2019/04/27

彼らの暮らしと、話の断片 4月4週目


4月に入って、今季最後の寒気が、過ぎて往った。
今年一番の寒さと、同じぐらいの気温だった。

そして、また暑くなる。

ラマダンの前に、済ませておかなくてはいけない
諸々の中には、
仕事とは関係のない、シリア人の知り合いに会いに往く、
という要件も、入っていた。

二件のうちの一人に、アポを取ろうと、連絡をする。

Whatsappはしばらく既読にならない。
そして、来た返信には、シリアに戻った、と、
書かれていた。

14回目の手術を受けてから、まだ3週間ほどしか経っていないのに、
どうしていきなり、帰ってしまったのか、
どうやってあの状態で、生活をするのか、
そもそも、働けないのに、どうやって生計を立てていくのだろうか、
様々な心配が、頭をよぎる。

でも、何よりも、後悔の渦が心を覆う。
キャンプの帰りにいつも、彼の居た病院の近くは通っていたのに、
今日は疲れているし、まだ仕事があるから、と
繰り返し保留し続けた結果、会えなくなってしまった。

誰がいつ帰るか、分からない。

もう一件に、慌てて連絡をする。
1年前には、生活が苦しいから、もう帰りたい、と
いっていたことを、記憶していた。








一件目:ジャバル・ナセル

いつも、お菓子を買って伺っていたけれど、
今回は、羊肉を買っていくことに、決める。
実は、羊肉を調理することは、ほとんどない。
だから、どこの部位が、どの料理に合うのか、
よく分からなかった。

スーパーには、金曜日の朝なのに、
たくさんの肉が並んでいる。
忙しなく注文を受ける店員に、どこの部位がいいか、相談する。
立派な、脚の付け根を、指さされる。


一気に暑くなって、身体が焼けるようだからか、
手持ちの袋の中に入った、肉の塊の冷たさが、
袋と服をすり抜けて、伝わってくる。

タクシーに乗る間、肉が痛まないか、心配になる。
高台を一気に登るタクシーの黒いシートは、
真夏のように暑くなっていた。


アパートの玄関は開いていた。
床中に、灰色の布が、広がる。
挨拶をすると、細長い布の両側から、
夫婦が挨拶を、返してくる。

何をしているのかと思ったら、
屋上に取り付ける、日よけの布に、
鉄線を通しているところだった。


ここの屋上の思い出は、明るい。

一昨年来た時には、子どもたちがビニールプールで、
水遊びをしていた。
水鉄砲をかけられ、一緒に泳ごう、と誘われる。
まだ小さい、3人の息子たちは、
呆れるぐらい、いつまでも、遊んでいた。


屋上のここに、布を吊るすんだよ、と
お父さんは、屋上に連れて往ってくれる。
でも、屋上には、プールが、ない。

生活に困っている話ばかりを聞いてきたから、
あの立派なプールも、売ってしまったのだろうか、と
不安になる。

前は、プールがありましたよね、と言うと、
あぁ、あれはまた、ラマダンが明けたら、出すよ、と
お父さんは答える。

プールがあると、遊んじゃって勉強しないし、
ラマダン中は、厳かに暮らさなくてはいけないから、
今は仕舞ってあるんだ。

そうですね、期末テストも近いし、と相槌を打つ
こちらの顔もつい、ほころぶ。


部屋に戻ると、お母さんが、
何か変わったところはない?と尋ねてくる。

よくよく見てみると、家のソファの貼り布が
新しくなっていた。

夫婦の寝室の中には、いつの間にやら買ったのだろう、
立派な工業用のミシンがあった。
お母さんは、せっせとソファの布を縫い、
屋上の日よけを縫い、
余った布で、カーテンを縫う。

夫婦そろって休みの日に、
子どもたちのために、日よけの布を、仕立てている。
袋状になった、鉄線を通す部分の最後が狭くて、
うまく、通らない。
二人で、ああだこうだ、と鉄線を戻してみたり、
布の出口を広げてみたり、する。
なんだかとても、楽しそうだ。



鉄線を入れおえる頃には、お祈りの時間が終わって、
子どもたちがはしゃぎながら、
階段を登ってくる、声と足音が、聞こえる。

3ヶ月ぶりに会う子どもたちは、相変わらずだったけれど、
長男はまた一回り、大きくなっているようだった。
相変わらず、色白で華奢な真ん中の子、
そして、黒目がきらきらしている、お調子者の、末っ子。

お客が来たから、と、ソファに座らせる子どもたちも、
一通り学校の話や、勉強の話を訊きおえる頃には、
部屋のあちらこちらで、遊びを始めていた。

壊れた飛行機のおもちゃの、プロペラパーツだけを
解体してクルクル回し続けてみたり、
人形を出してきて、遊んでみたり。

お正月にこちらの家を伺った時、
ご一緒したマリオネット作家さんに、即興で作っていただいた
クマのぬいぐるみのマリオネットも、健在だった。

その時は一つだけ、ぬいぐるみをマリオネットにしていただいたのだけれど、
その後お父さんは、自分でもう二つのクマのぬいぐるみも、
糸をつけ、コントローラーを棒で組み立て、
マリオネットにしていた。

子どもたちが、マリオネットで遊んでいる。
クマのマリオネットのお名前を尋ねたのに、
自分の名前を答えてしまう、末っ子と、
シロクマにきちんと、ホッキョクグマです、
と答える、賢い次男。

あなたたちの名前は?と、
マリオネットを操る子どもの名前を、質問してみる。
ぼくは、ちっさいクマ。
ぼくは、中くらいのクマ。
ぼくは、大きなクマ。

兄弟が喧嘩にならないように、
一人一人遊べるように、
お父さんは自分で、二つのマリオネットも作ったのだ、
ということを初めて、知る。

前回伺った時に、持っていき忘れていた人形も、あげる。
女の子の人形なんて、合わないわよね、と、
言いつつ袋から取り出すと、
部屋の奥から、別のバービー人形が出てくる。

立派なお祈り用の、
手作りのヒジャーブと簡易のスカートが
バービー人形用に作られていて、
お母さんは、せっせと、服を着せていた。



屋上の日よけ用の布貼りを、する。

思ったよりも長かった布は、
どれだけ引っ張っても、うまく張れない。
屋上の小さな物置と、鉄でできた立派な屋根付きソファに、
鉄線の両側を結びつける算段だったようだ。

ちょうど一番、日の高く昇った屋上は、暑くて、
お母さんとお父さんは、うっすら汗を顔に浮かべながら、
一生懸命、鉄線を引っ張る。

その脇で、子どもたちは早速、
できた日陰の中に入って、ゴロゴロしていた。
落ちていた黒いビニールテープを見つけて、
ヒゲに見立ててみたり、
小さなおもちゃのウードを、かき乱してみたり、
水の入っていない水鉄砲で、
水の出る構造を教えてくれようとしたり、
おもいおもいに、日陰を楽しんでいた。




これは、別に鉄線を結ぶ場所が必要だ、という結論に至ると、
みんな揃って、部屋に戻る。


ずっと家の台所からは、フール(そら豆)を煮る匂いが、していた。

大きな鍋いっぱいに茹だったフール、
レモン、塩、カルダモンの乗ったお皿、
そして、フール用のお皿と、コップが出される。

フールそのものだけではなく、
フールを煮たお汁も飲むのだ、ということも、
初めて、知った。
スープにはすでに、塩とカルダモンが入っていて、
たっぷりレモンをかけていただくと、
酸味と、豆の味が、よく似合う。

アラバーイ、とこちらの人たちが云う、
移動式の露店で売られている、フールの映像を
お父さんは見せてくれる。
ダマスカスの、その映像の中では、
ビニール袋でも、紙コップでもなく、
きちんとお皿に守られたフールが、売られていた。


黙々と、大きな銀色のお盆を囲み、
フールを食べ、スープを飲む。
次男は、茹でが甘くて硬い豆を見つける度に、
横に座っているお母さんのお皿に、入れる。

仕方ないわね、と、お母さんは、
入れられた豆も、美味しくいただいていた。

朝食を取っているから、全部は食べられないの、と云うと、
あら、私たちも朝はきちんと食べたわよ、と
お母さんは笑う。

食べ終えた子どもたちは、また遊びに戻る。

お暇を伝える前に、以前した約束は覚えていることを、
話しておきたかった。
前回、伺った時、もともと、
家具や家の内装をする仕事をしていたお父さんは、
様々な道具の話をしていた。

私がもう、使う予定もない、
彫刻の鑿を、今度日本に戻ったら持ってくるから、と伝える。

もらえるだけもらって、使ってくれない家庭もある。

けれど、この夫婦は
生活を少しでも彩よく、楽しくするための知恵を、
必ず、持っている。

もちろん、お父さんの仕事に使えたのならば、
それは素晴らしいけれど、
そうではなくても、
子どもたちのために、そして自分たちの暮らしのために
身の回りのものを、きれいにして、
幾らかでも気持ちを、豊かにできるのであれば、
こちらとしても、本望だ。


いつも通り、建物の入り口まで見送りに来てくれた
お父さんと子どもたちは、
スリッパでパタパタと降る足取りも軽やかで、
明るさが、響いていた。



木彫で、鑿は命のようなものだと、教えられていた。
一体、あんなに大切に使っていたものを、
実家のどこに、仕舞ってあるのだろう、と
タクシーの中で、頭を抱える。

絶対どこかにあるはずなのだけれど、
それがどこなのか、さっぱり、分からない。






2019/04/09

結局のところ、桜が、恋しい

新元号に沸き立つ日本を尻目に、
なんで日本は4月始まりなんだろう、なんて、 天邪鬼なことを思うのは、実は、 日本の4月の清々しさが、苦手だったりするからだ。

4月始まりは、日本とパナマ、 インドネシアやペルーぐらいだ、と ネットで確認してみたり、する。

みんな一斉に、 何かを新しくしなきゃいけない、 心を入れ替えなきゃいけない、という 暗黙の空気が、怖かったりした。

大学生の頃、毎年キャンパス一面に広がる桜並木こそ、 心いっぱい愛でたけれど、 あとはいそいそと、連れてこられる捨て子猫や
捨て子犬を育てるのに、明け暮れていた。
桜を愛でるだけで、精一杯だったし、 春は、お別れをしなくてはならない人たちもいるのに、 知らない人が一緒の教室に来たり、 新しい目標を考えたりしなくてはならないのも、 とろいので、うまくこなせなかった。

4月1日の朝、出かけに、 シリアに帰った元同僚からボイスメッセージが来る。

大好きだ、いつも気にかけている、という 彼女の声は沈んでいて、 その日の、冬のようなどんよりした雲、 冷たい風がコートの隙間を縫って入ってくる感覚と、 彼女の声は、じわりと、身体に染み込んでくる。

4月が始まりだなんて、関係ない場所に居る。 置いてきぼりを食らうのは、いつものことだし、 嫌いならば、いいではないか、と思いつつも、 彼女の声に、いつかの記憶が、共鳴する。

とても、寂しいのだろうと、思う。 きっとあちらの国と同じ色の、小雨降る空を見上げる。 あんずの花も、散った花びらは、踏みしだかれて 空と同じような、灰色になる。



頭の週は、4月だなんて信じられないぐらい寒かったのに、 ある日、一気に暖かくなる。
そして、4月に入ってから一気に、仕事も忙しくなる。
朝、バスの窓から見る景色も、 次第に、色が薄くなっていく。
水気を含んで青々としていた、草はだんだんと 枯れる準備をし始める。 菜の花も盛りを過ぎて、 開き過ぎた花には、虫がたかり、 茎は見るからに、丈夫になっていく。 夏には文字通り、刺してくるアザミが、 じわじわと、その鋭利な葉先を、伸ばしていく。



ヨルダンでは、暖かくなることは、すなわち、 水分を失っていく、ということ。

柔らかさ、とか、しなやかさ、が 周りの草花から、感じ取れなくなってくる。

仕事の合間に、何気なく、キャンプの空き地の先を見る。
見事に茶色い、草一つ生えないような土地は、 どこにも春を愛でるような、景色などない、と思っていたのに、 そこでピクニックをする家族を、見つける。

ただ、暖かくなって、天気がいいから、というだけで、 空き地に出かけていく。 天気が良かったならば、外へいそいそ出かけて行って、 暖かな空気を、目一杯楽しむ。

ふと、彼らを羨ましいと思う、自分がいる。



近しい人たちがいなくなって、さみしい、とか、 新しい環境なんて、期待よりも不安でいっぱいだ、とか、 そんな後ろ向きな気持ちと、じっくり向き合いながら 馬鹿みたいに毎日、桜を愛でて、そして散っていくのを、 呆然と眺めるのが、春だった。

桜が散りきって、 色相からも相容れない、緑とピンクの、 どうにも気にかかる色合いの、葉桜になる頃、 やっと、仕方がない、と 新しくて、嬉々とした何ものか、に 向き合わなくてはならない現実を、見る。

春が、終わっていく。 それは、何とも、口惜しいことのように、思えてくる。

どれだけ、後ろ向きであっても、苦手だと思っても、 漫然とした、心の移ろいを、 次第に暖かくなる空気、桜の花とともに、見つめる。 その、年に一度の儀式を経て、 4月という新しさを、受け入れていく。
その、過程そのものを、結局のところ、 謳歌していたということに、気づかされる。

桜も草も、ないけれど、 陽の光を存分に浴びた彼らは、 まさに、私が今、したいことを、しているのではないか。

その様子に恨めしさでいっぱいになりながら、 キャンプの空き地の親子を、 フェンス越しに見やる。
すでに、日差しが強くて、南に向いた空き地を凝視などしていると、
顔がじりじりと焼けていくのを、感じる。
はっとして、仕事へ戻る。

一体いつになったら、
桜のつぼみから、散りゆくまでを
飽きるまで、見つめ続けることができるのだろう。

2019/03/29

良心が食われる時



それなりに長く、一つの国にいると、
構造的に、その国の社会の成り立ちを体感する。
そこには大量の問題があるけれど、
基本的にどの問題も、私が口を出す話では、ない。

最低限の権利、特に子どもや、社会的に弱者に当たる
人々にまつわる権利には、
仕事のこともあり、問題があれば、
解決へ向けてのアプローチをしていく。
そのために私はここに居るので、
それは、仕事としてしっかり、しなくてはならない。

大人の価値観や、文化、宗教、習慣などに対して感じるギャップや問題は、
その国の人たちが、自ら変えたいと思わなければ、
解決へ向けて動かないことを、
さすがにいい加減、経験的に、学んだ。


日常の大小様々なフラストレーションの多くを、
解決しようとするのは、ほぼ、無理だ。
慣れることでやり過ごすより他に、
どうしようもないことが、多すぎる。

それでも、腹が立つことは多い。
そこで、仏マインドを手にいれるために、
とにかく、できる限り、笑顔で対応しようと、思ったのは、一昨年あたりから。
初めは、笑い飛ばそうとしていたけれど、
笑い飛ばすのだって、結構場合によっては、疲れる。

あとは、こちらの心の在りようだ、と
とにかく、ひたすら、全力で自分の良心を
引き出そうとしていた。
たぶん、疲れているから、
怒る労力を減らすための、何かしらを
本能的に模索した結果だと、思う。

もっとも、こちらで間近に私を見ている人は、
そんなことを本当に、しているんだろうか、と疑問に思うだろうけれど、
それでも、以前よりは、丸くなったと、思う。

丸くなっているのか、諦めているのか、ここには、
大きな差が、あったりする。
諦めの過程には、
腹を立てている相手の背景に、目を向ける作業がある。

何でこの人は、このタイミングでお金をせびってきたりするのか。
子どもが6人居て、未だパレスティナキャンプから出られない、とか、
仕事が安定していない、とか。

何でこの人は、私を知らないのにこんなに、バカにしてくるんだろうか。
今まで会ったアジア人が、もしかしたら彼にそうさせる、
言動があったのかもしれない、とか、
彼の家族や周りの人が、閉鎖された視点でしか、
ものを見られなかったから、とか。

この作業もまた、労力を費やすけれど、
腹をたてるよりは、生産性がある、と思っている。
ただ、ここには、哀れんでいるのではないか、という
疑問も出てくる。
そこのところは自分の心に、鋭敏でいなくては、ならない。
自分がその立場で、その環境で育ったらどうなっていたのか、もまた、
想像を巡らさなくてはならない。


そして最近、気がついたことが、ある。

心を開けば開くほど、
分かりあえる人たちも、居ると同時に、
ある一定数の人たちは、
開いた空間の中に入ってきて、
食いちらかそうとする、という事実。

良心に漬け込む、人々のことだ。

良心が、道徳心に照らし合わせて、正しい行動をしようとする
心の在りようを、指しているのであれば、
そもそも、食い散らかしにかかる人々と私には、
道徳心、や、正しい行動、というものへの
認識の違いがあるのかもしれない。
もしくは、良心は、赤の他人ではなく、
近しい人たちのためだけに、取っておくものなのかも、しれない。



ここで、また自分の身の振りを、考えさせられる。
ひたすら阿呆のように、知らないふりをして、
これ以上自分のなにかしらを、すり減らさないようにするのか。
やはりここは、自分の主張や尊厳を守るのか。
もしくは、もう、一生相手にしないのか。

気持ちの弱い私は、
その場では、阿呆になることを選択しがちだ。
もしくは、もう相手にしないために、
極力避ける。
そして、あとで日本人に散々、愚痴を云う。

何だか、みっともないな、と、思う。
みっともなくならないようにするために、
一体どうすればいいんだろうか、
このことを、もっと理性的に、考えるにはどうしたらいいのか、
結構長い間、ずっと、考えている。



2019/03/09

彼らの暮らしと、話の断片 3月 2週目


金曜日にキャンプへ往くことになったのは、
3月に入ってから1週間分の給与を、
長らく働いてくれていたスタッフに、渡さなくてはならなかったからだった。

久しぶりに、雲ひとつない青空だった。

キャンプへ往く車の窓からは、うっすらとスウェイダの山並が見える。

休日のキャンプは、静止画のようだった。
いつもの通り歩いて向かう、ゲートへの道から見える
キャンプの遠景は、真っ青な空と、土漠と、白いキャラバンの波。

お祈りの時間だったからか、外にいるのは子どもたちばかりで、
装甲車の控えるキャンプの端っこで、
サッカーをしていた。

ただ、歩いていただけなのに、
あそこの家に往くんでしょ、場所知ってるよ、と
見知らぬ子どもが、声をかけてきて、家まで案内してくれた。

明日帰還するスタッフに、会いに往く。


1件目:ザアタリキャンプ シャーリア・ヤンスーン


家の扉を叩いてくれたのは、近所の子だった。
入ってすぐの、見慣れたコンクリートの小さな庭には、
うず高く、荷物が積まれていた。
明日の早朝出るので、荷物は一旦、
キャンプの外の倉庫に保管しなくてはならない。
家族は車を待っていた。

家に入ると、知らない子どもたちが幾人も居る。
近所の子どもたちが遊びに来ていて、
その代わり、家の子どもたちが見当たらない。

一通り挨拶をして、預かったお土産や、プレゼントを渡す。
元の同僚から預かったピアスのセットに喜び、
私が家から持ってきた、アラビア語のムーミン谷の本を、熱心に見ていた。
オバケの一家の話など、全くこちらの文化には合わないけれど、
作文の先生でもあった彼女には、
夢の詰まったものを何か、あげたかった。



ほどなく、車がやってくる。
キャンプの中でも、ゲートに近く、
家の密集した地区だけれど、そんな細い土むき出しの道にも
ピックアックトラックは入ってきた。

家族の親族の男手が勢ぞろいして、
荷台に荷物を載せて往く。

長男も買い物から帰ってきて、手伝う。
次男はチビなのに、うろうろしていて、叱られる。


UNHCRのロゴが入った、見たこともないほど大きなバッグが数個、
やはり大きな農業用の袋も数個、
そして、小ぶりなバッグたち。

洗濯機も、ガスストーブも、扇風機も持って往く。
こんなものも持って往くの?と
すでに巨大な袋で置く場所も見当たらない荷台を見上げる。

入国時に税金を払わなくてはならないけれど、
それでも、向こうで買うよりは、安いし
必要には違いないから、という答えが返ってくる。

まだ4歳の、やんちゃな次男のために、
おもちゃの車も乗せる。
旦那の自転車も、持って往く。

いつも通してもらっていた部屋のアラビーマットも、
最後まで余っていた、ロゴ付きの袋に入れられると、
部屋には何も、残っていなかった。

早速掃除を始めるスタッフ。
そして、近所からお客人用にと、アラビーマットが貸し出される。


キャンプの暮らしが最後の日、
たくさんのお客がやってきていた。
近所の人、キャンプの外に住む親戚、
元の同僚、旦那の知り合い。

女たちは部屋の中のアラビーマットに座り、
口々にお別れの挨拶をする。
ほとんどの女たちは、小さな、大きな子どもを連れてきていて
会話の途中で少し、赤ちゃんがむずがると、
授乳をしつつ、上の子を叱りつつ、
大人同士の話を続ける。

とにかく、向こうでの暮らしがいいものでありますように、と
型通りの挨拶をしつつ、でも、
今帰るなんて、驚いているのよ、と
久しぶりに会った、シリア人の元同僚は云う。
その言葉に、スタッフは涙ぐむ。


お客の中には、シリアでも同じアパートメントに住んでいた、という
女性も子どもを連れてきていた。
来週の今日、やはりシリアへ、戻るという。
シリアでもキャンプでも、ずっと一緒だったから、
帰る時も一緒なの、と家人は云う。



家具も食材も、何もなくなったのに、昼食を一緒に食べよう、と云う。
出してもらったのは、お土産にもいただくことになる、
マグドゥースだった。





あの小さな庭の、さらに奥で、
以前は鶏を数羽、飼っていた。
庭の土の上で、マグドゥースのナスの
水切りをしていたのを、思い出す。

今日もいつも通り、マグドゥースは美味しかった。

おばさんに当たる人が、自宅でお茶を沸かして、持ってきてくれる。

円陣を組んで、様々な話をしていた。



スタッフがキッチンへと席を立ったとき、
一緒に円陣から、抜ける。

預かった日本からの手紙の中に、お金を入れておいたのを、
伝えなくてはならなかった。

旅立つと聞いてから、周囲の人たちは、
帰還の先に待つ暮らしのことを心配しているスタッフのために、
必要なものを見繕ってすでに、あげていた。
子どもたちが、シリアに戻ったら通う学校のための、
文房具や通学用のバッグ、それから、
具合が悪くなった時のための、子どもたちの薬。

一通り揃った段階で、他に何が要るんだろう、と
同僚に尋ねたら、やはり、お金だろうと、返事が返ってくる。

仕事がすぐ見つかる可能性は、低い。
紛争中も、シリアに住み続けていた親族は、
仕事がなくて、貯蓄も十分にない。
まだ、インフラの整備は地域差がある状況でも、
帰ってきてほしいと、親族がお願いしてくるのには、
そんな理由もあった。

切り詰めれば、数ヶ月を暮らすお金はあるだろう。
でも、今あるお金は、親族にもきっと、分配されてしまう。

私と同僚は、スタッフに自分のお金を、持っていて欲しかった。
いつも、家族のことばかり考え、
好きなおしゃれもできない環境で、
我慢の6年間だったのに、
ここからの暮らしは、もしかしたら、しばらくはもっと、
苦しいかもしれない。


こちらのお札には、何かの殴り書きが、時々されている。
書かれていても価値が落ちないのであれば、と
お札に直接、メッセージを書く。

自分のために、このお金は使ってください。

薄暗くて水浸しのキッチンで、
書いた言葉をそのまま、もう一度彼女に伝える。
わっと、彼女の目から、涙が溢れだす。
お金の心配が、やはり一番、辛いのだろう。


中東の女性たちを、男性の目線で国別に比較したのを、聞いたことがある。

イラク女性は料理上手だから、体格が良くなる。
レバノン女性は美人だから、他人に自慢できる。
エジプト女性は体が丈夫だから、子どもがたくさん産める。
シリア女性は堅実だから、家計がしっかり回る。

この話は、ヨルダン人男性の口から出た挿話で、
ヨルダン女性はお金が好きだから、ブランド品をねだってくる、
と云うオチだったのだけれど
シリア女性は、家をしっかり守れるから、
家庭を持つには一番いいのだ、と
陸続きの国々の間で人が行き来する中東で、
ずっといい伝えられてきた、と話していた。

確かに彼女は、シリア女性の鏡のような、人物だ。

円陣に戻った彼女は、
マグドゥースとスライストマトを食べながら、
来たお客には明るく楽しそうに話をしていた。
人が来てはヒジャーブを巻き直し、玄関で出迎え、
お客人同士を紹介し、お菓子を勧め、
支払いが必要ならば財布を取り、外で次男が泣けば駆けつけ、
一番下の子の口の周りを食べこぼしを拭き、
ティッシュで床を拭きながら、話を続ける。




学校で仕事をしている時も変わらず、
我慢をおくびにも出さずに、頑固だけれど堅実に、
できることとしたいことを、形にしていって、
絶え間なく動き、働き、話し、笑っていた。

何か大事な相談事があると、緊張して顔がこわばった。
表情が豊かで分かりやすかった。
でも、ここ最近は、ふと、一点を見つめて
思いつめていることも、多かった。
帰りたくない、と、本音を漏らしていたのは、
つい数週間ほど前で、そこからあっという間に、
今日という日を、迎えてしまった。



もう、キャンプをでなくてはならない時間になったので、
散歩がてら、門までの道を歩く。
見送りに、夫婦と子どもたちのうち、おチビも二人、やってくる。

青くて澄んだ空気が、遮るもののないキャンプの上に、広がる。
夕方前の、一番暖かい時間帯、
大人も子どもも、キャンプの外の空き地で
この春らしい空気を、楽しんでいた。


キャンプの暮らしはどうだった?と歩きながら、訊く。

来た当初は、家もテント、水も十分になくて、
本当に大変だったけど、
今はこうして、たくさんの人がお別れを言いに来てくれる。
周りの人たちに、助けられた。

彼女は明るくはきはきとした、いつも通りの彼女に戻っていて、
私の方が、最後までめそめそしていた。

家の電話番号と住所を書いた紙を、もらう。
可愛らしい袋に、大事に入れて、準備してくれていた。

ダラーのバスターミナルから、あの地区行きのバスが出てるから、
バスに乗ったら電話をちょうだい。
橋の先あたりで待ってるから。
アンマンから地方都市に往く時のように、
彼女の説明は、何気ない。


わかった、必ず往くから、と、答える。


2019/03/02

誰かを理解するための、道のり


ドナルド・キーンの訃報を受けて、
以前読んだ記事のことを思い出していた。

松原耕二さんの連載、「ぼくは見ておこう」。

さっそく余談だが、偶然、前回の帰国で幸運にも、
松原さんご本人にお会いすることができた。
身の程知らずの私は、ご本人を目の前に、
いかに、私がこの連載を心待ちにしていたのか、
いかに、このタイトルのスタンスに酔心していたか、
(このタイトルについて書かれた回:https://www.1101.com/watch/2009-05-01.html
顔を真っ赤にして、まごまごと話し、
周囲の人たちの失笑を買うことになる。

この日たまたま、どんな話の流れか忘れたが、
奥様との馴れ初めを、どなたかが聞いてくださって、
その質問に、「爪が汚れていたから」と、答えていらした。
その頃、NGOでアフリカの途上国に勤務されていた、
のちの奥様となる方の爪が、汚れているのを見て、
懸命に仕事をする姿を思い、惹かれた、と。

ヨルダンでは塗らないマニキュアを、日本だからきれいにしなきゃ、と
慌てて塗っていた私は、心の中で、深くため息をついた。
こんなところでも出てくる、自分への自信のなさに、
心底恥じ入ることになる。




この連載の多くは、対談で会った人々を、描いている
いくつも記憶に残っているものがあるけれど、
その中でもよく覚えていたのが、
ドナルド・キーン氏との対談だった。
https://www.1101.com/watch/2015-05-01.html


源氏物語を通じて日本に興味を持ったキーン氏が、
日本人のことを理解したい、という一心で
第二次世界大戦中、米軍に従事し、日本人捕虜の尋問に当たる。
捕虜と、一通りの尋問を終えた後、
好きな音楽や小説について、話すことを通じて、親しくなる。

そしてある日、彼らの要望に応えて、蓄音機を持ち出し、
よく音の響くシャワールームで、捕虜たちと一緒にベートーベンを聴く。

読む側の私にも、心の震えが伝わってくる場面だ。


思えば、同じ音楽を享受する経験を、私はほとんどアラブ人としたことがない。
音楽のどの要素に価値を見出すのかが、異なることに起因するのかもしれない。

アラブ人の方が話し相手には多いけれど、
私のアラビア語力、もしくは相手の英語力から
仕事と世間話や、相手の抱える問題以外の話題は、難しい。

反対にそのおかげで、よく、相手を観察するようになった。
言葉に限界があるのであれば、見続けて、
どんな人なのかを、理解しようとする。
まだまだ、鍛錬は必要だけれど、
ある程度、分かるようになった。

でも、そんな観察眼を持たずとも、
心がとてつもなく開いていて、
その人の、良さのようなものが透けて、
もしくは滲み出て見えてくるような人々もまた、
アラブ世界には、居る。
そういう人たちとの出会いに、救われている。

最近、個人的に深い話をするシリア人はみな、
心のうちにとても、慮れないほどの、
大変な状況を抱えた人ばかりで、
それなのに、彼らはとても、素敵な言葉を口にし、
何とか置かれた状況の中で、精一杯最善であろうとする。

どうして、そんなに強くあれるのか、
私は、ただただ深く敬意を抱き、言葉を失う。
そして、自分の未熟さを、省みる。



それは、言葉を飲み込むことが多いことも意味する。


そして、飲み込む言葉が多い分、
誰かと、事象ではなく、何か別のテーマを深く話し、
共感したい、という欲求が出てくる。

例えば、読んだ本の話であったり、よかった音楽の話であったり、
誰かに会った話であったり、見た景色の美しさであったり。


頭が悪い自覚のある私は、基本的に思考の発展性に弱さがある。
それを補うのは、信頼の置ける、そして気の置けない人たちとの、会話にあった。

皮肉もなく、批判もなく、批評もなく、
何か心に響いたいいものを、
言葉の限りを尽くして、それを共感できる人と話す。
話す中で、思考がさまざまな場所へ飛び、
でも、その展開が、それこそ、
美しい音楽を聴くときのような、恍惚感を導き出す。


おそらく、キーン氏は、対等の立場でその人を理解するツールとして、
文学や音楽を、母国語ではない言語でも言い表す術を持っていた。
それらが、多様な共感のチャンネルを生み、
より深い、他者への理解につながっていたのだろう。


アラビア語では、すでに限界がある。
本当に、語学のセンスがこれっぽっちもない、自分が残念でならない。

そして、敬意しか抱けず、対等に話すだけの人間力のないことも、
また、残念でならない。

それでも語学よりは、人間力の方がまだ、可能性があるのかもしれない。

相手の話を、肯定的に、フラットに聞くことは、
自己もまた肯定できる人にしかできない、と
何かで読んだ記憶がある。

やはり、道のりが、長すぎる。

それでも、何かを分かち合うところに、相手への理解があるのであれば、
そして、理解したいという欲求があるのであれば、
もっと、いろいろな人と話さなくては、いろいろな人の話を聞かなくては、
と今更、思う。

そうしたら、マニキュアなんかに頼らなくても、
よくなるかもしれない。








2019/02/16

彼らの暮らしと、話の断片 2月3周目



仕事ではない訪問は、久しぶりだった。
訪問相手も、4年ぶりに会うシリア人で、
本人はおそらく、私のことを誰だか、しっかり覚えていなかったと、思う。

本人を知る人から、彼の暮らしに動きがあったので、
様子を見に行ってきてほしい、
というお願いがあっての、訪問だった。

電話で連絡を取って所在地を尋ねると、ホテルにいる、という。
ホテルなんてお金のかかるところに、どうしているのだろうか。

彼には過去に、2度ほど会っている。
正確には、その頃住んでいたリハビリ施設に訪問していた。
そこには、負傷して治療が必要な人たちが肩を寄せて暮らしていた。

施設である貸家の庭には、立派なぶどう棚があって、
そのぶどう棚の木陰に椅子を出し、
話し相手を見つけては、椅子をずらし、
男たちは何をするでもない時間を、過ごしていた。

陽の光に輝く浅葱色のぶどうの葉と、
その葉の揺れて描く、ちらちらと淡くやさしい色の影が
どうしようもなく、笑っていても、なお暗い、男たちの顔と
対照的だった。

この人たちはいつまで、ここに居なくてはならないのだろう、と
庭の片隅から、男たちを眺めていた記憶がある。

あれから、すでに4年以上が経っている。






ホテルという看板は出ているのに、
通りに面した入り口には鍵がかかっている。
別の入り口は、同じ建物の別の場所に通じる廊下にあった。

通訳をお願いしていた日本人の友人と私は、明らかに部外者で、
いくらか不審顔で、レセプションの男は私たちを見ていた。

居るはずの階に登ると、そこは、病院の待合室の様相を呈している。

スチール製の繋がったベンチが、フロアの隅に並べられている。
窓に面した一角は食堂のようなスペースで、白い長机がいくつも並べられていた。
男たちが数人居て、人を探してキョロキョロしているこちらの様子を
それとなくもしっかりと、見ていた。

本人はもう一つ上のフロアに居た。
金属製の松葉杖を動かしながらこちらにやってくる。
久しぶりに会う彼の顔は、少しヒゲが短くなって
どこか一回り、こじんまりしたように、見えた。

以前行った施設訪問の時の、彼に関する記憶は
彼の顔と、出身地、そして彼のたった一人の家族が、
ザータリに住んでいるという話しか、なかったから、
英語を話す人だという情報は、抜けていた。

英語を話すんでしたっけ、とアラビア語で云うと、
以前はもっと話せたんだけど、もう今はダメだね、と
英語で答えてきた。

ほとんどの会話に、彼は英語で答えていた。
こちらはアラビア語、向こうは英語。


この施設のようなホテルにやってくる前には、
ホテルと提携している病院で、13回目の手術を受けている。
それでも、彼の左足は棒みたいに、膝も足首も、動かない。


娘さんは今、奥さんのお母さんの家族と、登録されている。

ヨルダンに来た時、娘さんと彼は、別々の病院で手術を受けていた。
その病院のあった場所で登録しなくてはならなかったのは、
彼自身も手術を受けていて、娘さんの面倒を見られる人が
義母さんしか、いなかったから,
父娘の登録は、ばらばらになってしまった。

家族手帳があれば、家族だということを証明できるが、
もう家族手帳は手元になかった。

爆撃を受けた時、家族はみんな、家の中に居た。
何もかもがその瞬間になくなっていたはずで、
たとえ何かが残っていたとしても、それを取って家を出る余裕が、
あったとはとても、想像できない。

本人は足を負傷し、右手の指を3本、失った。

奥さんと息子さんが爆撃で亡くなり、
二人の娘さんを連れてヨルダンに入国するが、
国境脇の町の病院で、入国1日後、娘さんを一人、喪っている。

娘のお墓がどこにあるのかどうかも、分からないと、言う。
そもそも、きちんとしたお墓が作られているのかどうかも、
本当のところは、定かでない、と私は、頭の片隅で思う。

娘さんを自分の家族とする登録に書き換えたくて、
何度もUNHCRに連絡したけれど、できる気配が、ない。
家族手帳が手元にないから、家族だった証明がなく、
娘がキャンプに居ることもおそらく、ことを複雑にしている原因だ。
登録の書き換えのために、自ら最寄りの機関にアクセスするにも
足に自由がきかない。

何とか一人だけ残った娘さんを手元に置くために、
近々、登録などの手続きを専門に請け負うNGOに
再度、依頼をする予定だという。



私たちの周りでは、スチールベンチが埋まっていって、
座っている人々と話をする、また別の男たちも、増えていく。
周囲の声は、次第に大きくなる。

足を怪我している人、頭に包帯のようなものをつけている人、
見た目には分からないけれど、歩き方が不自然な人、
ぼんやりと、どこを見ているのか分からないまま、直進する人。
誰もかれもが、治療を待っている。

エレベーター周辺のひらけた空間に、
気がつけば10人以上の人々が、集まってきていた。

これだけ似たような境遇の人たちが居れば、寂しくはないだろう
そんなことを頭の中で勝手に、思い巡らせていたら、
声がうるさいのはダメなんだ、場所を変えよう、と彼は立ち上がる。

何を話しているのか、会話を聞かれるのが嫌なのか、とも、邪推する。


近くのマクハ(水タバコ専門のカフェ)に、入る。
金曜日の午前中、お祈り前の人の動かない時間帯でも、
2、3人の客が、居た。

水タバコを頼まないと、どうもお店の雰囲気からして、気まずかった。
タバコは吸わないはずの彼も、水タバコは、注文した。
トルキッシュコーヒーと、水タバコ。
典型的な、マクハスタイルだ。






時々、泣けてくるんだ。
会っていた1時間半ほどの間に、
そう何度も、口にしていた。

そんなことを口にするときでさえ、大方微笑んでいるのに、
水タバコを吸っている時の顔には、
別人のように、平らで、何の表情もなかった。

水タバコを、しきりに、半ばおかしなぐらいの懸命さで、吸っていた。
普段吸わないのであれば、そんなに吸ったらよくないだろう、と
見ているこちらは、次第に心配になる。

でも、泣いたら少し、心は軽くなるんだと、微笑みながら、云う。
その作業は、彼にとっておそらく、大事なことだろう。



部屋にいる時には、ニュースか、ドキュメンタリーの番組を見ている。
もしくは、本を読んでいる。
どんな本を読んでいるのか、訊いてみると、
ダーウィンとか、という答えが返ってくる。
これはなかなか、アウトロウだと、察する。

ホテルを抜け出したので、館内では訊けなかったことを尋ねてみる。

ホテルの暮らしは、彼にとっては快適では、ない。
そもそも、誰かと一緒にいることが苦痛だ、とはっきり云った。
だから、この施設に入る前にしていた共同生活も、苦痛だった。

一人でないと、心おきなく泣くこともできないのであれば、
確かに、誰かと居ることは、辛いだろう。


同じ部屋の住人は二人とも、イラク人だという。
話し相手とか、いないんですか?と訊くと、
ファイターと話したくない、と云う。
いや、みんながみんなそうではないでしょ?と、私も焦って、反論する。

負傷して障害を持ったままシリアに戻ると、
どこかしらに属していた戦闘員と見なされ、
捕まってしまうと、云う。
そんな話は初めて耳にするものだったし、
こちらで真偽のほどを確かめようが、ない。

いずれにしろ、彼に戻る意思はないようだった。
そして、誰かと仲良くなれるような気分でも、ないようだった。

誰かと話す代わりに、彼は日記のようなものを、書いている。
どこまでも、内省的な暮らしを、自ら選んでいた。



何か、気分を変えようとしなくちゃダメじゃない、と思わず云う。
まったく余計なお世話だろうと、思いながら。
こちらも冗談みたいにしか云えなかったから、笑いながら口にすると、
くしゃっと顔を緩ませる。
今日みたいに、人が来たら、気分は晴れるし、変わるんだ。


今回の訪問を依頼してきた人を通じて、私だけではなく
幾人かの日本人が、過去に彼の元を訪れている。
それぞれの訪問者とともに撮った写真は、
おそらくすべて、きちんと携帯の中に保存されている。

親指と人差し指しか残っていない右手で、
携帯の写真を拡大し、一人一人の日本人の顔を、
見せてくれる。

第三国定住を申請しているけれど、
日本に行きたい、
日本の人たちはみんな、いい人たちだから。
そう、何度も口にしていた。

彼のところにやってくる人たちは、シリア人に関心のある人たちだけ。
日本人のみんながみんな、いい人たちばかりではないし、
そもそも今の日本の難民をめぐる、あらゆる状況が、
第三国定住先の欧米に比べて、いいとはとても、思えない。

と、そんなことを、目の前の人に云ったところで、
理解をしてもらうことは、できないだろう。
それは、日本の人の大多数が、難民というくくりの人たちを
どんな人たちなのか理解できることと同じぐらい、
困難を極めることのように、思えた。



マクハを出る頃には、金曜礼拝は始まっていて、
煽動するような、早口で気にかかる口調の説法が、
スピーカーから流れていた。

ホテルのすぐ先の、幹線道路の対岸では、
菜の花が咲き乱れ、黄色く染まっていた。
ピクニックに往く時期だね、と、バカみたいに云ってみる。




ホテルのエレベーターで別れる時、
エレベーターの中に入った彼が、胸に手を当てる。
日本人のお辞儀のような、意味を持つ、仕草だ。

失ってしまった3本の指の他にも、
失ってしまったたくさんのものが、ここに、しまわれているのだ、と
残った2本の指が矢印のように、胸の上を指し示しているように見えて、
ずっと、頭から離れない。