2017/08/14

彼らの暮らしと、話の断片 8月2週目


まだまだ、夏は続く。

夏の盛りに美しいのはブーゲンビリアで、
この国で初めて見た、真っ白なブーゲンビリアは
こんもりとアパートメントの壁から漏れ出ていた。
濃く艶やかな緑と、真っ白の花は
ふいに、ここが南国のように暑いのだということを、思い出させる。

久々の家庭訪問は、所属団体の原稿のためで
いつものようなアンケートをベースにした話の展開ではなく
往った先の様子から、あくまで自然に、
質問事項をひねり出さなくてはならなかった。

うまく書き取れないことも、聞き取れないことも、多かった。

まだ記憶が鮮明な間に
おそらく原稿には使えない、
私、が主語で見たものを、書いておく。



1件目:ジャバル・フセイン


アパートメントの入り口には、赤いブーゲンビリアが咲いていた。

こぎれいな、少し古い建物の入り口には
瀟洒な鉄の飾りの施されたガラスの覗き窓がある。

伺った家庭は、よく知っている生徒のお宅で

兄弟3人でよく、身を寄せ合って学校へ来ているのを
訪れたどのスタッフもよく、記憶していた。

迎えてくれたのは、生徒のいとこに当たる人だった。

おそらく、25歳ぐらいだろう、
個人的に好きな部類の、やさしく聡明な表情が
こちらを安心させてくれる。

何となく、相手の顔から
初対面でも頬を寄せる挨拶ができるかどうか
自分の中の判断基準がある。
彼女はそれを、無条件でさせてくれる雰囲気があった。

でも、会話の節々で、じっとこちらを見る視線が気になる。

よく、相手のことを見る、視線だ。

聞けば、特別支援の教員を、シリアではしていたと云う。

教員の視線なのだ、ということを、知る。


家族の名字がジャザエリ、と言う。
これは、アルジェリアのアラビア語名で
もともとは、アルジェリアからシリアへの移民とのことだった。
パスポートも、アルジェリアのパスポートを持っている。
だから、陸路ではなく、空路でヨルダンに逃げてきた。

ダマスカスの、ダウンタウンにほど近い

まん中のまん中に、家はあった、と云う。
家庭訪問の経験から、シャーム(ダマスカス)と答える家族も
郊外に住んでいたケースが多い。
でも、この家族は、生粋の、シャーミー(ダマスカスッ子)だった。

子どもへと話そうとしても、話が脱線する。

当の本人は恥ずかしがり屋でなかなか話そうとせず、
大人たちが話を進めてしまうからだ。
いとこが男女の双子で、スタッフとこの二人が
シリアでの話やら、こちらでの話やらを、する。

誰かが帰ってきたと云って、

子どもたちが玄関から外へ出て行く。
次々と、大量の茄子やら、タマネギやら、キュウリやら、トマトやら
ついでに5つもメロンの入った袋まで
運び入れている。

そして、おばあさんが、買い物から帰ってきた。


おばあさんは結構なお年なのだろうけれど、

日本人が珍しいのか、目を大きく見開いて
こちらの話を聞きつつ、会話に入ってきた。

ダマスカスの話をしていたとき、

朝5時半頃にはアラーイス(ひき肉の乗ったパン)を売る人が出てきて、
いろんな小径にたくさんのお店があって、、、、と
記憶を辿りながら、街の様子を話してくれる。

日当りのいい窓付きのベランダには

立派なアルジェリアの国旗が飾ってあった。


国籍はアルジェリアでも、アルジェリアに戻りたいとは思わない。

もちろん、シリアの状況が良くなったらシリアに戻りたいけれど、
ヨルダンでも、治安がいいし、言葉も同じだし、
暮らしていけるのだから、と、云う。
昔、パレスティナもヨルダンもシリアも
同じ地域だったのよね、と
大人たちはみな、穏やかな顔つきでうなずきながら話していた。

その感覚はたぶん、彼らもまた他の国からの移民で、

同行したスタッフもまた、母親はトルコ人なので、
自分の住んでいる土地を、温かいけれども、客観的に見る術を、持っているということだ。

手をいじりながら、あまり話に参加しようとしなかった生徒は
でも、最後の最後に、
ひょろりと細い腕を突き出して、
帰りがけにはきちんと、握手をしてくれた。




2件目:マルカ・シャマーリー


アパートメントの階段が途中から

タイルのないコンクリート打ちに変わる。
上段に往くほど、建設途中の可能性は大きい。

迎えにきてくれた男の子の後をついてドアに入っていくと、

5畳ほどの部屋の天井近くに
6つも鳥かごがあって
どのかごからも賑やかな小鳥の、さわやかな鳴き声が響いていた。

子ども連れの女性が、立て続けに二人、

通された部屋についてドアの向こうに消えていく。

お母さんは眼鏡をかけた真面目そうな人だったけれども
お母さんに負けずとも劣らず、
子どももまた、生真面目な子だった。
話し方はゆっくりだけれど
その速度は、よく考えてものを話す人のものだ。

ヨルダンへの避難を決めてシリアのパスポートを取り、

ヨルダンに空路で入国したのに
一度入国拒否をされて、レバノンへ強制的に送られた。
もちろん、実費で。
その後、再度ヨルダンへの入国に挑戦したのは
おばあさんが、心筋梗塞で入院したからだった。

途中でさっき入ってきた人たちが、また出て行く。

思ったよりもたくさんの人が、扉の奥から出て来て
そして、部屋を出ていくので、どういうことなのか、首を傾げる。

近所の人たちが、遊びに来て
おしゃべりをしているという。
どんな話をしているの?と、これも興味本位で訊いてみると、
料理の話とか、日々の暮らしのことなんかをね、と
ふっふと笑いながら、答えてくれた。
ご近所さんだから、シリア人も居るし、ヨルダン人も、パレスティナ人も来る。

ホムスの話をする時、つい、

街の状態が特にひどい、ホムスの写真ばかりを思い出してしまう。
けれども、農業のさかんな、緑の多い土地だったということを
会話の中から知らされる。

ヨルダンはからからで、

日本から来た、そして、ヨルダンの前にはベトナムに居た身としては
この土地の緑を、どうやって享受したらいいのか、
途方にくれてしまうことも、ある。
既に長くこちらに居るので、
緑のありがたみと、ささやかな緑への喜びは大きく、なったけれど、
根本的な緑への欲求は、ここに居る限り満たされない。

姉弟のうち、お姉さんは

絵を描くのが好きだと、云う。
どんな絵を描くのが好きなのか訊いてみたら、
自然の風景だと云う。
それは、シリアなのか、ヨルダンなのか、画像などからなのか
はたまた、想像なのか気になって、
尋ねてみる。

自然の色がきれいだから、想像でも描いている。
自然の景色を描いていると、素敵な気分になる、と。

どんな土地に居ても、いくつであっても、

緑を愛でる心持ちは、自然と沸き上がってくるものなのだと、
生真面目な顔のお姉さんを見ながら
納得させられる。


小鳥のさえずりは、おそらく

人間のおしゃべりと呼応しているのだろう。
まったく、あきれるほどに、
よく啼き、歌う小鳥たちだった。




3件目:ジャバル・フセイン


ジャバル・フセインのパレスティナキャンプは

過去に何度も訪れたことのある地域だ。
以前は友人がこの地域の学校で働いていて
手伝いにいったこともあった。
ここのUNRWAの学校には、アップライトのピアノが2台、ある。

でも、同行したローカルスタッフは一度も来たことがなくて

何だか怖いね、と云う。
別に彼がおかしいのでは、おそらく、ない。
この国の人たちの格差は大きい。
元来裕福な人たちは、特定の地域以外を、本当にあきれるほど、知らない。

訪問先は、フセインキャンプのメイン通りから

上と下に伸びるいくつもの道の一つを上がった
間口の小さな2階建てのアパートメントが続く
典型的なフセインキャンプの家の一つだった。

ここ辺りの建物は、隣の建物とつながっている作りが多く、

極端に窓が少ない。
過去に往った家庭の多くも
玄関からの光の他、どこからも外の光の入らない
どことなく湿った部屋が多かった。

通された部屋もまた、部屋の3面には窓がなくて

入り口のある壁の上方に開けられた小さな窓が
アパートの上階に続く階段につながっていた。
アパートの階段は建物の外側にあるので
その、小さな窓が明かり取りに、なっている。


なぜだか真っ紅に、部屋の半分が塗られていた。

随分と濃くて、深い紅。
その壁を背に、家族が座る。

話をするつもりだった子どもの他にも、
小さな子どもが3人やってきた。
なかなかやんちゃな子どもたちで
持っていたプラスティックの棒が、
見る間に裂かれてばらばらになっていった。

体格の似た3歳と5歳の小さな子がふたり居た。

てっきり兄弟だと思っていたら、違っていた。
5歳の子が、3歳の子の叔父に当たる、という。


5歳の子の姉にあたる子と、話をしていた。
ずっと、黒めがちな目はどこかかたくなで
14歳という年頃には似合わない
云い表せない影と、意思の強さがある。

ちょうど内戦が始まった時に2年生に上がったその子は、

シリアで3年、逃げまどった。
ヨルダンに来てもまだ、学校に往けない時期があったから
やっと落ち着いて学校に往ける頃には、
既に4年、ブランクがあった。

本当に、歳に似合わない苦労をたくさんして来たのだろう。


もう少し話をしてみたかったのだけれど、
どこからどう、聞き出したらいいのか、分からなかった。
彼女のとても黒い目が、どうも私には、
私のなにかを、拒絶されているように、
感じてしまったからなのかもしれない。

それでも、有名人のように

一緒に写真を撮って、などとお願いされる。
そんな硬い表情をしていてもやはり、
年頃の子らしいことも好きなんだな、と
勝手に心の中で、うれしくなっていた。

撮っていただいた写真を見直して、気がつく。

いい歳をして、どんな顔をしていいのかも分からず、

おどけたような締まりのない顔をして写っている私の横で、
やはり彼女の口は真っ直ぐ、横に引っぱられていた。
そして、どこまでも黒い目には、どこにも隙がなくて
レンズをしっかりと、見据えていた。






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