2017/09/01

青いぴかぴかの長靴の、男の子


ザータリキャンプで、
真っ青な長靴をはいた
3、4歳の男の子の姿を見た。
まだ、今年最初の雨まで3ヶ月は待たなくてはならない、
夏の終わり。

その日、キャンプへの道すがらに、

幹線道路から見えるキャンプの全景を無感動に眺めて、
シリア難民キャンプの、シンボルのようなその見慣れた図に、
「これを難民キャンプというものとして捉えるのは、陳腐だ」と心の中で呟いていた。

そして、そう思ったことに、自分で随分動揺した。
その呟きと動揺の関係性が漠然としか見えないままキャンプに入った。

朝から暑いキャンプの、

入り口からほど近いプレハブとプレハブの間で、
水なんてどこにもないのに、
ぴかぴかの長靴をはいた
その男の子を、見た。

ちょうどブローティガンの

「シンガポールの高い塔」という話のように
啓示を持って現れる
私にとっての、確実に愛おしい、なにかだった。

同時に、親密さと俯瞰のバランスが

未だに全く取れていない、ということに気がつく。

ある意味、難民の暮らす場所の象徴として、

ザータリキャンプの遠景があるとして、
その図に、何を見出すのだろう。
埃の舞う厳しい暮らしや、失った家族、
内戦の影と云い様もない、息苦しさ、なのだろうか。
それは、ある意味事実で、でも、すべてではない。


ティピカルでシンボリックな難民の姿を文章にしなくてはならなくて、

それに疲れきっていた。
それぞれの暮らしの文脈の中に、
辛く苦しいものも、ささやかで幸せな
小さなものもあるはずなのに、
そういうものはそこそこに、日本人が考える「難民」を
より形として浮き上がらすことのできる内容を求められていた。

どうしたって事実しか書いてはならない。

その場合。人を、ケースを選ばなくてはならない。
より「日本人の思う難民っぽいから」という理由で、
その対象を選ぶ。
そこで聞き出される質問は、日本人の私が、
難民に対して多くの日本人が持つイメージをより鮮明にすることを
目的としたものに、限定される。
結局のところ、
限られた字数の中で、
その詳細を親密さを持って書く技能がないから
期待される「難民」の姿に頼って
書くことしかできないのだろう、と
逡巡の果てに、思った。
粘ったら見えたかもしれない何かは捨てて、
作業のようにこなすしかない、と一旦は腹を決めたが、
でもそれが随分と失礼なことだと、思いとどまる。

文章のためのヒアリングに往く。

家庭訪問に往くと、写真を撮れない家庭が多い。
宗教的な理由から、特に女の子の写真を納めるのは、難しい。
ましてや、「ティピカルな難民の子どもの話を書くのに使わせてほしい」など、
説明できるわけもない。

それでも、最後に写真を数枚だけ撮らせてもらった家庭があった。

最後まで嬉しそうな顔は見せてくれなかったその子の
暗い写真が手元に残る。

数週間前、その訪問の後に

久しぶりにその子の顔を描きたくなって、鉛筆を取る。
描いている間ずっと
その子から聞いた話を反芻していた。
彼女が笑わなかった理由はたくさんありすぎる。

当然元々デッサンは苦手なので全然思うように描けない。

特に口元がうまくいかない、と執着して
全体が見えないのは、絵でも彫刻でも同じだった、と
自分の過去の限界を、また、苦々しく思い知らされる。

しばらく、その絵は机の上に置きっぱなしになっていた。

何度見たって、描けてないものは要素は大量にあって
描けていないたくさんのものを見出しながら
彼女から聞けていないこともたくさんあっただろう、と
ずっとどこかで、その絵は私を弾糾し続ける。



どんなものを造り出す時にも、
最終的に形にするための基のようなものが、必要とされる。
そこには、全体を把握し、消化し、昇華する作業がある。
ディテールから共通項を見つけ出し、
ある思想に昇華しなくてはならない。
いつまでたっても、どこかで
私は対象となる人々をうまく、
確固たる基を持って、描き出すことができない。

でも、確実に、その長靴は、何かを私に明示していた。
それが何だったのか、どうしても、掴まなくてはならない。







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