2022/05/11

表現をめぐる記録

 
日本に戻ってきたら、必ず
いろんな展示を見よう、と思っていた。
それから、ライブも行きたいな、と。

例えば音楽に関してはヨルダンでも、
それなりにローマ時代の円形劇場で
シリア人歌手のライブがあったり、椿姫をしっかり鑑賞する機会があった。
でも、表現をめぐる記憶で一番衝撃だったのは、
狭い映画館でのロックライブだった。

ヨルダンでは一向にブームのやってこないロックを盛り上げようと、
数人だけが舞台の傍で、ヘッドバッキングをしている。
音作りは高校の文化祭程度のレベルなのだけど、
ロックを待っていた人たちのその姿に、一周回って
切実な何かが感じられて妙に、印象に残っている。

美術作品については、正直、ほとんどピンとこなかった。
10年以上前、ヨルダンで暮らし始めてすぐ、大方の美術館は回った。
絵画にしろ、彫刻にしろ、いい、と思うものはそれほど多くなかった。
そして、何かしら惹かれるものがある作品を作った作家は
見事にヨルダン人ではなく、イラクかシリアかレバノンか、スーダン出身だった。

その感触と印象がずっと後を引いて、結局、
家の向かいの丘にはギャラリーがたくさんあったけれど、
そこまで頻繁に、作家をチェックしたりしなかった。

その代わり、博物館と遺跡めぐりだけは、とにかくよく行った。
形の良さや色の良さ、をただ楽しみたければ、
さまざまな歴史の入り混じる、層の厚い土地から出てくる
ものものの方が、よほど魅力的だった。


個人的な意見だけれども、造形作品の形や色の面白さや美しさのツボには
人それぞれ違いがありつつも、
多くの人が腹の底からいい、と感じられ色や形には共通の良さ、
みたいなものがあると思っている。

ぺろっとそんな崇高なものを作る、本当に、抜きん出た才能を持った人も時々いるけれど、
そんな際立った才能がない限り、ある程度、感覚と技術を磨く訓練が必要だ、と
才能のない私は常々、痛感している。

ヨルダンの作家の多くは、感覚と技術も磨いていないけれど、
形だけそれなり、なものも多くて
どう見たらいいのか分からず、困惑させられた。
そして、テーマ、発想や着眼点の似たような表現が乱立していた。
それらの多くは、ひどく剥き出しで、
気持ちやイデオロギーがとかく強めだった。

エネルギーに溢れているけれど、なんでも
押しつけがちな彼らの性格をよく、映し出している。
自分の表現では、あからさまなものを好まなかったのも、
あまり興味を抱ききれなかった理由なのかもしれない。

もっとも、才能のある人に比べたら、
さっぱり造形的には破綻の多いものを作っていたのは私も同じなので、
酷評する資格もないのだけれど。

ヨルダンでも一歩、ファインアートの世界から抜け出て
ポップアートや伝統工芸、伝統音楽に目を向ければ
才能に溢れた人や、抜きん出た技術を持った人はいた。


表現の面白さを楽しめるようになるには時間がかかった。
一度、全く関係のないフィールドで働いてみたからこそ、
美術視点のこだわりのようなものがなくなって、
より表現の一つとしての芸術、が面白く見え始めたのだと思う。



仕事柄、社会問題を扱う作品を見ることが多い。
問題意識をどのように表現するのか、が興味深い。
そして、その根底に流れる、その人の大切にしているもの、を
できる限り汲み取ろうとする。
その作業が、面白い。

先日見た作品は、ミャンマーの動乱でなくなった方々の顔写真を
ひたすら集めて、ひたすら真っ白な折り紙で折り続けたものだった。
人が亡くなったことを近所の人々に知らせるために
天蓋のようなものを飾る習慣があるらしく、
人々の折り紙のマスクが、その天蓋の中にかけられていた。




天蓋の下にはQRコードがある。
それをかざすと、一人一人が、どこでどのように亡くなったのかが
データで出てくるようになっていた。

100人を越える人々のマスクがいくつもの天蓋にかけられる。
はじめ、QRコードを立ったままかざしていたのだけれど、
うまく焦点が合わなかったりする。
だから、天蓋の前にしゃがみ、カメラをかざすことになる。
そして、一人一人のお墓参りをするような感覚に襲われた。

しゃがんだまま見上げる、たくさんの顔。




広く白い会場に、天蓋が続く。
QRコードが知らせるデータの集積は、凄惨さばかりを訴えてくるのに、
会場はひどく、静謐な空気に覆われていた。

折り紙を折るとは、地味な手作業だ。
その時間、ただひたすら、写真に残るその人の顔に似せようと
顔を凝視し続けたのだろう。
制作にあたる手作業の間、きっと、ひたすら
その人々の人生に、思いを馳せていただろう。
誰かが、自分の人生に一定時間、思いを馳せている。
それは、亡くなった方の鎮魂に、もしかしたらいくらか、
手助けをするのかもしれない。

ある意味、作品自体は分かりやすい表現だけれど、
見る側に促す動作から生まれる、祈りのような感覚が
会場の空気とひどく、合っていた。



ライブのような、サーカスへも行った。
仕立て屋のサーカス、という、本物のサーカスだった。

美味しいものや本、音楽や服を販売するブースの奥に
サーカスの会場がある。
思い思いの場所で、思い思いの食べ物を口にしながら
開演を待つ。

演者がホイッスルを言葉のように鳴らしながら
飴を配りつつ、会場に入ってくる。
飴をもらえて、嬉しい。
それだけで、相互にやりとりのある、サーカスの空気を
感じることができた。

天井から下がる無数の布の帯が
サーカスの間にどんどんと形を変えていく。
演者もまた、布を巻かれて会場に同化していく。




演奏する人は、一人だけだけれど、
さまざまな音が折り重なって、膨らんでいく。
まゆのように、包み込まれる感覚を
久々に体感した。

コンセプトは本を読んでやっと、理解できたところもある。
読んでみて、もっと、サーカスを経験したい、という
思いが強くなってくる。
何かと同化したい、という思いが、元々強いのかもしれない。

音だけではない視覚的な、思考的な刺激やナッヂを通じて、
場に居る人々に、同じような感覚を経験させる装置、という
表現の方法が、新鮮だった。


作品として鑑賞されるもの、として、存在しがちなファインアートは
だから表現できることがある一方で、
その在り方自体が、権威的だったりもする。
力を持ったベクトルに足る、作品の存在意義が
担保できるほどのものを作らなくてはならない。

たぶん、とても難しいことだ。
彫刻など、もともと場所を占領し、そこにあり続けるものだから、
そのハードルの高さに、今更ながら、呆然としたりする。



それでも、また何かを作りたい、という身体の底から
湧き上がってきたりする。
とても混沌とした、整理のつかないものものだ。

物理的な整理は苦手だけれど、
思考には道筋をつけたいから、
さっぱり形にも、ならない。

けれども、表現の場へ、物理的に身体を置くことのできる環境を
もっと享受したい、という欲求は
さまざまな作品を経験するにつれ、
どんどんと膨らんでいく。



2022/05/05

5月すぎる日に、ひどく似合うもの 似合わないもの

 
よく晴れた日本の5月なんて、やもすると
手の施しようがなくなるような、暗澹たる気持ちに
させられたりする。
緑が鮮やかすぎて、風が爽やかすぎて、
目に映るものや人が、素直にそれらを享受しすぎていて、
すっかり取り残された気持ちに、なる。




身体をぐっと、目一杯伸ばして、深呼吸をして空でも仰ぎ、
晴れやかな気持ちになれればいいのだけれど、
どこを見ても青と緑が眩しすぎて、目のやり場に困る。

なぜか、そんなあからさまにきらきら輝く5月には、
村上春樹の短編の断片を思い出す。
まだ初期の、若葉みたいに伸びやかな頃の作品たち。

本屋へ行って、短編などを手に取ってしまい、
なんとなく買って、カフェに入る。

後ろに座っている外国人が、ずっと仕事の話をしていた。
蝶々の発想は素敵だの、あのシナリオには修正が入るかもしれない、だの
たぶん、仕事相手だけれど大切な誰か、に話をしていて、
何度も言い淀んでは、言葉を選んでいた。
ネイティブの言葉を探す戸惑いと、吃音のように主語を繰り返す、
その掠れた音の繰り返しが、どうしても耳につく。
本を読もうとしても、どうしても、集中できない。

だから、道ゆく人々をぼうっと眺めながら、
あなたのこの写真の部分は素敵なんだけど、だの
話している声を聞く。

カートに2匹のチワワを入れて疾走するおばさんとか、
新緑といい勝負な素敵に輝くお腹を出して歩いている女の子とか、
飼い主の闊歩についていけずに引きずられていく小型犬とか、
見事なリーゼントの中年女性とか、
全身微妙に違う豹柄でアレンジした金髪の中年男性とか、
やたらとこちらを見つめてくるベビーカーに乗った1歳半ぐらいの男の子とか。

日本中の外車が集まっているんじゃないか、と思えてくるような
ピカピカの外車たちが通り過ぎて行き、その中には
漏れなくモノトーンな服をオシャレに着こなした人々が
不機嫌そうな表情で淡々と車を運転していた。

大体、常時読みかけの本を3冊ぐらい持っている。
さっきの本と、短編が2冊と、長編が1冊。

もともと持っていた1冊は、ルシア・ベルリンの
「掃除婦のための手引書」
前評判の良さと、翻訳家の選書の良さを信頼して手に取った本で、
評判と選書への信頼以上の、読み応えがある。

ちょうど読んでいた話は、幼少期の孤独な著者の過去について。

隣に住んでいるシリア人の少女ホープと仲良くなった。
(きっと、「アマル」=ホープという名前の子だったのだろう)
叔父さんのほか、家族の誰からも相手にされていない著者が
シリア人家族に、その家族の一員のように受け入れられる。
「その後の人生で、ホープほどの友だちは二度とできなかった。
たった一人の、本当の友だった。
わたしはだんだんとハダド家の子みたいになっていった。
もしもあの経験がなかったら、
たぶんわたしは今頃神経症とアル中と情緒不安定だけでは済まなかっただろう。
完全に壊れた人間になっていただろう。」

ホープと幼い著者が、遊びで盗みを働く。
著者の母親がその事実を知り、引っ叩き、盗人のワルガキと
娘を罵っている横で、ホープの母親は言う。
「でたらめを言うんじゃないよ、うちの子たちを悪く言ったら承知しないから!」
母親には、自分が悪くないと信じてほしいわけではなく、
悪いことをしてもなお、味方でいてほしかった、と気づく
真に切ない挿話だった。


まさに、この話のシリア人家族のように、ヨルダンで会ったアラブ人家族の多くが
子どものことを猫可愛がりしていた。
悪さをした報告を誰かから受けても、うちの子はそんなことなどしない、とか、
実際悪いことをしたり言ったりしたのを見ると、
子どもだからしょうがない、とか、よく言われた。
私の場合は、トマトや石を投げられたりしたという類の訴えだったけれど、
殊、アジア人の言うことなど、まともに取り合ってくれなかった。

トマトや石ではないけれど、子どもたちの悪さへの大人の対応については
似たような現象が日本の移民コミュニティでも見られるようで、
そのコミュニティにいる青年自身が、
親も大人も、善悪や礼儀を教えないのが、どれほど
彼らのコミュニティ自体にとって良くないのか、
切々と訴えていた。

自分たちを取り巻く八方塞がりの環境や社会のせいにするよりも前に、
受け入れてもらうための、自らの省察と改善への努力が必要なのに、と。
パレスティナ西岸のパレスティナ人もまた、状況は違えど
似たようなことを言っていたのを、思い出す。

私自身、その青年と同じように考え、だからこそ
教育分野で仕事をしてきた。
けれども、幼い著者の、「味方」をめぐる切実さにまで
思い及んではいなかった、としばらく、ぼんやりしてしまう。

アラブ人の多くの、あの圧倒的な自己肯定感の高さと
幸せへの感度の高さを、思い出す。



白人の男の子が、明らかにサイズの大きすぎる
自転車用のヘルメットをかぶって、目の前を横切っていく。
すらっと背の高い母親が男の子の後ろを見守りながら歩いていく。
小さすぎる茶色い犬が、秒速で足を動かしながら必死に、飼い主についていく。



味方になる、とは、どのような姿勢で接することなのか、
どんな言葉をかけるものなのか、そもそも、味方とは
何を意味することなのか、ずっと小さく、思い悩んでいる。

私は味方でいたかった。
けれど、おそらく、味方である、ということが態度や言葉ではうまく
伝わりきれなかった人のことを、思い出す。
子どもの発達段階の心理サポートにかかる文脈は、
大人へどうやって適用できるのだろう。

それは、まったく、こんな天気にそぐわない、
ひどく個人的で卑小な後悔の部類の話だ。



ルシア・ベルリンの短編では、子どもらしい、けれども
決定的に悲しいホープとの訣別が待っている。
絶対口をきかない、と約束した人と話をしてしまった著者を
ホープが見つけてしまったその日から、
シリア人家族は完全に、著者を無視した。

少女同士の関係は、そんな悲しい終焉を迎えるのに、それでもなお、
本当の友で、あの経験がなければもっとどうしようもない大人になっていた、と
著者は皮肉ではなく、切実にそう、思っている。

他者が、自分の手には入らない味方を持って生きている。
それでも、そんな味方のあり方が世の中にはある、という事実だけでも、
彼女のその後の人生の助けに、なっていたのかもしれない。

アル中から抜け出すまでに、地獄のような苦しみを味わった
彼女の短編にはなお、軽妙さと強さと、だからこそ、
言いようのない切実さがあって、とても魅力的だ。

味方について、ぼんやり考え、それから村上春樹を手に取る。

あしかが精神的御援助、という名の
あしか祭りのための金銭的サポートを求めて、
主人公の家を訪問していた。

5月には、やはり、村上春樹の初期の短編は
からりとすんなり、入ってくる。
少なくとも、私だけが取り残されている、という
暗い気持ちには、させない。

その代わりこの短編で、味方の意味など、
真剣に取り扱うことは、おそらくなくて、
だから、暗い気持ちにならないけれど、
絞り出すような切実さも、受け取れない。

あしか祭りを読めるということはつまり、
まだ私は、そこまで追い詰められていない、ということだ。

個々人の繊細さの種類と方向性に、まったく
この2つの短編で交差する部分がなくて、
なんだか、笑いが込み上げてくる。

マスクはこんな時、とても便利で、ありがたい。



2022/05/02

スーパーと、台所と、机の上の料理

 
夢にまで見た豚バラの薄切りも、ある程度
見慣れた商品になってきた。

鶏丸々1羽の値段の高さにうなったり、
野菜の美しさと値段の高さに、頭を抱えたり、
トマトの種類に呆れたりしている。

ほとんど、どこへ買い物へ行っても、
ビニール袋は有料なのに、頼んでもいない商品の包装は過剰で、
この事象にも頭を抱えている。
包装に用いられる材料の多さと、それらの意匠と
美しさと、果てしない無駄が、私を途方に暮れさせる。
だから、本当に申し訳ないけれど、多くの商品は
それらのパッケージをその場で捨てさせてもらったりする。

徒歩圏内に必要なものがほぼすべて揃っていたアンマンでは、
肉は肉屋へ行き、ラムやら鶏やらの塊からミンチやぶつ切りやらにしてもらう。
野菜は包装されていないから、必要な個数や束だけレジに持っていった。
お店の人とは顔見知りで、世間話をしたり
料理の仕方を教えてもらったりしながら買い物をする。
そんな日常を当たり前にやっていたけれど、日本に戻ってきたら
違う文化の場所なんだ、ときちんと身体にインプットされていて
結構うまい具合にすぐ、馴染んだつもりでいた。

コンビニの入店時にあっさらーむあれいこむと挨拶はしない、とか
支払いではぼやぼや小銭を探していてはいけない、とか
レジ台に買いたい商品を並べてはいけない、とか
バラ売りになっている商品の味をつまみ食いして確かめてはいけない、とか
比較的うまくルールは、守れている、と思う。
(日本ではパクチーとイタリンパセリの違いがわからなくて
つまんで食べたりしなくてもいい。
希少なそれらはきれいにラッピングされているから。)

お店の人がものすごい不機嫌で無愛想なわけでもないし、
尋ねたら、ちゃんと正確な情報を教えてくれるし、
ウロウロしていたら声をかけてくれたりする。
けれども、なんとなくどこへ行っても
相手の心の内を悪い方へ考えがちな私は、
困っていそうだから親切心で声をかけている、というよりも、
邪魔だからなんとかしなくては、と思われているんじゃないか、とか
尋ね方がおかしいなんて、思われたりしていないだろうか、とか
小さく、動揺する。

だから、いつも少しだけ
スーパーとか、忙しそうなお店の買い物に出かけると
緊張して、不安になる。

結果的に、あんなにたくさんの美味しそうな肉や野菜が並んでいるのに、
実のところ、心からは楽しめなかったりする。


それでも、わさわさと買い込んで、料理に勤しむ。

アラブ料理は実のところ、いつも遊びに行ったお宅でも手伝ってばかりで
アンマンにいた頃も、自分の家ではそれほど頻繁に作らなかった。
麦をご飯のように炊いたフリーケ、という料理と、
くり抜いたズッキーニやナスにひき肉を入れて揚げて
味の濃いヨーグルトで煮たマハシーぐらい。

人からいただくことが多くて、自分で作る必要があまりなかった、と
いただきものに甘んじていた自分を苦々しく思い返す。



料理は、ある程度の時間と労力を費やせば、
確実に成果品ができる、という素晴らしいツールだ。
何かを作り、完了することが日常生活の中でほとんどないから、
「出来上がる」というゴールは、なんだか本当に、達成感がある。

例えば、鳥の出汁を取っている間、
ぐつぐつ煮える鍋の中を見続けてしまったり、
揚げているナスの色に魅了されたり、
きゅうりのチクチクした手触りが気に入ったり、
おそらく、なんでも楽しめる人間なのだと思う。

料理をしている間、よく見知ったお母さんたちの手を思い出す。
まな板を使わずにきゅうりやらトマトやら
葉物やらをきれいに切り刻むお母さんたちの、万能な手。

向こうには、やたらと巨大な鍋がたくさんあった。
鍋の蓋を開けるたびに、ふわっと広がる湯気と香りが、懐かしい。

大方の家の台所は、日も当たらない暗い部屋で
乾燥した空気が、そこだけ少し湿っていて、
いろんな匂いが入り混じっていた。

とにかく、見事に整理された台所。
キャンプの狭い台所でも、全ての食器と鍋が
美しく並べられていた。





ヨルダンでは、女性が台所にいる時間が、とても長い。
どの料理も手間がかかって、絶対的に時間が必要だからだ。
一つの料理に、調理で行う工程のほぼすべて、
煮る、揚げる、炒める、が入っていたりする。
そして、サラダはやたらと細かく切る。

料理をしつつ、すぐ洗い物をこなし、手の届く場所にしまう。
スパイスや油も、勝手がいいように工夫されていた。
少し邪険にされながらも、足元で小さな子どもたちが遊び、
お母さんはいろんなところに目が行くから、
しっかり調理を進めながら、悪戯をしている子どもを叱る。
それなりに娘さんが大きくなれば、お母さんと一緒に調理を手伝い、
お母さんの手となり足となり、野菜切りから下の子の面倒まで
台所ですべてが、なされたりする。

台所は、お母さんたちの労力と熱意と愛情が詰まった場所だった。

台所など、日本ならそんなに気軽に入れる場所ではないけれど、
外国人の強み、ヨルダンでは、たくさんの台所を見せてもらった。
時々、荒れ果てた台所が見えてしまった家庭訪問のときには、
いろんなことを想像し、心配した。
でも、記憶に残っているのはほんの数件、
ほとんどの家庭は、いつも台所がピカピカで
どちらかといえば不精な私は、いつも心底、感心した。



そんなことを思い出しながら、炊き込みご飯が煮えるのを
仁王立ちして、見つめる。


出来上がったものを机に並べて、いただく。




味は、それなりに、再現率が高い。
けれども、向こうでいただいていたような、
心のフカフカするような美味しさは、どうしても感じられない。
そうやって、いつも、足りない何か、について考えて、
一口二口食べてから、ぼうっとしてしまう。

もう分かっている。
床に置いたいくつもの大きなお皿を囲む、
たくさんの人たちがいないのだ。



小さな子がサラダをつまみ食いしようとして、手を叩かれたり、
お皿に盛ろうとしてコップをひっくり返したり、
骨から肉をほぐしてくれようとして、慌てて断ったり、
弟妹のお皿にヨーグルトを乗せてあげたり、
何度も何度も、おいしい?とじっと見つめて聞いてきたり、
そんな、声や視線やちょっとした喧騒と、料理が、
常に一緒にあった。

あれがないと、美味しくないんだな、と
心底、途方に暮れる。

それでも、何度も作ってしまうのは、
とても矛盾して心散り散りだけれど、たぶん
あの雰囲気を思い出したいからなんだと、気づく。

困ったな、と、思いながらまた、
次は何を作ろうか、考える。


2022/04/15

この日のはなし ー おばあさんの日

 

知らない他者の話に耳を傾ける機会は、
日本にいる方が少ない。
訊いてもいないのに、突然自分のことを話し出す
アラブ人とはさっぱり事情が異なる。

火曜日は、機会があれば人の話を聞く機会のある曜日になった。
ただ、聞く側の人間性が試されることも多くて、
私はいつも、誰かの会話を横で聞いていた。

たまたま、おばあさんと話すことが多い日だった。
自分でも、聞かせていただける、ということが、
単純に嬉しくて、なんだかとにかく、耳を傾ける。


鯉のぼりを広げていたら、声をかけてきたおばあさんは、
福島の出身だった。
会津磐梯山を横に見上げる郡山で育ち、
結婚したとき、旦那さんが学校の先生で畑仕事ができないなら、
仕事のある都会に行った方がいい、と東京に出てきた方だった。

先日見かけた、福島出身のおばさまを思い出し、
福島出身の大学の同級生の顔を思い出す。

野球を教えたいと学校の先生になった旦那さんと弟さんのこと、
娘さんばかりで息子さんはいないけれど、
お孫さんは男の子だから、鯉のぼりが必要になった、と。

昼に、以前話に聞いていたコーヒー豆やさんへ行ったら、
おばあちゃんが一人でお店をしていた。
小さな、東京コーヒー、という看板。

土間の両脇にコーヒー豆の入った銀色の缶がずらりと並び、
奥の畳にきっと、いつも座っているおばあさんが、
土間へ降りる壁に取り付けられた手すりにしっかりつかまり、
注意深く土間へ降りていらした。

ブラジル、ブルーマウンテン、モカ、ブレンド
サラサラとお店に置いてある豆の種類を教えてくれる。

ブレンドをお願いすると、見たこともない種類の秤で
豆の重さを量っていた。
分銅のような塊を目盛に沿ってずらせる棒が、受け皿の反対側に伸びている。
目盛のところまで、分銅をずらして、均衡を取る。

今年の年号の入った、検査合格証のステッカーが貼ってある。
これがないと、仕事ができないから毎年、きちんと検査してもらう、と。

きけば、96歳になられる方で、以前は喫茶店専門で、
コーヒー豆を卸していたらしい。

この仕事を取ってボケちゃっても困るでしょ、と息子に言って、
今でもこの仕事を続けているのよ、と
きれいな声音でお話しされていた。


お借りしている施設にある小さな棚を覗きにきたおばあさんがいた。
少し曲がった腰がちょうど、棚の高さに合っていて、
中に入っている本やものを見ているようだった。

話しかけてみると、本を探しにきたようだった。

本を読むのが好きで、少しぼやけているけれど、今でもきちんと読めるので、
本を読むのが楽しい、とおっしゃる。

小学生の時から、戦争で工場へかりだされ、
本を読んだり、勉強をする機会に恵まれなかった。
だから、大人になってから通信で大学にも通い、
文学にも親しんでいる。

お年は、91歳だった。
2本の杖を両手に持って、歩いている。

腰の曲がった私が歩いているのを、じろっと見る子どもがいるのよね、
こんなおばあさん見たことないからなのかしら、
でも、少し不躾だわ。

有料の施設に入ったこともあるけれど、
誰かにやってもらうようになると、どんどんできることが減っていくの。
自分でなんでもできる方がやっぱり、いいのよ。

大学の中にも図書館はあるけど、他にも勉強できる場所として、
図書館はとても大事なのに、図書館がなくなってしまって。

東京大空襲の時、目黒から真っ赤に燃える街が見えました。

私は本当に、戦争で本が読めなかったことが悔しくて、
こんな歳でも本が読みたくて仕方がないの。

ずっとウクライナのニュースをテレビでやっているけれど、
震災で大変だった方たちは今もまだ大変なのに、
まず、自分の国からよくしていかないといけないわよね。


マスクの下からでも、声音は澄んでいて、
透明で細いけれど、決して切れない張り詰めた線のような
美しさのある、話し方だった。

これは、このおばあさんだけではなくて、
コーヒー屋さんのおばあさんもそうで、
言葉が適切な速度で、過不足なく選別されて発せられている。
そのまま、いいマイクで漏れることなく録音したいような
とてもいい声だった。


おばあさんたちが、話を終える瞬間にいつも、戸惑う。
どう話を終えたらいいのか分からないようでもあり、
もっと話したいようでもあり、
でも、どなたも謙虚で、
ずっと同じ話をしてしまうから、と言いながら
こちらの方が少し後ろ髪引かれるような後ろ姿で
歩き去っていく。

でも、世の中のおばあさんの多くは、どこか、潔い。

私の祖母も、そんな人だった。
歩けなくなったら辛すぎる、と88歳で人工膝を入れる手術をして、
やはり痛みはあったのか、そこまで活動的ではなかったけれど、
いつも話すことはしっかりしていて、
92歳で亡くなった。

最後に祖母と話をした時、なぜか随分昔、幼少期の遊びについて
詳細を話してくれた。
長良川の浅瀬で、体を丸めて水の勢いに任せて
くるくる回っていく遊びを、かぼちゃ流れ、と呼んでいた、という話。

私がそれなりに話をしたことのある親族の中で、
頑ななところはあるけれど、一番ものの考え方がフラットな人だった。

聡明な語り口のおばあさんは、どこか神々しい。
おじいさんの多くが、かくしゃくとしていてもどこかで、
弱さが見え隠れするのとはどうしても、決定的に何かが違う。

もっと色々と聞きたい話がある。



2022/04/09

都会の桜

 
桜はどこか、恨めしいものの象徴のように、
久しく私を捉えていた。
愛でられない悔しさが、恨みに変わる、なんともありきたりな
僻みのようなものだった。

ヨルダンの春も、湧き立つような緑に溢れる。
その、ひどくあからさまで呆れるほど明るい春を
初めて経験した年には、心のどこかで物足りなく、感じていた。
翳りのない春は、瑞々しい緑の葉が陽を照り返し、
どこまでも光に満ちている。
そのうちあっという間に枯れて、砂をかぶるのだけれど。

力のかぎり春という季節を享受しようとする様に、
どこかに情緒でもないものか、と思ったりした。

でも、10年も住めば、それがまさに春なのだ、と
身体も感覚も慣れてきて、
春に咲く花を週末ごとに決めて、いそいそと出かけていた。
大事な年中行事のようなものだ。


10年ぶりに、心いっぱい桜が愛でられる時が来た。

私の記憶よりもよほど早く、蕾は膨らみ
私の記憶よりもよほど急いで、桜は散っていった。

桜の花の色は、曇った空に溶けて消えてしまいそうだった。
一度だけ見た、青空の下の桜は、もっと儚げだった。

街中の桜は、人に愛でてもらうために存在していた。
たくさんの人々が、桜並木に集まってきて、
座ることはできなくても、並木の下をただただ、
歩き続けていた。

桜を見るよりも、桜を見る人々に気を取られがちだった。
犬の散歩をしながら歩く人、
ベビーカーを押しながら歩く人、
子どもを肩車しながら歩く人、
友達数人で連れ立って歩く人。

桜を愛でる人々の姿が妙に、愛おしく
でも、どこか疎外感を感じる。

都会の桜には、桜と対峙する場がなかった。

阿呆のように桜を眺めていては、
都会に暮らしていけないのだ、と
教えてくれるのが、都会の桜だった。
その教えが、私にとっては今、必要なことなのだろう。

それでも、やはり桜が散るまでそわそわした。
立派なカメラを貸していただいたので、
とにかく桜を撮り続けていた。








2022/03/04

砂塵と鳩の舞う土地 ー 砂塵が舞う日

 

午後から雨の予報だった。
雨が降る前には、ひどい突風が吹き荒れる。
上空だけが妙に明るくて、でも
地平線からは煙のような砂が舞い上がっているのが
目視できる。




こんな日は、出歩くだけでも体力を使う。
冬の雨季にはこの突風の後、必ず雨が降る。

初めてこの情景を見た10年前、あまりの景色に
何か不吉な天変地異でも起こるのではないか、と
バカアキャンプの学校の窓から、呆然と眺めたのを思い出す。

それでも冬は、雨が降るからいい。
夏場の砂塵は、ただひたすら、砂を含んだ竜巻となって、
建物や人々を襲う。


予定がみっちり詰まった日だった。
朝早くから仕事があったので、出発するまでに、正直
心身ともに疲れ果てていた。

それでも、行き道でたくさんスタッフと話し、
着いたら先生たちともたくさん話し、
家庭訪問でインタビューをして、
子どもたちにも話を聞かせてもらう。

家庭訪問では、子どもたちに将来どうなって欲しいのか、と
親御さんにインタビューをする、というミッションがあった。
子どもたちの顔はよく覚えていたけれど、
お父さんにお会いするのは初めてだった。

お父さんは、子どもたちの顔を2つ合わせて混ぜたようなお顔だった。
本当は反対なのだけれど、どうしても子どもたちの顔が
先に頭に浮かんでしまう。

違う国に行くことになっても、きちんと仕事に就けるような
お医者さんやエンジニアがいい、とお父さんは言う。
子どもたちにとっては、身近にいる人たちだから、
将来の夢になりやすい。
けれども、大人たちにとっては、手に職を持って、
どこでも生きていけるようになって欲しい、という
現実的な切望があった。

それなりに長く通っていたけれども、こんな当たり前のことに
気づいていなかった。


家庭訪問へ行く道のりは、随分と困難なものだった。
風が強すぎて、プレハブがなくなる空き地を歩くと
まともに砂と風が身体に打ちつけられる。
まるで、ガラスを装飾するサンドブラストのようだ。




こんな天気が悪いのに、子どもたちはずいぶん楽しそうだった。
大きなビニール袋を手に持って風を受けたり、
不恰好な凧のようなものを一生懸命飛ばそうとしたり、
とにかく膨らむのが楽しいのか、軽い袋を握って
風とともに走っていたりした。

学校にも、子どもたちは普段通り来ている。
けれども、あまりの風に、低学年の子どもたちは
地面から噴き上げる風に、完全に埋もれてしまっていた。


学校に戻ると、学校は終わっていた。
1時間目をしたところで、天候不良を理由に、しめてしまった。
帰りがけの子どもたちの中に、話を聞きたい生徒がいたので、
教室に入って話していると、友達の子たちが
どんどんやってくる。
先生の回転椅子に座ったり、机の上に座ったりして、
肩を寄せ合いながら楽しそうに、ふざけあったり
伸び伸び話す様子が、中学時分を思い出させてくれて、
なんだかとても、懐かしかった。

どの子も、3年生や4年生の時から知っている。
やんちゃで、話は聞かないし、わがままばかり言う
そんな子たちも多くて、ずいぶん手を焼いた。
けれども、7年生や8年生になって、体も大きくなり
少しだけ、落ち着いてきた。

ただただ、感慨深かった。


今日は、キャンプに来る最後の日だった。
ここからしばらくは、キャンプへ行くことはできない。


先生の一人と話をしていた。
給与のことを相談しつつ、家族の話を聞かせてもらったりする。
とにかくお世話になったおうちだから、
会えなくなるのは、本当に寂しい。

よくアラブ人は、ちょっと会わないだけでも、
会えなくて寂しかったわ、と言ってくれる。
それはたぶん本当に、寂しいと感じている。
きっと、人懐こくて、人との繋がりを大切にするから、
少しでも会わないと、ずいぶん長いように感じてしまうのだと思う。

それから、今から会えなくなる人にも、
まだ目の前にいるのに、寂しいわ、と言ってくれる。

どちらかというと私は、そんな気持ちをどうしたらいいのか
分からないことの方が多いから、言葉にして、寂しかった、など
今までほとんど口にすることもなかった。

けれども、会わなくなることを少しでも想像すると、
それはとても、寂しいことなのだ、と、ようやく
実感する機会を得ることになった。

寂しい、と口にしたら、でも、本当にとても寂しくなってしまう。

だから、また必ず帰ってくる、とただただ繰り返し、言っていた。

キャンプの中の美味しいお菓子屋さんに、帰りには連れて行ってもらう。
私の大好きな、ハリーセ・マァ・クシュタが入った
お菓子の詰め合わせをもらう。




どうしても、キャンプの中の大好きな鶏屋さんの
鶏の丸焼きが食べたくて、そのお店にも寄ってもらう。
そこのお店には、魔法のように美味しいソースがあって、
鶏にかけて焼いてくれる。





シャンゼリゼ通りで、道の写真を撮りながら、
9年前の情景を思い出す。
まだテントが圧倒的に多かったけれど、この商店街はすでに
道の両側で店を構えていた。

突風の後には雨がやってきて、それでも
風が強いから雲も流され、
青空が見え隠れする。
さっきまでの砂塵を、今降っている雨で掃除している人たち。

テントはプレハブに変わったし、
プレハブには色とりどりの装飾がされているし、
店構えはどこも立派になったけれど、
道はどこまでも茶色い土で、ただただ真っ直ぐ、続いている、
この景色自体は、変わらない。

それが忌むべき状況だと、頭では分かっている。

けれども、こんな場所でも生活をよくしていこうと、
少しでもいい野菜や果物や美味しい食事を手に入れようとする、
人々の気持ちと心意気に、感動に似た心の強さと温かさを感じた
初めてのザアタリキャンプでの仕事が、9年前。
それからもずっと、ここで暮らしている人々に対して
そこはかとない、敬意と大切さ、愛おしさを抱く瞬間を、
いただける機会に恵まれたことが、心からありがたい。









2022/03/01

砂塵と鳩の舞う土地 ー ビー玉 思い通りにいかないこと

 

暖かな日、まだ湿気を残した空気に
すべてのものが、ふわりとした何かに
包まれているような柔らかさがあった。

窓を開けて車に乗っていても、もう寒くない。

乾燥し切っているはずのキャンプにも、どことなしか
湿度があって、気圧が低くなっているような感覚がある。

どこの教室に入っても、なんだか子どもたちの重力も
解放されているような華やかさがあって、
久しぶりに入った女子シフトの高学年でも
弾けるような明るさが漂っていた。

演劇の基礎を説明していたはずなのに、
質問したいことがあるから、と日本について話をする時間ができてしまう。
日本の何が知りたいですか?という問いに、
日本の結婚式、と即答された。
確かに、もう結婚する子たちも出てくる学年だった。

新郎新婦が入場して、挨拶をした後、食事を食べつつ、出し物があって、
最後には親への感謝の手紙を読んだりする、と
それが今の結婚式の主流なのかも分からない、
私が出席した昔の話などをしていた。

踊りはないの?歌は歌わないの?と矢継ぎ早に質問が響く。
文字通り、目をキラキラさせながら、興奮気味で話を聞いていた。

男子シフトはもっと浮かれていた。
落ち着かない子どもたちが、授業中ももぞもぞしている。
一番後ろから子どもたちを見ていると、
いつも通り、ビー玉をいじり続けている子が
鉛筆置きの溝に、ビー玉を転がしたりしていた。

教室の外からは、名前をやたらと呼ばれ、
挨拶してくる子たちの声は、音が跳ね上がるような
弾みのある声ばかりだった。


今日は、1件伺うお宅があった。
どうしても行かなくてはならない用事は、
単純にご家族に挨拶をすること、だった。
挨拶したい主な相手は子どもさんたちで、
いつも素敵な笑顔の写真やら動画を送ってくれる彼らに
お礼を言うつもりだった。

家に入った瞬間に、香ばしい美味しい匂いが鼻先をかすめる。
自慢のお料理、鶏とご飯のカプセだった。


台所では一番下の娘さんが、
ご飯の中に入ったグリーンピースをつまみ食いしようとして、
熱い!とアラビア語で繰り返していた。
お母さんは、切ったはずのオーブンの火がつきっぱなしになっていて、
鶏の表面が焦げてしまったことを、ずっと気にしていた。
でも、どこから見ても、美味しいのに違いない、
素敵なお皿が出来上がっていた。


そこへ、男性たちが入ってくる。
予期せぬ、同席の客だった。
客間に入って、奥の席に座る。
そして、食事が並んだ時、気がついた。
子どもさんやお母さんは、一緒に食べられないのだ、と。

こちらでは、親族ではないお客がくると、
女性や娘さんは、一緒に食べないことが多い。
それに、客人のための料理は、たとえ頑張って作った女性であっても、
客人の後の残りをいただく。

いつも一緒に食事をいただく時間が何より、楽しかった。
上の子が一番下の子のお食事の世話をしたり、
食べながら色々な話をするのが、好きだった。
今日もそんな情景を期待していたからか、
なんとも言えず、申し訳ないし、悲しくなってしまった。


帰らなくてはならない時間は迫っていた。
お食事は、どれも本当に美味しかったけれど、
私たちの食事が終わるのを待っているのだ、と思うと
ゆっくりいただく気持ちにもなれない。

お皿を下げながら、台所にいるお母さんに挨拶をする。
お母さんはまだ、私たちにお茶を出そうと準備をしていた。
そして、子どもたちはお母さんの周りで手持ち無沙汰な様子だった。

お母さんは、お食事がおいしかった?と尋ねてくる。
もちろん美味しかった、そう答えると、にっこり微笑む。
この顔を見たかったのだな、としみじみ思う。
と同時に、なんだか思い通りにいかなかったことが
子どもじみたわがままのように、悲しくなってしまったところに
申し訳なさが加わって、泣けてきてしまった。




サラダにはパクチーが入っていて、新鮮な香りと水分が
バスティマ米とよく合う。
鶏は柔らかくて、鶏そのものの味が優しいスパイスの味と
よくからんで、口の中でふわりと広がる。

いつの日か、こんなおいしい食事を自分で作れるようになるのだろうか。