2022/07/17

大雨と、音楽を聴く時間

 

雨音がひどい時は、イヤホンのノイズキャンセリングで音を消す。

無声映画みたいになる。

もはや暴力的な雨水が、ひどく跳ねたり叩いたり

踊ったり溜まったりするのを、どこかの映像のように、眺める。

漏れ入る音も気にならなくなったら、

クープランの墓、を、ひたすら繰り返し聴き続ける。


実のところ、クープランの墓と激しい雨は、さっぱり似合わない。


第一次世界大戦で亡くなった友人や知り合いを思いながら

作られたこの楽曲は、

どことなく乾いた晩夏のような部分もありつつ、

大方はどちらかと言ったら瑞々しくて、そこには

小川や露のような、爽やかさがある。





あまりに雨がひどい時、時々無性に聴きたくなる。

目の前のひどい雨の情景とのギャップを、どこかで期待しながら。


一日中、仕事の間もずっと、聴き続けていた。



それから、久々に音楽スイッチが入って、

気にかかっていたけれど、確認できていなかったアーティストの

新譜や聴き逃していた曲を、apple musicで片っ端から再生する。


長めの移動の時は、この作業をしがちだ。

特に、バスがいい。

たぶん、景色が流れ去っていくのと

音楽が流れていくのには、いつも重なり合う何かがある。





1:ホセ・ゴンザレス Visions


ホセ ゴンザレスの歩む感じと声の重なりの組み合わせは

お家芸なんだけど、やっぱりとても、いい。








2:Rhye   Holy (Frank Wiedemann remix)


絶対打てないリズムを入れてきていて、

一度気になると聴き続てしまう。

これのPVはあまり良くなかった。

アラブ人が馬を映像で使うときの用法に似ていて、

ソワソワするから、音源だけ。




3: Joni Mitchell   River (Archives Vol.2より)

イントロが大好きで、よく口ずさんでしまう曲なのだけど、

このバージョンには、最後の最後に、クリスマスソングの断片が入っている。

ホルンの音が、こんな風に淡々と柔らかく、入れられるんだと。





4: Predawn  The Bell


一貫してとても親密な音作りの最後、

いろいろあったけど、とりあえず家に戻ってきた、という

どこか、慰められるような、収まりのある曲。

なんかこのアルバムは、全般的にひどく素直な音作りなのだけど、

最後のこの曲の素直さが、よけいに、あとを引く。





5: James Blake  Wind down


眠りにつくための音楽アプリ、Endelのために作ったアルバムだけに、

いつもの凝った打ち込みは影を潜めているのだけど、

もともと歌一本でもすごくいい曲を作っていたから、

シンプルな音の環境音楽的なものも、

普通にいいという発見。





6: シューベルト ピアノソナタD894


特に1楽章は、どうやって聴いたらいいのか、

時々分からなくなる楽曲だった。

やっと、ずいぶんしっくり来るピアニストを見つけて、

いつまでも聴いていられるようになった。





7: エリオット・スミス No name #3


レマスター盤で、聴いたことなかったアルバムの中から。

とてもシンプルなギターとメロディなのだけど、

よけいに、拗ねたような歌声が、じわじわとこちらにやってくる。

深夜とエリオットの、この親和性の高さは一級品なのだけど、

とても危険だったと、気がついた時には遅かった。

たぶん、一番ボロボロな時の(死ぬまでずっとボロボロだったんだけど)

ライブ映像から。





8: Nina Simon   July tree


小さくて、童謡か数え歌みたいにシンプルでかわいい歌。

ニーナシモンじゃないと、

こんな味わい深い歌には、ならないだろう。

そういえば、今はJulyだった、と。






まだまだ、日本には大雨の日がたくさんやってくるのだろう。

その度に、また無声映画ごっこをして、

目の前の土砂降りに

閉じられた、たった一人の音の世界を享受する時間が

たらふくある。

雨が強ければ強いほど、静かで染み込む音がいい。

イヤホンだけは、性能のいいものを持っているのは、

これをするため、ただそれだけだ。




けれども、移動先でいいスピーカーと、静かな広い空間があった。

深夜勝手に、人々の寝静まった頃合いを見計らって、

復習のように、イヤホンから聴いていた音楽を

空間に放って、聴き続けていた。

音が、耳だけではなく、身体全体から、静かに入ってくる。





朝になって、ちょっと寝不足のまま、犬の散歩に出かける。

雨の上がった草原に、雨粒の雫をたっぷり湛えた草が

風に揺れる。






夜のうちに、いろんな音を聴いたけど、そして、雨も上がったけれど、

でも、頭の中をクープランの墓が流れていた。


いつか、広い草原に大音量で、あの曲を流してみたい。


2022/07/03

ストレスをめぐる、繊細さと正義と慈しみ



「日本人とやりとりをする方が、場合によっては
現地の人と会話をするよりストレスなのかもしれません」


仕事の制度で受けさせられる、駐在用のストレスチェックカウンセリングで、
私の横に座る産業医に対して、そう、答える。
要領を得ない、治すべきものが明確に見えてこないクライアントである私から、
なんとかストレスの素を引き出そうとしていた。

仕方がないので、適当に返答を埋めて事前に送ったアンケートの結果を見つつ、
あらためて、何がストレスなのか、もう一応大人になったので、
ちゃんと答えようとして、天を仰ぐ。






時々頭の中に、鉤括弧付きの、
「繊細な日本のわたし」というフレーズが浮かんでくる。

アラブ人相手の時は、限られた語彙の中で、
こちらの意図を理解してもらうために、相手の思考回路をできる限り把握して、
その回路に合わせて一番分かりやすそうな、そして
適切な言葉を選んでいた。

例えば、何か問題が起きた時、責めているわけではない、
ただ、理解したいから話したい、と
さっぱりはっきり話し始めると、相手が比較的すんなりと
思っていることを口にしてくれることが多かった。

そして、絵に描いたような、腹を割った会話、をする。


でも、日本人が相手だと、そんなあからさまに、
やもすると、ガサツで、上から目線と思われてしまうような前置きなど、
口にすることはできない。

わたしの理解するかぎり、日本で経験する繊細さは
重層的で、多様性に富み、
結果的にとても、厄介だ。


わたしもまた、多くのアラブ人よりかはいくらか繊細で、
日本で会話をしていると、相手の思っていることが手にとるように分かる、
というシーンも少なからず、ある。
言葉の使い方や物腰、表情、色々な情報が一気に入ってきて
相手の性格や今までのやり取りから、
静かにキレているな、とか、不満なんだな、とか、結構喜んでいるな、とか
ぶわっと心の中に入ってきたりする。

言葉のニュアンスが完璧に分かる、ということも一つの理由だけれど、
たぶん、ヨルダンでずっと、相手の思考回路を
できるだけ正確に把握しようとして、
目の前の人のあらゆる情報を必死に集めてきた癖が
抜けずに残っているからだろう。

この、押し寄せる相手の心の内は、時に、
こちらが恥ずかしくなるほど愛らしいものもあれば、
必ずしも知りたいものではない場合もある。
後者だった場合、フリーズしがちで、ストレスとなる。

でもそんな、ひどく些細なことをわざわざ、
産業医に話す必要もない。



高校の頃一時期、カウンセリングへ無理に、連れて行かれたことがあった。

全体にベージュかオフホワイトの壁に、
差し障りのない、つまらない絵画。
訳知りな感じの、品のいい女性の先生が、
ずっとうっすら、口元に笑みをくっつけて、
目の色ひとつ変えずに、ただひたすら、
わたしから話を引き出そうとする。

絶対一言も、話してやるものか、と
頑なに口を一文字にして何も話さないわたしに
先生は目の色こそ変えなかったものの
少しだけ眉を動かし、困ったような表情をする。




どんな人たちと話す時、ストレスを感じますか?

産業医はメガネ越しに、じっとわたしの目を見つめてくる。
すっと視線を逸らしつつ、でも、特にない、と答えたら
お医者さんは困ってしまうんだろうな、と思う。
もう大人なのだから、きちんと答えなくてはならない。

そこで、先日からわたしを悩ませている案件について、
話をしてみることにする。

日本人で日本語を話すのに、
まったくどんな思考回路なのか理解できない、という人の存在も
避けられない事例として少なからず、ある。
同じ言語を操っているのに、相手の感情や思考が見えない。
これはまた、ひどくストレスとなる。
打つ手なし、攻略も見つからない。


そんな相手の一人がよりによって、正義の多面性について、という
お題でわたしに話をさせようとする。
提案のメールを読んで文字通り、髪の毛が逆立ったので、
なんとメールを打ち返してやろうか、毎晩結構遅い時間まで
色々作戦を練ったりしていた。
たぶん、わたしは暇なんだと思う。


とかくマッチョになりがちな、正義という言葉の概念も存在も、
なくなればいい、ぐらいに思っている。

徹頭徹尾、客観的な法的文脈での正義ならば、
自ら話せる言葉は一つもないけれど、知るために拝聴したい。
正しいか正しくないか、の判断基準としての正義の話をしているのであれば、
結局個々人の主観に則った思想や感情のぶつかり合いにしかならない。
大体そういう人たちの語る正義的何か、は
原理的様相を帯びていて、もはや恐怖しか感じない。

などという話をメールで返信しようとして、
整理する過程でふと、気が付く。
なくなればいい、ぐらいに思っていること自体もまた、
非常に短絡的で排除感に満ちた、原理的なものの考え方である、ということ。

これはひどいな。
暑さとともに、思考が停止する。


という話が全貌だけれど、実際のところは、
ただ、こちらの話がなかなか伝わらない人がいるから
結構そのことで色々考えていて、自分ができていないことも多いから、
リフレクションしている、ぐらいに留めておく。


夜遅くまで、ということは、そのせいで眠れなくなっていますか?

そう訊かれて、その質問の中に見え隠れする、あまりにも職務に誠実な
産業医の職業的義務感に、心底うんざりする。


ストレス軽減と、自分の身体の話を聞くのに効果がある、という
タッピングや呼吸法などを一通りやって、
カウンセリングは終了した。


正義の案件については、とにかく、話した方がいいだろう。
メールで打ち返すと、どこかで、論破してやろうという
ゴリゴリしたわたしが登場してみっともなくなるし、
その後結局、自己嫌悪に陥るから。
なんだったら、話す前にタッピングでもして、
心を落ち着かせたら、きっと話し合いも円滑に進むだろう。



カウンセリングで効果がないのは、さっぱり素直ではないからだ。
無駄に経費を使ってカウンセリングなどする必要はない。
帰りの電車の中、茹だるような暑さと、なんとも言えず消化不良なモヤモヤを
イヤホンから流れる音楽で洗い流そうとする。


高校生の時の、カウンセリングからの帰り道。

一緒についてきた母親は、わたしが何も話さないことに
先生と同様、途方に暮れていた。
何度通わせても、いくらの進展もない。
電車の中で、全身が沈黙の苦痛と、何も話せない申し訳なさに溺れる。
すっかり潰れてしまった心が、もっとくしゃくしゃになるのを
ただじっと感じながら、
夜の田舎を走る電車から見える真っ暗な景色を、見つめていた。



素直じゃなくて頑ななわたしだけが、変わっていない。
ずいぶん昔の、心臓を握り潰されるような痛みの痕がうっすら蘇り、
それから、ある母子が
わたしにそれぞれ話したことを、思い出す。


やっと最近、あの子も人間愛を携えるようになった、と
初めて会ったわたしに、おっしゃる。
久々に、漏れ出るような慈しみに満ちた表情を湛える顔を見た。
あぁ、この方にとってその子どもの姿はとても、嬉しいことなのだろう、と
聞いているわたしもまた、そこはかとなく温かな気持ちになる。

子どもの方もまた、母親が愛情を持って助けてくれていることへの
おそらく、かなり切実な感謝を、きちんと言葉にしていた。


久々のカウンセリングの帰りに車窓から見える景色は、
白っぽい湿気だらけの空と、
入道雲のようにもこもこと緑の茂る多摩川の河川敷で、
どこかあっけらかんとしている。


歳をとる過程で、さまざまな人の姿や言葉に触れ、
きちんとそのままの大きさで受け止め、大切にできた話や会話は
いつまでも大事な財産になっている。
たぶん、自分で自分を救うための言葉や記憶をいくつかは、
持ち合わせられるようになってきたと思う。




きっと何度受けても、カウンセリングは好きになれないだろう。

もし、カウンセラーに自然に、心預けられるようになったら、
きっとその時には、本当に、カウンセリングを受けるべき何ものも、
わたしの中からおそらく、なくなっている。




2022/06/19

おじいさんとおばあさんと、緑深い神社

 

私の目には、空気がどこもかしこも少し霞んで、
緑色だけがやたらと、鮮明に輝いて見える。
暑く感じるのに、肌だけが、触れるとひんやりする感覚
湿気の多い土地でしか、体感できない。

用事の帰りに神社へよる。

緑が多くて、子どもたちの声が響いていて、
階段がちゃんとあって、気に入っている。
帰国のたびに、必ず一度は寄ってきたお気に入りの神社だ。

その日、仕事にまつわる色々に思うものがあって、でも、
誰が悪い、とか、あれがいけない、とか、言いたいんじゃない、と
脳みそが逡巡していた。
仕事が溜まっていたのだけれど、やもすると
あてどない考えに囚われそうだったから、
整理しようと、神社に足を向ける。



おじいさんが、階段の中腹にある慰霊碑をじっと見上げていた。
昼前の神社で、おじいさんの気配はいつも以上に、
神社の境内を静謐な場に変えていた。
そして、本殿へいくと、その脇の社務所の窓から
小さな白い背中が見えた。



帰国のたび、毎回必ずその神社へ寄ってはいたけれど、
だからと言って、信心深い訳ではない。
ただ、より神社らしい雰囲気と、
緑が深いことを気に入っていたからだった。
何せ、1年のうちのほんの少ししか、緑のない国から帰ってくると
湿った緑は、この上なく魅力的に見えていた。



けれどもある時、どうしても叶えたい願いに囚われる。

そのために、いつかの帰ヨルダン直前、その神社へ行った。
仕事が押してしまって、成田までの時間を逆算すると、
どこにも時間がなかったから、ぱっと寄るつもりだった。
でもその日なぜだか、人がたくさんいて、
全然私の順番は回ってこない。
雨のしとしと降る寒い日で、待っている間
社務所の中の、白い着物を着た小柄なおばあさんの背中だけを
じっと、見つめていた。

フライトの時間が迫っていて、結局
志なかばで、その場を後にした。



以前、この時期に私は毎年ヨルダンで、
小さなおはなしを作り続けていた。
おそらく、読まれることのない小さなおはなしは、
挿絵を添えられ、PDFにされ、メールに添付される。


周囲の子どもたちの話だったり、
夢に見たことの話だったり、
ヨルダンに住む人々から耳にした話だったり、
道で拾ったものから膨らませた話だったり、
遺跡や風景、身近なものに関する思考の話だったり、
どれも、多くの人には些細に見える話ばかりだったと思う。

ほとんどいつも、文字でしか連絡の取れない人に
私が作って送れるものは、これしかなかった。

感想をもらえた時から年月が経ち、いつの間にか
お礼だけで、感想は来なくなった。
たぶん、読んでいなかったのだと思う。
できるだけ客観的に、
心に残り、有益でいいものを、とは思っていたけれど、
技術が足りなかったし、何よりも、
読み手にとって、私の書くものへも私にまつわることにも
関心がなくなっていった。
悲しかったけれど、詮ないことだった。


在外に長くいると、できることがなさすぎて、
いろんなことに、ききわけが良くなるし、
諦めることに慣れてくる。

毎年仕事にかまけて、アウトプットのできない自分に鞭打って、
その時期だけ、ちょっと踏ん張って言葉を探したり、
絵の具やクレヨンを取り出したりしたおかげで、
結果的には、思考や感性の記録を、
話の形にして残していくことができた。

何かを作ろうとする気持ちをいただいて、
今でも、ありがたいと思っている。




さっきまで慰霊碑の前でじっとしていたおじいさんが
鳥居の下で、何度も何度も、頭を下げていた。
深く、心を込めて丁寧に、何度も。

つい、鳥居を通り過ぎたあとに振り返り
じっと、おじいさんを見つめてしまう。

どんな思いがあるのか、憶測するのも難しい。
ただ、お辞儀をする姿は、ひどく静かで、切実だった。

あのお年になっても、あれほど密やかな熱心さを胸に抱き
お辞儀をさせることとは、どんなことなのだろう。





神社へ寄った帰りにふと、書いたおはなしの一つが蘇る。

シリア人のお宅へ家庭訪問した時の情景の、
その家のお母さんの佇まいと子どもの様子と
その場の空気感をただひたすら克明に描写した、おはなし。

その家のお母さんは、小さな子どもを膝の上で寝かせながら、
私たちの話に耳を傾け、質問に応える。
ヨルダンにしては珍しく、カビの匂いが鼻をつくほど湿気ていて
光の入らない、暗い部屋の中だった。
ほとんど視線の合わないお母さんは、でも
ただひたすら子どものことを、愛おしそうに見つめ続けていた。
その圧倒的に善で平安で愛情に満ちた空気が、
お母さんの口から漏れ出る、彼らの暮らしや運命を、より
鮮明に浮き立たせる。

訪問を終えて建物を出ると、
突き抜けるようないつもの、曇りない青空がある、
というおはなし。


どうにもならないことなど、この世の中にはいくらでもある。




頭をすっきりさせたくて神社へ行ったはずだったのだけれど、
おじいさんの姿とおばあさんの背中から、
記憶の奥底を掘り返すことになって、
どうにもならないことや、詮ないことの切なさが、
心にじわりと広がる。


道に咲く大輪にしなった紫陽花が、
頭を垂れるおじいさんの姿を思い出させる。





神社へ行ったら、お礼を言うのがいいはずなのだけれど、
欲が出て、あぁなってほしいとか、こうなってほしい、とか
思いがちだった。

神社へお願いやら、お祈りやらをしようとすると
今の私の願いや、気にかけていることが何なのか、
わかってきたりする。
そして、自分の業や欲を認識し、それら自体、それから
それらに囚われる自分自身も解き放したい、と
色々な神社に行っては、願ってきたのだろう。
事象は違っても、その心の動きは大方、同じだった。


願いは自分のためではなく。

そう、欲深い私もやっと、心から思うようになってきた。
だから、最近ではできるだけ何も考えずに、
お礼と、周りの人々の安全だけ、
悪い姿勢をちょっと伸ばして、
お祈りするようにしている。




2022/05/11

表現をめぐる記録

 
日本に戻ってきたら、必ず
いろんな展示を見よう、と思っていた。
それから、ライブも行きたいな、と。

例えば音楽に関してはヨルダンでも、
それなりにローマ時代の円形劇場で
シリア人歌手のライブがあったり、椿姫をしっかり鑑賞する機会があった。
でも、表現をめぐる記憶で一番衝撃だったのは、
狭い映画館でのロックライブだった。

ヨルダンでは一向にブームのやってこないロックを盛り上げようと、
数人だけが舞台の傍で、ヘッドバッキングをしている。
音作りは高校の文化祭程度のレベルなのだけど、
ロックを待っていた人たちのその姿に、一周回って
切実な何かが感じられて妙に、印象に残っている。

美術作品については、正直、ほとんどピンとこなかった。
10年以上前、ヨルダンで暮らし始めてすぐ、大方の美術館は回った。
絵画にしろ、彫刻にしろ、いい、と思うものはそれほど多くなかった。
そして、何かしら惹かれるものがある作品を作った作家は
見事にヨルダン人ではなく、イラクかシリアかレバノンか、スーダン出身だった。

その感触と印象がずっと後を引いて、結局、
家の向かいの丘にはギャラリーがたくさんあったけれど、
そこまで頻繁に、作家をチェックしたりしなかった。

その代わり、博物館と遺跡めぐりだけは、とにかくよく行った。
形の良さや色の良さ、をただ楽しみたければ、
さまざまな歴史の入り混じる、層の厚い土地から出てくる
ものものの方が、よほど魅力的だった。


個人的な意見だけれども、造形作品の形や色の面白さや美しさのツボには
人それぞれ違いがありつつも、
多くの人が腹の底からいい、と感じられ色や形には共通の良さ、
みたいなものがあると思っている。

ぺろっとそんな崇高なものを作る、本当に、抜きん出た才能を持った人も時々いるけれど、
そんな際立った才能がない限り、ある程度、感覚と技術を磨く訓練が必要だ、と
才能のない私は常々、痛感している。

ヨルダンの作家の多くは、感覚と技術も磨いていないけれど、
形だけそれなり、なものも多くて
どう見たらいいのか分からず、困惑させられた。
そして、テーマ、発想や着眼点の似たような表現が乱立していた。
それらの多くは、ひどく剥き出しで、
気持ちやイデオロギーがとかく強めだった。

エネルギーに溢れているけれど、なんでも
押しつけがちな彼らの性格をよく、映し出している。
自分の表現では、あからさまなものを好まなかったのも、
あまり興味を抱ききれなかった理由なのかもしれない。

もっとも、才能のある人に比べたら、
さっぱり造形的には破綻の多いものを作っていたのは私も同じなので、
酷評する資格もないのだけれど。

ヨルダンでも一歩、ファインアートの世界から抜け出て
ポップアートや伝統工芸、伝統音楽に目を向ければ
才能に溢れた人や、抜きん出た技術を持った人はいた。


表現の面白さを楽しめるようになるには時間がかかった。
一度、全く関係のないフィールドで働いてみたからこそ、
美術視点のこだわりのようなものがなくなって、
より表現の一つとしての芸術、が面白く見え始めたのだと思う。



仕事柄、社会問題を扱う作品を見ることが多い。
問題意識をどのように表現するのか、が興味深い。
そして、その根底に流れる、その人の大切にしているもの、を
できる限り汲み取ろうとする。
その作業が、面白い。

先日見た作品は、ミャンマーの動乱でなくなった方々の顔写真を
ひたすら集めて、ひたすら真っ白な折り紙で折り続けたものだった。
人が亡くなったことを近所の人々に知らせるために
天蓋のようなものを飾る習慣があるらしく、
人々の折り紙のマスクが、その天蓋の中にかけられていた。




天蓋の下にはQRコードがある。
それをかざすと、一人一人が、どこでどのように亡くなったのかが
データで出てくるようになっていた。

100人を越える人々のマスクがいくつもの天蓋にかけられる。
はじめ、QRコードを立ったままかざしていたのだけれど、
うまく焦点が合わなかったりする。
だから、天蓋の前にしゃがみ、カメラをかざすことになる。
そして、一人一人のお墓参りをするような感覚に襲われた。

しゃがんだまま見上げる、たくさんの顔。




広く白い会場に、天蓋が続く。
QRコードが知らせるデータの集積は、凄惨さばかりを訴えてくるのに、
会場はひどく、静謐な空気に覆われていた。

折り紙を折るとは、地味な手作業だ。
その時間、ただひたすら、写真に残るその人の顔に似せようと
顔を凝視し続けたのだろう。
制作にあたる手作業の間、きっと、ひたすら
その人々の人生に、思いを馳せていただろう。
誰かが、自分の人生に一定時間、思いを馳せている。
それは、亡くなった方の鎮魂に、もしかしたらいくらか、
手助けをするのかもしれない。

ある意味、作品自体は分かりやすい表現だけれど、
見る側に促す動作から生まれる、祈りのような感覚が
会場の空気とひどく、合っていた。



ライブのような、サーカスへも行った。
仕立て屋のサーカス、という、本物のサーカスだった。

美味しいものや本、音楽や服を販売するブースの奥に
サーカスの会場がある。
思い思いの場所で、思い思いの食べ物を口にしながら
開演を待つ。

演者がホイッスルを言葉のように鳴らしながら
飴を配りつつ、会場に入ってくる。
飴をもらえて、嬉しい。
それだけで、相互にやりとりのある、サーカスの空気を
感じることができた。

天井から下がる無数の布の帯が
サーカスの間にどんどんと形を変えていく。
演者もまた、布を巻かれて会場に同化していく。




演奏する人は、一人だけだけれど、
さまざまな音が折り重なって、膨らんでいく。
まゆのように、包み込まれる感覚を
久々に体感した。

コンセプトは本を読んでやっと、理解できたところもある。
読んでみて、もっと、サーカスを経験したい、という
思いが強くなってくる。
何かと同化したい、という思いが、元々強いのかもしれない。

音だけではない視覚的な、思考的な刺激やナッヂを通じて、
場に居る人々に、同じような感覚を経験させる装置、という
表現の方法が、新鮮だった。


作品として鑑賞されるもの、として、存在しがちなファインアートは
だから表現できることがある一方で、
その在り方自体が、権威的だったりもする。
力を持ったベクトルに足る、作品の存在意義が
担保できるほどのものを作らなくてはならない。

たぶん、とても難しいことだ。
彫刻など、もともと場所を占領し、そこにあり続けるものだから、
そのハードルの高さに、今更ながら、呆然としたりする。



それでも、また何かを作りたい、という身体の底から
湧き上がってきたりする。
とても混沌とした、整理のつかないものものだ。

物理的な整理は苦手だけれど、
思考には道筋をつけたいから、
さっぱり形にも、ならない。

けれども、表現の場へ、物理的に身体を置くことのできる環境を
もっと享受したい、という欲求は
さまざまな作品を経験するにつれ、
どんどんと膨らんでいく。



2022/05/05

5月すぎる日に、ひどく似合うもの 似合わないもの

 
よく晴れた日本の5月なんて、やもすると
手の施しようがなくなるような、暗澹たる気持ちに
させられたりする。
緑が鮮やかすぎて、風が爽やかすぎて、
目に映るものや人が、素直にそれらを享受しすぎていて、
すっかり取り残された気持ちに、なる。




身体をぐっと、目一杯伸ばして、深呼吸をして空でも仰ぎ、
晴れやかな気持ちになれればいいのだけれど、
どこを見ても青と緑が眩しすぎて、目のやり場に困る。

なぜか、そんなあからさまにきらきら輝く5月には、
村上春樹の短編の断片を思い出す。
まだ初期の、若葉みたいに伸びやかな頃の作品たち。

本屋へ行って、短編などを手に取ってしまい、
なんとなく買って、カフェに入る。

後ろに座っている外国人が、ずっと仕事の話をしていた。
蝶々の発想は素敵だの、あのシナリオには修正が入るかもしれない、だの
たぶん、仕事相手だけれど大切な誰か、に話をしていて、
何度も言い淀んでは、言葉を選んでいた。
ネイティブの言葉を探す戸惑いと、吃音のように主語を繰り返す、
その掠れた音の繰り返しが、どうしても耳につく。
本を読もうとしても、どうしても、集中できない。

だから、道ゆく人々をぼうっと眺めながら、
あなたのこの写真の部分は素敵なんだけど、だの
話している声を聞く。

カートに2匹のチワワを入れて疾走するおばさんとか、
新緑といい勝負な素敵に輝くお腹を出して歩いている女の子とか、
飼い主の闊歩についていけずに引きずられていく小型犬とか、
見事なリーゼントの中年女性とか、
全身微妙に違う豹柄でアレンジした金髪の中年男性とか、
やたらとこちらを見つめてくるベビーカーに乗った1歳半ぐらいの男の子とか。

日本中の外車が集まっているんじゃないか、と思えてくるような
ピカピカの外車たちが通り過ぎて行き、その中には
漏れなくモノトーンな服をオシャレに着こなした人々が
不機嫌そうな表情で淡々と車を運転していた。

大体、常時読みかけの本を3冊ぐらい持っている。
さっきの本と、短編が2冊と、長編が1冊。

もともと持っていた1冊は、ルシア・ベルリンの
「掃除婦のための手引書」
前評判の良さと、翻訳家の選書の良さを信頼して手に取った本で、
評判と選書への信頼以上の、読み応えがある。

ちょうど読んでいた話は、幼少期の孤独な著者の過去について。

隣に住んでいるシリア人の少女ホープと仲良くなった。
(きっと、「アマル」=ホープという名前の子だったのだろう)
叔父さんのほか、家族の誰からも相手にされていない著者が
シリア人家族に、その家族の一員のように受け入れられる。
「その後の人生で、ホープほどの友だちは二度とできなかった。
たった一人の、本当の友だった。
わたしはだんだんとハダド家の子みたいになっていった。
もしもあの経験がなかったら、
たぶんわたしは今頃神経症とアル中と情緒不安定だけでは済まなかっただろう。
完全に壊れた人間になっていただろう。」

ホープと幼い著者が、遊びで盗みを働く。
著者の母親がその事実を知り、引っ叩き、盗人のワルガキと
娘を罵っている横で、ホープの母親は言う。
「でたらめを言うんじゃないよ、うちの子たちを悪く言ったら承知しないから!」
母親には、自分が悪くないと信じてほしいわけではなく、
悪いことをしてもなお、味方でいてほしかった、と気づく
真に切ない挿話だった。


まさに、この話のシリア人家族のように、ヨルダンで会ったアラブ人家族の多くが
子どものことを猫可愛がりしていた。
悪さをした報告を誰かから受けても、うちの子はそんなことなどしない、とか、
実際悪いことをしたり言ったりしたのを見ると、
子どもだからしょうがない、とか、よく言われた。
私の場合は、トマトや石を投げられたりしたという類の訴えだったけれど、
殊、アジア人の言うことなど、まともに取り合ってくれなかった。

トマトや石ではないけれど、子どもたちの悪さへの大人の対応については
似たような現象が日本の移民コミュニティでも見られるようで、
そのコミュニティにいる青年自身が、
親も大人も、善悪や礼儀を教えないのが、どれほど
彼らのコミュニティ自体にとって良くないのか、
切々と訴えていた。

自分たちを取り巻く八方塞がりの環境や社会のせいにするよりも前に、
受け入れてもらうための、自らの省察と改善への努力が必要なのに、と。
パレスティナ西岸のパレスティナ人もまた、状況は違えど
似たようなことを言っていたのを、思い出す。

私自身、その青年と同じように考え、だからこそ
教育分野で仕事をしてきた。
けれども、幼い著者の、「味方」をめぐる切実さにまで
思い及んではいなかった、としばらく、ぼんやりしてしまう。

アラブ人の多くの、あの圧倒的な自己肯定感の高さと
幸せへの感度の高さを、思い出す。



白人の男の子が、明らかにサイズの大きすぎる
自転車用のヘルメットをかぶって、目の前を横切っていく。
すらっと背の高い母親が男の子の後ろを見守りながら歩いていく。
小さすぎる茶色い犬が、秒速で足を動かしながら必死に、飼い主についていく。



味方になる、とは、どのような姿勢で接することなのか、
どんな言葉をかけるものなのか、そもそも、味方とは
何を意味することなのか、ずっと小さく、思い悩んでいる。

私は味方でいたかった。
けれど、おそらく、味方である、ということが態度や言葉ではうまく
伝わりきれなかった人のことを、思い出す。
子どもの発達段階の心理サポートにかかる文脈は、
大人へどうやって適用できるのだろう。

それは、まったく、こんな天気にそぐわない、
ひどく個人的で卑小な後悔の部類の話だ。



ルシア・ベルリンの短編では、子どもらしい、けれども
決定的に悲しいホープとの訣別が待っている。
絶対口をきかない、と約束した人と話をしてしまった著者を
ホープが見つけてしまったその日から、
シリア人家族は完全に、著者を無視した。

少女同士の関係は、そんな悲しい終焉を迎えるのに、それでもなお、
本当の友で、あの経験がなければもっとどうしようもない大人になっていた、と
著者は皮肉ではなく、切実にそう、思っている。

他者が、自分の手には入らない味方を持って生きている。
それでも、そんな味方のあり方が世の中にはある、という事実だけでも、
彼女のその後の人生の助けに、なっていたのかもしれない。

アル中から抜け出すまでに、地獄のような苦しみを味わった
彼女の短編にはなお、軽妙さと強さと、だからこそ、
言いようのない切実さがあって、とても魅力的だ。

味方について、ぼんやり考え、それから村上春樹を手に取る。

あしかが精神的御援助、という名の
あしか祭りのための金銭的サポートを求めて、
主人公の家を訪問していた。

5月には、やはり、村上春樹の初期の短編は
からりとすんなり、入ってくる。
少なくとも、私だけが取り残されている、という
暗い気持ちには、させない。

その代わりこの短編で、味方の意味など、
真剣に取り扱うことは、おそらくなくて、
だから、暗い気持ちにならないけれど、
絞り出すような切実さも、受け取れない。

あしか祭りを読めるということはつまり、
まだ私は、そこまで追い詰められていない、ということだ。

個々人の繊細さの種類と方向性に、まったく
この2つの短編で交差する部分がなくて、
なんだか、笑いが込み上げてくる。

マスクはこんな時、とても便利で、ありがたい。



2022/05/02

スーパーと、台所と、机の上の料理

 
夢にまで見た豚バラの薄切りも、ある程度
見慣れた商品になってきた。

鶏丸々1羽の値段の高さにうなったり、
野菜の美しさと値段の高さに、頭を抱えたり、
トマトの種類に呆れたりしている。

ほとんど、どこへ買い物へ行っても、
ビニール袋は有料なのに、頼んでもいない商品の包装は過剰で、
この事象にも頭を抱えている。
包装に用いられる材料の多さと、それらの意匠と
美しさと、果てしない無駄が、私を途方に暮れさせる。
だから、本当に申し訳ないけれど、多くの商品は
それらのパッケージをその場で捨てさせてもらったりする。

徒歩圏内に必要なものがほぼすべて揃っていたアンマンでは、
肉は肉屋へ行き、ラムやら鶏やらの塊からミンチやぶつ切りやらにしてもらう。
野菜は包装されていないから、必要な個数や束だけレジに持っていった。
お店の人とは顔見知りで、世間話をしたり
料理の仕方を教えてもらったりしながら買い物をする。
そんな日常を当たり前にやっていたけれど、日本に戻ってきたら
違う文化の場所なんだ、ときちんと身体にインプットされていて
結構うまい具合にすぐ、馴染んだつもりでいた。

コンビニの入店時にあっさらーむあれいこむと挨拶はしない、とか
支払いではぼやぼや小銭を探していてはいけない、とか
レジ台に買いたい商品を並べてはいけない、とか
バラ売りになっている商品の味をつまみ食いして確かめてはいけない、とか
比較的うまくルールは、守れている、と思う。
(日本ではパクチーとイタリンパセリの違いがわからなくて
つまんで食べたりしなくてもいい。
希少なそれらはきれいにラッピングされているから。)

お店の人がものすごい不機嫌で無愛想なわけでもないし、
尋ねたら、ちゃんと正確な情報を教えてくれるし、
ウロウロしていたら声をかけてくれたりする。
けれども、なんとなくどこへ行っても
相手の心の内を悪い方へ考えがちな私は、
困っていそうだから親切心で声をかけている、というよりも、
邪魔だからなんとかしなくては、と思われているんじゃないか、とか
尋ね方がおかしいなんて、思われたりしていないだろうか、とか
小さく、動揺する。

だから、いつも少しだけ
スーパーとか、忙しそうなお店の買い物に出かけると
緊張して、不安になる。

結果的に、あんなにたくさんの美味しそうな肉や野菜が並んでいるのに、
実のところ、心からは楽しめなかったりする。


それでも、わさわさと買い込んで、料理に勤しむ。

アラブ料理は実のところ、いつも遊びに行ったお宅でも手伝ってばかりで
アンマンにいた頃も、自分の家ではそれほど頻繁に作らなかった。
麦をご飯のように炊いたフリーケ、という料理と、
くり抜いたズッキーニやナスにひき肉を入れて揚げて
味の濃いヨーグルトで煮たマハシーぐらい。

人からいただくことが多くて、自分で作る必要があまりなかった、と
いただきものに甘んじていた自分を苦々しく思い返す。



料理は、ある程度の時間と労力を費やせば、
確実に成果品ができる、という素晴らしいツールだ。
何かを作り、完了することが日常生活の中でほとんどないから、
「出来上がる」というゴールは、なんだか本当に、達成感がある。

例えば、鳥の出汁を取っている間、
ぐつぐつ煮える鍋の中を見続けてしまったり、
揚げているナスの色に魅了されたり、
きゅうりのチクチクした手触りが気に入ったり、
おそらく、なんでも楽しめる人間なのだと思う。

料理をしている間、よく見知ったお母さんたちの手を思い出す。
まな板を使わずにきゅうりやらトマトやら
葉物やらをきれいに切り刻むお母さんたちの、万能な手。

向こうには、やたらと巨大な鍋がたくさんあった。
鍋の蓋を開けるたびに、ふわっと広がる湯気と香りが、懐かしい。

大方の家の台所は、日も当たらない暗い部屋で
乾燥した空気が、そこだけ少し湿っていて、
いろんな匂いが入り混じっていた。

とにかく、見事に整理された台所。
キャンプの狭い台所でも、全ての食器と鍋が
美しく並べられていた。





ヨルダンでは、女性が台所にいる時間が、とても長い。
どの料理も手間がかかって、絶対的に時間が必要だからだ。
一つの料理に、調理で行う工程のほぼすべて、
煮る、揚げる、炒める、が入っていたりする。
そして、サラダはやたらと細かく切る。

料理をしつつ、すぐ洗い物をこなし、手の届く場所にしまう。
スパイスや油も、勝手がいいように工夫されていた。
少し邪険にされながらも、足元で小さな子どもたちが遊び、
お母さんはいろんなところに目が行くから、
しっかり調理を進めながら、悪戯をしている子どもを叱る。
それなりに娘さんが大きくなれば、お母さんと一緒に調理を手伝い、
お母さんの手となり足となり、野菜切りから下の子の面倒まで
台所ですべてが、なされたりする。

台所は、お母さんたちの労力と熱意と愛情が詰まった場所だった。

台所など、日本ならそんなに気軽に入れる場所ではないけれど、
外国人の強み、ヨルダンでは、たくさんの台所を見せてもらった。
時々、荒れ果てた台所が見えてしまった家庭訪問のときには、
いろんなことを想像し、心配した。
でも、記憶に残っているのはほんの数件、
ほとんどの家庭は、いつも台所がピカピカで
どちらかといえば不精な私は、いつも心底、感心した。



そんなことを思い出しながら、炊き込みご飯が煮えるのを
仁王立ちして、見つめる。


出来上がったものを机に並べて、いただく。




味は、それなりに、再現率が高い。
けれども、向こうでいただいていたような、
心のフカフカするような美味しさは、どうしても感じられない。
そうやって、いつも、足りない何か、について考えて、
一口二口食べてから、ぼうっとしてしまう。

もう分かっている。
床に置いたいくつもの大きなお皿を囲む、
たくさんの人たちがいないのだ。



小さな子がサラダをつまみ食いしようとして、手を叩かれたり、
お皿に盛ろうとしてコップをひっくり返したり、
骨から肉をほぐしてくれようとして、慌てて断ったり、
弟妹のお皿にヨーグルトを乗せてあげたり、
何度も何度も、おいしい?とじっと見つめて聞いてきたり、
そんな、声や視線やちょっとした喧騒と、料理が、
常に一緒にあった。

あれがないと、美味しくないんだな、と
心底、途方に暮れる。

それでも、何度も作ってしまうのは、
とても矛盾して心散り散りだけれど、たぶん
あの雰囲気を思い出したいからなんだと、気づく。

困ったな、と、思いながらまた、
次は何を作ろうか、考える。