2024/03/29

とりとめもなく、日々の会話を思い出そうとする



じっと根を詰めて、頭の中で思考を展開させる人、
思考を紙の上に書き落として視覚化していく人、
言葉を音声でアウトプットしながら思考を展開する人、
議題についての意見を他者に尋ねて、その回答をもとに思考を深める人、
いろいろなタイプの人がいるだろうし、考える内容によっても
方法は変わってくるだろう、けれども
大方思考の方法には傾向があるだろう。

思考を深める方法がそれぞれ異なる人たちが集まり、
ある議題について話し合う時、
それぞれのアウトプットの速度が違ったり、
思考の道筋のどこかが言語化されていなかったり、
ものすごく頭を回転させて相手の意図を汲もうとして、言葉が出てこなかったり、
相手の出方を見ていたら、発言のタイミングを失ったり、
なんとなくわだかまりを残したまま、
話し合いを終えることは、誰しもある経験だと思う。

よほど知っている人たちの間でも起きうることだから、
それほど深い付き合いのない人々が一緒に話をする時には、
言葉を飲み込んでしまわない空気を作ること、
できるだけそれぞれの建設的な意見を引き出せる工夫をすることが
当たり前で、けれども難しいことも、認識している。


実のところ、日本語で議論をする、という仕事上の経験はあまり多くない。

ヨルダンでは話し相手の性格をよくわかっていたので、
Pros/Consの提示の仕方や
議論の目的で強調するところや、
それぞれに得意な分野で話をふることなどを、
失敗もたくさんあったけれど、それなりにやってきた。

日常的に、どうでもいいこともよくないことも、
話好きで一生懸命話す人が多いし、
自分の意見ははっきり言う人が一定数いるので、
内容の深度は置いておいても、活発な議論、そのものはしやすい環境だった。


わたしも朝一で中東のニュースを話題に振ることが多くて、
あなたたちはどう考えているの、よく尋ねていた。
そんな話題と同レベルで、昨日作った食事の話や
週末に会った親族の話や、家族の喧嘩や、そんな
細々とした個人的な話もよくしていて、
そこにも、感想や意見を求められていた。
(基本的にウィットと皮肉を交えたコメントをする、というのが
わたしとしては流儀だったので、朝早くても
面白く答えようと努力していた。)

もっとも、わたしは外国人だったので、立場が異なるということが、
相手の話しやすさを感じさせることもあったのだろう。
同じ国籍同士だと言いづらい意見も、ぽろっと出てきたりして、
そんな考え方をしているのか、とはっとさせられる場面もあった。

思い返すと、日常のコミュニケーションが圧倒的に多かった。
もっとも、そんな面白く話ができる場面ばかりではないので、
フィールドで耳を疑うような発言や場面に出くわし、
その愚痴と解決方法についても、話していた。





長く住んでいれば、ヨルダン人よりもよく話すようになり、
スタッフの時間を邪魔していたこともよくあって、申し訳なかった。

こちらも集中する仕事は家に持ち帰るから、まったく効率はよくなかったけれど、
そういう仕事だと、思っていた。



単語の意味一つとっても、相手はアラビア語、
もしくはアラビア語から英語にして、
こちらも日本語から同じ作業をするので、
間に横たわる異なる言語の意味は大なり小なり、異なる。
単語一つでも、その背後に膨大に蓄積された文化や思考回路を詳にするため、
会話で相手の言葉の意味を理解し、
同様にこちらの意図するところを、できるだけ理解してもらう。

異なる国で育ち、環境が異なり、違う思考回路と
違う文化風習の中を生きてきた他者同士だから、
会話の中ですり合わせをしていく作業がどうしても必要だと認識していた。

けれどもそれは、国籍の違いだけではなく、
同じ言語を母国語としていても、同様な作業が必要であることに
つい最近まで気づかなかった。

なんとなくこうだろう、と推察することを
日本では高度に要求される。
けれども、推察をし続けて結果、
大きな齟齬が発生することもある。
そのことに気づいて、腹を割って話す、という場を設定しても、
みな、相手を傷つけないような会話を心がけていたら、
言葉を選ぶ間に、話が終わっていたりする。
しっかり議論するよりも、推察にとどめておくほうが
心地よく、楽なのだという空気を感じる。
なかなかに、難しい場所だ、と思う。



それから、考えをまとめてから話す、というのが
日本ではマナーの一つだったのを、忘れていた。



他者の時間をいただいているのだから、
効率を考えなくてはならない、
趣旨を明確に簡潔に、伝えなくてはらない。
準備にかけられる時間は、そのまま相手への敬意につながる。
殊、プレゼンとなると、いかに相手を納得してもらうかという
明らかな目的もある。

日常のどうでもいい話7割、仕事の話3割だった
ヨルダンから帰ってくると、
簡潔に話すこともできず、空気を読むこともできず、
どうにかしなくては、と焦り、結果的に
すっかり社会不適合者になってしまった。


ずっとそんなことをうっすらと思いながら、
何気ない会話もそれほどしない毎日に、
一体、日本でふと顔の見える人たちとするとりとめもない会話とは、
どんなものだったか考える。
そういうものの積み重ねで
作り上げられた日常と関係性があったことを、
そして、それらがわたしに与えてくれた安心感のことを
どこか必死に、思い出そうとしている。




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