2021/04/09

砂塵と鳩の舞う土地 - ラマダン前 ロバの蹄鉄変え 魔法のソース


「すべてのことは、ラマダンの前に」
ラマダン月が近くなると、合言葉になる。
もっとも、これを口にしているのは私がムスリムではないからで、
私の仕事の心配など、周囲の人たちが気にしている様子もない。

私が経験する限り、ほとんどのものごとがラマダン月は滞る。
だからと言って急ぎの用事があっても、対応するにはみんな疲れすぎていて
強要することは、ほぼ不可能となる。

特に今年は、ラマダン中も昨年と同様、
夕方から外出禁止、週末もロックダウンだから、
オンラインであらゆる手を尽くしても、
結局対面での説明に勝る方法はないこともまた、
昨年と今年を通じて経験した身としては
心配事が尽きないラマダン月となる。

キャンプでの仕事も同様に、いろいろと済ませておきたいことがあった。

その一つが、新聞の掲示場所確保。
ラマダン中は子どもたちも断食していて、日中も夜も(外出禁止で)外にいないから
渡す方法が限られてくる。
一番早いのは、人の往来が激しい場所に掲示してもらうこと。
作った新聞を掲示する場所は、ラマダン前に決めておかないと
作ったものが人の目に触れなくなってしまう。

長い話し合いの後、場所探しをするために、学校を出た。
遠くから子犬の悲痛な鳴き声が響く。
学校のすぐ前に作られた排水管の中で、子犬が吠えていた。
足早に逃げていく男の子、石を握っていた。


子どもたちの様子も、しばらく見られなくなるだろう。
相変わらず、凧揚げ、買い物、自転車疾走、ビー玉遊び、
時に犬を追い回し、犬と遊ぶ。




サイズの合わない自転車を乗り回す生徒が寄ってくる。
珍しく、岡山からの自転車だった。
キャンプの中で走っている自転車の多くは、埼玉か大阪からきている。


通りの脇で仕事を待っているロバたちが
荷台につながる綱をつけられたまま、大人しく佇んでいる。
最近、蹄鉄を付け替えたんだ、という話が出てきたので
どのようにつけるのか詳細を聞こうとしたら、
その後ビデオを送ってきてくれた。

アスファルトと石だらけの土の道、両方を行かなくてはならないから、
きっと、蹄鉄のメンテナンスはロバにとっても飼い主にとっても
とても大事だ。

あまり丈夫ではなさそうな細い釘を、ねじれを直しながら
いくつも開けられた蹄鉄の小さな下穴に打ち込んでいく。
ビデオの中で、子どもたちはロバを抑え、脚を固定し、
爪を平らにしたり、蹄にヤスリをかけたり、
蹄鉄の固定作業をするお父さんの仕事を
間近でしっかりと、見て、体感していた。
きっと、この子たちはこの先もちゃんと、自分たちで
ロバを大切に飼っていくことができるだろう。




キャンプの中心地からは随分離れているけれど、
立派なスーク(商店街)が学校の近くにもある。
その道へ出て、どこのお店だったら貼ってもらえるのか
交渉を始めることにした。


普段、この道は通らない。
特にコロナが始まってからは、人の多い場所は避けていたし、私は目立ちすぎる。
だから、理由を携え、活気ある場所で人々の様子を見られる
久々のスークに、密かに心踊らせる。

軒を連ねる店のすべてに貼っても仕方がない。
種類の異なる店に、ある程度の間隔をおいて貼ってもらうことになる。
子どもの行きそうな店はどれなのか、などと思いながら
キョロキョロしていると、新しく店を開いているところもあれば、
経営が苦しいのか、閉まったまま久しいのだろう店もあった。

キャンプの中の方が日用品の値段が安いことも多い。
ただ、コロナに関係なく、生活条件のさまざまな制約の中で設定された
値段に便乗して何かを買うのは抵抗があるので、
基本的には、急な用事などで必要に迫られたり、
お腹が空いてどうしても何かを食べたい時の他は、買わないようにしている。
でも、キャンプの中、外に関わらず、
シリア人の作る食べ物は、お菓子も惣菜パンもとても、美味しい。


新しくできた香辛料の店は、天井も高くてきれいだった。
整然と並べられた商品、壁に備え付けられた棚は天井近くまで届く。
基本的には、店の外で交渉していたのだけれど、
スタッフが交渉をしている間、やたらジロジロとガラス越しに覗いていたからか、
店の中に招いてくれた。
何も買わないのも失礼なので、
近所の香辛料屋さんにはなかったハイビスカスの花を購入する。





こちらでは、花をそのまま乾燥させてお茶にしている。
夏の暑い日には、酸味の強いお茶は身体をすっきりさせてくれる。
これ、酸っぱくて嫌いなんだよね、と
スタッフは梅干しを食べた時のような顔をしてみる。


斜向かいでは、チキンがクルクルと回っていた。
こちらでは、チキンの丸焼きがよく売られている。
シリア人の作るシュワルマ(鶏か羊肉の切り身をパンで挟んだ軽食)も
チキンの丸焼きも、ヨルダンのものと少し味が異なる。

キャンプのチキンの丸焼きには、特別な思い入れがある。
一度だけ、世にも美味しいソースのかかったチキンを食べたことがあったからだ。

数年前、仕事終わりにあまりにお腹が空いて
キャンプの目抜き通りのお店で、チキンの丸焼きを買った。
店頭でぐるぐる回るチキンは、あまりにも魅惑的で、
普段はキャンプで何もものは買わないようにしているのだけれど、
どうしても誘惑に勝てなかった。

あれ以来、アンマンでチキンの丸焼きを買うたびに、
同じ味の店はないのか探し続けているのだけれど、
一度として出会ったことがない。

そんな話を、切々と拙いアラビア語で説明している顔が
どうにも哀れに見えたのかもしれない。
すぐに考えていることが顔に出るのは、私の数多ある致命的な欠点の一つ。
スタッフが、店の外で働く生徒に、声をかけていた。
ここのお店ではどんなソースを使ってるの?と。




お店の人たちがみんな、私の方を見る。
視線に耐えかねて、とりあえず店頭のチキンに携帯のカメラを向けている私に
生徒が小さな容器に入ったソースを手渡してくれる。
サイズの小さなビニール手袋に包まれた大人サイズの手は、どことなく痛々しい。

いや、そういうことではなかったんです、と一通り否定してみるけれど
味を確かめずにはいられない。

少し舐めてみると、それは市販のBBQソースだった。
いや、これではないんです、と持ってきてくれた青年に言うと、
にやっと笑って、店の中に入っていく。
そして新たに持ってきてくれた容器の中には、
さっきのBBQソースとマヨネーズが入っていた。
違うんだよな、、、、と思いながら、でも舐めてみる。
こちらのマヨネーズにはニンニクが入っていて、美味しい。

いや、これでもないんですよね。
申し訳ない気持ちでいっぱいになり、それでも、
魔法のソースの味が忘れられない卑しさのせいか、説明を重ねる。
少しとろっとしていて、赤っぽく金色っぽい色だったんです。


すると、しばらくして、また違う容器が出てくる。
魔法のソースとは違うけれど、とてもおいしかった。
おそらく、鶏を焼く時に出る汁に香辛料を混ぜている。

これ以上、違う、とは言えない。
だから、これは本当に美味しいですねぇ、とだけ素直に言う。
もう17歳ぐらいにはなっている生徒と、周囲のギャラリーの人たちは、
とても嬉しそうな顔をする。

掲示のことを確認すると、私がソースを舐めている間に、
きれいに話をまとめていてくれたことがわかった。

このまま帰るわけにはいかない。
鶏を一羽、丸ごと買うことにした。

シリアの人たちは、自分たちの料理に誇りを持っている。
そしてまた、彼らはホスピタリティに溢れているから
まして、ソースの味の話などをした時には、
このようなくだりで、皆全力を尽くしてくれる。

予想できたことだった、という後ろめたさと
久々、本場のチキンが待っていることへの期待の狭間で
幾らかだけ、だけれど、複雑な気持ちになった。
でも、お腹は正直で、録音できそうな音が鳴る。
考えてみたら朝から何も食べていなかった。


その後もいろいろな店で交渉し、店の目星もつく。
鳩は相変わらずよく旋回し、子どもたちは日が暮れるまできっと
遊び続けているだろう。


ラマダン前に済ませなくてはならないことが
アンマンでもキャンプでも、実のところほとんど済ませられていない。
今、ヨルダンは会社も省庁も、出勤は20−50%に抑えられている。
単純計算で20%ならば、何をするのにも普段の5倍、時間がかかることになる。
予想してすべて早めに動いていたのに、その上を行く、
遅々とした物事の進捗に、日々途方に暮れていた。


掲示場所の確保など、本来ならばスタッフにもお願いできたことだけれど、
自分の足できちんと見て、判断して、確実に終わらせていく、
そういう作業が今、おそらく必要だったのだと思い当たる。


帰路に着く車の中には、鶏の美味しそうな香ばしい匂いが漂い、
窓を全開にしていても、じわりと鼻先をかすめる。

考えてみたら、こちらに戻ってきて以来、外食もテイクアウトもしていなかった。
夕方から外出禁止、そして、テイクアウトする気持ちも時間も
余裕のない日々が続いていたからだった。

家に戻って早々に頬張った鶏は、当然のことながら、おいしかった。
焼いている間、何度もソースをかけて味の染みた鶏の皮は
パリパリしていて、見事だった。

この味を腹に染み渡らせてから、
ラマダンを迎えられるのは、ありがたいことだと、
指についたソースを舐めながら、しばらく味の余韻に浸る。




2021/04/02

私はこの世界を、どのように見つめていたいのか

 

私には、いくつかの、お守りみたいな本がある。
どんな理由にしろ、心が潰れそうなものごとは、いくらでもある。
気のしれた人たちが次々といなくなる、長い海外暮らしの中で、
一人でやり過ごさなくてはならない時のために、
少しずつ、手元にお守りを増やしていく。

一時帰国の短い時間では、新しい本を手に取る余裕がないからか、
過去に読んで好きだった本ばかりが、お守りになりがちだ。


どこの国にいても、お守りは持っていないと不安になる。

以前は、必ず須賀敦子のエッセイを携えていた。
人物の佇まいや、その人となりの切り取り方、
その視点にひどく惹かれていた。
言語の持つ奥深さをどのように楽しむのかを
提示してくれる文章もたくさんあった。
ずいぶん昔には、彼女のように他国の文学を楽しめるようになりたい、
そう思ったこともあったが、
どうにも能力が追いつかないことが分かり、
自分の不甲斐なさを突きつけられる本になってしまった。
それでも、今も何冊か、手元にある。
出会う人の何も見えていないのではないかと、
不安になったりすると、今でも手に取ることがある。


ブローティガンの「芝生の復讐」は、もう何度も
ここでも書いている。
独特のやさしさと、必死さがある。

連なる言葉の意外さとおかしみの中に、
どこか、軽さとも、明るさともつかないものがある。
それらが、ふと、とてつもない悲しみや寂しさをもって
行間でぽっかりと深淵を見せる。
ご本人がどこまで、深淵を意識していたかは分からないけれど、
自らは、軽さと明るさの影に埋没してしまえばいいのに、というような
少し投げやりなところが、あるような気がしてならない。
懸命に生きようとするのに、どこかがおかしい、
そんな埋めきれない矛盾や不条理を
自分の中に抱き続けていた人のように思える。

とかく重くなりがちな仕事の中で、
もう少し不条理や矛盾を、ハスに構えて見限るのではなく、
自分の中に愛情とやさしさがあって欲しい、そう思う時
軽さややさしさとのバランスの取り方を思い出すために、この本はある。




今回も、日本から大事に持ってきた本の中に、
いしいしんじの本が2冊入っていた。
前回帰った時は、「ぶらんこ乗り」、
その前は、「トリツカレ男」と「よはひ
その前は、「海と山のピアノ」。
新刊が出れば、日本から来る人に買ってきてもらったりして、
今、ヨルダンの部屋には、7冊の本がある。
(「トリツカレ男」は、2冊。人にあげようと思ったのに
渡せなくて、ヨルダンへ持って帰ってきてしまった)。





(前回の帰国中、ふと、京急品川駅で、
水族館に行くはずが、三崎口行きの電車に乗ってしまった。
よく晴れて暖かい、金曜日の昼前。

出国も帰国もままならず、やっとの思いで日本に戻ってきたのに、
自粛要請、という言葉に、不本意ながら囚われているように思える人たち、
日本の常識を持っていないのではないか、という自分の心許なさから、
行くはずだった場所にも、会うはずだった人たちにも会えないまま
東京にい続ける。それはかなり、辛いことだった。

だから、三崎口、という電光掲示板の文字の色は、
そこだけ、特別な色に光っていた。

三崎は行けない距離ではないのに、どうしてだか日本に住んでいる時、
一度も足を向けなかった。
美味しいものは最後に食べる方だから、
時が熟すまで、待っているつもりだったのかもしれない。
そのくせ、昔教えていた大学の学生さんが毎日三崎から来ていて、
乗り換えも通勤ラッシュも面倒だ、と嘆いているのを、
ずいぶん羨ましく思った。


電車の中で、駅から港まで行く方法と、港周辺の地図を頭に入れる。

呆れるほどあっけらかんと凪いだ、穏やかな海が
細くくねる道の先に見える。
海が視界に入る瞬間は、いつも特別な高揚感がある。



日本にいた頃、台風の翌日によく車を走らせた、
茨城の広く果てしない太平洋よりも
よほど近しさを感じさせてくれる海だった。
海と同じように、港町もまた、初めて訪れる場所なのに、
ジオラマを作りたくなるような、どこを切り取っても
細部に愛おしさが見つかる塀や建物や鳥居や小道で溢れていた。








以前は毎日、いしいしんじのごはん日記というサイトを
チェックしていたような、ただのファンだから、
この印象は当たり前と言えば、当たり前なのだろう。

日本の冬はこんなに晴れていたんだろうか、と途方に暮れるほど
滞在中天気に恵まれていたのに、ずっとどこか
灰色の紗がかかったような帰国の記憶の中で、
唯一、三崎への訪問だけが、
どこまでも明るく温かくきらきらした映像になって、
私の中に、大切に残っている。)



「みさきっちょ」と「ポーの話」を
今回は買って戻ってきた。

「みさきっちょ」は三崎から帰ってすぐ、読み切ってしまった。
(悪い癖で、帰国中お世話になった人にその本の良さを熱弁し、
無理矢理読ませようとした。)
「ポーの話」も、本当はどうしても手に取らなくてはならない時のために、
取っておくはずだった。
でも、どうしても手に取らなくてはならない時、は、
結構早々に、やってきてしまった。


どのようにこの世界を、見つめていたいのか、
よく分からなくなった時のために、いしいしんじの本はある。

例えば、人の同情をひきそうな、心にのしかかりそうな
事象の重さに傾斜をつけがちだ。
とてつもなく悲しいこともまた、暮らしの連綿とした日常と
同じ重さを持つものとして、受け止めたり、
心の中に保存したりできるかと言ったら、
それはとても難しい。

傾斜のかかりそうな出来事や人が周りに多すぎて、
次第に自分の感覚が狂ってくるのを感じる。

目の前の人の悲しさや辛さを、過去に聞いた
似たような境遇の人の悲しさや辛さと
無意識で天秤にかけてしまったりする。
自分の喜びだったはずのものが、
周囲の辛さに侵食されて、消えたりする。
当たり前のように、守られる命や尊厳と、
守られない命や尊厳があり、頭のどこかで
ぼんやりとその理由を釈明したりする。

思考ではなく、感覚として、
決定的にどんなものに対しても、
自然にあるはずの、適切な重さが感じられなくなる瞬間がある。

そうではないのに。そう、水をかぶった犬のように
頭を振り乱さなくてはならない。

そんな時、自分が手に入れたい、世界の見つめ方が何だったのか、
いしいしんじを読んで、確かめる。

どんな人にも、ものにも、事象にも、重さがある。
そして、おそらく、それぞれに似合った重さだと見積もっているよりも、
もっと重くて、それぞれの感触も異なる。

当たり前だけれど、どんなものにも、事象にでさえ
命があり、価値があり、
それぞれに優劣もなく、それぞれに良さも悪さもあり、
それぞれに語りきれない、物語がある。

目に映ったり、感じたりするあらゆる対象がもし、
手のひらに乗るようなサイズの塊だったならば、
市長も物乞いも歌手も露天商も
植物も風も犬も匂いも、
地震も洪水も竜巻も凪も、
降って沸いた幸運も、もがいても抜け出せない不幸も、
人も動物も風も草も天気も、
それぞれの大きなカテゴリーの中で平等に同じぐらいのサイズで、
その重量は思ったよりも、ぐっと重い。


そして、それぞれにきちんと然るべき重さがあるからこそ、
カテゴリーを超越して、繋がっていくことができる。
誰かにとって大切な重さのあるものが、
他の誰かにとって、何かにとっても、大切なものになりえる。
たぶん、重さを本能的に感じられる人たちが、
繋がりの循環の中で、大切なものを見つけ
大切なものになりえるし、偶然のように見える出来事を
必然として迎え入れることができる。


と、つらつらと宙を掴むようなことを書いたけれども、
私がいしいしんじの本から、何を感じとって、
世界を見つめる時の糧としているのか、
うまく表現できているような気がしない。
そもそも、ご本人が表現したいことと、全く違うものを
私は勝手に見い出そうとしているのかもしれない。

ただ、然るべき重さを、できるだけ平等に、
日常の細やかなものものにも、
視界に入る知っている、知らない人々にも
今吹き抜ける風にも、今屋根の上にいる鳩の群れにも
感じていたいのだと思う。
都合のいい傾斜をつけて、この世界に存在するものものを
分かったような気にならないために。
自分自身も含め、いいものも悪いものも、存在していることを
きちんと自分の中で受け入れるために。

どうも、これが私には、本当に難しい。
だから、幾らかでも重さを忘れないようにするために、
お守りをいつでも手に取れるように、置いている。

もしも、できることならばいつか、私が三崎の港町で、
目に映るものの一つ一つの輪郭に物語を秘めて
重さと愛着にも似たものを感じられたような
そんな視点を、どんな時にも抱けるようになりたい。



2021/02/26

自分の髪を愛せない人間の末路

 
小さな頃、少女漫画に描かれるふわふわの髪をした主人公に
羨望の念を抱きながら、あぁ、大人になったら
自分でこんなふわふわした髪にするんだ、と思った。

量も多く、太くて立派な私の髪は、
大人になって、どれだけお金をかけても、
思ったような髪型になど、一度としてなったことがない。
もっとも、美容師さんからしてみたら、
無理難題とかやめてほしい、という次元なのだろう。


日本にいた頃は、それなりに諦めず、さまざま試してみたけれど、
海外暮らしも長引く頃には、髪に対する意欲も削がれていった。

ベトナムに住んでいた時には、韓国人の方がやっている美容院にお世話になっていた。
韓国のバラエティがテレビから流れている。
サラサラストレートか、ふわふわの髪をした
美しい女性たちを見つめる時間だ。

そのお店には何度か通って、韓国のバラエティが楽しみになったりした。

年中暑いし、よく走っていたので、
ある日思い立って、柴犬みたいなおじさんのやっているローカルなお店で、
加藤登紀子みたいなショートカットにした。
あまりに加藤登紀子だったので、途中で茶色くしてみたら
どこかで見たことのある、お猿になった。

ローカルのお店に一度行ってみたかった、というのも、ある。
何事も、自分で経験してみないと気が済まない性格が、災いする。

短髪はそれはそれで、気持ちよかったけれど、
日本にはあまり適応できなさそうな髪型だったので、
その後、懸命に伸ばすことに注力した。

ベトナムからまたすぐ、ヨルダンにくる。

ヨルダンの美容院事情は、ベトナムのローカルなどとはまた、
全く違う凄みがあった。


男女で人生の一大イベント結婚式も葬式も別々に行うヨルダンでは、
女性の美容院は外からは決して、見えないようになっている。
ヒジャーブで髪を覆っているぐらいだから、外から見えてはまずいのだ。
店の中ではおそらく、男性の想像もつかないような世界が広がっている。


アラブ人にとって、美容院や床屋は社交場でもある。
男性たちが床屋に出かけたまま2、3時間話をして戻ってこない、
などという話はよく耳にする。
秘密警察はまず、床屋に潜入するという話を聞いたのも
一度や二度だけではない。

女性たちもまた、旦那や子ども、姑やご近所との
さまざまな愚痴や心配ごとを携えて美容院にやってくる。
結婚式の時には一家で美容院を貸切にして、
髪のセットからメイクまで、女親族総出で準備していく。
(思い返してみたら、ベトナムの韓国人のお店も、
 韓国人の方たちが用もなく、出たり入ったりしていた)


ヨルダンで最初に行ったのは、同僚の先生から紹介してもらったお店だった。
UNRWAのマンモス女子校には60人ぐらいの教員がいたけれど、
ヒジャーブを被っていない人は二人しかいなかった。
そのうちの一人に紹介されたお店の売りは、
ヨルダン人ではなく、ルーマニア人がやっている、というところだった。

家にでも招かれない限り、ヒジャーブの下の髪の毛を見ることはない世界では、
確実にルーマニア人の方が信用できる気がした。

アラビア語で半泣きになりながら予約をして出向いてみると、
残念ながら、ルーマニア人の店主はいなかった。
でも、随分と歓迎されたのは、私がアジア人で、
従業員のほとんどフィリピン人だったからだ。

なんだか本当に嬉しそうな顔をしたフィリピン人の女の子たちが
望みの髪型をプリントした紙を渡すと、
楽しそうに回し見て、いきなり買い物に出かけてしまった。
なぜなら、彼らの判断では、私のしたいパーマにできる
ロットの数が足りなかったからだ。

終始彼らは楽しそうだったし、そんな彼らの姿を見ている私も
何だか、久しぶりにアジア人に囲まれて、嬉しかった。

他の客が揃いも揃って、大仰なヨルダン人ばかりだから、
きっといつも、理不尽な注文や威張った態度を取られて
嫌だったのだろうな、といろいろ想像してみたりした。


ただ、出来上がりは、持参した写真とは似ても似つかぬものだった。
ぐりぐりになった髪でアパートメントに戻ってきて、
同じ建物に住む友人たちに、写真と仕上がりの違いについて訴えていた。
陽気で楽しそうなフィリピン人の女の子たちには、言えなかったから。


ヨルダンの初めの5、6年は、日本に帰れるのが年に一度かそれ以下だった。
懲りずに、現地の美容院へ行き続けた、単純な理由だ。

ある日、猛烈に髪型を変えたくなる、そうするともう、
居ても立っても居られなくなる。
それは、どうしても豚骨ラーメンを食べたい、とか、
どうしても銭湯に入りたい、とか、
その手のものによく似ている気がする。


二度目にそんな衝動に駆られた時、
アパートメントの並びにあるお店が気になったのは、
単純に中がどうなっているのか、見てみたかったからだ。
その頃住んでいた地域が、日本人は基本的に、住まないような
かなりローカル色の強い地域だったことを忘れていた。

中は、場末のバーみたいなところだった。
スポンジの出た椅子、絞首刑台みたいな洗面台、汚い鏡、
そこらへんに散らばった誰かの髪の毛。

美容院へ入ると、女たちはヒジャーブを脱ぐ。
すると、赤とか黄色とか、オランダのチューリップ畑みたいに
色とりどりだったりする。
店の女主人は、ひたすらタバコを吸いながら、ものすごくめんどくさそうに
私の髪にロットを巻いていった。

そして、一回めの液体を塗布した後、アラビア語で
「子ども迎えに行くから、一度家戻ってちょうだい」と言い捨てる。
自分のアラビア語力に全く自信がないので、
聞き間違いだと思った。
でも、お店にある汚いタオルを頭に巻かれると
車の鍵を手にして、さぁ、と入り口へ促された。
ストーブの前に座っていること、そして、2時間後に
店へ戻ってくること、と女主人から言い渡される。

寒い冬空の下、頭の液体が首筋を流れていく不快感に苛まれながら、
徒歩でとぼとぼと家へ帰る。
女性は基本的にヒジャーブを被っているから、
タオルを巻いたアジア人が歩いているところで、誰も気にしなかった。

そういえば、あのお店の洗面台のシャワーは固定式で、お湯が出なかった。


その後も、何度となく美容院へ行き、敗北し続けてきた。

ある時は、もう美容院に行くのをやめて、
日本から来る人にパーマ液を買ってきてもらい、
自分でパーマをかけたこともあった。
同僚や知人に髪の毛に小さな丸をたくさん作ってもらって
めでたくアフロになった。
奇跡的に、作った小さな丸の数は、百八つだった。
煩悩とストレスは髪に込めて、心は幾らかでも健やかにしておきたい、
という、結構切なる願いがあった。


当然、日本に戻って美容院へ行くと、
これはもう、髪ではありません、などと言われた。
時として、髪をいじることは私の場合、
一種の自傷行為なのだ、と知ったのはその時だ。

いい歳して、こんなことするものじゃないと思った頃には、
事業のドナーも変わって、年に2度ほど、日本に戻れるようになった。
だから、ここ数年、ヨルダンの美容院に足を向けることはなかった。


残念ながら、日本の美容院もまた私にとって、恐ろしい場所だ。
ヨルダンは強度の硬水なので、どれだけいいシャンプーやトリートメントを使っても
髪が藁みたいな感触になる。
なぜそうなっているのか、なぜ半年以上髪を放置していたのか
理由を話したいけれど、ヨルダンってどこですか?、から始まる
見知らぬ人との会話を楽しむほど、社交的ではない。
なんだったら、そもそも男性が女性の美容院にいることは
ヨルダンに絶対ないことなので、その時点で、緊張する。

そして、頭にタオルを巻かれた自分のまんまるな顔を
じっと正視しなくてはならないのも、苦痛だったりする。



今回も帰国中一度、美容院へ行った。
コロナで誰もが抱いているストレスを髪に込めて、
アフロにしたかったけれども、長時間滞在しなくてはならないのは
コロナだからよくないのか、と我慢した。
それに、髪をいじめるのはやめた方がいい、と
やっと分かったつもりでいた。


でも、ヨルダンに戻ってくると、早々に
また週末のロックダウンアナウンスが出る。
あぁ、また唯一と言っていい、ヨルダンの美しい季節に
出かけることができなくなるのか、と思うと、
何だか心底、悲しくなってしまった。

フィールドで学校回りをした後、道端までもが緑で覆われる
春真っ盛りの光景を目にしながら、また、髪型変えたい病が疼いてくる。
一緒に乗っていたスタッフが最近髪の色を変えたと聞いていたから、
その店へ電話をしてもらって、仕事終わりに出かけてしまった。


女主人と、おばさまと、若い女の子。
美容院の中では、誰しも自由にタバコを吸っていい、という
暗黙のルールでもあるのだろう。
どの工程の前後にも、タバコの匂いが店中に漂う。

折に触れて、各工程の始めや最後に、
「ビスミッラ(アッラーの名の元に)」と口にするので、
何だか、大層なことをするのではないかと、不安になる。




そして、燃えるように頭が熱くなったり、
熱いのにさらにドライヤーをかけられたりして、
2時間ぐらいだと聞いていた工程が、4時間近くになった頃には、
終わるのを待つ店主の娘と孫、若い女の子のお母さん、
おばさまとその娘さんが勢揃いして、身の縮む思いをする。
そして、待ちくたびれた人々が、ヒジャーブを巻いて、帰ってゆく。

おばさまと彼女の娘さんだけが、最後まで残ってくれた。

今週の給与の額が不当であること、
さっきまでいた店の店主が実はほとんど働かないこと、
でも、困った時には猫撫で声で何でもお願いしてくること、
などを、ドライヤーをかけながら大声で娘さんに話しかけている。

そこのお店のシャワーはお湯も出たけれど、
盛大にゴシゴシ洗われて、背中がぐっしょりと濡れる。
おばさまは暑いのか、半袖から逞しい腕を見せていたけど、
私のためにストーブをつけてくれた。
きれいにブローをして、FBに載せたいから、
と写真を撮って、全工程が終了した。


薄々気がついていたけれど、アラブ人には縮毛が多く
パーマではなく、ストパーの需要が高いから、
パーマは得意ではないらしい。
でも、ヒジャーブの下にはめくるめく色を隠し持っている人たちだから、
カラーリングは結構、上手なのだと思う。
もっとも、頭からは湯気が出ていたし、
カラー剤が顔について、私のこめかみは火傷の跡みたいになっているけれど、
それなりにおばさまは、誇りを持って仕上げてくれていた。




私はいつも、くすんだ鏡越しに女たちを見ながら
途切れ途切れの会話を耳にするだけだけれど、
かなり興味深くて、少しドキドキする。
どうせ外国人だから、と相手にされない感じも、
私にとってはちょうどいい。

きっとアラブ人だったなら、彼らの文化の中で
女性だけの守られた世界である美容院という場所をもっと楽しめただろうし、
そもそも、こんな髪質じゃなかっただろう。

かくして、私の髪の毛は今、白っぽいメッシュになった。
相変わらず、硬水に馴染めない生粋の日本人の髪は、文字通り藁になった。

また、しばらく日本には帰れない。



2021/02/20

生きながらえるための、本と紙の束


帰国中の本屋は、早く閉まりはするものの、いつでもどこでも
私を温かく迎えてくれる、大事な場所だった。

いつも通り、日本でたくさんの本を買った。
Kindleこそ、私のような人間のためにあるようなもののはずなのに、
どうしても本という形態から離れられない。
本たちが、先の見えない次の帰国までの
食料や日用雑貨のバラエティを制限する原因になっている。
トランクの重さを測る吊り下げ式の重量計が、いつも命綱となる。

アンマンの家に戻ってきて、本をトランクから出して、
あぁ、また買ってきてしまった、とほんの少し、後悔する。
いつかアンマンを引き払う日がきたら、この本たちをどうすればいいのだろう。






物語が私を救う、と書くと大仰なのかもしれない。
けれど、どうにも事実がとかく辛くなりがちな場所にいると、
目に見える範囲の世界で、処理しきれないものごとの中から、
何か美しいものごとや感情だけを、切り取って保存したがるらしい。
そして、凄惨なものごとや感情の中にある、
優しさや煌めきの片鱗を見つけ、大切に抱いておける
装置を、欲しがるらしい。

事実は、ただそこらへんにある石ころのように、
ポロポロと転がっていて、それだけでしかない。
ただ、石ころでつまづきながら、石ころそのものを憎まぬように、
石ころにまつわる話について、思いを巡らせなくてはならない。



それから、本とともに持って帰ってきた、
美術館のパンフレットを並べる。


何に自分が興味を持つのか、久々に美術館をはしごしながら、考えた。
それから、いわゆる芸術というものに、私は何を求めているのだろう、と。

新たな視点を気づかせるもの、が面白いと思えるようになった。

もともと、ひどくアカデミックな考え方の畑で美術を学んでいたものとしては
ものをつくること、そのものへの探究心が制作の動機になり得たし、
とかく彫刻を専攻していたから、物理的に制作に時間がかかることで
その時間に耐えうる恒久的なテーマ設定が必要だった。

ものをつくることで培われる技術は呪縛にもなりうる。
すっかりその呪縛に囚われている私には、多くの作品が
自由でのびのびとして、見えた。

結局いろいろな分野の作品を見たけれど、
今のところうまく、整理できていない。
ただ、瞬発性と恒久性の間で揺らぐものの、に惹かれるものがあった。

イメージが欲しい。
ぱっと一瞬で核心が伝わるようなイメージの共有ができたら、と思う。
初めて会った人の印象が切り取られて残るように
初見で残るような、すっと心に入るこめるようなイメージを。

でも、同時に、どうも事実の集積から立ち上がるものに、
ひどく慣れ親しんでいることにも、気づく。
写真美術館の展示で、同じテーマ、ほぼ同様の構図で、
ひたすら撮り溜められた写真が並ぶ様が、
ひどく心に馴染むのを感じた。

趣向は習慣と共鳴するものなのだろう。

何事にも鈍くて時間のかかる私は、どうにも
牛のように反芻し続けなくてはならない。

戦利品のように、アンマンのアパートに戻ってすぐ
本とパンフレットを並べて
美味しいものでもちびちびと食べるように、手に取っては戻す。

次の帰国まで、なんとかこの本と紙の束で、
やり過ごさなくてはならない。

こんな時には、自分の鈍さが結構、幸いだったりする。
残念ながら、どうも、瞬発性からは縁遠いらしい。
鈍重さをもって、生きながらえるより他、なさそうだ。



2020/11/14

天国のはなし


考えてみたら、4日間の完全ロックダウンは3月以来だった。

久々のロックダウンで、
仕事とプライベートを分ける方法を忘れてしまって、
中途半端にずっと仕事をしてしまった。
ここ数週間週末もずっと
なんだかんだ、だらだらと仕事をしていた。


気分転換に映画でも見ようと思って、
日本にいなくて見られなかったけど、ずっと気になっていた
「ヘブンズストーリー」を観る。
2010年の映画。

なんで見始めちゃったんだろう、と初めの数十分は後悔する。
分かってはいたけれど、まったく気分転換にならない映画だった。
9話で編成されている映画の最初の1話目、
柄本明が孫を探すシーンで、胸を梳かれる。
そして結局、集中して最後まで観てしまった。
4時間半。


妻子を殺された男と、その男を愛する女と、
愛する家族を殺され、その男をヒーローと崇める少女と、
その妻子を殺した青年と、その青年を引き取る女と、
殺人を副職とする男と、そんな父親を持つ少年と、
その男に好意を抱く女と、その男から金をもらう女が
すれ違い、絡んで話が展開していく。

倫理が意味を為さなくなるほどの事象が起きうること、
人の心の冷ややかな場所と
熱く血の通う場所を、
きれいに整然と分けることなどできないこと、
遺恨を消し去る方法を探し当てるのは、
時として恐ろしく困難なこと、
復讐が生きる目的になりうること、
でもその先には、空白が待っていること、を
4時間半分の、精緻で丁寧な工程を持って、
描いている映画だった。

岩手の炭鉱廃墟の、冬と夏の景色と、
浦賀の団地のカモメと空と、
桜の並木が、美しかった。




戦争という恨みを生み出すシステムの渦中から逃れ、
それでもなお、強弱はあれど
難民として何かを恨み続けて仕方がない暮らしを
強いられる人々と接する機会が多いから、
一体、それを次世代に継がれないようにするには、
どうしたらいいのか、などと
壮大なことを、漠然と考えることがある。


恨み、について私個人に当てはめてみると、
恨む対象はシステムになることがあっても、
個人であってはいけない、と考えている。
あくまで、私個人の対処法だけれど。

ただ、周囲にいる人々にとっても、私にとっても、
恨むべきシステムの果ての戦争や独裁を
変革させるのにかかる労力は果てしないし、
システム変革へ、同じ方向に誰もを向かわせるのは
個々人では不可能に限りなく近い。
人のあらゆる欲は限りないからだ。


一方で、個人への恨みについては、対処の方法がないわけではない。

個人にもまた、恨む対象になる行為へ行き着くまでに
さまざまな事情がある。
もっとも、そんな事情など持ち合わせない、
徹頭徹尾、血も涙もない人もいるけれど、
そんな人はごくごく、わずかだ。

だから、その事情を丁寧に見て、理解していくしかないと、
考えている。
平たく、穏やかで和やかな心の状態が平和なら、
その作業にしか、心の中の平和はない。
恨むのに費やす労力は、途方もないから。


対象の事情をいくらか知ってもなお、
恨みが消せない時には、破滅が待っていることを
映画の最後の展開は示している。
最後の方の展開には、幾分解せないところがあったけれど。
そして、それでも、混沌としたまま
生死の混じり合う世界は続く。

個人の背景を丹念に見ようとしなければ、
もしくは、垣間見た背景を受け入れられなければ、
その先には物理的に、もしくは精神的に、
暴力的な行為が待っている。
映画の中の、その暴力性を消化も昇華もできず、
行き場もなくなってしまった人たち。


映画の中では、究極的な状況におかれた個人の話が絡み合っている。
その個人、に私がなる瞬間が、もしかしたらあるかもしれない。

少なくとも、日常の中にいくつも転がる事象として、
私が加害者になる瞬間、
そして逆になる瞬間もまた、いくらでもある。


誰しも、その人の心のうちを見つめ、把握し切るのは、
本人にとってでさえ難しい。
それでも、自分自身についても、相手についても、
その全貌を見ようと努力しなくてはならない。
相手のため、ではなく、自分自身のために。
自分が誰かを傷つけず、もしくは傷つけられてもなお
心の中に平和を抱きたいのであれば。



その丹念で骨の折れる作業を放棄した瞬間、
そんな暴力性を自分は持っていない、
とは言い切れなくなる時代に生きている。


かくして、さっぱり気分転換にならない。




あと、頭を真っ白にしたくて、
ずっとこのバージョンの新世界のアルバムを
無駄に高性能なイヤホンで聴いていた。

アラン・ギルバートの指揮を見ていると、
どうしてだか、とてもとても、心が温まる。
なんでだろう。