2021/04/09

砂塵と鳩の舞う土地 - ラマダン前 ロバの蹄鉄変え 魔法のソース


「すべてのことは、ラマダンの前に」
ラマダン月が近くなると、合言葉になる。
もっとも、これを口にしているのは私がムスリムではないからで、
私の仕事の心配など、周囲の人たちが気にしている様子もない。

私が経験する限り、ほとんどのものごとがラマダン月は滞る。
だからと言って急ぎの用事があっても、対応するにはみんな疲れすぎていて
強要することは、ほぼ不可能となる。

特に今年は、ラマダン中も昨年と同様、
夕方から外出禁止、週末もロックダウンだから、
オンラインであらゆる手を尽くしても、
結局対面での説明に勝る方法はないこともまた、
昨年と今年を通じて経験した身としては
心配事が尽きないラマダン月となる。

キャンプでの仕事も同様に、いろいろと済ませておきたいことがあった。

その一つが、新聞の掲示場所確保。
ラマダン中は子どもたちも断食していて、日中も夜も(外出禁止で)外にいないから
渡す方法が限られてくる。
一番早いのは、人の往来が激しい場所に掲示してもらうこと。
作った新聞を掲示する場所は、ラマダン前に決めておかないと
作ったものが人の目に触れなくなってしまう。

長い話し合いの後、場所探しをするために、学校を出た。
遠くから子犬の悲痛な鳴き声が響く。
学校のすぐ前に作られた排水管の中で、子犬が吠えていた。
足早に逃げていく男の子、石を握っていた。


子どもたちの様子も、しばらく見られなくなるだろう。
相変わらず、凧揚げ、買い物、自転車疾走、ビー玉遊び、
時に犬を追い回し、犬と遊ぶ。




サイズの合わない自転車を乗り回す生徒が寄ってくる。
珍しく、岡山からの自転車だった。
キャンプの中で走っている自転車の多くは、埼玉か大阪からきている。


通りの脇で仕事を待っているロバたちが
荷台につながる綱をつけられたまま、大人しく佇んでいる。
最近、蹄鉄を付け替えたんだ、という話が出てきたので
どのようにつけるのか詳細を聞こうとしたら、
その後ビデオを送ってきてくれた。

アスファルトと石だらけの土の道、両方を行かなくてはならないから、
きっと、蹄鉄のメンテナンスはロバにとっても飼い主にとっても
とても大事だ。

あまり丈夫ではなさそうな細い釘を、ねじれを直しながら
いくつも開けられた蹄鉄の小さな下穴に打ち込んでいく。
ビデオの中で、子どもたちはロバを抑え、脚を固定し、
爪を平らにしたり、蹄にヤスリをかけたり、
蹄鉄の固定作業をするお父さんの仕事を
間近でしっかりと、見て、体感していた。
きっと、この子たちはこの先もちゃんと、自分たちで
ロバを大切に飼っていくことができるだろう。




キャンプの中心地からは随分離れているけれど、
立派なスーク(商店街)が学校の近くにもある。
その道へ出て、どこのお店だったら貼ってもらえるのか
交渉を始めることにした。


普段、この道は通らない。
特にコロナが始まってからは、人の多い場所は避けていたし、私は目立ちすぎる。
だから、理由を携え、活気ある場所で人々の様子を見られる
久々のスークに、密かに心踊らせる。

軒を連ねる店のすべてに貼っても仕方がない。
種類の異なる店に、ある程度の間隔をおいて貼ってもらうことになる。
子どもの行きそうな店はどれなのか、などと思いながら
キョロキョロしていると、新しく店を開いているところもあれば、
経営が苦しいのか、閉まったまま久しいのだろう店もあった。

キャンプの中の方が日用品の値段が安いことも多い。
ただ、コロナに関係なく、生活条件のさまざまな制約の中で設定された
値段に便乗して何かを買うのは抵抗があるので、
基本的には、急な用事などで必要に迫られたり、
お腹が空いてどうしても何かを食べたい時の他は、買わないようにしている。
でも、キャンプの中、外に関わらず、
シリア人の作る食べ物は、お菓子も惣菜パンもとても、美味しい。


新しくできた香辛料の店は、天井も高くてきれいだった。
整然と並べられた商品、壁に備え付けられた棚は天井近くまで届く。
基本的には、店の外で交渉していたのだけれど、
スタッフが交渉をしている間、やたらジロジロとガラス越しに覗いていたからか、
店の中に招いてくれた。
何も買わないのも失礼なので、
近所の香辛料屋さんにはなかったハイビスカスの花を購入する。





こちらでは、花をそのまま乾燥させてお茶にしている。
夏の暑い日には、酸味の強いお茶は身体をすっきりさせてくれる。
これ、酸っぱくて嫌いなんだよね、と
スタッフは梅干しを食べた時のような顔をしてみる。


斜向かいでは、チキンがクルクルと回っていた。
こちらでは、チキンの丸焼きがよく売られている。
シリア人の作るシュワルマ(鶏か羊肉の切り身をパンで挟んだ軽食)も
チキンの丸焼きも、ヨルダンのものと少し味が異なる。

キャンプのチキンの丸焼きには、特別な思い入れがある。
一度だけ、世にも美味しいソースのかかったチキンを食べたことがあったからだ。

数年前、仕事終わりにあまりにお腹が空いて
キャンプの目抜き通りのお店で、チキンの丸焼きを買った。
店頭でぐるぐる回るチキンは、あまりにも魅惑的で、
普段はキャンプで何もものは買わないようにしているのだけれど、
どうしても誘惑に勝てなかった。

あれ以来、アンマンでチキンの丸焼きを買うたびに、
同じ味の店はないのか探し続けているのだけれど、
一度として出会ったことがない。

そんな話を、切々と拙いアラビア語で説明している顔が
どうにも哀れに見えたのかもしれない。
すぐに考えていることが顔に出るのは、私の数多ある致命的な欠点の一つ。
スタッフが、店の外で働く生徒に、声をかけていた。
ここのお店ではどんなソースを使ってるの?と。




お店の人たちがみんな、私の方を見る。
視線に耐えかねて、とりあえず店頭のチキンに携帯のカメラを向けている私に
生徒が小さな容器に入ったソースを手渡してくれる。
サイズの小さなビニール手袋に包まれた大人サイズの手は、どことなく痛々しい。

いや、そういうことではなかったんです、と一通り否定してみるけれど
味を確かめずにはいられない。

少し舐めてみると、それは市販のBBQソースだった。
いや、これではないんです、と持ってきてくれた青年に言うと、
にやっと笑って、店の中に入っていく。
そして新たに持ってきてくれた容器の中には、
さっきのBBQソースとマヨネーズが入っていた。
違うんだよな、、、、と思いながら、でも舐めてみる。
こちらのマヨネーズにはニンニクが入っていて、美味しい。

いや、これでもないんですよね。
申し訳ない気持ちでいっぱいになり、それでも、
魔法のソースの味が忘れられない卑しさのせいか、説明を重ねる。
少しとろっとしていて、赤っぽく金色っぽい色だったんです。


すると、しばらくして、また違う容器が出てくる。
魔法のソースとは違うけれど、とてもおいしかった。
おそらく、鶏を焼く時に出る汁に香辛料を混ぜている。

これ以上、違う、とは言えない。
だから、これは本当に美味しいですねぇ、とだけ素直に言う。
もう17歳ぐらいにはなっている生徒と、周囲のギャラリーの人たちは、
とても嬉しそうな顔をする。

掲示のことを確認すると、私がソースを舐めている間に、
きれいに話をまとめていてくれたことがわかった。

このまま帰るわけにはいかない。
鶏を一羽、丸ごと買うことにした。

シリアの人たちは、自分たちの料理に誇りを持っている。
そしてまた、彼らはホスピタリティに溢れているから
まして、ソースの味の話などをした時には、
このようなくだりで、皆全力を尽くしてくれる。

予想できたことだった、という後ろめたさと
久々、本場のチキンが待っていることへの期待の狭間で
幾らかだけ、だけれど、複雑な気持ちになった。
でも、お腹は正直で、録音できそうな音が鳴る。
考えてみたら朝から何も食べていなかった。


その後もいろいろな店で交渉し、店の目星もつく。
鳩は相変わらずよく旋回し、子どもたちは日が暮れるまできっと
遊び続けているだろう。


ラマダン前に済ませなくてはならないことが
アンマンでもキャンプでも、実のところほとんど済ませられていない。
今、ヨルダンは会社も省庁も、出勤は20−50%に抑えられている。
単純計算で20%ならば、何をするのにも普段の5倍、時間がかかることになる。
予想してすべて早めに動いていたのに、その上を行く、
遅々とした物事の進捗に、日々途方に暮れていた。


掲示場所の確保など、本来ならばスタッフにもお願いできたことだけれど、
自分の足できちんと見て、判断して、確実に終わらせていく、
そういう作業が今、おそらく必要だったのだと思い当たる。


帰路に着く車の中には、鶏の美味しそうな香ばしい匂いが漂い、
窓を全開にしていても、じわりと鼻先をかすめる。

考えてみたら、こちらに戻ってきて以来、外食もテイクアウトもしていなかった。
夕方から外出禁止、そして、テイクアウトする気持ちも時間も
余裕のない日々が続いていたからだった。

家に戻って早々に頬張った鶏は、当然のことながら、おいしかった。
焼いている間、何度もソースをかけて味の染みた鶏の皮は
パリパリしていて、見事だった。

この味を腹に染み渡らせてから、
ラマダンを迎えられるのは、ありがたいことだと、
指についたソースを舐めながら、しばらく味の余韻に浸る。




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