2011/03/22

さよなら ホーチミン

大学の卒業展に
「さよなら つくば」という油絵を描いている人がいた
土地から受ける影響は計り知れない

私もそれを期待してこの土地にやってきて
これから日本へ帰ろうとしている

仕事場で、最後の挨拶に「想像力の種」の話をした
さっぱり口べたで
余計なことならいくらでも話せるのに
大切な話は
残念なぐらい伝わりづらかったのだけど
私はずっと最近
種のことを考えている

何を得て、何を持ち帰るのか

こどもたちは知らず知らずのうちに
たくさんの経験を携えて
大きくなってゆく

もう、私はすっかり身体と年だけは一人前になってしまって
中身が伴わずに
ここを去ろうとする今でも
たくさんの後悔をして
たくさんの心残りなことごとを
いくらも解決も、解消もできないまま
いつもの通り、よく往く店でパソコンを開く


最後の今日
まず、仕事場の最後の片付けをする
それから、動物園へ往った
オラウータンとゾウに
人参をあげてきた
オラウータンはえさを持っていると
私のことを
私ではなくて
えさをくれる人として、認識する
人参をおいしそうに食べている間
私はにんじんおばさん、と呼んでいる
外国人に人参を売るおばさんと話をする

オラータンはいくつ?
8歳
名前は?
テオ
ところで、あなたないくつなの?
私は31歳
子供は?
いない
私は3歳と7歳の子供がいるの

たぶん、おそらく
そんな意味の会話をする
おかしなぐらい
相変わらずベトナム語は話せなかった
まだ、おなかがすいているはずよ
そう云いながら人参を取り出す
人参おばさんの視線を尻目に
私はオラウータンを見る
最後にタンビエ、と手を振る
ちゃんとオラウータンは私のことを見つめていてくれた

私はきっと
オラウータンの話を書くだろう
オラウータンは私の大切な「想像力の種」になり
人参を持った瞬間に、人参をくれる人になりさがった私の後悔を含めて
私のオラウータンの記憶になる
そして、オラウータンのものがたりができる

焼けつく日差し
黒すぎる影
きれいな声でなく鳥
バイクをかわして道を横切る歩調

ここ数日
空港へ、帰国する人たちを見送りに往っていた
去年も今年も、空港にも
訊けなかった質問や
握手をできなかったわだかまりや
見つからなかった言葉や
云いそびれた一言が
私にしか見えない澱になって溜まっている
種にするにはあまりにも未分化な感情

人との関わりが
一度、私の自我を崩した
露呈した、そして往き先のない正義やエゴや優しさを
収集つかずにばらまいた
その一つ一つの出来事が
いつまでも暑い土地の空気にふやけて
まだ、種になるには形を定められないまま
身体の底でうずき続ける

種にするには整理のつかないものものが
まだ寒さの残る日本できっと
小さな塊になるだろう

ただ、私は単純に
この土地の暑さが
ここにもう一度来ない限り
感覚として残っても
体現できないのが、悲しい

だから、私はたくさんの後悔もまた
数限りない経験の大切な一つとして
持って帰ることになる
次の土地では、きっと
そう、願いながら

何に願うかと云えば自分自身の姿勢で
願いがあれば、叶うように向く方向が、ある
そう、思っている

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