2021/09/11

雨が染み込み、でも温かく


8年ぶりの、夏の日本への帰国だった。
記憶の中の日本の夏は、茹だるような暑さと湿気。
典型的だけれど、入道雲と蝉の声。
ずっと夏には帰っていなかったから、時々日本との会議で
背後から蝉の声が聞こえたりすると、じんわり切なくなったりしていた。

だから隔離中の朝、蝉の声に目覚めて、しばらく横になったまま聴き入っていた。

でも、暑い日はそれほど続かなくて、呆れるほど曇りか雨の日が続いた。
日本では雨が降り出したらずっと雨か曇りなんだとか
当たり前のことに気づいたりした。
ヨルダンでは雨雲と風はセットのことが多いから、
雨が降り出したら、その後には虹が見える確率が高い。
雨が降る冬は、空にかかる虹を待っているのが
すっかり習慣になっていた。

日本の雨は終わりがなくて、しっとり濡れた緑が映える。



私の記憶の中では、なんだか寒い日本、だった。
どうにも寒がりなので、季節外れのフリースを慌てて買った。
心構えのない寒さは、苦手だ。





期待外れだったのだと思う。
期待外れについて、結構ずっと考えていた。
それは、例えば入国の時のおかしさだったりした。
なんでこんなにたくさんの人が入国にかかる手続きにいるのだろう、とか。
電子化が定着しつつあるヨルダンに比べて、どうして圧倒的に
日本の入国にかかる手続きはアナログなんだろう、とか。
働いていらっしゃる方たちの中には、不安を感じている人たちもいるだろう。

ヨルダンは隔離対象国なので、ホテルに連れて行かれる。
そのバスには、ビニールがあらゆるところにかけられて
外など一ミリも見られない、護送車みたいな状態になっていた。
海外からきた人は誰も彼もがコロナにかかっていることを前提にした
対応をされていることに気づいて、途方に暮れる。




こんな対応をするより、入国前の検査数を1回から2回に増やすとか
しっかり何度かPCR検査をしてほしいな、と思った。
PCR検査だけではないけれど、
なぜ、日本政府が支援対象としている国の一つである
ヨルダンでは円滑にできていることが、なぜ日本ではできないのだろう。

そして、何よりも日本で街中を行く人たちの行動様式が、
ヨルダンよりもコロナ対策がなっていないということに
何度も唖然とした。

それなのに、罹った人には冷たい。
こんな状態では広まってもおかしくないのに、罹ったらおしまい、
みたいな空気感への矛盾に、ぞっとした。

ルールが形骸化するシーンを何度も見て、
それが個々人の判断への責任だけでは語れない話なのだと
次第に気づいていったりした。

私を含め、誰もが知らない間にあらゆる場所で、目的の見えない実験台になっている。
実験をしている人は誰なのだろうか、と薄寒さを感じる。

だから、色々な意味で、寒かった。
日本ってこんな国だったんだ、と今更気づく。

(ところで、日本を私は「にほん」と発音する。
「にっぽん」が正確な音だけれど、統計的には
半数以上の人たちは、にほん、と口にしているらしい。

自分の国の発音が違う、というのはなんだかおかしなことだ。
個人的には、にっぽんという音を聞くと
戦争中のラジオ放送の音声を思い出してしまって
いちいち気になってしまったりする。
コロナ禍ではよく出る文脈だと思うけれど。)

いつか、日本へ戻ってこなくてはならない。
日本人として、違う国に住み、日本の何かしらの強みを伝えていくのが仕事ならば、
今の日本には問題が多すぎる。
特にコロナ以降、自分自身が帰国のたびに問題を体感してしまって、
このまま仕事を続けていいのだろうか、という
疑問をずっと抱き続けている。




短い帰国だったから、展覧会によく行った。
ヨルダンとの仕事は午後から始まるので、午前中に出かける。
ピンとくるものも、さっぱりなものもあった。

ルール?展にきている人が圧倒的に若い人たちだったのが
新鮮でなんだか素敵だった。
体験型のコンセプトが面白くて、
展示内容のどれにも、新しい発見があった。





アナザーエナジー展のレバノン人の作家の絵が
静かに情熱的で、でも暖かでよかった。
それから、高層ビルの屋上から見える景色の手前に置かれた彫刻が
二重の意味で均衡を感じさせる贅沢な展示だった。




イサムノグチ展の作品は、もちろん素晴らしいのだけれど、
来場者の数が多すぎて、彫刻の周囲に空間がもはやなくなっていた。

山城知佳子は、どこまでも剥き出しすぎて
少し混乱した。

フェルト、脂肪、そしてフィクション展は
作品の語る言葉が多くて、もっとよく聞き取りたかったけど、
たぶんうまく聞ききれなかったと思う。




一番記憶に残ったのは、Walls&Bridges展だった。
きっと、美術を一線でやっていたら、反対に興味を引かなかったかもしれない。
でも、紹介されている作家の作品にどれも
手に触れられるような、ものを作り出す人独特の愛情があって
なんだか、とても安心した。
日記映画、として日常を撮影し続けた作家の映像に
柔らかい光が溢れていた。


本もたくさん読んだ。
いつ持っている新しい本を読み終わってしまうのか
不安になることがない、というのはどうにも素敵なことだった。

とにかく圧倒的に良かったのは、「すべての見えない光」だった。
物理的に私の好きなものと、私自身が常に気にしていた類の人の心の動きが
交差して、ひどく美しい作品だった。

読む本がなくなると本屋へ行って、ピンとくるものを探す。
あまり遠くの本屋へは行きづらかったから、
徒歩圏内の2件の本屋を行き来した。

それから、自分では普段手に取らない本も人から紹介されて
それらのどれもが、新鮮だったり、納得できたりした。
以前は好きな作家が決まっていたから手に取ろうともしなくて、
人から紹介されても、よほどでない限り進んで読まなかった。

人から本を借りる良さに、気づかせてもらった。

本を読むと、その感想を会ってくれる人に話していった。
うまく話せることもあったし、うまく言い表せないこともあった。
けれど、人に話すというのは、自分の理解度や咀嚼具合を確かめるのに
随分役に立った。
普段読んだ本の話を興味を持って聞いてくれる相手もいないので、
耳を傾けてくれる人たちがいるのは、ありがたかった。

会ってくれる人たちは、誰もがコロナ禍のこの状況に
それぞれのフィールドでできることを、精一杯していこうと
考え、行動する、本当に格好いい人たちばかりだった。
地味だったり、キラキラしていたり、一見した見え方は異なるけれど
誰もが、しなやかに闘う勇者みたいに見えた。
だから、だと思うけれど、誰に対してもとても温かくて、
それが何よりもありがたかった。




きっと会えなかった人たちもまた、さまざまなことに戸惑い、闘いながら
何かに精一杯なのだろう。
想像するその様子は、私とたぶん、同じだ。



人たちに会った帰り、時々ぽつぽつ夜の東京を歩いた。
一人になると、急に寂しくなるし、なんだか不安になった。
深夜の街灯に艶めく常緑樹の葉っぱやアスファルトはきれいだけど冷たくて、
薄く濃淡を残す雲はじっと動かなかった。

日本での宙を浮くような暮らしは漠然と不安を駆り立てる。

それでも、出会う人たちがそれぞれの基軸をしっかり持って、
その人たちと家族や大切な人や周囲の人たちの生活や心持ちを、より良くしようと
絶え間なく試みを続けている姿を見させてもらった。
不安や疑問は、動いて向き合っていくものなのだな、と
説得力を持って提示していただいた。


ヨルダンに戻ってきたら、こちらもまたいつの間にか
雲が空を漂う秋の景色になっていた。
雲は少しずつ形を変えて流れていく。




今年は例年よりも少し早く、雨が降るかもしれない。
ずっとヨルダンは水不足に悩まされているのに、
食器を洗う水を盛大に出してしまった。
金木犀の香りが好きだけれど、日本にいる間には花がまだ咲かなかったから、
香水を大枚叩いて買ってきた。
まだ日本を引きずっているな、と反省する。


意図せず、かもしれないけれど、温かな人たちは
地道に仕事をしていけ、と私を励ましてくれたのだと勝手に、思っている。

シリア人のお母さんたちみたいに、いつか強くて温かい人になれるように、
まずは足元から地道に仕事をしよう、と思う。
大体いつも同じことを、毎回初心に戻るように思うのだから、
よほど忘れっぽいのだろう。


2021/07/21

砂塵と鳩の舞う土地 - 少女の表情 違う土地へ 腕いっぱいのお土産

暑さが厳しくなってくると、移動中の車の中の窓から
差し込む光でさえ、意地悪に思えてくる。

あっけらかんと何もない茶色い土地はいよいよ
ホワイトアウトして、目が痛くなる。
車の中から見る景色でさえ、そうなのだ。

色々済ませなくてはならない仕事が続いていて
どうにも忙しなく移動を繰り返す日だった。
家庭訪問が3件、そのうち一つは教材を作るためで
先生の家へお邪魔する。

特に理由はないのだけれど、活動場所の学校から遠かったばかりに
あまり普段長居することのない家だった。
子どもさんたちがまだ小さくて、誰も彼もが
お母さんである先生を待っているから、余計に
家へお邪魔して、お母さんを取ってしまうのは良くない、と
遠慮する気持ちも、どこかでいつもあったりする。

この日もまた、お母さんの帰りを心待ちにしていた子どもたちが
家の扉を開けた瞬間に、わらわらと奥から迎えにくる。
そして、お母さんと一緒に見知らぬ顔があることで
急に神妙な表情に変わる。
とにかく、正直な子たちだ。

この日は、家の中の光をうまく使って、コントラストのある写真を撮る
という課題のための、教材作りだった。






あなたの好きなものならなんでもいいんだよ、と言われて
特に戸惑う子どもたちが多いアラブ圏では、
美術の授業で、先生がお手本で描いたお世辞にも上手とは言えない絵を
子どもたちが必死に描き写していたりした。
表現を蔑ろにしている、とも言えるし、反対に考えれば、
学習するという姿勢においては他教科と美術は同じだ、とも言える。

もっとも、日本の子どもたちばかりみてきた私には、
その素直さ、従順さが恐ろしくもある。

描きたいものを描くのではなく、先生の描いた通りに描くことが
いい絵だと、見なされる傾向が強い。
正解がたくさんある世界に生きられない子どもたちは、きっと
窮屈に感じていることだろう。


一方で個人的には、芸術のどの分野においても、基礎技術はあった方がいい、と
考えている節が、私にはある。
なんでも表現だからいい、というのは、自由で素敵に聞こえるけれど
ある意味、教える側の無責任でもある、と思っている。
出てきた作品について、これはいい、悪い、ということは決して言わないけれど
明らかに手抜きなのは悲しいし、最低限学習したことは使ってみてほしい。

せっかく教える機会があるのであれば、最低限の知識は教えておきたいと、
いろいろ欲が出てくるのは、悪い癖。

さまざまな例を紹介するけれど、その例をきちんと踏襲した写真も多い。
例の中から、気に入ったものを選ぶのもまた
個人の選択だから、それだけでも十分、表現だと思っている。
課題を理解して、自分なりに撮ってみる経験が大事で、
彼らの長い人生のどこかで、その経験が役立てばなお、いい
などと思いながら、教材を作る。

先生のうちの子どもさんが、家のお手伝いをする姿を写真とビデオに撮る。

他の兄弟は皆男の子で、一人だけ女の子の長女である彼女は
ひどくしっかりしている。
お母さんの仕事をよく見ていて、すでにたくさん学習している。
お母さんの代わりに仕事をするのも、とても好きだ。

だから、お母さんが私たちの相手をしている間に
トルココーヒーを作ってくれる。
その様子を収めたくて台所へ行ったら、
台所の彼女用に用意された小さな台の上に立って
すでにカップをお盆に準備していた。




ビデオやら写真やらを撮られて幾らか緊張していたのだろう、
目一杯火力を強めて煮たコーヒーが吹きこぼれてしまう。
お母さんが笑いながら床にこぼれたコーヒーを拭き取る。

こういう時にこちらも慌てる。
お母さんが子どもを叱ったらどうしよう、と一瞬不安がよぎるからだ。
お母さんが笑ってくれて、心のうちで胸を撫で下ろす。

コーヒーをいただいている間、家の小さな男の子たちは
それぞれ大人しく遊んでいる。
2歳半の子は、自分の名前を言えるようになった、という会話をしていて
名前を尋ねてみると、恥ずかしがって言ってくれなかった。
4歳になる男の子はきちんと名前を答える。
あら、ちゃんとお兄さんは名前を言えたわよ、とお母さんが頭を撫でながら
2歳半の子に声をかける。
しばらく様子を見ていたら、2歳半の子は呆れるぐらい嫉妬心を丸出しにして
遊ぶ手も止めたまま、じっとお兄さんのことを見つめていた。

いつもそうだけれど、ぼんやりしていると訪問理由を忘れてしまう。
居心地よくしようと、迎えてくれる人々はいつも
いい時間を作ってくれるからだ。

それまでいた客間の他はどこも、電気をつけていない。
だから、土間も台所も薄暗くて、小さな庭に通じるドアの脇だけが
明るく輝いて見えた。

娘さんがドアの横にある鏡の前に立つ。
きっと、お母さんもお父さんも、電気が来なくても光があるところで
自分の姿を確認するからだろう。

大きくひび割れた鏡の前に立つ少女の表情は、刻々と変化して
戸惑いと不安と、興味と好奇心が波たつ。

肖像画にでも出てきそうなきれいな顔立ちの娘さんは
光と影の濃淡に表情を際立たせながら、割れた鏡の中で写真に収まる。

たまたま割れていただけなのに、鏡が割れているだけで写真は
意図しない意味を持ってしまう。
これは使えないな、と美しい少女の顔の写真を確認しながら
小さく心の中で落胆する。

家の中はまだそこまで暑くないけれど
わずかに漏れ入る直射日光の下だけは、焼けるように暑い。
プレハブを工夫を凝らして繋げた家の中の
ほんの少しの光を探しては、写真を撮り続けた。

しばらくすると、玄関のドアの外で自転車を止める音がする。
すると、男の子たちがまたわらわらと、ドアの前に集まってくる。

旦那さんが帰ってきたのだ。

荷物をたくさん手にした大柄の旦那さんが家の中に入ってくる。
子どもたちもお母さんも、表情のどこかに、安心感を滲ませる。
居るだけで、安心させてくれる存在。

たくさん持っていた買い物袋の一つは、惣菜パンだった。
私たちがくるからと、旦那さんが近くのパン屋さんに買いに行ってくれていた。

居間で食事が始まる。
そんなつもりではなかったのに、という言い訳はいつも、通用しない。
ほのかにまだ温かいパンは、こちらのスタンダード
チーズ、ザアタル、ひき肉がそれぞれ入ったパンだった。

たくさん勧めてくれるのを、お腹の具合を見ながらいただいたり断ったりする。
全ての味を試してみてほしい、と皿の上にはどんどんとパンが置かれる。

しばらく食べるのに必死だったけれど、もうこれ以上は無理だ、と宣言する。
その間も、娘さんは弟たちの面倒を見続け、
気がついた時にはまた、コーヒーを作って持ってきてくれた。

それまで子どもたちの話や最近のキャンプの様子を話していた旦那さんが
おもむろに尋ねてくる。
知り合いにUNHCRの職員はいないですか?

この質問はもう何度も、難民の人たちから訊かれていた。
知り合いはいないし、いたとしてもコネが使える世界ではない。

急に語気の強くなった旦那さんは、最近第3国定住が決まった
近所の人の話をする。
自分たちの名前がリストの上の方に来るように、
ヨルダン人スタッフにお願いしたから行けたのだ、と言い張る。

そういうことは国連機関では考えられないですよ、と口にする
こちらも本心では返事に、窮す。

過去に同じ質問をしてきた人々の顔が、突如頭の中に
次々と浮かんでくる。
あぁ、あの人もその人も、まだヨルダンからどこにも行けず
ただただ切に、他の国へいく新しい希望に満ちた未来を夢見ていた。

こんなに多くの人たちが同じ質問をしてくるのだから、実のところ
何かしらのコネは存在するのかもしれない。
でも、残念ながら本当に知り合いはいないし、いたとしても私の立場で
誰かの名前を指して、平等性を欠く操作の一端を担うことはできない。

新しい国に行った人の全てが、いい生活を築けているわけではないんです、
ここも苦しい、でも、新しい土地もまた、苦しくない保証はない。
それでも、閉鎖された土地にい続けるより
まだ、可能性のある土地へ行くことに、未来を見出したいでしょう。

アラビア語と英語を混ぜながら、必死にそんなことを口にしていた。

その時ちょうど、日中配給されるはずの電気が、止まってしまう。

慣れた様子で、子どもたちがカーテンを開ける。
電気が来なければ、一気に部屋の中は薄暗くなってしまう。
暑さを防ぐためのカーテンも、光には負ける。



ふと、諦めにくぐもった表情だった旦那さんの口調が穏やかになって、
お菓子の話へ変えてくれた。

ガライベ、という私の大好きなこちらのクッキーの味が
ヨルダンとシリアでは全く違う、という話題で盛り上がる。
一度だけ食べたことのある、シリアのガライベは、
サムネという脂の味がしっかりしていて本当に美味しかった。

そうだった、と声をあげて、お母さんが立ち上がって部屋を出る。
両手に立派なプラスティックの入れ物を抱えて
部屋へ戻ってくる。
マグドゥース(ナスの漬物)と、ブラックオリーブだった。

今度私が家に来た時には渡そうと、取っておいてくれたらしい。
それから、また台所へ行ったかと思うと、
琥珀色のゼリーのようなものの乗った皿を持ってきてくれた。




16時間煮続けて作る、かぼちゃのお菓子だった。
繊維質で甘さの弱いこちらのかぼちゃをお菓子にするには
砂糖をたっぷり入れてゆっくりじっくり、煮る。
ジャムを作る要領と同じだった。

歯に響くぐらい甘い、羊羹のような味のお菓子だった。

これ、日本のお菓子にそっくりだから、緑茶と一緒に食べたいな、
などと口にしたのがいけなかった。
そそくさとお母さんが立ち上がったかと思うと、
瓶に入ったカボチャのお菓子を持ってきてくれた。

本当に羊羹のようだったし、懐かしい味だけれど
なんでもかんでも思った通りに口にしてはいけなかった、と
心底後悔する。
特にベドウィンの人たちに多く見られる慣習だけれど
こちらの人たちは、他者が自分の持ち物を羨んだら
あげてしまう、という慣習がある。

どれだけ自分たちの生活が大変でも、
他者の喜ぶものは、進んで差し出してくれるのだ。


断っても聞く耳を持ってくれなくて
気がついたら、ペットボトルに入ったオリーブまで
お土産の入ったビニール袋に入れられていた。
入れてくれたビニール袋では重すぎて
取手が破れてしまう。

結局、両腕に抱えて、帰路に着くこととなった。
じわりと胸に広がる喜びと後悔で、なんとも言えない心持ちになる。

でも、美味しいものを美味しいと言わないのもおかしいし、
美味しいと言わなかったら、それも相手が傷つくでしょ、
やっぱり、日本のお菓子みたいだって言ったのがいけなかったのかな、
同行してくれたスタッフに、ぶつぶつ私は言い訳をする。

今度は緑茶をお土産に持っていったらいいんじゃない、と
スタッフは言う。
でもたぶん、彼らは苦い緑茶をあまり好きではないだろう。
甘い羊羹のようなお菓子でさえも、甘い紅茶でいただくから。

私が持ってくる得体の知れない異国の食べ物ではなく、
一番彼らにとって嬉しいのは、雇用し続けることだろう。
当たり前だけれど、私という個人の人格だけでは、
きっとこんなお土産はいただけない。

難民のお宅でものを頂いていてしまった後ろめたさに加え、
また違う種類の後悔と苦しさが、頭をよぎる。
それがマグドゥースの喜びに勝って、仕事の問題の色々が頭を擡げる。
異なる意味を帯びて、その意味に物理的な重みでもあるように
お土産はまたずしり、と重くなる。

単純に美味しい、懐かしい、嬉しいという気持ちに応えたい、という
純粋な思いも必ずあったに、違いない。
もしかしたら、すべてはただ純粋な優しさだけなのかもしれない。

ただ、その純粋な優しさには、雇用される立場がなせる
無意識の保身や保険も含んでいる可能性は拭いきれない。
そうさせているのは私の存在そのもので、彼らにはどんな非もない。

考えていたら、知らない間に音に出して唸っていた。
横に座るスタッフが、窓の外を見つめていた私の顔を覗き込む。

とにかく、受け取ったものは大切にいただく。
それぐらいしか当座、私にはできない。

頂いたカボチャのお菓子は、でも気がついたらカビが生えていた。
どうやって保存したらいいのか、きちんと訊いておかなかったからだ。
申し訳ない気持ちで、いっぱいになる。

カビの生えたところは除いて、もう一度火を通して
深夜なのについ、お皿に乗せて頂いてしまう。
手元にあったコーヒーでも十分、苦味が甘さとよく合った。
でも、お宅でいただいた時の、トルココーヒーの方が結局
味に締まりが出ることに気づく。


2021/07/11

クララとお日さま ー 盲信と、善と、人を人たらしめるもの


子どもの頃のおかしな習慣を思い出していた。
どこにいる、どんな存在なのかわからない神さまに
身近な人たちと知らない人たちの健康と幸せを毎晩、なぜか祈っていた。

就寝する前、頭をすっぽり布団で覆い、
同じ順番でお祈りをボソボソと小さな声で口にする。
順序を間違えてはいけないから、結構毎晩、真剣だった。
いつ始まって、いつ終わったのか分からないその習慣の
断片的な記憶の多くは、口にする時の緊張感と、必死さだ。

小説の中にも主人公が思いを一心に込め、お願いする場面がある。

夫が出張に行っている間、夫の無事の帰還を祈って
コーヒー断ちをする妻の話を聞いたことがある。
一晩中起きて祈り続ければ、拾ってきた死にそうな白い鳩が
元気になると信じて家族に内緒で、一晩中起きていたことがある。
その白い鳩は、結局血を吐いて次の朝、死んでしまったけど。

小説の中にも主人公が自分の犠牲を払っても、
願いを叶えるために、勝手に思い込んだ使命を果たそうとする場面がある。






この小説のストーリー展開だけを端的に説明しようとするのならば、
おそらく、主人公である人工友だち(AF)クララが、
自分を友だちに選んでくれた、病気がちな少女ジョジーの健康を取り戻すため
自分で作り出した契約に含まれた使命を遂行する話、となるだろう。

クララの存在は、社会性を育むのに十分な環境を享受できない
未来の世界に住む子どもたちのために、創造されている。
自分を購入した家族の中にいる子どもが
孤独を感じず、思いやりを持って他者と関わり合えるよう、
将来生きていくのに必要な情緒を整え育めるよう、
献身的に尽くす人工人間だ。
(この観点がとても興味深かった。
ヨルダンはオンライン教育に拘ったために
社会性育成の場がなくなることを、個人的にひどく懸念していた。
オンライン教育の弊害について、限定的ではあるけれどまさに、
危惧している世界を小説の中で見せてくれていた。)


特にクララは、観察力に長け、そこから多くを学ぶ特質を持っている。
素晴らしい人工知能を携え、人間と同様に、時には人間以上に
周囲の様子を感知し、思考を深める能力がある。
そして性格は謙虚で、自分の至らぬところを
幾らかポイントはずれているけれど、反省するきらいもある。
(ある意味、人間にとって、一番都合のいい特質を持っている。)

思春期の子どもの繊細で残酷な言動や、
自分で下した人生の選択へ、疑問を抱き続ける保護者たちの言動に
つまずきつづも、複雑な人の思いを相手に、
理解と思考、学習を深めていく。
そして、太陽のように、常に楽観的であろうとする。



人工知能のあり方や人間関係の複雑さ、
人間が根源的に抱いている寂しさや愛情など、
さまざまなテーマがストーリーの中で折り重なり混じり合っているけれど、
私が心奪われたのは、純粋さの危うさと美しさだった。
それは人の純粋な感情の美しさではなく、
周囲の人々の言動から、その人々の心の動きを察知し、
自分の与えられた役割に応える最善の行動をしようとする、
クララという人工人間の思考の、危うさと美しさだった。

お日さまの光が自分の栄養分となるだけではなく、
人も救うのだと信じているクララの、
お日さまへの熱烈な信頼と必死な祈りは、ある意味、子ども騙しで
大の大人には、信じられる代物ではない。
クララがお日さまと取り決めた「契約」と
自分に課した「使命」が、大人たちに信じてもらえないことを
本人もよくわかっていた。
そして、「契約」を口にすることでその効力がなくなってしまうと
信じて疑わなかった。だから、
お日さまと交わした「契約」の内容は誰にも明かさず
でも周囲の人の力を借りて、必死に遂行しようとする。

クララは純粋に、お日さまの力を盲信している。
そして、自分を友だちに選んだジョジーの健康の回復のために
勝手に作り出した使命をも盲信する。
その純粋さと必死さが危うく、だから美しい。

今日日、盲信の危うさを美しいと感じるなどと
大きな声では言いづらい。

私自身、ものごとはあまりそのまま信じはしない。
だから、本来忌み嫌う類の思考のはずなのだけれど、
本当のところ、本の最初のページの、
お日さまへの思いを綴った部分でもう、胸がいっぱいになってしまった。


この小説の中には、カズオ・イシグロの他の作品同様
心の動きを丁寧に描写したり、
心の動きを想像させる登場人物たちの仔細な行動が描かれている。

行動の詳細から見える心の動きは、
クララの目を通し、クララの思考を通して、解釈される。
クララは目にする物事から知識を蓄積し、
ジョジーの孤独を埋めるという役割に、
的確な行動と的確な言葉で応えようとする。

心の機微を敏感に感じながら、学習を深めていく
忠誠心に富んだ優秀なAFであると同時に、
でもなぜか、お日さまだけは、盲信しているのだ。

その幼稚とも受け取れる頑なさと、人工人間という存在のアンバランスさが、
小説そのものを、ひどく情緒的にしていた。

祈りを叶えることが、クララにとっては
自らの存在を危うくするものなのに、彼女は叶えることに懸命だ。
他者に対して善である、という在り方そのものが、
小説を読み終えたあともずっと、心の中で引っかかる。
それは人工人間を作り出した人間の願望であると同時に
他者がそうあって欲しい、自分がそうありたい、という
欲求のようにも受け取れる。


私が私であらしめるもの、あなたがあなたであらしめるものは
一体何なのか。
寂しさや愛情ゆえに、
かけがえのない人を何かに代替できるものなのか。
これらが小説のテーマとなる問だろう。

いくらでも代替が可能なはずの人工人間クララが
この小説の中で、他のどの登場人物にもできない役割を担い、
最後まで、ある性格と特性を備えたクララであり続けている。
ひどく人間らしい、私には少なくともそう思える。
誰かのために存在し、その人のために全霊を傾けるクララが
私の中の、人としての資質の大事な何かと重なっていたからだろう。

個の自由が希求される時代だけれど、究極的には
他者のために存在する自分の方が、
自分のために存在する自分よりも、
幸せなのかもしれない、と、どこかで思っているからだ。

今の時代、はやらない考え方であろう。
けれども、他者をなくしては、自らが存在し得ないし、
一人だけで満たされる幸せもあるけれど、同時に
それでは完結し得ない幸せもあるのだと、思っている。




恥ずかしい話だけれど、大きくなってからも結構
どこの誰だかわからない神さまに、他者の事事をお祈りする。
こちらでは、すでに立派な神さまが存在しているので、
あまり大きな声では言えないけれど。

ある卑小な、でも切実な祈りを叶えるために、自分で定めた使命を果たしたい。
大人になってもなお、そう心のどこかで思っている人は、でも
結構多いのではないか、と密かに勘繰っている。

利他的か利己的か、という二分した考え方だけでは捉えきれない
人間の生きる世界について、自己のあり方について
改めて考えるための小説なのだと、個人的には、思っている。

 

2021/07/02

砂塵と鳩の舞う土地 - あの世の暮らし 子どもたちの存在

朝から、うっすらと望んでいることが、自然と実現する。

遅刻しかけてまずいな、と思っていたら、ドライバーさんが遅刻した。
途中でコーヒー買う余裕はないかな、と思っていたら、
ドライバーさんが遅刻のお詫びにコーヒーをすでに、買ってくれていた。

この日、親族が亡くなったヨルダン人スタッフの家でお葬式があった。
一親等二親等の場合、もしくは会ったことのある方なら
弔問に行くけれど、そうでない場合は判断に迷うところだった。
結局、休むはずだったスタッフが仕事場に顔を出し
声をかけてくれたので、行くことになった。


キャンプへの行き道は、その親族の話になる。
どうも、自死したようだ、と他のスタッフから話があった。

イスラム教では、自死は鬼門だ。
宗教的に、とても悪いことだという認識がなされている。
それが、何が鬼門の理由なのかを同行したスタッフに尋ねる。

神の助けを信じて、生を全うするのが教えだから
自死をしたら、神を裏切ったことになる、つまり
自死をしたらもはや、イスラム教徒ではない、という。

亡くなる時に、信じていた神に見放される、というのは
自ら見放される道を選んだとしても、辛いことだ。
せめて、自死を選んだとしてもその選択に、
神は寛大であってくれないものなのか、と
きっと私が親族ならば、切に思うだろう。
敬虔なご家族であることを知っているばかりに、
なんとも言えない辛さが、身体中へ広がる感覚に襲われる。

自死をした人のお葬式には、通常あまり弔問しないらしい。
それもまた、亡くなった本人にとってもご家族にとっても
辛いことだ。

日本の自殺率の話から、天国の話になる。
最後の審判の日、地獄行きの判決が出ても
地獄を経験した後、天国へ行けるらしい。

私の知り合いは、天国について
この世では経験できない素敵なことが待っている、と言っていた。
具体的にはどんなことなのか、と訊いてみたら
綺麗な女の人に囲まれて、お酒も飲めるらしい、と言う。

それは本当なのか、と同行するイスラム教徒のスタッフに尋ねると
彼女は顔を顰める。
想像できないような世界である、それから
ぶどうやいちじく、オリーブの木などがある、という記述はあるけれど
それ以上のことは、もはや知人の想像らしいということが判明する。
そもそも、想像できている時点で、その想像は天国で実現しないことになる。

たぶん、綺麗な女の人は、天使のことだ、とスタッフは言う。
では、女性にとっての天国には美男がいるのか、という話だ。
それに大前提として、天使に性別はあっただろうか、と記憶を探る。
美男美女の天使がいたとして、天国でも伴侶は同席している、という。
夫婦仲が悪かったら大変だね、とコメントすると
一番幸せで美しい時期が、天国では永遠に続くのだ、と説明してくれる。

人の記憶の中の一番美しい時期はそれぞれ違うから
必ずしも夫の幸せな時期と、妻の幸せな時期が同じとは限らないね、と
意地悪なことを口にする。

自分だったら、どの時期を選ぶのだろう。
そして、亡くなった方は、どの時期を選ぶのだろう。
地獄をくぐり抜けて天国へ行けた時には、
無邪気で愛情に満ちた世界の中で過ごしてほしい。


まだ、若かりし日の寺島進と井浦新がいい役で出ていた
ワンダフルライフ、という映画を思い出す。





一通りキャンプでしなくてはならないことを済ませ、
スタッフの家を訪問する。

いつも通される広い居間には、スタッフのお父さんとお母さんがいた。
訪問した先のスタッフは、用事があって外出中だった。


お母さんは私の正面に座って、じっと一点を見つめている。
もともと心臓も悪いし、コロナでめっきり弱っていたのに
今度の件でまた、ひとまわり小さくなってしまったように見える。

夫が不在の間、上司の相手をしなくてはならないと思ったのだろう。
スタッフの奥さんは私たちの横にいてくれたのだけれど、
何を話していいのか分からない様子だった。

お父さんは必死に、訪問客をもてなそうとして
スタッフの奥さんにコーヒーやお茶、お水やカスラというパンを
持ってこさせる。
いろいろ話しかけてくれるのだけれど
返事を一通り済ませると後は、何を話題にしたらいいのか
戸惑っているようだった。
私もまた、何と声をかけたらいいのか、分からない。


開け放したドアから、なぜか黒いビニール袋が
強い風に舞って部屋の中に入ってくる。
皆が呆然とそれを見つめ、ふと我に返ったのだろうスタッフの奥さんが
立ち上がって、ビニール袋を掴む。

じっと、お母さんの様子を見つめる。
いつもお顔を見るたびに、抱きしめたくなるような
小柄で可愛らしいお母さんが、今日は
白い足の裏を手でずっと小さく撫で続けていた。
私が来たらきっとお母さんの気が紛れるから、とスタッフが言ってくれて
お宅の訪問を決めたのだけれど
私には、どうすることもできなかった。

家にいる女性たちの手を伝って、スタッフの息子が奥さんの手に渡される。
さっきまで寝ていた生後半年ほどの赤ちゃんは
目こそぱっちり開いていたけれど、頭はぼんやりしているようだった。
見知らぬ私の顔をしばらくじっと見つめて、
はたと気づいたのか泣きそうになる。
お母さんであるスタッフの奥さんは、頭にキスをしながら
息子の気をそらせようと、体を抱えて
足で立つ練習をさせる。

亡くなった若い青年にも、当たり前だけれど
こうやって、大人たちにあやしてもらった時期があった。

赤ちゃんは可愛らしくて、その様子につい、顔が綻ぶ。
赤ちゃんの後ろでは、亡くなった方のお母さんが
じっと、赤ちゃんの横顔を見つめていた。



以前訪問した時、たくさんのちびっ子たちが家にいた。
親族が皆、同じ土地に住んでいるから
スタッフの兄弟とその家族の子どもたちだけで
サッカーチームで対戦できるぐらいの人数になるのだ。

大人たちが沈痛な面持ちで居間に集っている。
けれども廊下では、子どもたちが私の姿を見つけて、笑顔で手をふる。

こちらのお葬式は3日間続くから、
ずっとこの空気に支配されては、子どもたちとしてもどうしたらいいのか
分からないのだろう。

子どもたちに挨拶をしたい、と言って
奥の部屋を覗いてみる。
すると、ざっと15人ぐらいの歳も性別も異なる子どもたちが
何をするともなく、集まっていた。
部屋の中で話をしていると
スタッフの姉妹や兄弟の奥さんたちもまた
顔を出してくれる。
居間を離れると、どの顔も少し解けてきて
普段の顔つきに戻りつつあった。

でも、子どもたちが空気を察しつつ、小さく騒ぐ部屋の窓の先では
亡くなった方のお父さんが、一人で木陰に座っている。
ほとんど身じろぎもせず、タバコを吸いながら、ぼうっと何かを見つめていた。



聞けば、親族以外の近所の人たちには、
事故で亡くなった、という話にしているようだった。
私もまた、何が原因だったのか、とても訊くことなどできなかった。

亡くなったらもう、自分の意思や思いは伝えられないし
たとえ生前に伝える手段を持ち合わせていたとしても、
法的な手段を使わない限り、
それを公表するか否かは、残されたご家族の判断に委ねられる。
亡くなったら何もできなくなるのだな、と
しみじみ、思う。


何をどう話したらいいのか分からない時間だった。
だから、初めに挨拶した時にはしなかったけれど
お暇する時、挨拶の代わりにお母さんとスタッフの奥さんの手を握る。
アッラーヤルハム(神のご慈悲を)という言葉しか口にできない。

彼らの信じる神にご慈悲を乞うことができるのだとすれば、
この願いほど、乞うものはないのかもしれない。
彼らの理論からすれば、ご慈悲が彼に注がれることはない。
だから私は、残されたご家族へのご慈悲を神に乞うていることになる。


じっと私を見つめるお母さんの小さな目は、やはり虚ろだった。

まだ裏若い奥さんは、少し目を細めてくれる。
初めて会った時にはまだ20歳ほどだったのに
子どもを産んですっかりお母さんになった彼女の手は
こちらの強力で色も鮮やかな洗剤のせいで
すっかり荒れてカサカサしていた。


未来は、いつも生きている人々に委ねられる。
彼女の赤ちゃんが、亡くなった従兄弟のことを知る日がやってくるだろう。
この家族は、たくさんの子どもたちがいる。
亡くなった方の生きていた証を、受け継ぐ人々のいることが
一つの救いなのかもしれない。


ひどく暑い日だった。
キャンプの中を歩いて、その後キャンプの外の家を訪問して、
なんだかどっと、疲れてしまった。
行きはそれなりに、軽快に話をしていたのだけれど、
帰りは、私もスタッフも、ただぼうっと白茶けた景色を見つめていた。






2021/06/23

砂塵と鳩の舞う土地 - 人の名前  揺れる葉 インタビュー ビー玉

 
ハードは行事の詰まった週の最後の、フィールドだった。
行きの車の中では、前日までに起きた出来事の愚痴で話に花が咲く。

その週になかなか手を焼いた事象の中心人物は
勝利、という意味の名前だった。
辞書で名前の意味を調べてみて合点がいった、などという
スタッフとの会話で、車の中が盛り上がる。

名は体を表す、なんて言葉もある。
でも往々にして、特に苗字ではなく名前については
その名前の意味が形容詞を含む時、意味と逆の性質を持っていたりする例を
自分も含めて少なからず見てきた。
(こちらでこそ気候的に晴れの日は多いけれど、私は晴れ女ではないし
決して晴れやかな人間でもない)
名付けた人々の思い入れに囚われるケースなのかもしれない。

その名の通りに勝利を模索していたその人物は、
ある意味、名付けた人の願いを全うしたことになる。
メンタル強いな、と感心する。

必ずしも、名前の持つアラビア語の意味と
関連があるわけではない。
時々、珍しい名前を耳にして、その人の個性が強烈だったりすると
名前の持つ意味を調べたりする。

個人的に、アラブ人の名前と性格には
関連性がある、と思っている。
10年ずっとこちらの学校ばかりがフィールドだと
いろんな子どもたちや先生たちに会うから、
それぞれの名前と性格が自然と紐づいていって、傾向が見えてくる。
比較的こちらによくある名前の人に会うと、過去に会った同じ名前の
女性たちや女の子たちを思い出すのだ。

ヒバちゃんは気が強め、とか
バスマは人格者が多い、とか
アスマは相手に気を遣いがち、とか
イブティサムは統率力がある、とか
ブシュラはしっかり者、とか。

ファミリーネームには、土地や街の名前も多いけれど、
動物の名前もある。
ワシの複数形がファミリーネームだったりすると
おちおち軽視などできない心持ちになるし、
狼はかなりいい意味合いを持っているらしい。

狼の研究をするために自宅で狼を飼っている、
狼みたいに美しい瞳を持ったピアニストがいる話を、スタッフに話す。
そして狼というファミリーネームを持つ
シリアへ戻った子どものことを思い出す。
狼が良い意味ならば、その名に守られていてほしい。



この日は2人の子どもたちにインタビューをする予定だったので、
スタッフへ予定を速やかに共有して、早々に動き始めた。

家庭訪問をして、インタビューをさせていただく。

1軒目の、トタンでできたドアが開くと
メガネをかけた青年が、招き入れてくれた。

ドアの内側はセメント敷の小さなテラスになっていて、
同じくトタンの屋根がついた土間のような空間の脇には
果樹やジャスミン、薔薇の葉が揺れていた。
植物にだけ、チラチラと朝の光が差し込む。

ほんの狭い地面と、そこに植えられるだけの
線の細い木々と植物があるだけなのに、
陽の差し込むそのわずかな空間と、
さまざまな形と色の葉、そしてその影の揺れる様が、
ひどく美しく見えた。

青年は早々にプレハブの中に入り、
入れ替わりに子どもたちが、わらわらとプレハブから出てくる。
好奇心と恥じらいが混じった様子で、
出てきたはいいけれど、ドアの脇でこちらの様子を見ていた。

お母さんが早速、コーヒーを持ってきてくれる。
お顔のついたコーヒーカップ。
自分の趣味ではないはずなのに、
出されたカップが妙に可愛らしく、愛らしく見える。




インタビューに答えてくれた女の子は
とても控えめで、でも、自分をしっかりと持っている子だった。
インタビューの後、コロナで学校が閉まっていたから描き始めた絵を
たくさん見せてくれる。

音の響きが美しい名前の子だけれど、意味は分からなかった。

日本のアニメの声優さんの声が好きらしい。
私は知らない人だったのが、どうにも申し訳なかった。
一生懸命教えてくれるのに、私はさっぱりわからないのだ。

こちらの10代の女の子たちは、韓国ドラマに夢中だ。
けれど、彼女は、韓国ドラマよりも日本のアニメの方に酔心しているの、と
お母さんが熱心に説明してくれる。

お母さんが、子どもたちそれぞれの趣向について
全く揶揄も否定もしていなくて、
自分の知らないことに興味を持っているということを、
純粋に、優しさたっぷりに受け止めているようだった。

インタビューに答えてくれた女の子の妹は、
学校でもよく挨拶をしてくれた子だから、よく顔を覚えていた。
姉のインタビューをまぶしいものでも見るように
じっと遠巻きに見つめている様子が、微笑ましかった。

語学勉強のアプリを使って日本語を勉強しているという
その女の子と、互いに日本語で挨拶を言い合う。
このコロナ禍、正確な発音の挨拶を、
アプリでなんなく習得できてしまう事実に、密やかに途方に暮れる。

さっぱりアニメが分からないのも、なんだかコーヒーカップが可愛く見えるのも
新しい単語が一ミリも記憶できないのも
何だか歳をとった証拠だな、と思いながら
インタビューの後で、お母さんの年齢をこっそり訊いてみる。
すると、私の二つ年上だった。

あら、いやだ、と思わずお母さんの肩を叩く。
こちらの年齢を言うと、お母さんも、肩に手を回してくる。

家へ招き入れてくれた長男は23歳で、キャンプから大学に通っている。
一番上の子は亡くなってしまった。
17歳で結婚して、20歳で大学に通う長男を産んでいる。
娘のうち一人はもう結婚している。

入り口のドアが開いた時、英語も話す長男の落ち着いた物腰と
なんとも柔和な顔つきに気を取られたことを思い返す。

大学へ通う長男は、おそらく16、7歳でキャンプに来ている。
自国での経験とキャンプまでの避難、その後の混乱の生活の中から
大学までの道のりをよく、切り拓いと、
勝手にいろいろと想像して、感慨に耽る。


しばらくそんなことを考えてぼんやりしていたら、
庭先に咲いていたジャスミンの枝を折って、
下の妹とお母さんが手渡してくれた。

この家の6歳の男の子の名前は、ラベンダーのアラビア語だった。


この日は新聞配りもあったので、
もう一軒のインタビューの前に、新聞を配りに行く。

いつもは素通りする商店に、新聞を貼らせてもらおうかと覗いてみると、
店のガラス戸に鍵をかけていた。
中には2歳ぐらいから5歳ぐらいまでの子が4人
ガラス戸の内側で鍵をいじっている。
おむつに上着だけを着た2歳ぐらいの子が、まだ手の届かない鍵をいじる
お兄さんと思われる男の子の様子をじっと見ていた。

そんな様子をガラス越しに見つつ、ふと目をあげると
お母さんが不審顔で、こちらをちらっと見遣ったかと思うと
子どもたちを手で払い除けて、鍵を確認する。
ひどく苛立った表情だった。

いつもお世話になっている金物屋で新聞貼りをしていると
通りの先から大きな泣き声が響く。

よく知っている男の子の住んでいる家から
泣きじゃくる妹が、上着の首周りをたくしあげて
涙を拭きながら駆け出してくる。
紐のついたプラスティックのカゴに
小さな子を入れて引きずる遊びをしていた弟妹たちが
彼らの姉だろう女の子を遠巻きに見つめていた。
しばらくすると、よく知っている男の子がバツ悪そうに、
プレハブの裏へ妹を探しに出て行った。




きっとまた叩いたんだ、何が原因だったのだろう。
そう思って、水タンクの奥に消えていく男の子を目で追っていたら、
金物屋の息子である男の子の同級生も、私の傍で、
じっとその様子を見つめていた。



新聞配りの途中で、2軒目の家を訪ねる。

以前に一度伺ったことのある家で、
庭先には、立派な立葵とすももの木が育っていた。


インタビューの相手の男の子は、さっきの女の子と同じぐらい
聡明な子だった。
実が熟す、という意味合いの単語からくる名前の子。

インタビューの答えがあまりにもしっかりしていたので、
聞いているこちらが、恐縮してしまう。
きちんと、自分の言いたいことを表現しようと、
真剣に言葉を探りながら話す顔つきを、久々に見た気がした。

インタビューの後、紅茶の後には冷えたスイカも出てきて、
男の子が熱心に取り組んでいる工作を一つ一つ、紹介してくれる。

電気が通っているか調べる手作りの道具や、
足が動くように、滑車を組み合わせたカラクリや、
夜、電気の供給が切れて暗い中でも、場所を設定して調整もできる携帯立てや
そんないろいろなものを作るための、部品でいっぱいになった箱を
家のどこかから持ってきてくれる。

いつもどこで作っているの?と訊いてみると、
下の妹弟たちに邪魔されない場所を探して作っている、と答えていた。

通された居間では、下の妹弟たちが思い思いに好きなことをしていた。
いつの間にか眠ってしまった妹が、私の脇で
幸せそうに屈託なく、横になっていた。

成長が止まってしまう病気のその子は、
体つきは小さいけれど、前回伺った時もこの日も、眠ってしまう直前まで
思慮深い顔つきで、お兄さんが作るものを熱心に見つめていた。





6歳ぐらいの男の子が、さっきからずっと
丸いものばかり、たくさん持っていた。
初めは、同じサイズのボタン、
次はビー玉、その次は、紙を丸く切った大量のおはじき。

20個以上あるビー玉を、妹に取られないように
でも、私たちの会話を邪魔しないよう、
必死にポケットへしまおうとしている。
でも、数が多すぎて、ポロポロこぼれ落ちてしまうのを
真剣な表情で必死に拾っては、入れていた。

次第に熱のこもる大人たちのアラビア語の会話についていけず、
ずっとその弟の様子に見入る。
私も丸いものが好きなので、つい、親近感を覚えてしまう。


水分を取りすぎてしまって、なんだかお腹がいっぱいになる。
お手洗いを使わせてもらって、初めて
お母さんと年頃の娘さんの存在が目に入った。
家のどこかにいらっしゃるのは当たり前なのに、
訪問してすぐ挨拶をしなかったことを後悔する。

お手洗いの後でキッチンの中にいる女性たちに挨拶すると、
梅干しを入れておくような大きな瓶が3つ、
キッチンの戸棚に並んでいた。
中には立派なマグドゥース(ナスの漬物)がいっぱい入っていた。

お母さんと娘さんは、顔がそっくりだった。
思わず、そっくりですね、と言うと
二人ともおかしそうに、大きく微笑んだ。
その顔もまた、そっくりだった。

片付けたはずの携帯電話立てを土間で見つけると、
娘さんが得意げに、どうやって携帯立てを調整するのか
動かして教えてくれた。

スイカのお礼と、スイカがしっかり甘かったことを言いそびれてしまった。


キャンプの中の家庭の皆が皆、この日伺ったような環境にはない。
お父さんと目が合った瞬間に、萎縮して言葉を失う男の子や、
兄の顔色を伺いながら、ただひたすら俯いて黙っている女の子や、
たっぷり悪い単語をぶつぶつ言い続けながら掃除をするお母さんも、いる。

私が訪問先を選んだわけではなかったから、きっとスタッフが
インタビューできる家を探してくれたのだろう。

キャンプという土地の中で、お金だけではなく
子どもたちにとっての最善の環境を作ることに重きを置いて
暮らせる家庭は少ない。
文字通り、有難い家庭へ伺う日だった。


帰りの車の中、可愛らしくて思わず録画した
ビー玉を入れる男の子のビデオを繰り返し、見てしまう。




男の子は一つだけ、大きなビー玉を持っていた。
あれがたくさん入って売られているのを、日本で見たことがある。
お土産に買おうか迷って、重いからやめたビー玉だった。

都心の百均で、キャンプの子どもたちのことを思い出した時の
どこか懐かしいような、苦しいような感覚が急に、蘇ってくる。

日本に居れば、キャンプは遠い。

モニタリング用に入っているグループチャットから
どれだけ子どもたちのチャットが携帯電話に流れてきても、
仕事のメッセージのやりとりを深夜まで続けていても、
よく知っているはずの厳しい生活の様子でさえ、
どこか、テレビ番組を思い出すように紗がかかる。

レジでヨルダンよりも余程小さなコインを正確に探し出すことや
湿気とともに沁み込む独特の寒さに、身体を慣れさせることや
日本人の年相応の振る舞いや身なりをすることや
日本でしなくてはいけないのに進まない、物事のさまざまに
心がいっぱいになってしまっていた。

しっかり重いビー玉の入った網を手に取った時の感触や
小さな頃、ビー玉を太陽の光にかざした時の煌めきの記憶を
子どもたちがビー玉で遊んでいる様子を見るたびに、思い出していたのに。


インタビューは事業にご寄付くださった方々への報告のためだった。
頻繁にキャンプへ通う私でさえ、日本に戻っている間そんな感じだったのだから、
実際に見たことも行ったこともない方々へ
何を携えたなら、感謝とともに
こちらの様子を感じて、記憶に残していただけるのだろう。

とても不安になって、家へ戻った後、必死で編集してみたのだけれど
自分が関心を持つ、些細な何かにしかビデオが回っていなかったり
話を聞きながらで映像に集中していない中途半端なビデオしか手元になくて
提出期限を過ぎた深夜、途方に暮れた。

ただ、答えてくれた子どもたちの言葉の
真剣でまっすぐだったことだけが、救いだった。


あの子の名前を聞き忘れてしまったから、今度聞いてみよう。
この先、同じ名前の人に会ったなら、きっと
丸いものが大好きで集めてしまうあの子のことと
ビー玉の重みと煌めきを、何度も繰り返し、思い出したい。