2022/02/11

この日のはなし ー プレゼント文化 

 
最近、ずっと家の整理をしている。
エレベーターのない7階分まで、いつの日かに運んだものを
また7階分降りて、捨てる作業。
身体に負荷のかかる工程の中で、
まったく、どうしてこんなに運び上げたのか、
心底呆れかえっている。

ものを捨てるのは、決断の繰り返しだ。
私は実のところ、決断を下すのはあまり得意ではない。
定石に則って、仕事で何かを決定するのはそれなりに慣れているけれど、
自分の周辺のことは、おざなりになりがちで、
その集積が、この作業となって身に降りかかってきている。

こんなことで、とやかく言うのは失礼だというのは
重々承知だけれども、
こちらの人からいただくもので、一番困るのは香水だ。
きっとアラブ人にとっても、好みのはっきりしているもののはずなのに
誰も彼も、躊躇いなくプレゼントしてくれる。
どれも、脳天が溶け出すほど甘い香りで、これもまた私を呆然とさせる。

たくさんの賞状や盾、これもまた、どうしたものかと、思う。
とにかく、こちらの人は賞状が好きだから、
研修、事業完了、アクティビティ出席、何でもかんでも、
賞状を要求される。
盾ならなお、いいらしい。
文章に細心の注意を払うことには幾らか神経を使うけれど、
発行すること自体には慣れた。
けれども、私にもなぜか、賞状を作ってくれる。
そして、とても嬉しそうに、私にくれる。
基本的に、写真用だと認識するようにしている。
日本人の私に賞状を渡し、渡した人と私が、
賞状を手にして写真に収まる。

いずれも、いただいたから持っていなくては、と
掃除のたびになんとなく、手にとってはみるけれど
結局元の場所に戻してしまっていたものものだった。

結局のところ、捨てられない。
だから、香水は誰かもらってくれそうな人たちに渡す用の袋に入れ直す。
賞状はまだ紙なので、そのままフォルダに入れる。
日本に持って帰っても、誰も読めないものばかりだ。
私が死んだら、遺品整理でも困るだろう。
きっと、バサッとまとめて燃やせるゴミに入れられる。
もし、それまで私がまだ、持っていたら、だけれど。

捨てるか捨てないか、の決断は、
多くの場合、くれた人との関係性の時間的な経過による。
そのもの自体が、余程魅力的なものでない限り、
思い出だったり、相手の顔が見えたり、その鮮明度合いが
判断材料になっている。

だから、自分に関わって下さった人々に対する
自分の甲斐性の無さを、痛いほど感じさせる過程でもある。
後悔と自分の力不足と、諦め。
自分のせいで、心痛む、精神を蝕む作業なのだということを
久々に実感する。

もらわなければいいのだ、というはなしなのだけど、
こちらの人は、何かをあげることが大好きだ。
どれだけ自分たちの生活が金銭的に苦しい状況にあっても
何だか心いっぱいの何かを、くれる。
香水、賞状、オリーブ、マグドゥース、ペトラの盾、
アクセサリー、Tシャツ。

そして、このプレゼント文化は、お店にも定着している。
世界的なチェーン店ではない限り、
ラッピングにかかる手間と材料費は度外視される。
プレゼントしたい、と言うと
もしかしたら、ラッピングの箱や紙の方が高いんじゃないか、と思うような
立派な入れ物や綺麗な紙が、無料で提供される。
包む人たちも、面倒そうな顔をしない。
往々にして上手に包めないし、時間もかかるのだけれど、
店員さんがプレゼントするのではないか、と思えてくるぐらい
嬉しそうにやってくれる。

先日、巨大なハートの真っ赤な箱を、おばさまからもらった。
中身のハッタは、箱よりもよほど小さくて、
箱の形も色も、くれた人も、中身もすべてがどこかチグハグで、
結局のところ、とても可愛らしかった。





いただくときの私と、くれる人の思いだけを、別の形ない何かに変えて、
しっかり保存できるドラえもんの道具的な機械があればいいのに。









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