2011/09/30

2度目の船便





船便が届いた
そして先日、家へ持って帰ってきた


部屋の玄関で荷物を出しながら
ぼろぼろになったダンボールを見て
よく着いたな、と思う


ホーチミンでも
船便が着いた時はうれしかった
職員室で荷物を開けた時のことは
今でも鮮明に思い出すことができる

ただ、何故か今回は
随分と感慨深かった

もっと時間がかかると思っていたからなのも
理由の一つ


もう一つは
着いたはいいが
郵便局での受け取りと
家までの道のりが
予想以上に遠かったせいかもしれない


具合が良くないのに取りにいったせいで
待っている間に冷や汗が出てくる
預かり票を見せて荷物を倉庫から出してもらう


自分でテープを切って
太って暑そうで無愛想な役人に
中身を見せなくてはならない
こんなところでガムテープを切ってしまって
一体どうやって持って帰ればいいのだろう


二つの箱を開けて
衣類と本しか入っていないのを
役人はタバコを吸いながら適当に確認する
入れる時は何気なく入れたけれど
今となっては大切この上ない
長い厚手の靴下が落ちる
役人はぽいっと
汚いものでも触るように投げてよこした


いつもならば平気で嫌な顔をしてみるのだが
この日は元気がなかった


サインをもらってこい、と云う
サインは全部で4カ所
上の階へ往ってみたり
下の階へ往ってみたり


こんな時ばかりは
所属先の申請で手に入れた
外務省の身分証明書が威力を発揮する


顔があまりにもほてっているので
顔を覆ってぐったりとしていたら
会計のおじさんが
あとちょっとだよ、となぐさめてくれる


噂では法外な値段をふっかけられると聞いていたけれど
妥当な値段を妥当な口調で申し渡され
納得して支払い
2階の受け渡し所からエレベーターもなく
1階まで自力で運ぶ
きっと奥にはエレベーターがあるのだろう
客にはない、というシステム


来ても止まってくれないタクシーを
荷物の上に座り込んで見過ごす
やっと止まってくれたタクシーの運転手は
背中が痛くて持ってあげられないよ、と云う
いいです、止まってくれただけでもありがたい


アパートの前まで来て
荷物を降ろす
テナントに入っている水屋のおにいさんが
5階まで上げるのを手伝ってくれた


長かった


でも、帰り着いた時には37度を越えていた体温も
顆粒のだしの素や練り梅を手に取ってみたり
懐かしい本たちを開いたり
木炭でクロッキーをしているうちに
下がっていった


早速投げられた厚手の靴下をはいて
あと何枚セーターがあれば冬が越せるか
毛布に包まりながら計算する





雲が浮かんで秋になる




真っ青で雲一つないのが夏の空
雲が出てきたら秋だと聞いていた



雲が出てくる
今年は例年よりも1ヶ月以上早く
雨が降った

そして秋になった


ある日から、雲が出てくる
まだ、暑い
しばらくすると
雲の存在が気にならなくなる


そろそろ慣れた頃
早朝に雨が降った
今季一番最初の雨
濡れる道路に滑るタイヤ
至る所で車が事故を起こしていた


先日は砂塵の日だった
高い空から道路まで砂塵だらけで
朝から曇った夕方のようだった
日はぼんやりとしか見えず
無数の砂が光に反射して
白い2日間だった


そして今日
やっと青空が見えて
涼しくて乾いた風が吹き
雲が浮かぶ


長袖1枚ではもう寒い
金曜正午のお祈りを終えて
帰路につく人々
白くて長い服が
どことなしか黄色く見えるのは
日の色が変わってきたからかもしれない




ザクロと葡萄が旬
高級スーパーでは
日本と同じサイズのみかんも出ていた

いろいろな種類のリンゴが出てきて
お裾分けもよくいただくようになる

この土地の秋はどうやって過ごすものなのか
まだよく分からない
仕方がない
では、砂塵の日から
一度も触らなかった窓を開けて
部屋の中で冷たい風に耐えてみる


2011/09/18

Faureを聴く



震災のチャリティーコンサートがあった
Yasmin Alamiという
ヨルダン人の女性ピアニストのリサイタルだった
本当に小柄な方だった


会場の入り口には被災地の写真が飾られる
相馬市長からのメッセージも
英語とアラビア語の翻訳をつけて
掲示されていた
達筆な手書きのメッセージ


ベートーベンや「さくら さくら」の変奏曲のあと
被災地の映像とともに
Faureのノクターンが演奏される

和音も旋律も波打つような
Faureらしい繊細で美しい曲だ
聴くたびに、秋の夜中を思い出していた
しんとする、ということばの
しん、が、聴こえるような夜

でも、この曲はあまり得意ではない
楽譜も持っていたから
いつか弾いてみたい、と思ったこともあった
でも、ある時から
どこか、ぞっとするような空気が感じられるようになった
聴くと、単純に気が塞ぐ
初めの、音数の少ない
小さなフレーズだけでも
反射的に身構えて聴くようになった曲だった


選曲はある意味、正解なのかもしれない
生の演奏が生の映像とともに


最後に様々な国の人が
メッセージを持った写真が流される
本当にいろいろなところの人々が
それぞれの、そして一つの願いのための言葉を胸の前に掲げて
写真に収められる


曲の終わりは、決して、明るくはない
納まるべき、長調ではない和音は
落ち着きを払い、そして重い


その曲は
新たな意味を抱いて
感覚を刺激する


次にFaureを聴く時には
間違いなく、またあの映像を思い出すだろう





2011/09/16

続・金曜日

大切な金曜日




船便が着かない
冬物の服がない
急ぎ、古着ばかりのスークへ往く
冬物を買い足す
ネルシャツとカーディガン


そして、家に帰り
念願のフォーを作る


鶏と玉葱と生姜でだしをとって
大切にしまっておいたライスヌードルを茹でる


だしを取る時間はたっぷりある
だって、金曜日だから


生野菜は金曜日で買えなかったので
冷蔵庫のキャベツも茹でる




チャンの代わりにレモンを搾ったのだけど
やっぱりパンチが足りなくて

少し悲しい


それでも、フォーもどきが食べられて、幸せだ









2011/09/09

金曜日


仕事が始まった
そして、週休1日を久々に経験する

たった1日しか休みがないなんて

といっても
平日も仕事の時間は短い

それでも、一日中自分の時間であることが
こんなものだったか、と思う


もう部屋の中はうすら寒い


少しだけ開けた窓の外

金曜日は気のせいか
アザーンの音が大きい気がする

子どもの遊ぶ声は昼過ぎから

外の日差しは相変わらず強いけれど
吹く風はすっかり涼しくなって
最近はよく、雲が出るようになった

今のこの気配を、よく感じておく


金曜日でもやっているスーパーにでかけ
鶏やらなにやら買い込む
いつまで、大好きなパセリが食べられるのか
急に不安になる

それから
作りかけだったパレスティナ刺繍のコースターに
少しだけ手を入れる



2011/09/01

死海のほとり



死海のほとりは観光客でにぎわっていた
34度もある海水
波はほとんどなく
岸には塩がたまる
すべてに塩がついて
塩にくるまれた石やらフェンスや砂で
足の裏が痛い

海水はあまりに濃度が高くて
砂糖水を溶かした時のように
もやがかかっている
前日に渓流で遊んだ
小学生のような膝小僧の立派な傷口が
恐ろしくしみた

もう、海ではない
大きな湖
海の匂いはしない

対岸にはパレスティナ西岸
近くて遠いその土地にも
小さな家々がうっすらと見える

それでも水には変わりない
久しぶりに水と戯れて
少し日焼けをして
湿気を含んだ空気を肌いっぱいに取り込む