2017/07/30

彼らの暮らしと、話の断片 7月4,5週 ー子どもたちとだぼぅどぅーぶー


6月の一時帰国中、
仕事の事業で必要な資金の募金活動をしていた。
助けていただいた方々のご縁で
くまのマリオネットを譲っていただいた。

マリオネット作家さんが居てね、と
マリオネットの動画を見せていただいた。
熊本に無償でマリオネットを譲る活動の一環で
幼稚園を訪問しているシーン、子どもたちの表情に釘付けになる。




いつもの妄想癖で頭が一杯になった。
絶対に、シリア人の子どもたちも喜ぶに違いない。

いい年をしてすぐ思っていることが顔に出る、と未だに周りの人たちにからかわれる。
この時もよほど、この動画を見ながら
欲しそうな顔をしていたのだろう。

マリオネットをいただいたすぐ後には、ヨルダンに戻る予定だった。
帰りの地下鉄の中で
自分が新しいおもちゃをもらった子どものように喜んでいた。
バカみたいにただ単純に、嬉しかった。


一時帰国の度に、日本にうまく適応できないのではないかと、恐怖に襲われる。

いつか日本にもどらなくては、と思いながら、
でも、ヨルダンに住んでいる、ということしか、
自分に価値がないという事実を、日本に戻るたびに、見せつけられる。
そして、今回はまさに、それを使って仕事をするしかなかった。


あれほどさっさとヨルダンに戻るんだと思っていたのに
図らずも長くなった、仕事に追われる東京放浪生活で、
いろんな方に助けていただいたのに
思うように募金の数字も伸びないし、
恐怖と裏腹に、日本の空気に慣れつつある自分も、怖かった。

そんな中で、日本にいてよかった、と思える瞬間の一つだった。
1本の動画に真摯で優しい視点がにじんでいて、
幸いにも、それを紹介していただく機会があった。

人とのつながりはありがたいと、心底しみじみと、思った。


ただ、今度は事業承認の省庁手続きに手間取った。
キャンプの子どもたちに、といただいたのに
キャンプの申請が進まない。
数ヶ月前から申請しているのに
いつまでたっても、
ラマダンだったから、担当者が居ないから、承認審議の会議が開かれないから、と
先延ばしになっていた。

そろそろ子どもたちの顔を見ないと
なんでこんな、日本から離れた国にいるのかも分からなくなってしまうし、
せっかくいただいたものも、
シリアの子どもたちと出会わせてあげられなければ、意味がない。

こういう時にも、
また、周りに人たちにお世話になりっぱなしになる。
この家庭訪問の前にも
数回訪れたことのあったアンマンの母子センターのアポを取ってもらった。

その時、そのセンターの子どもがつけてくれた名前が
”だぼぅどぅーぶ”だった。
”だっぶ”がアラビア語でくま。
くまのぬいぐるみ、とかくまくまさん、という、語感だ。
個人的に、この音が、気に入っている。
とにかく、アラビア語っぽい。
ムハンマドがハッムーデという愛称になるのと、
同じような言葉の活用だ。

名前がついたところで、次にマリオネットを連れて行ったのが
前話の続きになる、この家庭訪問だった。


マルカ・ジャヌビーエ ハイ ラアブース ーくまのマリオネットとー



金曜の午後か土曜日の方が、

個人的な家庭訪問は圧倒的にしやすい。
2週に渡って伺ったお宅も
午前中にはもっとたくさん親戚が遊びに来ていた、と云っていて
それでも部屋には次から次へと
親戚の子どもたちが集まってきていた。

お休みの日は、親戚同士が顔を合わせる

大事な日になる。

1回目の訪問前、

男の子3人兄弟の家だ、と
紹介していただいた人から家族構成を聞いたとき
きっと、気に入ってくれるだろう、と
衝動的にマリオネットを取りに、家へ戻った。
最上階のペントハウスに戻る途中、
エレベーターのない長い階段をひたすら登りながら
うまく自分が操れるのかを考えていなかった、と練習を怠っていたことと、
どんな家族なのか知らないことに、
少し後悔した。

家によっては、笑顔が一つも見られない家庭もある。
また、私たち外国人への警戒心を
あからさまに見せてくる親御さんもいる。
せっかくだぼぅどぅーぶを連れて往っても
空気が読めない状況になってしまうことも、
あり得るのだった。

でも、ありがたいことに、そんな遅ればせの杞憂を一蹴してくれる
元気な子どもたちが、訪問先では待っていた。

屋上のビニールプールで遊ぶ3人の子どもたちは、

あまりにはしゃぎすぎて、
プールサイドでご両親と用事を話す合間にも
子どもたちは飛沫を飛ばしまくり
お父さんから、休憩を云い渡される。
ちょうどいいタイミングだろうと、くまのマリオネットを出す。

パンツ一丁でプールから出てきた末っ子が

だぼぅどぅーぶを見て、文字通り踊りながら、喜んだ。
このマリオネットのパワーはすごさを
あらためて思い知らされる、
なんともかわいらしい喜びの踊りだった。


階下には”だばでぃーぶ”が居るよ、とお父さんは云う。

どう云う意味なのだろうか、と思いつつ、
階下の部屋へ往くと
子どもたちが寝室から、次から次へ、ぬいぐるみを持ってきた。
くまが3匹、蛇やら何やらよくわからないものまで、
たくさんのぬいぐるみがあった。

くま、の複数形は”だばでぃーぶ”になる。

アラビア語は、本当に、難しい。

手足が動くくまのぬいぐるみを持ちながら

間接は、革ね、糸をつけて、、、、と
お父さんはだぶどぅーぶの構造を既製のぬいぐるみに当てはめて
どうやったら作れるのか、と
ぶつぶつつぶやいていた。

このお父さんなら、作れるかもしれない。


お父さんとお母さんが子どもたちの様子をしっかり見ていてくれていたので

背丈がまだ小さくて、この兄弟には難しいけれど
だぼぅどぅーぶを操ってもらう。

長男ラビアがまず、コントローラーを器用に握って

歩かせる。
指がまだ長くないから
口を動かす糸には指がとどかなくて
口が開きっぱなしになる。

すると、次男のヤーコブが

この糸が口につながってるんだよね、と
口をぱくぱく動かす。
末っ子のイスマイールが握手とキッスを浴びせかける。

なるほど、3人でやれば、できるかもしれない、と

新しい発見をした。

こちらでは、必ず会った時には、
アッサラーム アレイコムと云って、握手をする。
近しければ、もしくは、2回目に会った時からは
左頬に1回、右頬に3、4回、キスをする。
同じことを、だぼぅどぅーぶにもしてくれるわけだ。


でも、どう動かしているのかは自分たちでは見られない。

鏡はある?と訊いたら
ご両親の寝室に連れて行ってくれた。

ベッドの上にだぼぅどぅーぶを座らせて、

ベッドの上に子どもたちは立って、
きゃっきゃと云いながら、マリオネットで遊んでいた。
そのうち、そういえば、と
寝室の奥から、普段はたぶん、触らせてもらえないのだろう
秘蔵のおもちゃを持ち出してきて、
これはトルコに住む親戚から送られてきたの、と
電源につなぐと光の灯る、小さな家を見せてくれた。

長男ラビアが違うおもちゃに気持ちが向き始めたのをいいことに、

次男ヤーコブがまた、コントローラーを握り
一生懸命歩かせようとしていた。
あまりうまくいかないのだけれど
本人は満足げに、ご両親のところに連れて往った。

あまりマリオネットは器用に動かせなかったけれど

6歳のヤーコブは既に、47章までコーランを覚えている。
お父さんは近くでコーラン教室を開いているのもあって、
47章目をがんばって暗唱してくれた。

だぼぅどぅーぶと、無邪気な子どもたちと

無邪気に過ごせる環境を作り出しているご両親のおかげで
コロコロと笑いが絶えない、時間を過ごした。

2回目の訪問の時には、親戚の子どもたちも来ていた。

本当に、みんな同じように挨拶をする。
それがおかしくて、かわいらしくて、
いつまでたっても人気者のだぼぅどぅーぶは
キスをされまくり、握手をされまくり
アラブ風の踊りまで踊って、
大活躍だった。


シリアの子どもたちを笑顔に、といただいたのだけれど
私の方が、楽しませていただいて、
助けてもらっている。


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