2010/01/31

いつまでも うまくいかないことなど

論理的にものごとを考えるのがどうにもできない人間として
これはいい、そう思えるものを
どうやって人に説明をしたり
自分の中に還元してゆくのかは
大きな問題となってしまう


話しながら、考える人
集中して言葉を探す人
自然にわき出てくる人
書いて整理をする人
さまざまで
もう、どれが自分にとっていい方法なのか
いい加減わかってもいい頃になった


それでも未だに、試行を繰り返す


自分がいいと思うものの
ぼんやりとした影のようなものを追って
掴んだ気になっては
やはり違うような気がして
その影の居場所をわからないまま
ぐるぐると同じところを
往ったりきたりしているようなきがしてならない

話すことの大切さを知りながら
同時にその難しさにほとほと困り果てて
結局、つらつらと思うことなどを
話すのではなく
言葉にして書いている
手元にメモのようなものを置いて
気がついたら書いてゆく

それが本当に有効なのかどうか
自分にとって正しいのかどうかはわからない

アニメではないけれど
云った言葉が中空にそのまま残っていったら
もう少し、言葉に対して鋭敏になれるのかもしれない
そんなくだらないことを、ぼんやり、思っている

2010/01/22

中耳炎になる


一週間あまり、鼻風邪に悩まされながら
それでも、日本ではなじみの風邪の類だったので
病院へ往くでもなく
日本から持ってきた薬でごまかしていた

ある夜更け、猛然とした左耳の痛みで目が覚める
はじめは親知らずだと思った
歯医者へ往ってみたが状況はよくならず
次の日往った病院で
中耳炎を云いわたされる

今までになったことがなかったので
よく聞くこの病気がどんなものかも知らずにいた

なかなか、不便だ

特に仕事柄、いろんなところから聞こえてくる声を拾わなくてはならないのに
左側はさっぱり、聞こえないのだ

必要なものもそうでないものも
とにかく聞こえない
何か、物音はする
そちらを見る
誰かが笑っている
でも、何で笑っているのかはわからない

耳が聞こえない人は
きっと、いろいろなことを図らずも想像するのだと思う

自分の中の声だけが頭に反響して
自分としか話していけないような気になる
聞こえないから会話をするのが億劫で
だから本当はずっと黙っていたい
でも、そうもいかない

見たこともないカラフルな
どこか毒々しい昆虫を思わせる薬をたくさん飲みながら

ズーっというかすかな騒音の中で
一人、水の中にもぐっているような
しん、とした気配だけを感じている

子供向けの本から

子供向きの本を借りることなどあまりなかった
もちろん、以前書いた「プラテーロとわたし」のように
大人になって、さらには何度も読んでも
飽きない作品もある

そういう類のものではないのだけど
子供向けの本の中には
わかりやすくあることについて書かれているものも多い

天文学や金融のしくみ、魚のさばき方から地層の成り立ちまで
絵とことばを上手に使って説明されている

時折、時間があるときや気分を変えたいときには
そんな本を手にとってぱらぱらと見る

それからもうひとつ
子供の本には、必ず伝記がある

どうにも説教くさいような気がして
ほとんど読まなかった方だった

でも、大人になって、気が変わることもある

作曲家の伝記がシリーズで並んでいるのは気になっていた
ブラームスがあったので、借りてみる

平易な言葉で書かれているが
十分にブラームスについてのさまざまな事柄が書かれているし
何よりも写真や絵が多くて
単純にわかりやすくなじみやすい

若く壮麗な頃のブラームスから
太鼓腹を抱えて歩く老年のブラームスの姿までを
写真で見ることができる

恐ろしく芯が強く頑固で
自分の出身や性格にとらわれながらも
それを力にして
伴奏者からピアニスト、指揮者などをの仕事をしつつ
作曲を続けてきたブラームスの人生を知った

どの曲がどういう状況でつくられているかなどもわかり
これからピアノを弾くときの手助けにも、なりそうだ

まだまだ作曲家はたくさん書棚に並んでいるから
読んでみようと思う

2010/01/08

リスボン物語



こちらでは、同じ監督の映画が
1枚に5,6本の作品が入って3枚組、などという形で売られている
「シャンドライの恋」や「ラストエンペラー」は
ベルナルド・ベルトルッチが撮っているもので
まだまだたくさんの作品が残っているから
全てを観たら、この監督についての何かしらを
深く知ることができる

同じような監督作品集の形で売られているもので
ヴィム・ヴェンダースを買った
気にはなっていたが、一つも作品をきちんと観たことがなかった

題名が気になって「リスボン物語」を観る
映画を観てどこかへ往ったつもりになれるかもしれない、そう思った

リスボン市から依頼を受けて作られた映画だと云う

映画の効果音を作る、録音技師である主人公が
依頼を受けたはずなのに不在の
友人である映画監督が住んでいたリスボンの古いアパートに居着き
リスボンの街を集音マイク片手に歩き回りながら
目と耳で、街の断片を捉え、保存してゆく


以前よく聴いていたマドレデウスが
バンドそのものとして出演していた
ヴォーカルの女の人がファドを唄う姿が
青い光の中で美しく映されている


そして、フェルナンド・ペソアの詩の断片が朗読される

   太陽の下では 音さえも輝いている
   私も音のように 所有されず独自の価値を持ちたい

ペソアの詩を主人公が朗読する
真っ青な空の下、きな臭いような古く黄ばんだ街並が
でも、だからこそ生き生きと立ち上がってくるような
音と言葉とともに映し出されてゆく

監督の部屋の壁にスプレーで書かれたことばが
いつまでも、残った

   あらゆる場所にいる あらゆる人間になりたい

これがペソアの詩の断片なのかは分からないが
このことばを携えてあらゆるものを見つめる視点とは
どんなものなのか
分かるようで分からないようで
いつまでも、ひっかかっている

2010/01/03

映画鑑賞

正月
もう、気候も違うせいか
正月らしさもないだろう、と勝手に腹を括っていた

早朝から、「ラストエンペラー」を観る
どうも、正月の映画ではないことが
観ているうちに分かる

白んでくる1月1日の空を
時折横目で見ながら
よく場面で使い分けられた美しい色と
効果の利いた音楽を楽しみ
充分なほどに哀切に満ちた人生を追随する

正月は一応、休日だった
昨日まで悩まされていた工事の音の響かない静かな朝は
映画を観終わったあとに
どこか安心させるような
穏やかで、でも無数の小さな傷が残る
余韻を正視するのにふさわしい
普段と変わらない
いくらか汗ばむ、6月のとある、一日のようだった