2024/03/27

春と冬のあいだに必要な、清冽さと均衡について


 ある暖かな日には、身体が軽くなるような気がする。
それは気のせいだったと、寒さが戻り、思い直す。

三寒四温とは、ずいぶんそのままの四字熟語だ。
足したら奇数になる数字で、いくらかでも
暖かさが増していることを比率で示したい、という
寒さへの失望と名残おしさ、そして、暖かさへの期待を
じわりと身勝手に、感じ取る。

そんな、奇数になるような集合を過ごすこの時季は
身体も心も中途半端で置きどころがなく、そのせいなのか、
見えるものや聴こえるもの、感覚がいつもよりほんの少し
敏感になっている。


おそらく目は、日の光が春の色に変わったり
また冬の色に戻ったりするのが、無意識に気になっているのだろう。
雨で冷える日は、ものの輪郭を形作る影が深く青い。
その青が突き抜けるように明度を増して、天気の良い日、空の色になる。
この時季の空の青さは、どの季節の青とも違う。
特別に混じり気のない、純度の高い強い日差しが、
寒さを残した影だけ置き去りにして、輝きすぎる。

あっという間に葉桜になった、神社の河津桜に残る
花柄、花床筒、萼片、あの赤く細い線、
青々した葉の影にしがみつく線たちにも、輪郭と影を与える。







耳ではずっとうっすらと耳鳴りがしていた、花粉症のせいだ。
その音を消すためにずっと音楽を集中して聴き続けていた。
いつも大方の時間、音楽を聴いているけれど、
止むに止まれぬ事情で、随分真剣に聴いていたことになる。


雨の朝は必ず、ラヴェルのクープランの墓を聴く。

クープランの墓を聴きながら眺める三月の終わりの雨は、
その水気に春の気配を含み、雨粒の一つ一つが
土に染みたらその瞬間に、あらゆる植物の芽吹きのための
栄養になっている、特別な雨のように見える。
霧雨のような柔らかな雨が、音の瑞々しさと呼応して
そこらじゅうに染み渡っていく。

オーケストラ版、時間があれば好きな指揮者の演奏もいくつか聴く。
春だろうが、秋だろうが、季節を問わず聴くのが習慣になっている。
いくらか憂鬱なはずの雨の一日の始まりの景色が
瑞々しく映り、湿度がいくらか低くなるように思える。








仕事もプライヴェートも、人と話をする、もしくは
動画の編集で音声を聞かなくてはならに時の他は、ほぼずっと
音楽を聴いている。
随分と態度の悪い人間だ。

東京は音が多すぎる、親切心なのか、保身なのか、
わたしたちに呼びかける声が多すぎる。
電車に乗っていて、駅にいても、信号を渡る時も、道を歩いている時も
エレベーターに乗っても、店に入っても、
ありとあらゆるところで、不特定多数の誰か、への呼びかけに満ちている。



日本に帰ってくるといつも、灰色で静かな国だ、と感じていた。
その記憶は、25年前の春、インドからの帰国に始まり、しばらくは
帰国のたびにそんな印象を持っていた、
けれども久々に日本で暮らすようになると、街の中の音が気になってくる。
耳鳴りと同じ理由で、ヘッドホンをずっと、使い続けることになった。

無音なのは、朝だけ。
屋根に雨の当たる音を聞く。
プラスティック、屋根瓦、木材、コンクリート
さまざまなものに当たる雨の音を聴きながら、
頭の中を、クープランの墓の第一楽章の始まり、
オーボエの音がくるくるとめぐる。


クープランの墓は、ピアノ版もある。
ピアノの方が曲数は多く、オーケストラとピアノと
ほぼ旋律も同じ曲は4曲ある。
ある朝オーケストラ版だけではなく、ピアノ版も聴き、
ふと、このピアノ版の楽譜をはじめてさらった人は
自分の弾く音の中に、心の爽やかなざわめきを感じていたのだろうか、と思う。










「器楽的幻想」は、ピアノの音楽会へ行った時の
音楽とそれを聴く人々と作者の心の変移を描いた
ごく短い作品だ。
ひどく他愛もないやりとりの中で出てきた
梶井基次郎の名前に、思い出した短編だった。


20年ぶりほどで読む基次郎は、記憶よりもはるかに
誠実で実直で清冽で繊細だった。
なにより、その清冽な実直さがどの短編の読後にも、じわりと残る。

あなたにとっては、取るに足らないことのように響くだろうけれど、
そんな頭出しとともに、日常の景色と小さな出来事を仔細にまなざし、
そのまなざしから生まれる心の赴を描く。
ささやかで、でも、鮮血の飛沫のような鋭さと切実さを滲ませる描写は
読み手の記憶にも、その小さな血痕を残していく。

けれども時には、切り取る画角も、瞬間も、言葉も、感情も
いくばくかのかろみを残す。
どれだけ深刻な、深淵なことを語っていても、
どこか達観したような拘泥のなさ、がある。

(かろみと、時に深刻さをはぐらかすような姿勢は
うっすらとブローティガンを彷彿とさせる)

そのバランスの絶妙さは、どこかいじらしくもある。
わたしも知る、生なのか死なのか、放埒なのか真摯なのか、
その両極に生きることへ必死さを抱える人たちのことを、思い浮かべる。

亡くなったわたしの友人は、「城のある町にて」が大好きで、
彼女はいつか、この短編の話を熱心にしていた。
近鉄線か松坂の地名を聞けば、必ずこの短編と、友人を思い出す。
けれども、何にそんなに心を惹かれていたのか、詳細を忘れていた。

”「××ちゃん。花は」
「フロラ」一番年のいったのがそんなに答えている。”

久々に読んだ時、友人はこのはなしをしていた、と
急に鮮明な記憶が蘇る場面を見つける。




桜の咲く時季になると、決まってそわそわして、
それなのに、えも言われぬ不安を感じる。
小学生の頃は、ただひたすら、通学路の坂道の両側に咲き誇る
桜の花を、咲き始めから散るまで無邪気に愛でていた。
中学に入る頃から、その不安が、ただ単純に落ち着きを失うからなのか、
何か他の理由があるのか、わからないことがさらに、不安を掻き立てる。

「桜の樹の下には」を初めて読んだのは、中学の時だった。
”桜の樹の下には屍体が埋まっている!”
この強烈な書き出しの、目眩のするような甘美な幻想から
いまだに取り憑かれて、桜と切り離すことができない。


今読むと、腐敗する屍体の描写も、その透明な液を吸い上げる様も、
それは精緻で美しく、何度読んでも見事だ。

ただ、文章の中に、すっかり記憶から抜け落ちていた箇所があった。

”俺には惨劇が必要なんだ。その平衡があって、
はじめて俺の心象は明確になって来る。俺の心は悪鬼のように
憂鬱に乾いている。俺の心に憂鬱が完成するときにばかり、
俺の心は和んでくる。”

この短編の核心はここだったのかもしれない。
少なくとも、この部分に一番、”俺”の意思と欲望が明確に描かれていた。

にわかに信じがたい桜の美しさに不安を感じた”俺”が、
屍体が埋まっているという想像のうちに、不安を拭っていく。
わたしが抱いた不安と、”俺”の抱いた不安が同じものではないだろう、
けれども、幻想的な桜に強烈で生々しい生死を当てがい、
均衡を図ろうとするその心の動きを追随する。





桜の咲く時季に日本にいられるのは、ひどく有難いことだ。
毎年毎年、諦めることなく何度も桜を思い浮かべ、
その姿を愛でたいと願い続けた、在外の13年間を思い出す。

阿呆のように、日中桜をぼうっと眺めていいのは
ちびっこと老人ばかりだ、ということに去年、気がついた。
だから、深夜の桜並木を、音楽を聴きながら散歩するようにしている。


あまり暖かくなってほしくない。
三寒四温でも、二寒五温でもいいから、
視覚と聴覚が鋭敏なまま、桜を迎えたい。

冷えた空気の中、身を切るような冷たいピアノの音なのか、
荘厳なレクイエムなのか、なにか、桜にうつつを抜かさぬよう
梶井基次郎の憂鬱や、屍体の幻想のように、
均衡を取ることのできる何かを、携えておかなくてはならない。





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