2020/05/08

近所のおいちゃんの話


アンマンがロックダウンの間、
屋上から見える、路地という路地から、見事に
人の姿が消えた。
部屋の窓から、近所の目抜き通りに人影が一切消えてしまったのを
毎日毎日、不思議な気分で眺めていた。


その通の脇にはベンチがあって、
ずっといつもおいちゃんが座っている。

おいちゃん、と私が勝手に呼んでいる人は、
脳に障害がある。
おいちゃんは、たぶん家がない。
もしくは、家があっても、家にあまり居ない。
いつも同じような服を着ているし、
皮膚病なのか、右足を引きずっていて、だからよく転ぶのか、
顔の頬からおでこまで、丸い痣やかさぶたがある。
いつも、痣もかさぶたも、そのままだ。
目はいつも、充血して真っ赤で、鋭い。

ずっとこの辺りに住んでいるから、
何度か、そのおいちゃんが、
ものすごい怒って大声を出したり、ばんばん近くの人を叩いたりするのを、
そんな時ばかりは、遠巻きに見ていたことがあった。

時々、裏通りの商店街のおじさんたちが、
足の悪いおいちゃんが歩くのを、支えてあげたりしていた。
それから、時々同じおじさんたちが
おいちゃんの脇に座って、話し相手になったりしている。

でも、普段はじっとベンチに座っていて、通りを見ている。

だから、目が合ったら必ず、挨拶をするようにしている。
私はいつも胸に手を当てて、こんにちは、と言う。
そうすると、おいちゃんは必ず真顔で、
エンティ チャイナ?(あんた中国人?)と
訊いてくる。大きな声で。
だから、いつも私は、いや、日本人なんです、と
アラビア語で答える。
もうこのやりとりを、軽く100回以上、やってきた。

必ず挨拶するし、必ず同じ返しをしてくれるけど、
若者などがいると、アジア人の私は冷やかされて、
ついでにおいちゃんを馬鹿にされてしまうので、
おいちゃんとは、挨拶しか、したことがなかった。

おいちゃんに挨拶をするのには、いくつかの理由がたぶん、ある。
一つには、とりあえず見知った顔には挨拶して、礼儀は重んじる、ということ。
もう一つ挙げるなら、同情心とか憐憫とかではなくて、
どちらかというと、親近感に近い、感情があるからだ。

おいちゃんも、それほど存在を歓迎されているわけではなさそうだし、
だいたい、いつも一人で座っている。
私の方もまた、だいたい一人だし、
歩いている時まで、自分が日本人で一応仕事があります、なんて
提示する方法はないから、
根本的にはかなり閉鎖的なヨルダン社会の中で、
似た者同士なのではないかな、と勝手に思っている。
おいちゃんにとっては、全くいらない親近感かもしれないけど。


ロックダウンが始まって、どの道にも人影が消え、
時々、あのおいちゃんはどうしているのかな、と思いつつ
買い物の用事もなくて、外へしばらく、出なかった。

久しぶりに、目抜き通りを越えて買い物に出た。
おいちゃんの姿は普段通り、ベンチにあった。
人がいないから、おいちゃんの大きな猫背の身体は
何だかいつもよりぽつん、としている。
思わず日本語で、あぁ、おいちゃん、と口にしてしまい、
その後、いつも通り挨拶をした。
私自身、日常で会っていた人と再会するのは久しぶりだったから、
いつも以上に声が弾んでいたと思う。
おいちゃんはどことなく、嬉しそうだった。
おいちゃんの笑顔は見たことがなかったので、
こちらも何だか、嬉しくなる。
おいちゃんのいつもの返しを、心待ちにする自分がいたりする。

エンティ バングラデーッシュ?
おいちゃんは唐突に、中国人ではなく、バングラディッシュ人か
訊いてきた。
思わず笑ってしまった。
いや、いつも言ってますよね、私、日本人なんです、
中国人でもなく、韓国人でもなく、日本人なんですよ、
そう言うと、そっか、と呟くには大きな声を出すと、
私が前を通り過ぎるのをじっと、見ていた。

どうも私はいつも、
おいちゃんにからかわれていたのかもしれない、と思う。
それでも、あまり悪い気はしない。
なんで今日ばかりはバングラディッシュ人と訊いてきたんだろう、と
ロックダウン中のおいちゃんの思考について、考えてみようとした。
ロックダウンで人通りがなくなると、
おいちゃんの質問のレパートリーも変わってくる。
いつもと違う日々が、こんな形で影響してくることもあるようだ。


その後も何度か、ロックダウン中においちゃんに挨拶をした。
おいちゃんは何か言いたげな様子で、私が通り過ぎるのをじっと見ていた。
きっと、話し相手がいなくて、誰でもいいから話したいのだろう。

先日も、買い物前に、おいちゃんに会った。
雨が降ると予報が出ていたので、慌てていた。
挨拶をすると、何かを早口で言ってくる。
なんですか?聞き返すと、おいちゃんは
今から仕事に行くのか?と、英語で訊いてきた。

おいちゃんが英語を話すのも知らなかったし、
おいちゃんが何かを私に尋ねてくることもなかったから、
驚いて、立ち止まってしまった。
いや、仕事じゃなくて、買い物なんです、と言うと、
そっか、とまたアラビア語で、大きく呟く。
そして、何かを話したそうだったけれど、
ぐっと言葉を飲み込んでいるようだった。

おいちゃんの前を通り過ぎてすぐに、
財布を忘れたことに気がつく。
また、おいちゃんの前を、罰が悪い思い満載で、足早に通り過ぎると、
買い物、早いね、とまた、英語で声をかけてきた。
財布を忘れたんです、と答える。

おいちゃんはもしかしたら、冗談好きなのかもしれない。

アパートメントに戻る道すがら、
一体おいちゃんは、どうして今のおいちゃんになったのだろう、と
考えていた。
仕事柄、障害の種類のいくつかはなんとなく知っているけど
私は、おいちゃんの問題の種類を、誤解していた。
俄然おいちゃんに、興味が出てくる。


おいちゃんはいつも、アラビア語も英語も早口で、
口がモゴモゴしているので、
何を話しているのか、うまく聞き取れない。
男の人に声をかけるのは、
外国人でもあまり文化的に良くない。
でも、おいちゃんの近くに今度、座ってみようかな、と思ったりもする。
けれどもやはり、少しハードルが高い。






昨日の夜は、満月だった。
いつも通り、満月を写真に納めようと、窓からカメラを構える。
相変わらず6時以降は外出禁止で、
さらに、ラマダン中のイフタール(断食明けの食事)を食べているであろう時間帯、
街はすっかり静まり返っていた。

突然、人の叫び声がする。
お腹が空いたんだ、お腹が空いたんだ、お腹が空いたんだよ、
がなるような喚き声が、高台からワディ(谷間)に響く。

おいちゃんがベンチに座ったまま、
通りを挟んだ観光警察の小さな小屋の警察官たちに、
小さな子が駄々をこねるように、叫び続けていた。

警察官の人たちもおそらく、困り果てているようだった。
しばらくしてたまりかねたのか、あんた、頭おかしいよ、という
警察官の怒鳴り声も聞こえた。


本当にお腹が空いていたのか、食べ物はあるのに言い出してしまったのか
よく分からない。
お腹が空いたのなら、何か差し入れてもいいのだけれど、
もう外には出られない時間だから、それもできない。
でもきっと、外国人の私が作ったものなんて、
おいちゃんは食べないだろうな、とも思う。
おいちゃんは私が異人種であることをよく、分かっている。

おいちゃんは、外に居ても注意されないし、
叫んでも、しょうがないよ、おいちゃんだから、と
近所の人たちに黙認されているのだろう。
こんなに身体から目一杯の声を振り絞って叫んでいる声は
やはり、切なかった。

ただ、大声で訴えられるのは、いつも黙認されているおいちゃんだからで、
きっと、おいちゃんみたいに夜は外出禁止で、
イフタールにもありつけない空の下の住人はたくさん、いる。

ダウンタウンや幹線道路で物乞いをする人たちを思い出しながら、
満月を見つめつつ、おいちゃんの悲痛な声を聞き続けた。




しばらくして声が聞こえなくなった。
でも、おいちゃんの姿はまだ、ベンチにじっと固まったままだった。


もしかして、この通りの周りに住んでいる人なら、
おいちゃんがどうやって今のおいちゃんになったのか、
知っているのかもしれない。
お店に人が戻ってきたら、訊いてみよう、と思っている。


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