2023/12/17

贈り物と、不在の時間




ダウンタウンの先、向かいの丘の四角くベージュの家々が
店の奥の窓枠いっぱいに広がる。
絵画のような景色をぼんやり見つめていたのは、店主が
お客の質問に丁寧な対応をするばかりに、自分の番がさっぱり
回ってこないからだった。

買いたいものに他のサイズがあるのかを、訊こうとしている。
けれども訊きたい本当のことは、きっとサイズの話ではない。

そんなものが喜ばれるのか、という疑問を
その質問で払拭することはできないだろう、と、
ラッピング用の麻紐を結ぶ店主の手元を見つめながら思う。

そして、あらゆるものがすべて、収まるべき場所に収まっているような
居心地のいい店と、そこにいる人々を見渡す。










いつも通り頭を悩ませ、いつも通りなんの確信も持てないまま
店のすみっこに置かれたまあるい太鼓を思った。





音楽でもスポーツでもダンスでも、
リズム感が一番大切だから。

そう、わたしが小さかった時、近しい誰かが言った言葉を思い出す。
その言葉を聞いた年頃と同じ子へ、
わたしは、ずいぶんと真剣に、贈り物を探していた。


ラッピングが終わり、麻紐を切った時には、もう
ラッピングされたプレゼントの主の友人と思しきお客が
店主に向かって、アラビア語と英語で、商品の質問を始めていた。

一瞬、私の顔を申し訳なさそうに見遣りながら、でも、
店主は棚に置かれたハーブの説明を始めている。
精油のパーセント、何に効くのか、誰が精製したのか、
豊かで黒く波打った髪をふわふわと揺らしながら、店主は
温かで、でも真剣なまなざしで、観光客に説明をし続ける。


そこへ、また顔見知りであろうお客がやってきて、
体調を気遣う言葉が店主の口から漏れると、その新たなお客は
体の具合に合ったお茶を処方してほしい、と言いながら
店のカウンターの脇の椅子に座る。



諦めて、店の中を歩きまわる。
回れば回るほど、新しい商品が目に入り、わたしは戸惑う。
そして、不安が膨れ上がり、焦ってくる。
手が震えるのではないか、と思えてくるほど。




お土産は、もうもらったよ。
小さな顔が、しっかりと鉛筆を握りしめたまま
こちらを見ずに俯いている。
そう、いつも、必要でもないものを、気に入りもしないものを
わたしはきっと、持って帰ってきた。





鉄でできたカエルの置物、古いカトラリー、銅のパン、古いアコーディオン、
ジャンルもまちまちなレコード、動くのかわからない蓄音機、
刺繍のクッションカバー、アフリカン生地のバッグ。

店は二部屋がつながっている。
片方にはハーブの精油を使った石鹸やお香、クリームやお茶、そして
ドライフラワーが天井近くまで飾られていて、
もう一部屋には、カエルの置物のような、
どうやってここにやって来たのか分からない
古い道具たちが思い思いに居場所を見つけて
どこか人待ち顔で佇んでいる。

箱を見つける。
中には、たくさんの小さな錠前が入っていた。
赤、緑、灰、黄色、どれも古くくすんでいて、
どの錠前にも、小さな鍵がささったままだ。
さっきまでいた、出稼ぎで他の国から来ているのであろう
アフリカ系の顔をした若い女性スタッフが必死に何かしていたのは、
鍵がちゃんとうごくのか、一つ一つ確認していたのだった、と合点がいく。

サイズは2種類、どの錠前も同じ、ハンガリーのメーカーだった。




鍵を失くしたことを覚えていて、口にしてしまったから、
それが嫌だったのかもしれない。
その子とのやりとりとともに、
まだ暑い夏の日本の、傾いた日差しを思い出す。


しばらくの間、幾つもの鍵を、さっきいたお店のスタッフと同様に一つずつ、
動くのかどうか、確かめていた。
確かめながら、なんで、鍵を失くしたなんて、
あんなことを口にしたのだろう、と
たぶん、だれにとっても記憶に残らないような
どうでもいい些細なことを、後悔し続ける。
それがぶっきらぼうな返答の理由ではないことに、うっすら気づきながら。






お待たせしてしまって、ごめんなさいね。
アラブ人女性の温かみを身体全身にたたえたような店主が
申し訳なさそうな表情で、わたしの脇に立っていた。


そこのタールの、もう一つ小さなサイズはないでしょうか。
タールとは、タンバリンの原型のようなシンプルな、
丸い木枠に羊の皮を張った太鼓だ。

置かれたタールの奥や近くの棚の下を覗き込み
もう売れてしまってないわ、と店主はまた、申し訳なさそうに呟く。



あの、贈り物を探していて、でもわたしには
何がいいのか全然、想像できていない気がするんです。
うまく伝わる気がしなくて、アラビア語から英語に切り替え、同じことを
わたしは2度、小さく口にする。


よほど自信がなさそうに思えたのだろう、
どなたへのプレゼントなんですか?と店主は尋ねる。
年齢と性別を口にしながら、わたしは子どもがいないから
よくわからないんです、と付け足す。



ずっと子どもを相手にする仕事をしてきたから
それなりに本当は、いいプレゼントを知っているはずだった。
それでも、仕事先のキャンプでも、子どもを持つすべてのスタッフたちに
何がいいのかしら、と尋ね続けてもいた。
キャンプに住む子たちや、ヨルダンの田舎に住む子たちが
喜びそうなプレゼントを聞くたびに、それは持っていたな、と思う。

他には何かあるかな、と訊くたびに、
その理由を察したスタッフたちの表情は怪訝になり、曇ってくる。
日本には、もっと上質で、もっと精巧なものが
いくらでもあるのだ。

少しでも喜んでもらえたら、とただそれだけで
雲をつかむようにこんな、
探すのにはなにもかも、間違った場所にいる自分を
心の底から呪っていた。


この錠前なんか、いいと思います。
うちの子もその年頃、どこにでも鍵をかけたがっていましたよ。



あらゆる状況を想像しようとして痛くなってきたような頭に
その言葉は、なにだか、とても素敵なことのように響く。
あんなに鍵のことで後悔していたのに。




一体、人はいつから秘密を持ち始めるのだろうか、と思う。
親や周囲の人たちに見られたくないものを、家族に知られたくないものを
もしくは、なにかひどく大切なものを
でも、大切であることを知られないようにしたい、とか、
いつから思うようになるのだろう。

そんな秘密を持てるほど成長していたら、それはなにだか
素敵なことのように思えてくる。

気がつくと、錠前の一つが素朴な麻の袋に入れられて
手元に落ち着いていた。


まぶるーく(おめでとう)。
ほしいものが手に入った時、アラビア語では時々、
そう声をかけられたりする。

けれどもふと、まだ幼さを残したまま頑なに俯く顔を思い出し、
わたしの勝手な願いと想像は、もらう側にとってはいくらも
伝わらないだろう、と思い返す。

結局は自己満足の化身になったような気がして、
あらいばーれくふぃーき(まぶるーくの返答の言葉)、
と答える私の顔は歪み、声が震えるのを自分の耳で、聴く。

店主が私の顔を覗き込む。
多くのものを語ることができるのだろう、
店主の黒くて大きな目を見つめる。


このお店はいつからあるんですか?
できるだけ明るい声で、尋ねる。
なんだかこの店主の女性とは、
もう少し話していたいような気がした。
それからいくらかでも、この選択に自信も欲しかった。

3年前からここでやってるのよ、母が精油を作れるから
商品にして売っているんです。

英語の話し方から、もしかしたら別のルーツと
混じっている人なのかもしれないと思う。
けれども、お母様の出身を訊くと、生粋のアラブ人だった。
店主もその夫も、家族はパレスティナ出身だった。

パレスティナ出身だと聞けば、どの町の出身なのかを訊くのが
きまりごとだ。

母はヘブロン、父はイスラエル側になったガザの近くの町、
義母はエルサレム、義父はジェニン。

どこも今、大変な状況になって、と言葉を繋げる。
ちょうどガザの地上侵攻が始まった日だった。

こんなことになって、でも何もできないし、両親の親族とは
とにかく毎日連絡を取っているのよ。
ジェニンは特に西岸でも本当にひどいですよね、というと
それなりに西岸の情報も知っていることを嬉しく思ってくれたのか
ご家族の話をしてくれた。

以前はパレスティナキャンプの学校で働いていたというと、
柔らかくすっぽり体を抱いてくれる。


子どもたちまであんなひどい状況に巻き込まれるなんて、と
店主は、自分の知っている情報が間違いであってほしいかのように
頭を小さく振った。

新しいお客が入ってきて、また顔見知りだと思われる、挨拶をしあう。
これ以上、店主を引き止めておくことはできない。

あなたともっと話をしたいから、また遊びに来てくださいね、と彼女はいう。
そんなことを言ってもらえるなんてありがたいのに、
出国が迫っていたから、約束はできなかった。



家に戻ろうと歩きながら、ニュースで見た、4、5歳ほどの子どもの写真を思い出す。
埃まみれになったぬいぐるみをぶら下げながら、誰かを見上げている。
よく見慣れた、アラブ人の子どもたちがよく着ている
上下ぱパジャマのようなそろいの、キャラクターのプリントされたスウェット。
ぬいぐるみは、人の形をしていただろうか、うまく思い出せない。
あの子どもが何か秘密を持つようになる年齢になっても、
アラブ人の家族は大家族、キャンプに住む家族や貧しい家族は、
狭い部屋に住んでいることがほとんどだから、
何かを隠すことなど、ひどく難しいだろう。

物理的に隠すことはできないから、きっと
心の中にだけ、秘密を隠し持つ。

そんなことを想像しながら、パレスティナ人にとっての
錠前と鍵の意味を、ふと思い出してしまう。

ヨルダンの難民キャンプに住むパレスティナ人の老人の中には、
鍵を見せてくれる人がいた。
イスラエルに追われて家を離れる時、扉につけた錠前の鍵だ。
よく絵のモチーフにも使われる。
悲劇を物語る物理的な証拠としての、鍵。

店主の黒髪のようなふわりとした期待が、
くしゅっと縮れていく。




深くため息をつき、すっかり暗くなった街を歩く。
ダウンタウンや観光客向けの古道具屋やお土産物屋の
色と光と音楽が旋回するような明るい店を徘徊する。

わたしは優柔不断で、想像力に乏しい。


何件もの店をまわり、邪魔にならなそうな、でも
音のいい太鼓を結局、探すことになった。
土産物屋の太鼓の多くは、おもちゃの延長のようなもので、
形や装飾がよければ、音は悪い。
羊の皮を張っていても、湿気の多い日本では音がぼやける。
本物の、演奏に使うような伝統的な太鼓のタブレは
音もサイズも大きすぎる。

店に入っては音を確かめ、調音の方法を店の人に尋ねる。
紐で締めて調音するのは技術的に難しすぎる。
熱で炙る方法もあるけれど、危ないしすぐに、また張りがなくなる。
こちらがどんどんと知識を身につけ、何件かまわるうちに
どの店の店員よりもタブレの種類と調音方法に詳しくなる。
いい加減なことを言っている店からは足早に立ち去る。

次第に店じまいを始める通りで、こちらは焦り始める。

もう家に戻らなくては。
探す時間は今日しかないのに。
ヘッドホンからはオーケストラが最後に、盛大なドラの音を響かせる。

曲も終わってしまった。
次に聴く曲を選ぶ指先が、冷えた夜の空気のせいか、また震える。

リズム感が、一番大切だから。

打楽器奏者出身の指揮者がふる、シベリウスを流す。
ダウンタウンから坂をのぼりきり、家のある丘からまた、
小さな貝のように家々が急な坂にしがみつく、
向かいの丘に揺れる無数の窓の灯を眺める。
清涼として澄んだ、漣のような弦の音が、美しくて寒い。


最後に、家の近くの目貫通りのお土産物屋に、もう一度行く。
数日前にも訪れたことがあったけれど、隅々まで丁寧には見ていなかった。

低い天井からはランプや金物道具がぶら下がり、
その奥から客を待ち構える店のスタッフが、こちらに向かってくる。

タブレかタールを探している、サイズは小さくていいから、
音のいいものがほしいんです。
何度も繰り返したフレーズを、これが最後だ、と口にする。

若くて人懐こそうな若者は、店の奥に私を連れて行く。
埃の被った大量の、もはや何なのかわからないようなガラクタと
段ボールの中から、赤やら緑やら黄色やら、あからさまに
子ども騙しなタブレを出してくる。
わたしはもう、ヘッドホンを外さない。
シベリウスは管楽器が突き抜けるような明るい音をかき鳴らす。

違うの、こういうのではないんです、と
もう悲しいのか腹立たしいのかわからなくなる。

わたしのひどく失礼な態度にも一向に動じない、気のいい若者は、
段ボールの中を、文字通り発掘するようにかき分ける。
これだったら音もいいし、ドライバーで調音できるよ、と
アルミベースの、シンプルな小さいタブレを手渡してくる。
ヘッドホンを外して、音を聴く。
小さくて可愛らしいけれど、
ちょうど聴いているシベリウスに通じる、明るさがあった。







贈り物を探すのも、お土産物を探すのも、
とことん苦手だ。
大なり小なり、この鍵とタブレのようなストーリーがあり、
選んで買うまでの逡巡と不安に、多くの場合、
わたし自身が耐えられない。

贈る先の相手のことを、それなりに知っていたつもりでいても、
突然、まったく知らない人のように輪郭がぼやけ、
詳細を見失う経験を幾多と繰り返す。
在外に住んでいると、帰国のたびにお土産を探し、
多くの人たちが、見も知らぬ赤の他人になっていく。

その不安とうっすらとした悲しみを携えたまま、
自分自身の不在の時間が、ひどく不恰好で無慈悲で不動の
巨大な氷の塊のように、わたしの前に立ち塞がる。


いつ不在になっても、わたし自身が痛手を負わないよう
時に氷の塊はカマクラのように、守ってくれたりする。
そうやって、諦めることに慣れてしまった。

それに、不在ではなくなったら、
気の利いたものが選べるようになるわけでも、ない。
鼻先で、わたし自身を笑い飛ばそうとする。






結局、タブレも鍵も、渡せなかった。
だから、わたしはこの文章を書いている。
もし渡せたとして、邪魔になっただけで、
喜びもしなかったかもしれない。


きっと世の中には、こんな話よりももっとたくさんの
贈り物をめぐる悲喜交々があるのだろう。
それを集めたら、読んだだけで、うれしいのか、せつないのか、
心がくしゃくしゃになるような話たちが。





さて、氷の塊を少しずつ、解かしていかなくてはならない。

いつか、気の利いた贈り物ができる人間に
どうしても一度ぐらいは、なってみたい。







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