2022/02/16

この日のはなし ー ムスタルジャル

 

ある人の人物像をめぐって、スタッフと見解が異なった。
何回か会ったことのある、訪問先のおばさんについてだ。

私は、このおばさんにあまり、いい印象を持っていない。
英語とアラビア語を混ぜて話されるのも頭が混乱するし、
何かしらアピールしたいことがあるのか、
やたら押しの強い感じで、迫ってくる物言いをするのも
どうにも聞いていて疲れる。

以前、フィールドで起こったある問題について解決しなくてはならなくて
このおばさんの勤め先の事務所へ出向いた。
誰かに聞かれてまずい話ではなかったのに、
寒かったのか、秘密主義なのか、
きつい口調で「ドアを閉めて」とおばさんは言った。
反射的に、ドアに近かった私が動いてドアを閉めたけれど、
彼女はどうも、彼女の脇に座っていた別の部署のおじさんに
命令したようだった。

外国人が言葉を分かって閉めてしまう、という状況は
結構、気まずいようだった。
彼女はドアを閉めて欲しかったのだし、
私がドアに近かったのだから、
特に自分が閉めたこと自体は、気にしなかったのだけれど、
彼女の口調がどうにも、気に食わなかった。

ついでに、脇に座っているおじさんが
かなり偉い人のはずなのに、尻に敷かれた亭主みたいに
おどおどしている様子も気になった。
私の思い過ごしなのかもしれないけれど、
どうもこのおじさんは、この状況を楽しんでいるようにも、見えた。

こちらでは、仕事場で男性が女性の尻に敷かれる様など
受け入れられない事態だから、かなり驚いたこともあって、
この一連の流れをよく、記憶している。


さて、そのおばさんについて情報を仕入れたスタッフは
彼女のことを、ムスタルジャル、と表現する。
ラジョルが男性を意味する名詞で、それを形容詞化した単語だから、
男っぽい、と訳すのだろうか。
口調や行動が、男性的である、という意味のようだった。

悪い人じゃないのよ、ただ、女性的な気遣いとかが
できないだけだけの人なのよ、とスタッフは言う。
では、命令口調が男性だけに許されているものなのか、とか
ぼやぼや思いつつも、大人しく見解に耳を傾ける。

なぜなら、おばさんについての情報を提供したのが、
スタッフの叔母にあたる人だったからだ。
この叔母という人は、度々スタッフの話に登場する、
なかなか興味深い人だ。


ずっと教育関連の政府機関にいた人で、
以前私も一度挨拶したことがある。
オールドミスを絵に描いたような風貌をした
先生然とした人だった。

リタイアした後は、家の前の通りに面した窓から
外の様子を観察するのが日課となっている。
だから、近所の人がやたらたくさん買い物をしている、とか
新しい椅子を買い入れた、とか
あそこの家の人が喧嘩をした、とか
とにかく何でも知っているのだ。

教員の端くれだったので私にも心当たりがあるけれど、
教職についている人の多くは、人のことをよく見ている。
だから、例のおばさんについての見解や情報もまた、
かなりの確度高いものに違いない。


その叔母が色々と言ってくる、という話から、
どうも母親と意見が合わない、という話題に変わる。

取るに足らない話のつもりで、
服の趣味がさっぱり合わない、と私は口にしてみた。

どんな服が好きなのか、という訊かれたので、
フリフリのレースとか着てる、と言うと
あら、素敵じゃない、と目を輝かせる。
そんなことを言うスタッフは、いつもすっきりした格好をしている。
あなただってそんな服着ないでしょう、と私は眉を顰める。

ガーリーなのだって大事なのよ、それを分かっているから
きっとお母さんは勧めてくるのよ。
母親の言うことなんて大体、当たってるものだから、きっと着たら似合うのよ。
などと、見たこともない服の感想を想像でコメントしてくる。

小さい頃、きれいな服を着て出かけて
口が小さいから食べこぼし、怒られた思い出す。
どうせ汚すと分かっているのにきれいな服を着させようとする
母親が悪いんだ、などと、どうでもいい昔の愚痴を
冗談半分ぶつぶつ言う私に、大仰に呆れた表情を見せて、
スタッフはため息をついた。


そんなやりとりの後、
なぜか盛大に買ってきてくれた、美味しいお菓子をいただく。

ぱっぱと切り分け、お皿を準備し、
美味しいお茶を淹れて、仕事机の上に準備してくれた。
自分で買ったシナモンロールの他に、
今朝、これもまた、なぜかスタッフが作ってくれたサンドイッチと
お菓子が机の上に乗ってしまい、食べないと書類が置けなくなる。




出されるがまま、お菓子を美味しくいただき、
なんとなくお皿を重ねて置きっぱなしにしたまま仕事をしていたら、
お皿を片付けるべく、スタッフがキッチンへ運んでくれる。

申し訳なく思って、何となくキッチンへついて行ったはいいけれど、
キッチンが狭くて分担もできず、
ただ、スタッフが手際良く洗う様子を後ろから眺めていた。


私よりも10歳以上若いこのスタッフは、きっと家でも、
長女として、下の兄弟たちの面倒を見ながら、
母親の仕事を手伝い、何でも要領よく片付けて、
必要なことを過不足なく、きちんと済ませてきたのだろう。
親の愚痴を率先して聞き、心半分に同調しつつ
親の小言は兄弟たちに、きちんとそれとなく伝え、
円満に家族との日々が過ぎていくように、調整している。

勝手に家の中の彼女を想像しながら、
片付いていくものものと、彼女の背中を眺め、
お疲れ様です、とアラビア語でつぶやく。
すると、彼女はニヤッと笑って振り向いた。

きっと、この瞬間彼女もまた、
私が実家で今と同じように、要領悪く手伝いもできず
何となく誰かが片付けてくれているのを、手持ち無沙汰で眺めている様子を
想像したに違いない。


結局ねぎらいの言葉のほか、何もせず仕事場に戻りながら、
このスタッフが以前言っていた話をふと、思い出した。

その時フィールドで会った女性が、なかなかしたたかな人で
男性の前になると仕草も口調もすべて、見事に変わる人物だった。
それが面白くて、事務所へ戻ってきて
アラビア語で話し方を真似していた私の様子を
ニヤニヤしながら見ていたスタッフは
でも、あの人は色々とうわ手だと思うよ、と言い出す。

いや、あんな絵に描いたような、女丸出しな感じはないわ、と言うと、
あれが気に食わないなんて、女に生まれたという得を
全く活用していない、と目を丸くして驚かれる。


表面的には、もしくは、少なくともアジア人の女性には
完全に男性社会にしか見えないアラブ社会でも、
女性が覇権を手に入れる方法がある。
いわゆる、日本語で言うところの、手の上で転がす、技だ。

結婚する前には、母親や叔母やら、近親の女性たちから、
結婚生活をつつがなく送るためのティップスを教えられる。

それとなく、旦那の耳元で、自分の願う状況になるよう
こうしてみたら、とか、こっちの方がいいわ、とか、ささやく。
でも、いざ願った通りの状況になった時には、
やっぱりあなたってすごいわ、とか
あなたの判断は正しかったわね、とか
あたかも男性が自分で決めたかのように、信じさせる。

そうやって、家庭円満、旦那は思う通りに操るんだって
お母さんが言っていた、と、したり顔でスタッフは教えてくれた。


日本でも聞く話ではあるけれど、これを実際やってみるのは
想像するに、なかなか難しい。
少なくとも私の場合、事の成り行きがうまく行っても行かなくても、
誰がその提案をしたのか、責任の所在も含め、
詳らかにしたい。
だから、おそらく一生できない技なのだと思う。

そう言うと、また大仰に手を広げて、
それはどうにかした方がいいわね、と言われた。


そう、どうにかした方がいいのだと思う。
たぶん、私はアラブ女性的基準からしたら、
ムスタルジャルに分類されるのだろう。


私の知る限り、アラブ女性は結構色々な場面で
サバイブ能力の高い人たちばかりだ。

そもそも、顔も美しければ、スタイルもいい女性たちが
女たちばかりの世界で学生時代を過ごしている。
私にはなかなか、恐ろしいとしか思えないような環境を
したたかに、しなやかに生き抜いて来た女性たちにとって、
女性という性は、おそらく私が経験しているよりも
豊かで、複雑で、面倒で、面白いのだと思う。

そんな女性たちがおばさんやらお母さんになるまでに
培ってきた見解と技ならば、
女性に対してだろうと、男性に対してだろうと、
どこの土地に行っても、通用するはずだ。




0 件のコメント: