2022/08/09

ボールの弾力と重み


弾力のある、を指すelasticという単語を
人の心の有り様に使っている文章を読みながら
語感と意味には幾らかの乖離を覚えつつも
どこか気に入る。
ちょうど、少し大き目なバレーボール大のものを弾ませた時の、
わずかな重みと跳ね返りの良さを、思い出す。

どちらかというと、resilienceの意味も含む文脈だった。
少しずつボールを打つ力が強まり、
跳ねるボールの高さもまた、その力に呼応して、少しずつ上がってくる。

想像の中のボールは白くて、よく跳ねた。



先日オンラインの会話の中で、
ずっと向き合わずに記憶の奥底に隠しておいた、
ずいぶん小さかった時のある、忌まわしい記憶が蘇る。

たまたま耳にした子どもの事例が、自分が過去に経験したことと
まったく同じだったからだ。
本当に、文字通りフリーズするのだと、知る。
座学で勉強していた心理ケアで、子どもに起きる現象の話を
奇しくも、自分自身で経験することになったりする。

すでに別の事象で、すっかり疲弊しきった心と身体には、
反応して流す涙も震える怒りも、表出させる力が残っていなかった。

こういう時、オンラインはありがたい。
滔々と話し続ける講師の声をしばらく聞き流しながら、
呆然と、窓の外に見える高層ビルの無数の灯りを、見つめ続けた。


強い風が気持ちのいい日だった。
東京のど真ん中の風は、それでも風には違いない。
仕事の後、外へ出て空を仰ぐ。

どうも私の携えているボールは、鈍く重いらしい。



無性にピアノが弾きたくなる。
さっぱり弾けなくなっているだろうけれど、
それでも、何か易しく、でも愛おしい旋律の小さな曲、
ちょうどグリーグの小曲集のようなものを。




けれども、ピアノはない。
だから、最近手に入れた画材で、久しぶりに絵を描く。
仕事で使うために、子どもたちの様子を思い出しながら、
ただひたすら、線を描き、色を入れていく。

子どもたちは等しく、しっかりと、どんな些細な、甚大な、邪悪なものからも
守られなくてはならない。

そうでないと、何十年も後に、こうやって東京のど真ん中の夜更けに
一人で途方に暮れなくてはならないかも、しれない。



そんな、ひどくネガティブな何かから生まれる信念の
心許なさと危うさに気づき、もう一度、途方に暮れる。
一体、どうやって昇華していけばいいのか、ずっと、考えている。


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