2023/02/09

この日のはなし ー 続く雨と、不機嫌さを陳列する棚



雨のアンマンは、冬にしかやってこない。
ブロックか石で作られている建物は、ただただ底冷えがする。
それは屋上に住んでいても変わらなくて、
ただひたすら、暗い空と、身体を震わせる鳩と、
雨や雹が屋根や窓を打つ音を、聴き続けることになる。





地震のニュースが入った日、わたしも早朝に揺れを感じる。
明らかに、地震の揺れだったけれど、夢うつつの中、
地震など、この土地にはない、という頭が先行して、
長い揺れを感じながらも布団から出ることはなかった。


経験的に、地震の揺れがどのようなものなのか知っていると、
結果的には布団を出なかったけれど、地震なのではないか、と
思い当たることもあるだろう。
けれど、朝仕事場へ行くと、誰もが揺れなど感じなかった、と
口を揃えて言いつつ、不思議な表情でわたしを見ていた。

住宅の作り方だけで言ったら、ヨルダンよりトルコの方がいいだろう。

ベトナムに住んでいるとき、建設途中のマンションのコンクリが
ほとんど芯もないまま、板で仕切った隙間に流し込まれているのを見て、
信じられない、と目を疑った。

けれども、慣れというのは恐ろしいもので、
ヨルダンでも2、3階建であれば、細い鉄芯こそあれセメントをつなぎに、
ブロックが積み上げられていく様子を見ながら、
まあ、こんなものなのだろう、と驚くこともなくなった。

ただ、ベトナムでもヨルダンでもいつも、
子どもの頃によく読んだ、3匹の子豚の挿絵を、思い出すことになる。


ここでもこんなに寒いのだから、もっと雪が多く寒さの厳しい土地で、
家を失った人々のことを思うと、心の底から寒さが滲みてくる。

自分の仕事では被災地支援は実施しないので、
サイトでとにかく、寄付先を探す。
オペレーションを知っている身としては、
こんなとき、お金の大切さがよく、わかる。


なにせ、雨季は冬にやってくるヨルダン、
2月からの新学期は雨とともにやってきて、早々に学校が休校となる。
その決断が雨ばかりの日本からくると、大袈裟に思えて、
南の島のハメハメハ大王、の歌詞を思い出しては
雨で学校が休みになるたびに、その歌を歌っていたけれど、
実際には、降り続く雨の状況は、都心で雪が降るようなもので、
すっかり街中が混乱してしまう様子を経験して、
休校は致し方ないのかもしれない、と諦念とともに受け入れることになる。

昨日も今日も明日も、学校は休みになる。


確かに、先日のキャンプ、片方落としたサンダルを拾おうとしたら、
プラスティックのサンダルの踵にはすっかり、穴が空いていた。
これでは、学校へ行くのも寒くてたまらないだろう。




子どもの成長は早いから、いちいちサイズの合う靴を買う出費を思ったら、
サンダルの方が都合がいい、という考えらしい。
靴下があるのは、まだマシで、靴下もなく、サンダル履きの子も
少なからずいる。

こんな寒くて学校もない日、きっと子どもたちは部屋の中で
寒さとつまらなさに不機嫌になっていることだろう。
せめて、美味しい料理を食べられるおうちだったら、いいのだけれど。



わたしもまた、自宅勤務をする。
わたしこそ、寒さと仕事の進まなさに加え、
わかっていたけれども、地震の被害拡大のニュースに胸塞ぎ、
一人勝手に、不機嫌になっていた。

気をしっかり持たなくては、と、ホーチミンで毎朝聴いていた、
グールドが演奏するハイドンのピアノソナタ42番を流す。
さりげなく手をかして支えてくれる、朗らかな旧知のともだちのように
さっきまでの不機嫌さが、少しずつ形を成して制御可能になり、
不機嫌という名の棚に整理し、陳列し、眺められるようになる。


部屋は寒いけれど、電気代も高いので、
ハロゲンヒーターを机の足元に入れ、机に布団をかけ
簡易なこたつを作る。
けれども、上半身が寒くて鼻がつんとするので、
机の下、狭い空間に体とパソコンを入れ込む。

子どもの頃、家のカーテンを椅子にひっかけてテントの形にして
キャンプごっこをしたのを、思い出す。

こんな日は、まさに美味しい食事でも作っていただくに限る。
下味をつけておいたラムチョップを焼き、
野菜を蒸して付け合わせにする。

調理をすると、コンロの火で部屋が暖かくなる。
窓を覆う結露は、部屋が暖かくなった証拠だ。
今日という一日、仕事は進まず、現場にも行けず、
大していい思考も働かず、何もできていない役立たずのわたしでも、
料理を完成させることはできた。
料理の偉大なところは、生産性が高く、さらに
時間をそこまで費やさなくても、きちんと完成すること。




ラムは塩麹につけた下味がよく染みていたし、野菜は甘い。


それから、パーヴォ・ヤルヴィの指揮する
ハイドンの主題のための変奏曲を聴く。
ティンパニの軽やかさと弾力、テンポの緩急とその適切さ、
弾けるような明るさにあふれた最後の方など、思わず笑みが漏れる。

夜もすっかり更ける頃、やっと、
いくらか心持ちが悪くなくなる。
寒さは心底染みるし、ハロゲンヒーターに当たっている
身体の一部しか温かくない状況にも慣れて、
電気があることのありがたみを心底感じながら、
一つずつ、不機嫌なものが何だったかをあらためて、眺める。

まずは寄付先を決めてクラファンに参加し、
明日の仕事の整理をし、ある程度当たりをつけて文書を作り、
きちんと乾かせる洗濯物の干し方について、
あらゆる想像に頭を働かせる。



0 件のコメント: