいいことだったりして
随分無駄なことばかり話しているものだ、と
自分に呆れる。

余計なことばかり話しているから
いい加減、もう少し慎めと、
戒められているのかもしれない。
これならば、いくらかは思慮深くなれるかもしれない。


おしゃべり好きのアラブ人は
私があまり話さないと
どこか不安な表情を浮かべる。
怒っているのではないかと、不安になるのだ。
喉が痛いからだと、仕事場のみな分かっているのに
どことなく、不穏な空気が流れる。

どちらかと云ったら、相手の機嫌を取っていることの方が多いので
時にご機嫌伺いされるのも、悪くない。


この原因はなんだろうか、と
薬も効かないので途方に暮れていたのだが、
先日、会話の中でふと、
予想される原因に、往き着いた。


春も盛りになってくると、
オリーブやらアーモンドやらの花粉が飛ぶ。

日本では花粉症なので、
こちらでもいつかはやってくるだろう、と
実は、毎年ひやひやしていた。
今年も大丈夫みたいだ、と思った頃
ついに、思わぬ形で花粉症の症状が出た、のかもしれない。

身体が物理的に芽吹き時、ということになる。

幸い、おかしくなってしまったのは喉だけで、
気の方はまだ、確かなはずだと、信じたい。



2018/02/24

桜前線の地図


いつの間にか、アンマン城がみどりに覆われて
日本ならば、桜の咲く時期のような
薄墨が夕方の空に漂う、
空気にほんの少しの湿気が残る日暮れがやってくる。
ベランダから、デッサンでもしたくなるような
質量の十分なまるい雲がいくつも、浮かぶ。



アルバムはノリがよすぎて買わなかったLaura Mvulaの
しっとりとした音源を見つける。
春の始めに、よく似合う。



先日ついに、パスポートを書き換えなくてはならなくなって、
大使館の待合室でぼんやりと、NHK worldを見ていたら
桜前線の日本地図が出てきた。
桜前線の地図なんて、何年ぶりに見たのだろう。




桜の季節になると思い出す話が、この本の中にあった。

市ヶ谷の桜並木を、数十年ぶりに再会した
昔のルームメートと歩くシーンが話の最後に、ある。

カティア・ミュラーという女性の人生についての短編だ。
中学校教師だった彼女が、40に手の届く歳になって
自分の人生を考え直すために、フランスへやってくる。
その後、彼女はミッション系のグループに入り
フィリピンで奉仕活動をしつづける。

ヨーロッパに縁のない私は
フランスとイタリアの他は、往ったことがない。
でも、ヨーロッパと云う国々の何たるかを、
私はただひたすら、彼女の本から学んだ。

どちらかというと、イタリアでの生活に関する話よりも、
フランス、イタリアに住み、その後もイタリア文学と
イタリアにおける日本文学の普及に携わった須賀敦子の
人や文化への見方や描き方に憧れていた。
その根底にはやはり、人に対しても、文化に対しても、
信仰し、ずっとそのあり方を思索し続けたキリスト教に対しても、
また、当然文学に対しても、深い造詣があり、
それらが、彼女の文章に奥行きを造り出す。

国は違えど、私ももう、長くこの国にいる。
言語にも文化にも、いくらも慣れないまま
徒に時間が過ぎていくのを、仕事のせいにしている。

だから、ここ最近は、この本を手に取るのが、どこか怖かった。

まだ日本に居るころには、本当にいつも、彼女の本を持ち歩いていた。
あの頃、もっと世界の広がりを体感できる精神を持っている、と
なぜあんなに自分を過信していたのだろう。



桜にまつわる話はたくさんあるけれど
つい最近の訃報で、また、思い出したものがあった。

なぁ、かかしゃん、しゃくらのはなのいつくしさよ

この一片だけを、何度も口にしていた時期があった。
だからなのか、大使館からの帰りのタクシーの中で、
知らぬ間に口に出して、云っていた。

合っているのかどうかも分からない。
それは読んだのではなく、耳にしたはずだった。
美術の先生の性急ででも、朴訥とした音読。
その人もまた熊本の出身だったから、
授業の中で、取り上げられていた。

水俣病で麻痺した身体のまま
はらはら舞い散る桜の木がある庭に面した縁側に座って、
少女が口にした言葉だったような、気がする。
もう、その少女の目は見えなくなっていたのに
記憶の中の桜を思い描いて、そう口にする。

病に冒された人々の様子を、
時として美しいほどに丁寧に記録した
作品の中にあったはずだ。


次に日本に帰ったら、苦海浄土をもう一度、手に入れたい。
おそらく、石牟礼道子の視点には
須賀敦子に通じるものがあって、
それは、たぶん今、必要なものだ。

きっと、今年は桜を見ることができるだろう。
その代わりに、ブラックアイリスは、見られない。
お祭り騒ぎのようなヨルダンの春も好きだ。
ただ、そろそろ久しぶりにひとときでも、
桜を愛でてもいい頃合いなのかもしれない。