2021/07/21

砂塵と鳩の舞う土地 - 少女の表情 違う土地へ 腕いっぱいのお土産

暑さが厳しくなってくると、移動中の車の中の窓から
差し込む光でさえ、意地悪に思えてくる。

あっけらかんと何もない茶色い土地はいよいよ
ホワイトアウトして、目が痛くなる。
車の中から見る景色でさえ、そうなのだ。

色々済ませなくてはならない仕事が続いていて
どうにも忙しなく移動を繰り返す日だった。
家庭訪問が3件、そのうち一つは教材を作るためで
先生の家へお邪魔する。

特に理由はないのだけれど、活動場所の学校から遠かったばかりに
あまり普段長居することのない家だった。
子どもさんたちがまだ小さくて、誰も彼もが
お母さんである先生を待っているから、余計に
家へお邪魔して、お母さんを取ってしまうのは良くない、と
遠慮する気持ちも、どこかでいつもあったりする。

この日もまた、お母さんの帰りを心待ちにしていた子どもたちが
家の扉を開けた瞬間に、わらわらと奥から迎えにくる。
そして、お母さんと一緒に見知らぬ顔があることで
急に神妙な表情に変わる。
とにかく、正直な子たちだ。

この日は、家の中の光をうまく使って、コントラストのある写真を撮る
という課題のための、教材作りだった。






あなたの好きなものならなんでもいいんだよ、と言われて
特に戸惑う子どもたちが多いアラブ圏では、
美術の授業で、先生がお手本で描いたお世辞にも上手とは言えない絵を
子どもたちが必死に描き写していたりした。
表現を蔑ろにしている、とも言えるし、反対に考えれば、
学習するという姿勢においては他教科と美術は同じだ、とも言える。

もっとも、日本の子どもたちばかりみてきた私には、
その素直さ、従順さが恐ろしくもある。

描きたいものを描くのではなく、先生の描いた通りに描くことが
いい絵だと、見なされる傾向が強い。
正解がたくさんある世界に生きられない子どもたちは、きっと
窮屈に感じていることだろう。


一方で個人的には、芸術のどの分野においても、基礎技術はあった方がいい、と
考えている節が、私にはある。
なんでも表現だからいい、というのは、自由で素敵に聞こえるけれど
ある意味、教える側の無責任でもある、と思っている。
出てきた作品について、これはいい、悪い、ということは決して言わないけれど
明らかに手抜きなのは悲しいし、最低限学習したことは使ってみてほしい。

せっかく教える機会があるのであれば、最低限の知識は教えておきたいと、
いろいろ欲が出てくるのは、悪い癖。

さまざまな例を紹介するけれど、その例をきちんと踏襲した写真も多い。
例の中から、気に入ったものを選ぶのもまた
個人の選択だから、それだけでも十分、表現だと思っている。
課題を理解して、自分なりに撮ってみる経験が大事で、
彼らの長い人生のどこかで、その経験が役立てばなお、いい
などと思いながら、教材を作る。

先生のうちの子どもさんが、家のお手伝いをする姿を写真とビデオに撮る。

他の兄弟は皆男の子で、一人だけ女の子の長女である彼女は
ひどくしっかりしている。
お母さんの仕事をよく見ていて、すでにたくさん学習している。
お母さんの代わりに仕事をするのも、とても好きだ。

だから、お母さんが私たちの相手をしている間に
トルココーヒーを作ってくれる。
その様子を収めたくて台所へ行ったら、
台所の彼女用に用意された小さな台の上に立って
すでにカップをお盆に準備していた。




ビデオやら写真やらを撮られて幾らか緊張していたのだろう、
目一杯火力を強めて煮たコーヒーが吹きこぼれてしまう。
お母さんが笑いながら床にこぼれたコーヒーを拭き取る。

こういう時にこちらも慌てる。
お母さんが子どもを叱ったらどうしよう、と一瞬不安がよぎるからだ。
お母さんが笑ってくれて、心のうちで胸を撫で下ろす。

コーヒーをいただいている間、家の小さな男の子たちは
それぞれ大人しく遊んでいる。
2歳半の子は、自分の名前を言えるようになった、という会話をしていて
名前を尋ねてみると、恥ずかしがって言ってくれなかった。
4歳になる男の子はきちんと名前を答える。
あら、ちゃんとお兄さんは名前を言えたわよ、とお母さんが頭を撫でながら
2歳半の子に声をかける。
しばらく様子を見ていたら、2歳半の子は呆れるぐらい嫉妬心を丸出しにして
遊ぶ手も止めたまま、じっとお兄さんのことを見つめていた。

いつもそうだけれど、ぼんやりしていると訪問理由を忘れてしまう。
居心地よくしようと、迎えてくれる人々はいつも
いい時間を作ってくれるからだ。

それまでいた客間の他はどこも、電気をつけていない。
だから、土間も台所も薄暗くて、小さな庭に通じるドアの脇だけが
明るく輝いて見えた。

娘さんがドアの横にある鏡の前に立つ。
きっと、お母さんもお父さんも、電気が来なくても光があるところで
自分の姿を確認するからだろう。

大きくひび割れた鏡の前に立つ少女の表情は、刻々と変化して
戸惑いと不安と、興味と好奇心が波たつ。

肖像画にでも出てきそうなきれいな顔立ちの娘さんは
光と影の濃淡に表情を際立たせながら、割れた鏡の中で写真に収まる。

たまたま割れていただけなのに、鏡が割れているだけで写真は
意図しない意味を持ってしまう。
これは使えないな、と美しい少女の顔の写真を確認しながら
小さく心の中で落胆する。

家の中はまだそこまで暑くないけれど
わずかに漏れ入る直射日光の下だけは、焼けるように暑い。
プレハブを工夫を凝らして繋げた家の中の
ほんの少しの光を探しては、写真を撮り続けた。

しばらくすると、玄関のドアの外で自転車を止める音がする。
すると、男の子たちがまたわらわらと、ドアの前に集まってくる。

旦那さんが帰ってきたのだ。

荷物をたくさん手にした大柄の旦那さんが家の中に入ってくる。
子どもたちもお母さんも、表情のどこかに、安心感を滲ませる。
居るだけで、安心させてくれる存在。

たくさん持っていた買い物袋の一つは、惣菜パンだった。
私たちがくるからと、旦那さんが近くのパン屋さんに買いに行ってくれていた。

居間で食事が始まる。
そんなつもりではなかったのに、という言い訳はいつも、通用しない。
ほのかにまだ温かいパンは、こちらのスタンダード
チーズ、ザアタル、ひき肉がそれぞれ入ったパンだった。

たくさん勧めてくれるのを、お腹の具合を見ながらいただいたり断ったりする。
全ての味を試してみてほしい、と皿の上にはどんどんとパンが置かれる。

しばらく食べるのに必死だったけれど、もうこれ以上は無理だ、と宣言する。
その間も、娘さんは弟たちの面倒を見続け、
気がついた時にはまた、コーヒーを作って持ってきてくれた。

それまで子どもたちの話や最近のキャンプの様子を話していた旦那さんが
おもむろに尋ねてくる。
知り合いにUNHCRの職員はいないですか?

この質問はもう何度も、難民の人たちから訊かれていた。
知り合いはいないし、いたとしてもコネが使える世界ではない。

急に語気の強くなった旦那さんは、最近第3国定住が決まった
近所の人の話をする。
自分たちの名前がリストの上の方に来るように、
ヨルダン人スタッフにお願いしたから行けたのだ、と言い張る。

そういうことは国連機関では考えられないですよ、と口にする
こちらも本心では返事に、窮す。

過去に同じ質問をしてきた人々の顔が、突如頭の中に
次々と浮かんでくる。
あぁ、あの人もその人も、まだヨルダンからどこにも行けず
ただただ切に、他の国へいく新しい希望に満ちた未来を夢見ていた。

こんなに多くの人たちが同じ質問をしてくるのだから、実のところ
何かしらのコネは存在するのかもしれない。
でも、残念ながら本当に知り合いはいないし、いたとしても私の立場で
誰かの名前を指して、平等性を欠く操作の一端を担うことはできない。

新しい国に行った人の全てが、いい生活を築けているわけではないんです、
ここも苦しい、でも、新しい土地もまた、苦しくない保証はない。
それでも、閉鎖された土地にい続けるより
まだ、可能性のある土地へ行くことに、未来を見出したいでしょう。

アラビア語と英語を混ぜながら、必死にそんなことを口にしていた。

その時ちょうど、日中配給されるはずの電気が、止まってしまう。

慣れた様子で、子どもたちがカーテンを開ける。
電気が来なければ、一気に部屋の中は薄暗くなってしまう。
暑さを防ぐためのカーテンも、光には負ける。



ふと、諦めにくぐもった表情だった旦那さんの口調が穏やかになって、
お菓子の話へ変えてくれた。

ガライベ、という私の大好きなこちらのクッキーの味が
ヨルダンとシリアでは全く違う、という話題で盛り上がる。
一度だけ食べたことのある、シリアのガライベは、
サムネという脂の味がしっかりしていて本当に美味しかった。

そうだった、と声をあげて、お母さんが立ち上がって部屋を出る。
両手に立派なプラスティックの入れ物を抱えて
部屋へ戻ってくる。
マグドゥース(ナスの漬物)と、ブラックオリーブだった。

今度私が家に来た時には渡そうと、取っておいてくれたらしい。
それから、また台所へ行ったかと思うと、
琥珀色のゼリーのようなものの乗った皿を持ってきてくれた。




16時間煮続けて作る、かぼちゃのお菓子だった。
繊維質で甘さの弱いこちらのかぼちゃをお菓子にするには
砂糖をたっぷり入れてゆっくりじっくり、煮る。
ジャムを作る要領と同じだった。

歯に響くぐらい甘い、羊羹のような味のお菓子だった。

これ、日本のお菓子にそっくりだから、緑茶と一緒に食べたいな、
などと口にしたのがいけなかった。
そそくさとお母さんが立ち上がったかと思うと、
瓶に入ったカボチャのお菓子を持ってきてくれた。

本当に羊羹のようだったし、懐かしい味だけれど
なんでもかんでも思った通りに口にしてはいけなかった、と
心底後悔する。
特にベドウィンの人たちに多く見られる慣習だけれど
こちらの人たちは、他者が自分の持ち物を羨んだら
あげてしまう、という慣習がある。

どれだけ自分たちの生活が大変でも、
他者の喜ぶものは、進んで差し出してくれるのだ。


断っても聞く耳を持ってくれなくて
気がついたら、ペットボトルに入ったオリーブまで
お土産の入ったビニール袋に入れられていた。
入れてくれたビニール袋では重すぎて
取手が破れてしまう。

結局、両腕に抱えて、帰路に着くこととなった。
じわりと胸に広がる喜びと後悔で、なんとも言えない心持ちになる。

でも、美味しいものを美味しいと言わないのもおかしいし、
美味しいと言わなかったら、それも相手が傷つくでしょ、
やっぱり、日本のお菓子みたいだって言ったのがいけなかったのかな、
同行してくれたスタッフに、ぶつぶつ私は言い訳をする。

今度は緑茶をお土産に持っていったらいいんじゃない、と
スタッフは言う。
でもたぶん、彼らは苦い緑茶をあまり好きではないだろう。
甘い羊羹のようなお菓子でさえも、甘い紅茶でいただくから。

私が持ってくる得体の知れない異国の食べ物ではなく、
一番彼らにとって嬉しいのは、雇用し続けることだろう。
当たり前だけれど、私という個人の人格だけでは、
きっとこんなお土産はいただけない。

難民のお宅でものを頂いていてしまった後ろめたさに加え、
また違う種類の後悔と苦しさが、頭をよぎる。
それがマグドゥースの喜びに勝って、仕事の問題の色々が頭を擡げる。
異なる意味を帯びて、その意味に物理的な重みでもあるように
お土産はまたずしり、と重くなる。

単純に美味しい、懐かしい、嬉しいという気持ちに応えたい、という
純粋な思いも必ずあったに、違いない。
もしかしたら、すべてはただ純粋な優しさだけなのかもしれない。

ただ、その純粋な優しさには、雇用される立場がなせる
無意識の保身や保険も含んでいる可能性は拭いきれない。
そうさせているのは私の存在そのもので、彼らにはどんな非もない。

考えていたら、知らない間に音に出して唸っていた。
横に座るスタッフが、窓の外を見つめていた私の顔を覗き込む。

とにかく、受け取ったものは大切にいただく。
それぐらいしか当座、私にはできない。

頂いたカボチャのお菓子は、でも気がついたらカビが生えていた。
どうやって保存したらいいのか、きちんと訊いておかなかったからだ。
申し訳ない気持ちで、いっぱいになる。

カビの生えたところは除いて、もう一度火を通して
深夜なのについ、お皿に乗せて頂いてしまう。
手元にあったコーヒーでも十分、苦味が甘さとよく合った。
でも、お宅でいただいた時の、トルココーヒーの方が結局
味に締まりが出ることに気づく。


0 件のコメント: