2017/03/20

季節の移り変わり

 
春がやってきた。
そして、また空気が冷たくなる。
三寒四温はこの国にもあるようで、
具合の悪いスタッフが出てくる。

どことなくそわそわして、
どこかに往かなくてはならない気になってくるのも
この季節ならでは、になりつつある。




まずは、いつもの通り、アイリス探しをする。
国花のブラックアイリスの定点観測が始まる。
週末ごとに出かけては、まだ咲いていない、とか
咲いた花が折られている、とか
一喜一憂する。










原種のチューリップが咲き
シクラメンが咲き
芥子とアネモネも、咲く。
緑の草と、赤や黄やピンクの花々が
彩り豊かに咲き乱れる。

ただそれだけを、毎年楽しみにしているかのように
見なくては気が済まなくなってきて
心が何だか、騒がしくなる。

2017/02/20

If I wasn`t hard, I wouldn`t be alive. If I couldn`t even be gentle, I wouldn`t deserve to be alive.


久しぶりに、チャンドラー祭を楽しんでいた。
以前持ってきていた「大いなる眠り」を読み終えて
ふと、あの名言はどの話に入っていたのかしら、と
検索をしてみたら、最近新しい訳が出た、というのを、知る。

これを明言すると敵を作りかねないけれど
今まで、村上春樹の長編でいい読後感を味わったことがない。
もっとも、後味がきちんとあるところで、
小説としての意義はおおいにあるのだと思うのだけれど、
ある程度、読後感の悪さを先に認識してから
読まなくてはならないもの、という分類に位置している。

ただ、翻訳をしている作品の選別には信頼をしている。
いい作品を、よく合った書き口で心地よく読める印象がある。
レイモンド・カーヴァーが、特に好きだった。

If I wasn`t hard, I wouldn`t be alive. If I couldn`t even be gentle, I wouldn`t deserve to be alive.
この訳がどうなっているのか、というのは
気になるところだった。

翻訳家としても定評がある人だから、
その定評と原文への誠実さを守ったようだった。

「タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きてる資格がない。」
という名訳が、どうしてもインパクト強く残っている身としては
文脈の中では自然な表題の訳が
やもすると、ハードボイルド感を弱めてしまっている、とも
云えなくもないところだ。


この台詞の場面がどういうシーンだったかということを
昔違う訳で読んだときから時間が経ってしまっていて
すっかり忘れていた。

ずっと自分にかけられた疑惑を隠したまま
マーロウと接し続けたヒロインの素性が明らかになったあと、
このヒロインとの一夜をともにしたマーロウが
次の日に、ヒロインにコーヒーを飲ませてホテルを出ようとする。
「これほど厳しい心を持った人が、
どうしてこれほど優しくなれるのかしら?」
というヒロインの言葉に応えた、台詞だった。

記憶が曖昧だったせいなのか、
もっと修羅場があった後すぐの、キメ台詞だと勝手に思いこんでいた。
もっとも、ストーリーにはたくさんの修羅場が既にあったのだけれど
ここで云ったのか、、、、と、どこか、少しだけ期待はずれだった。


ただ、この台詞には重みがある。
何せ、とにかく格好いい。
さらに云うならば、今の仕事にでも、云えることだ。
こんなことが云えるぐらいの生き方がしてみたい。
きっと、マーロウほどのハードボイルドな場面は人生になくとも
人それぞれにとってのハードボイルドな場面は、いくらでもあるものだから。


名訳というものがあると
後にまた訳をする翻訳家を悩ませるのだろう。
ただ、この台詞に関しては
英語がしっくりくる、というのが今回の感想だった。
本末転倒、当たり前、と云えば、当たり前なのだけれど。





2017/02/11

如月満月


先月は雨模様だったから、と
例年以上に春めいた、二月の夜に期待をする満月の日。

習慣というものは恐ろしいもので
一度、満月はしっかり拝むことと決めると
仕事が忙しかろうが、気持ちが落ち着かなかろうが、絶望的に疲れていようが、
それは、必ずしなくてはならないことになる。



住んでいるジャバルアンマンからダウンタウンに張り出た丘の端の
ガラス張りのカフェで、満月を待つ。

向かいのアシャラフィーエの家々の灯りが、美しい。
夏ならば窓など開け放しているから写り込まないのだけれど
ガラスに囲われた窓から見える街並は
店内の照明と重なって、
大きく、小さく、灯りが散らばる。






ほぼ毎月同じところから見ているから
いい加減飽きてもいいものなのかもしれない。
ただ、幸いかな、何度見ても美しく
見飽きることは、ないようだ。

凝視して、満足する。
ただ、それだけ。
ただ、それだけを毎月、繰り返している。


元来、天体観測は嫌いではない。
ただ、これだけ月をいつもいつも見るようになったのは
こちらへ来てからだ。
天気のいい日が多いから
自然と、月の姿は三日月だろうが待宵だろうが、二十三月だろうが晦日だろうが
とにかく、夜空を見上げれば拝むことができる。






二月の満月は、塵の向こうに赤く黒ずんで、ジャバルタージの向こうから出てくる。


ホーチミンに住んでいた頃
日本からホーチミンに戻った夜に見た
朧月と暖かく生温い空気を思い出したり、
風のない満月の夜にろうそくを灯したらどう見えるのか
昔聞いた話を思い出したり、
稲垣足穂の一千一秒物語の
粋でやくざな月を思い出したり、
秋の最中、鰯雲を照らす
日本の冴え冴えした月を思い出したりした。


雨月物語が好きだったから
月というものは、雲隠れしているところに風情があって
雲のすがた形が濃淡とともに繊細に映し出されるさまが美しい
などと思っていたこともあった。


こちらの月は、あっけらかんと、明るい。
兎の精を出す様子が、影絵のようにはっきりと見える。






屋上にある家にたどりつく時
屋上のテラスで、灰色のタイルが白く光って
自分の影がくっきりと映し出されるのが
いつの間にか、当たり前になった。

照らされる自分の姿は、当然見えなくて、
ただただ影の鋭さだけを見下ろすことになる。

月明かり独特の、白い光は
夜になってすっかり冷えきった空気を
一層冷たく、一層透き通らせて
頬に沁みていく。
翳りが、全くない。

例えば、透徹した思考なんてものがなくて
ここ最近、逡巡している脳と感覚も
この光を浴びたならば少しは、冴えるのだろうか、などと
お寺さんの煙でも浴びるような気分で
屋上で月を見上げてみる。

頭上に高く昇った月は、等しく隈なく、光っていた。
どこまでも高潔で、どこまでも静謐で
なんだかとても、冷たかった。






2016/12/26

隣の国


旅は苦手だ。

ホテルやら飛行機やら、街の地図やら乗り物やら
そういうものものを事前に調べているだけで
具合が悪くなる。

だから、海外に居るのに
だいたいは自分の住んでいる街に居座って
どこかへ往こうとは思わない。

ただ、どうしても往ってみたい国もあった。
ヨルダンに居るのだから、
初めてアラブで仕事をした人たちがパレスティナ人だったから
絶対に、隣の国は見ておかなくては、と。
半ば使命感のようなものだった。



隣の国に入るのに、こんなに壮大な時間がかかるなど、
話には聞いていたけれど、聞くのと見るのでは、大違いだった。

ちょうどクリスマスで巡礼に往く人たちでごった返したイミグレで
パスポートを一度取られてしまう。
バスの中で待っていれば戻ってくるのだけれど
それは、とてつもなく不安なことだった。


水もない橋を渡って国境を越える。
ヨルダンを出る検問で止まったまま動かないバスの中で
曇った空を飛ぶ、きれいなV字の渡り鳥を見た。
見事な編隊を組んで、南へ飛んでいった。

国境はもともと川だった地形からか、
砂と乾いた土が不規則な小山を作っている。
本来ならば水があって豊かだったであろう土地が
不自然に誰もいない。

イスラエル側に入ると、また人がとぐろを巻いて列となって
イミグレで立ち往生する。
大量の人が溜まった列を目の前に
冷酷なまでに冷静な係の女性が
少しだけ笑顔を見せてくれるだけで
こちらもうれしくなってしまったり、した。

国境を越えるだけにちょうど、4時間半かかった。
たった、1キロぐらいの地域を進むだけに。

エルサレムに続く道の先には
ちょうどマダバの高台から望遠鏡で見た高層アパートメントが見えた。

エルサレムの旧市街は
以前往った、レバノンのスールの
海岸脇のキャンプに似ていた。
たくさんの兵士がいたけれど、
たくさんのお土産物屋が軒を連ねるスークの中を歩くのは楽しかった。

嘆きの壁の脇の階段からすぐそこにコッズがあるのに気づいて、はっとする。
たくさんの信条が、そこには混沌としていることは
高いところに往かなければ、分からない。

金曜日に着いたエルサレムは、夕方から店がすっかり閉店してしまって
レストランに入るにも、選択肢がほとんどなくなっていた。
それでも、入ったパブで久しぶりに飲んだギネスはおいしかった。



ベツレヘムにも往った。
観光客とアラブ人が混じったバスの中で
アラビア語が聞けるだけで、心底ほっとする。


ベツレヘムにはヒジャーブを被った人たちもたくさん居る。
クリスマスイブに人で溢れ返った教会への道は
よく見たことのある商品の売られた店が続いていて
国は違うけれど、趣向は同じなんだと、改めて気づかされた。

でも、野菜はみんな、ヨルダンよりも立派で大きかった。
見事なカリフラワーとホースラディッシュを凝視してしまう。

結局生誕教会の中も見られなかったけれど
すぐ脇の聖母をまつる教会で
エチオピアから来た巡礼客が
彼ら独特の和音で唱う賛美歌を聴くことができた。
その奥では白人のグループが、輪になって何かを真剣に話し合っていた。


ベツレヘムからエルサレムに帰ろうと、
行きと同じバスの運転手に確認する。
エルサレムに帰りたいのだけど、とアラビア語で聞くと
エルサレムではなくて、コッズでしょ、と云われる。
いや、エルサレムに、、、、と云いかけて
彼らの云う意味を理解する。
そうでした、コッズに戻りたいんです、と云い直す。
運転手と運転席のすぐ後ろに座っていた老人が
そうだろう、と満足そうに笑った。




もう一度、旧市街の高台に上がって旧市街を見下ろす。
旧市街の中にある、それぞれの宗教で分けられた街の地図を思い出しながら
共存する、ということの混沌と難しさと、美しさを見る。



夜からにぎわいの戻った西エルサレムの繁華街は
夜半まで人々の声が途切れなかった。
赤いダビデの星をプリントした若者たちとすれ違う。
急に、きゅっと身体が緊張するのを感じた。

 


ヨルダンに戻る。
エルサレムから海抜0地点を越えるくねった道の両側には
ヨルダンと同じ、いくつもの丘が連なる見慣れた景色だった。
久しぶりにこの景色を見た。

わずかな緑が表面を覆う丘の景色が好きだ。
隣の国でも、同じようにもっと寒い季節がやってくるのに
どうしたって、雨が降るとすぐに生えてきてしまう
淡い緑と薄茶色の地肌の混じる、羊か山羊しかいない景色。


行きよりはスムーズに国境を越えて
ヨルダンバレーで肌に感じた湿気の混じる少しだけ温かい風に
やはり、心の底から安心した。


隣の国は、遠かった。


追記:
赤いダビデの星は、Margen David Adomという赤十字のイスラエル版にあたる
救護団体と、教えていただいた。
暗闇にたくさんの若者がさわぎながら歩いていたからかもしれないけれど
確かに私は身構えた。
その反応の中にはたくさんの先入観と偏見があったことは
できる限りフェアな立場で居ようと思いつつ、
既にそれこそ、私の会ったパレスティナキャンプの子どもたちのように
いろいろなものを知らず、検証せずに頭から信じてしまっていたことも、また

自省として、教えていただいたことになる。


2016/12/03

この世の業と、虹



一昨日、今年初めての、本格的な雨が降る。
屋上階の窓の外では、グレースケールのような様々な灰色が
どんどんと南東に流れていった。

雨には滅法弱い街だから、こんな時には猫のようにじっとしているのがいい。


先週、体調不良で仕事を休んでいた。


一人暮らしでは食事も大変だろうと
ナショナルスタッフからしっかり重いアラブ料理をいただいた。
それから、花束なんてものも、いただいてしまった。

温かくした部屋の中に、いただいた花の青い香りがする。
この匂いを嗅ぐのは、久しぶりだった。


夕方から降り出した雨は、繁華街の街灯を映し出して

緑や紫、赤や黄に滲んでいる。
そのまあるく染まった、濡れた道路や細かな雨を見ながら
ちょうどこんな形をしていたのでは、と思い当たるものがあった。




仕事をできるほどの集中力もなく

ただ痛みに耐えながら
横になっている間、ぼんやりといろいろなことを考えていた。

国が変われば、

誰かからの呪いであったり、どこかから拾ってきた思いであったり
ありとあらゆる病気という災いに理由が付与される。

他人からの恨みや妬みや呪いが強ければ強いほど

治る見込みがなくなってくるわけだ。

今のところ順調に回復中で

自分の不養生が原因なのだけれど
もしこの痛みに理由があるのならば、何だったのだろうかと
身の回りのあれやこれを思い出してみた。

私情には問題はないはずだが、

仕事にはいろいろ、ないわけではない。
基本仕事はアラブ人が相手だから
恨みつらみも深そうだ。

もっとも、アラブには黒魔術的なものはないので、

実際にのろわれたわけではなさそうだけれど
自分の下してきた判断や言動を思い返し
また、周りのスタッフたちの病気やけがを思い出し
どこまで分かって、どこまで理解していたのだろうか、と
自分の配慮や思いやりの深さを測ったりした。


結果、様々、反省することとなる。



そういういろいろを、頭の中でぼうっと思っていると

この世のさまざまな感情や気持ちが、
強いて云うならば、業、という言葉のようなものになって
わたしの周りに存在しているように思えてきた。
近い人も、遠い人も、ただのご近所さんも、
見たことがあるだけでも、つながっているだけでも、思っているだけでも
存在を知る限り、
その人たちの大小さまざまな、でも強い何かが
丸い魂みたいになって、
いただいたものや、つながりのあるものや、
連想するものや、ただただ記憶するものから、
ぼわぼわと出てきているような思いに捕われる。

それがちょうど、雨の中の色とりどりの光のようなイメージだった。




本当ならば、憾みも邪悪な思いも

手のひらに乗せたならば、よく見つめて
思いを汲まなくてはならない。

たぶん、忙しいからと

そういう思いの丸い塊を避けながら
暮らしていたのだろう。

横になっている間は、ぼうっとしていたから

今まで避けてきたものものが
ここぞとばかりにやってきたようだ。
覚悟を決めて、よく、それらの塊を見つめ続けた。

もっとも、他人の業ばかりではなく、しっかり自分の業もある。

前向きなものもあれば、恐ろしく後ろ向きなものもあり、
こればかりは本当にたちが悪い。
何とか捨て去る方法はないかと、あれやこれや、手を考えたりした。

結局自分の業はどうにもならず、まだ残る痛みと一緒に

ふてぶてしくそこらへんに居すわった。
仕方がないので、一つ一つ、
分解したり、まとめてみたり、分類してみたり、鼻で笑ってみたり、した。


雨と一緒に流されて
朝になったらきれいさっぱり、なくなってくれないものだろうかと
ほの暗い繁華街の道を見下ろしながら、思った。








翌朝、雨と風の音で、目が覚める。
雲がすごい勢いで流れていくのを
ちょっとした天体ショーのように、眺めていた。






それから、もしかしてと思い、ベランダに出て
随分はっきりした虹を見つける。
長い間、くっきりとした色相が
薄く二重なって見事な半円を描いていた。

金曜の朝、きっとまだ誰も
こんな立派な虹に気づいていないだろう、と
したり顔で写真を撮っていた。

結局、半日以上、虹は位置を変え、濃さを変え、
家の窓からずっと見えていた。
本当に見事な、虹だった。

つらい一週間の末やってきた、休日の朝の贈り物ではなく、
誰もが鑑賞できる、気前のいい虹だった。

独り占めしようなど、というのが業というものなのだろうと、
アンマン城にかかる虹を見ながら、思った。
当然、次から次へと湧いてくる自分の業は
雨に流されることなんて、なかった。



早朝だったら、絶対にかかることのない位置に光る虹をみながら
自分の、この種の業なんてものは、場合によっては
こうやって凌駕するものに、
見事に、さわやかに、一蹴されるものなのだと、見せつけられる。

それならばそれで、悪くない。






2016/11/14

誰かに会うかも、しれない


日本の滞在はいつになく忙しかった。

おかげで、不本意ながらもヒラリーとトランプの顔を見ながら
銭湯に入らなくてはならなかったり
方々への返信が滞ったり
買い忘れが多くて、お土産もそろっていなかったり、している。

原因の一つは、単純にわたしの処理能力が低いからで
もう一つは、優先順位が自分本意だったから、というところだろう。

最後の日にたまたま、新宿を歩いていて思い立ち
新宿御苑に往ったりした。
日本での優先順位で常に、植物園か、動物園が上位に入っている。
おそらく、こういうことが、その他の大事なことができない理由なのだろう。




閑散とした公園を想像していたから
恐ろしい人の数に幾分、興ざめしてしまったのだけれど
立派なヒマラヤ杉と、湿気たっぷりの木陰と
黄色いスズカケ並木は、悪くなかった。



高い木々の向こうに高層ビルが見えるところが
少しだけ、ホーチミンの動物園に似ていた。

思いがけず、温室があったのも、よかった。
ヨルダンでの今年の夏、温室の、むっとする湿気と土の匂いに
ずっとずっと焦がれていたのを、思い出したりした。




家族連れとカップルばかりなので、
なんだか自分の場違いに身を固くせざるをえなくて
買ったばかりのイヤホンを試すのにもちょうどいい、などと
大きな、小さな子どもたちの声の代わりに
Nick Drakeを久しぶりに聴いたりしていた。

水と湿気のある景色は、確かにRiver Manとかぴったりなのだけれど
景色と曲にギャップがないということは、随分直接的で
曲がいつも以上に音と色を濃くしていた。


今回の優先順位で一番高かったのは、映画だった。
波に乗って「君の名は」を観よう、という話。
新海誠の映画は全部見ていたのもあって気になっていた。

期待通り、ぐっときた。
でも、なんでぐっときたのか、はっきりと掴みきれなかった。
映画のストーリー展開が早すぎて
ついていくのに必死なはずなのだけれど、
ふっと心の中の何かに触ってくる場面がなんどとなくあって、
その感触だけで十分、泣けてしまった。

では、それはなんだったのか、と。

頭の片隅でずっと気になりながら
仕事の帰りに、乗り換えと買い物で、新宿を歩いていた。

新宿では、たくさんのしらない人とすれ違う。
なぜだか時々、すれ違う人を
誰かと間違えて振り返ったりする。
記憶が曖昧になって、みんなが似てみえているのかもしれない。
アラブ人ばかり見ていたら、あの濃い顔に目が慣れてしまったのかもしれない。

日本に戻ると時々、やってしまうのだ。
文字通り、振り返ってしまう。

そして、その瞬間、なにをしているんだろう、と恥ずかしくなり
違っていて当たり前だと思う。
それから、掴みどころのない、ささやかで、でも、決定的な失望感がやってくる。
見間違えた人は、そんなに関わった人ではなかったはずなのに、と
その人のことやその周りの人やことを思い出したりしていると
意外と引きずったりする。

そして、その度に、自分の小さな失敗とともに
人の多さに、呆れる。
こんなにたくさん人が居るという、事実。

人があんなにたくさん居て、それなのに
ただただ、物理的にすれ違うだけの関係性だから生じる、勘違いだ。
心の中に不本意ながらできた、小さく深い真っ暗な穴を見つめながら
仕方ない、間違いだったのだ、と
妙な具合に自分の中で自分を納得させる。

だいたい東京では新宿近辺にいるのだけれど
映画を観てからなるほど、新宿だからそういうことが起きるのだと、
土地にせいにしてみたりする。

とか。

ヨルダンに戻るフライトの中で
目が醒めたとき、涙が出ていた。
寝起きに泣いていることは、きっと
誰しも時々、あることだと思う。

理由なんてない。ただ昼間につけていたコンタクトの調子なのか
乾燥していた飛行機の中だからなのか。
ただ、このフライとではちょうど確かに、
誰かのことが夢に出てきたような気もして
でも、夢の中身はこれっぽちも思い出せなくて
飛行機の窓から、月に照らされて青白く光った翼と
明るい紺色の夜空を見たりした。

夢の痕跡や残り香のようなものに
その一日の心が占領されてしまう、なんてことも
時々あることなのではないか、と、思う。

そして、あれはなんだったのか、と
夢特有のおぼつかなさが手伝って、
都合がいいあれやこれを、
もしくは心配事のあれやこれを
夢のせいにして膨らませたりする。

夢の役目だ。

映画のストーリー自体が、おそらく
夢にまつわるたくさんの言い伝えや過去の文学を踏襲しているのだろうと、
勝手に思っている。



そういうことのいろいろがたぶん
映画を見ていて思い出されたのだろう。



絵の美しさには定評がある監督だけれど
「言の葉の庭」も「君の名は」も雨が降っていて
その圧倒的な緑と青の、みずみずしさが、もう、恋しくなる。
そういえば、「言の葉の庭」は新宿御苑だったと、
新宿駅の道すがら、新宿高校を見て思い出した。
味気ないと思っていた東京の景色が、
前よりも美しく思えるようになったのも、この監督のおかげかもしれない。

しばらくはまだ、映画をひきずるのだろう。
いっそのこと、Radwimpsのアルバムでも、買って帰ればよかったと、
今更後悔している。



もう、特別な誰かが居るとは思わないし思えないけれど
会いたい誰かに会えるかもしれない、と
そこはかとない期待を持って街を歩けるのならば
雨の新宿だって、悪くないところのように、思える。


アンマンでも、起こりうるのだろうか。
アンマンにも雨の季節が、やってきた。

2016/09/25

彼らの暮らしと、話の断片 9月3週目



ヨルダンの初秋は、随分とさわやかだ。

夜と昼の温度差があるからか、
日中はまだ、夏のように日差しが強いのだけれど
日の傾きは、確実に真夏のそれと違っていて、
その日の色の違いを、ひらけた空全体が映し出している。
だから、真夏の青さと、また少し、違う。

そう云えば、去年も今頃フィールドに出ていた、と
同じ地域を往く度に、何度も往ったその土地の
季節の移り変わりを、思い出したりしていた。

その、有無を云わせない、決定的な季節の変化に、
移動の車からやもすると、呆然と外を眺めてしまいそうになり、
はっと、気持ちがどこか遠くへ往ってしまいそうなのを
引き止めなくてはならなかった。

ヨルダンの秋にも、たくさんの記憶がある。
そう云えば、事業の始めにはイルビッドの訪問もしていたから
そろそろオリーブの収穫時期だろう、と
ムアッサル、というオリーブオイルの圧搾工場に並ぶ
車の列や、その先に広がる開けた青い空、
記憶の中の古い画像を、思い出していた。

でも、久々のフィールドは、いつもどこかで、少し緊張する。
この日は、ご家族に訊きたい別件の内容もあったから、
頭の中で、どうしたらスムーズに話が持っていけるのか
頭の片隅で、いろいろと考えを巡らせていた。

タバルブール、という比較的新しく開発された地域への訪問だった。


1件目:

建物のエントランスに立って待っていてくれた女の子は
そこからそのまま小さなタイルばりの庭の奥の
真っ暗な扉の中に入っていった。
家の入り口はすぐ、居間で、
広くない部屋の3面に置かれたソファの上には
3匹の熊のぬいぐるみが、均等な感覚で置かれていた。

エジプト人の家庭だった。
もう20年近く、ヨルダンに住んでいる。

お母さんは入り口の問い面に座っている。
部屋には灯りがなくて、開け放した入り口のドアからの光だけで
話をすることになる。
正面から入り込む光が、お母さんの姿だけに、静謐な陰影をつけていた。

教育に熱心なお母さんだった。
子どもの授業の様子を、よく知っていた。
どうも、つい最近まで私立の学校に、この女の子は通っていたようだった。
学校で習ったことを教科ごとに書き込める紙を見せてくれた。
私立ではきちんと、内容がわかるようにプリントを保護者にも作ってくれる、と。

話を聞いていると、
2番目の子どもが、おそらく日本ではADHDに分類されるような
学習や授業態度に難しさがある子のようだった。
なかなか適切なフォローが受けられない、という話になる。
病院に往こうと思っても、随分遠いところしか紹介してもらえなくて、
どうしたものか、と困っている、と。

いわゆる、病気と診断されるような人たちを対象とした病院のリストはあるけれど
学習障害を診る病院の名前は、手元になかった。

申し訳なくなり、スタッフとわたしは、ただただ、話を聞いた。
教育に関する限り、資料は準備しておくべきだった。

話はまた、学校に戻る。
公立の学校でも、ヨルダン人とシリア人以外の国籍の子どもは、
教科書代を払わなくてはならない。
この支出は辛いですね、と、でも、淡々とお母さんは話した。


去年のちょうど同じ時季、イラク人家庭に往った時にも、同じ話を聞いた。
その家庭は、交通事故でお父さんの足が不自由になってしまっていて
本当に困窮していた。
そこの家のお母さんは途中から、ずっと泣いていた。

教育省の役人と会議をするときに、
どういうことになっているのか、訊いてみた。
だって、イラク人には、お金持ちもいますからね、と
何ともするり、と云ってのけていた。


横に座っている6年生の女の子は
目をどこかに見据えたまま、静かに話を聞いていた。
何かに答える時、すこししわがれた、でもはきはきとした話し方をする
賢そうな子だった。
とにかく、本を読むのが好きだと、
やはり、人に話をする時には、相手の目をしっかり見据えて
話をする。

何か、学校でも家の周りでも、困ったことはないですか。
この質問に、お母さんもやはり、こちらの目をしっかり、見る。

ここはヨルダンで、私たちはヨルダン人なんだ、
エジプト人なのにどうしてここに居るの?
と、子どもは時々、訊かれる。
どうやって子どもは、この質問に答えればいいのかしら。

近所に住む子どもに訊かれたと、
女の子は云う。
部屋の真ん中にできた、空間の中に視線を据えていた。
どうやって答えたのか、結局聞けなかった。


家を出る時に、また女の子が建物の入り口まで
見送りにきてくれた。
暗い部屋を出ると、
心なしかどこか、すべての色が柔らかくなっているように思える。
女の子の目もまた、淡いグレーで
朝の黄色い光に、やわらいだ輝きが見えた気がした。


2件目:

出迎えてくれたお父さんは、
広い居間のソファに座った。
ほどなくして、おむつを履いた男の子がやってくる。
立派な垂れ目の、大人のようなはっきりした顔立ちの子で
なにかいたずらをしてやろうと、そこここを歩き回っていた。

HCRの証明書に、お母さんの名前はなかった。
お母さんはヨルダン人だから、登録されていない。
5人の子どもたちも、写真を見る限り、顔立ちがきりっとしていた。

お父さんは低くて大きな声で、娘を呼ぶ。
奥から6年生の長女がやってきた。
ピアスとカチューシャに、お揃いの青い花がついていて
派手な服と一緒になるとちぐはぐなのだけれど
時々カチューシャの場所を、手で確認していた。
随分と、神妙な顔で。
こちらの子の常で、腕を腹のあたりでしっかりと組んで
話を聞く。

学校では、学校の敷地内にある売店の手伝いをしている。
お金も扱うし、商品の場所や名前をしっかり覚えていなくてはならないから、
きっととても、活発で気の利く子なのだろう。

もう1人、4年生の女の子が居るはずだった。
学校の話を聞きたくて、居間に呼んでもらう。
何が楽しいのか、ずっとずっと、にこにこしている子で、
ふっくらした顔がよけいに、まあるくなっていた。

どんなことをするのが好きか訊いてみると、
乗り物が好きだから、バスに乗って学校に往くのが楽しい
そう、長女は答える。
下の子が、答えようとすると
とにかく、食べるのが好きなんだよなぁ、と
お父さんが代わりに答える。
嫌な顔もせず、ふっふとうれしそうに、下の子は笑っていた。

お父さんの携帯が鳴ると、おむつの子がいじろうと手を出す。
話の邪魔をさせまい、と、長女が引き寄せようとする。
それをものすごい力で振り切ろうとしていた。
ふっふと、うれしそうにまた、
隣に座っている下の子が笑っている。

どこかへ出かける支度が終わったお母さんが入ってきた。
背の高いお母さんで、立ったまま話をすると
なんだか、怒られているような気分になった。
下の子も勉強が好きだったらいいんだけどね、と
さほど困った様子でも、口調でもなく、云った。
また、自分のことを云われているのに、
下の子がふっふ、と、お餅のようなほっぺたを
ぷっくりさせて笑っていた。
その横で、おむつの子が、長女の膝に乗ろうと
足に体当たりしていた。

お父さんは仕事を転々としているし、
お母さんも親戚を頼ったりしなくてはならない。

けれども、圧倒的な安定感が、
部屋中に漂っている、見ていて幸せになる、家族の様子だった。


3件目;

ちょうど1年前の今頃、近くの家を訪問した。
熟しすぎたいちじくが地面にたくさん落ちていた記憶があった。
まだ、今が食べごろで実を落としていないいちじくが
そこだけぽっかりと明るい空き地の脇に
小さな畑を作っていた。

他の高い建物からは、どうしても見劣りのしてしまう
2階建ての小さなアパートメントの横には
6、6段だけの小さな階段がくっついていて
階段の上で女の子がこちらをじっと見ていた。

お父さんはしゅるしゅるとした話し方をする。
実のところ、聞き取りにくいタイプの話し方だった。

居間に案内されて座ると、暗い台所の扉から
アラファトみたいな風貌のおじいさんも
マスバハを片手で数えながら、やってきた。

ふと、床に敷かれた絨毯が、気にかかる。
わたしが初めの2年住んでいた家にも
全く同じ柄の絨毯があった。
でも、この家の方がよほど、わたしが使っていたものよりもきれいだった。

基本的にスタッフがアラビア語でする会話の邪魔はしないように
できるだけ聞き取りに専念することにしている。
特に聞き取りが難しい時には、じっととにかく、見る。

一通り、家族の様子を把握する質問が終わる頃に
お父さんは、傷が痛くてね、という。
お父さんは左のすねに大きな傷があって、
こちらの診療所で手術をしたという。

診療所は比較的簡単に見つかる。
各地域に一つはある、というものだ。
ただ、診療所で処置できないものに関しては
政府の病院への紹介状を携えて、遠い病院へ往かなくてはならない。
この地域にも、アンマンでも数限られた
政府の病院の一つがある。
予約を取ろうとすると、胃が痛くても6ヶ月後、
特別な虫歯の治療が必要でも4ヶ月後、と
全く患者の数に、治療が追いついていない。


話が子どものことになると
話の内容が学校に関することや趣味の話になるので
話の輪郭がはっきりしてくる。
女の子たちは二人とも絵を描くのが好き、という。

でも、この子ね、首を絞めている絵とか描くんですよね、と
お父さんはどうしてなのか、そこだけリアクション大きめに
自分で自分の首を絞めるまねをしてみたりした。

ドイツとかアメリカとかに往っている親族もいるけれどね、
うちはいいよ、と人差し指を立てて、ら、ら、と云う。
とにかくお金が欲しいけれど、お金の配布とかは、していないのですか?

こうなると、こちらは誠実に、できる支援内容を説明していくことになる。
お父さんは、隠そうとしても隠しきれないようで、
残念そうな、少しいらだっているような表情で
こちらの説明に耳を傾けていた。

帰るときになると、また子どもたちが見送りにきてくれる。
また、階段の上から、子どもたちはでも、
無邪気に、手を振ってくれた。


4件目:


この家の近所もまた、一度来たことがあった。
その内部の詳細も、よく覚えていた。
同じ敷地の、違う棟の1階の家に、入っていく。
エントランスの扉を開けた女の子は
やもすると、日本の子のような印象を受けた。
すがたかたちが、ちょうど中学生の日本の子のようだった。

1階の外に通じた居間、大きな窓が開けられていて
それを覆う淡く白いカーテンが、風に揺れていた。
日本のアパートのようだった。
もっとも、日本のアパートよりもよほど広いけれど。

お母さんはターバンのような不思議な形のヒジャーブを巻いていた。
顔立ちはあまり二人の娘と似ていないけれど
やはり、どこか違った感じがするのが気になっていたら、
お母さんはチェルケス人で、お父さんはクルド人のようだった。

お父さんとは離婚をしている。
ヨルダンに避難してまだラムサに住んでいた頃
レーザーで木材を加工する機械を買ったという。
でも、その機械の購入やら、仕事場やらで
いろいろともめてしまって、別れたという。

お母さんは、お菓子の箱のパッケージデザインをしたり
レストランで働いたりしているけれど
なかなか安定しないという。

HCRの証明書を見て、密かに、はっとする。
わたしより1ヶ月ぐらい、お母さんの方が若い。
同い年の人だった。
見た目だけなら、わたしの方が完全に歳を取って見えるだろう、
かわいらしい顔立ちだ。
大きな娘さんが、いるものだ。


二人の娘たちは、似たような顔立ちをしていて
真っ黒で真っ直ぐな髪を肩上で切りそろえていた。
髪型もまた、日本の子を思い出させるのかもしれない。

子どもたちの教育の話を、しばらく熱心に話していた。
やはり、公立の学校のレベルの話になると
どうしても、問題がありすぎて、その詳細を書き取るだけで
精一杯になってしまう。
お母さんは看護師の資格も持っているのに、
ダマスカスに置いてきてしまったから、
証明できるものが、何もない、という。

子どもたちの趣味の話になると、
絵を描くのが好き、という話になった。
絵は、紙と書くことができる何かがあれば
すぐに始めることができる。
やはり、誰にとっても近しい、楽しみではある。
反対に、それほど好きではなくても、他にすることがないので
なんとなく絵を描いてみている子どもたちも、
たくさん家庭訪問でみてきた。


ただ、ここの子どもたちは違っていた。

奥からそろそろと、たくさんの紙の束を持ってくる。
指絵にマーブリング、ドロッピングからコラージュまで
絵の教育を受けていないと知らない技法を
たくさん駆使していた。
どうやってこういう技法を知ったんですか、と
つい、美術教員だったこともあって、尋ねてみる。

インターネットでフランスの絵画教室のサイトとかを見て
真似してみるんです、とお母さんは答える。

上の子の線のセンスが抜群に良かった。
また、形も、色の配置も、バランスがいい。
限られているであろう画材を感じさせないものだった。
こういうものは、教えてもできない。

もっと絵を勉強する機会があったなら、
相当伸びる子だろう。

どこの家庭訪問も、限りなく平等に近いスタンスでいることを
自分に課してきたけれど、
なんとも惜しい、という気持ちが働いてしまって
写真を撮らせていただいた。

毛糸があればすぐに、いろいろなものも作ってしまうんです。
お母さんは、子どもたちにまた、小声で何か、云う。
すると、奥からまた、たくさんの小物が出てきた。
マフラー、靴下、帽子。
平編みからかぎ針まで、いろいろな技法を使って、
造りも丁寧な小物たちが、絨毯の上に並べられる。
お店に居るみたいだ。

だから、ではどこかへ売りに往けるのか、といったら
そうでは、ない。
これぐらいできる子どもたちや大人たちも、たくさん居る。
支援を目的として売るにも、質は落とせない。
ましてや、外国を視野に入れるならば
厳しいチェックは免れない。
安請け合いをすると、話を持っていた人に迷惑がかかる。

ただ、ここの子どもたちはまだ若いから
どこかで新たな技法を覚える機会があって、
自由に色の選べる環境にあったら、
たくさん素敵なものが作れるのだろう。

口惜しさが、心いっぱい広がっていた。

そんな気持ちで並べられた小さな靴下を見ていたら
奥からまた、赤やピンクの紙袋を持って
二人の子どもたちが来た。
何が入っているのだろうと思ったら
お土産に、と、マフラーを二つ、入れてくれていた。

これはいただけない、と必死に断ろうとした。

とにかく、毛糸があればすぐにいろいろ作ってしまうから、
家には貰い手のないものが、たくさんあるんです。
いただいてもらった方が、こちらもありがたいんですよ。

その気持ちがうれしいけれど、
いただくということは、何かをしなくてはならないという意味だと、
わたしは思う。

果たして、自分の知る範囲の人脈で、
何ができるのだろうか。

結局、赤い紙袋を受け取って、家を出た。

また、エントランスまで、上の子が見送りにきてくれた。
白い階段の上で見送るその子の姿と佇まいが
やはり、いつか、日本のどこかで見た、誰かと重なっていた。