2022/03/01

砂塵と鳩の舞う土地 ー ビー玉 思い通りにいかないこと

 

暖かな日、まだ湿気を残した空気に
すべてのものが、ふわりとした何かに
包まれているような柔らかさがあった。

窓を開けて車に乗っていても、もう寒くない。

乾燥し切っているはずのキャンプにも、どことなしか
湿度があって、気圧が低くなっているような感覚がある。

どこの教室に入っても、なんだか子どもたちの重力も
解放されているような華やかさがあって、
久しぶりに入った女子シフトの高学年でも
弾けるような明るさが漂っていた。

演劇の基礎を説明していたはずなのに、
質問したいことがあるから、と日本について話をする時間ができてしまう。
日本の何が知りたいですか?という問いに、
日本の結婚式、と即答された。
確かに、もう結婚する子たちも出てくる学年だった。

新郎新婦が入場して、挨拶をした後、食事を食べつつ、出し物があって、
最後には親への感謝の手紙を読んだりする、と
それが今の結婚式の主流なのかも分からない、
私が出席した昔の話などをしていた。

踊りはないの?歌は歌わないの?と矢継ぎ早に質問が響く。
文字通り、目をキラキラさせながら、興奮気味で話を聞いていた。

男子シフトはもっと浮かれていた。
落ち着かない子どもたちが、授業中ももぞもぞしている。
一番後ろから子どもたちを見ていると、
いつも通り、ビー玉をいじり続けている子が
鉛筆置きの溝に、ビー玉を転がしたりしていた。

教室の外からは、名前をやたらと呼ばれ、
挨拶してくる子たちの声は、音が跳ね上がるような
弾みのある声ばかりだった。


今日はどうしても、1件伺うお宅があった。
どうしても、行かなくてはならない用事は、
単純にご家族に挨拶をすること、だった。
挨拶したい主な相手は子どもさんたちで、
いつも素敵な笑顔の写真やら動画を送ってくれる彼らに
お礼を言うつもりだった。

家に入った瞬間に、香ばしい美味しい匂いが鼻先をかすめる。
自慢のお料理、鶏とご飯のカプセだった。


台所では一番下の娘さんが、
ご飯の中に入ったグリーンピースをつまみ食いしようとして、
熱い!とアラビア語で繰り返していた。
お母さんは、切ったはずのオーブンの火がつきっぱなしになっていて、
鶏の表面が焦げてしまったことを、ずっと気にしていた。
でも、どこから見ても、美味しいのに違いない、
素敵なお皿が出来上がっていた。


そこへ、男性たちが入ってくる。
予期せぬ、同席の客だった。
客間に入って、奥の席に座る。
そして、食事が並んだ時、気がついた。
子どもさんやお母さんは、一緒に食べられないのだ、と。

こちらでは、親族ではないお客がくると、
女性や娘さんは、一緒に食べないことが多い。
それに、客人のための料理は、たとえ頑張って作った女性であっても、
客人の後の残りをいただく。

いつも一緒に食事をいただく時間が何より、楽しかった。
上の子が一番下の子のお食事の世話をしたり、
食べながら色々な話をするのが、好きだった。
今日もそんな情景を期待していたからか、
なんとも言えず、申し訳ないし、悲しくなってしまった。


帰らなくてはならない時間は迫っていた。
お食事は、どれも本当に美味しかったけれど、
私たちの食事が終わるのを待っているのだ、と思うと
ゆっくりいただく気持ちにもなれない。

お皿を下げながら、台所にいるお母さんに挨拶をする。
お母さんはまだ、私たちにお茶を出そうと準備をしていた。
そして、子どもたちはお母さんの周りで手持ち無沙汰な様子だった。

お母さんは、お食事がおいしかった?と尋ねてくる。
もちろん美味しかった、そう答えると、にっこり微笑む。
この顔を見たかったのだな、としみじみ思う。
と同時に、なんだか思い通りにいかなかったことが
子どもじみたわがままのように、悲しくなってしまったところに
申し訳なさが加わって、泣けてきてしまった。




サラダにはパクチーが入っていて、新鮮な香りと水分が
バスティマ米とよく合う。
鶏は柔らかくて、鶏そのものの味が優しいスパイスの味と
よくからんで、口の中でふわりと広がる。

いつの日か、こんなおいしい食事を自分で作れるようになるのだろうか。






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