2023/08/19

例えば、寛容であることの難しさ 例えば、正義の危うさ



仕事柄なのか、正義は危うい、とか言いながら
正しさを押し付けてくる人とか、
寛容であるべきだと言いながら
全然許さない人とか、結構会ってきた。


許さない人も、正しさを押し付けてくる人も
彼らの心情も分からなくはなくて、
「ゆるしてしまったら、自分のいちばん大切にしているものが
なくなっていまう」かも、と思って譲れなかったり、
「しなやかな正義」って言葉では素敵だけど、
それを手に入れる手立てがまったく分からなかったりする。

わたしもまた、40歳すぎても解は手に入らず、とても苦しい。




子どもを対象にした絵本で投げかける問いが、
ただすごいな、と思う。
ある意味、単刀直入だし、もやもやを緩やかに言語化してくれていると思う。










数年前のある時ふと、仕事の文脈で、
もしかしたら自分の家族を殺した人と同じコミュニティで
生きなくてはなくてはならないのかもしれない
子どもたちが携えなくてはならないものは、
許しかもしれないと、思った。
許せない、という思いを持ちづけるのはただただ、
不幸で辛く苦しいものだから。

でも、それは私だったら心弱い、からで、
もっと心の強い人は世の中にいるのかもしれない、
と思い直すのに随分と時間がかかったりした。

許せない事項を客観的に人権の文脈で
明晰に白黒つける手段を携えるのはとても難しい。

そしてもし手に入れたとして、でも、
どうやってそれを裁けばいいのだろう、とも。

世の中には、いくらも裁けていないことが山ほどある。


理不尽でどうにもならないことを、昔のいい思い出にすりかえる、
という場面を、シリアの人たちと話していて何度も経験した。
それはおそらく、底なしの負の感情から抜け出すための手段なのだと思う。

正義とは何か、許せないことをどうしたらいいのか、
その問いと向き合う精神力をもちづつけるよりも、
日々の生活を生き延びることに焦点を当てなくては、
生存そのものが危ぶまれる。

祖国を失う、もしくは、自分がそう思っていた祖国が幻影だった、
と気づく人々の郷愁とやるせなさが滲む。
私を含む多くの、強い精神力を持ち得ない人たちが、
苦々しく腹に収めるまでの、工程を追随する。



ひどくモデレートな子どもに向けた絵本を読みながら、
ラフマニノフのピアノコンツェルトの3番と4番を聴いていた。


表現の手段があるというのは、幸いなことだと心から、思う。


スピード感あふれていて、どこをとっても和音も旋律もスラブ的で美しいのに、
金管の嘶きに戦争を思い出さずにはいられない3番は
ひどく魅惑的だけれど、扇動的でもある。
生で聴くと、3楽章の、弦で弓を擦るところなど、
兵士の行進の足音と、軍服の衣擦れにしか響かない。
転げ落ちるようなフィナーレは、もはや
ロシアの栄光なのか聚落なのか、分からない。
けれど、転げ落ちる様もまた美しい。

ラフマニノフは、亡命先で、ピアノコンツェルト4番を
壮大なロシアの、寒さに震える大地の抱く底知れぬ力強さを思い出しながら、
どちらかといえば、混沌や複雑さを内包しつつも、
分かりやすくエネルギーに満ちた明晰な旋律、構成を曲にするために、
何度も推敲したのだろう。
4番の2楽章の始まりのピアノソロは、たまらなく美しいけれど、
祖国から出ることで、収まることのできない人々の
甘美な郷愁と、祖国の何かが、手のひらからこぼれ落ち、
二度と掴むことができないことへの諦念がある。

そして、特に4番には、今まで感じたことのない、
狂気の滲む怒りを感じる瞬間があった。


国が存続していても、郷愁を胸に思い描いていた国と異なっていた、
という、アイデンティの喪失が危ぶまれる経験が、
でも人ごとではないことを、私自身が感じているからなのかもしれない。

それを、正義の文脈に落とし込もうとは、一度も思ったことがない。
怒りに任せてはいけない、そう自分に言いきかせ、
今一度、この絵本を手に取る。

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