2024/06/21

ワンピースの、重荷と記憶



自国で生産できるものの少ないヨルダンでは、
すべてのものに高い関税がかかるから、
どの国に行ってもあるような大手アパレルメーカーの服が
呆れるほど高かった。

日本へ年に一度しか帰れないかった時、新しい服など買えなくて、
金曜だけやっている古着市へ行くのが、
数少ない休日の楽しみの一つだった。


わたしには、自慢するのもずいぶんと恥ずかしい特技がある。

絹や上質な麻や綿、カシミヤ、アルパカなど、質のいい素材を
大量の古着をぱっと見つけることができる。
呆れるほど大量の店の、大量の服がかけられたラックを眺め、
無造作に袋の中から出された服たちの中から、
いいものだけを、見つけ出す目が備わっていた。
他のどの場所でも発揮できない、そのスーク(市場)でしか使えなかった特技。

母が布もので作品を作る仕事をしていて、
家に大量の、さまざまな色と素材の布や毛糸を持っていた。
微妙な色の違いや、生地の質感に馴染んでいたのも、
おそらくは、めざとい理由なのだろう。

いずれにしろ、さまざま貧しい人間のやることだ。





けれど、美しい絹のワンピースを買っても
それを着れる場所がヨルダンにはない。
ただ、その服を日本で着る場面を妄想し、いつくるとも知れない
そんな日を夢見ながら、箪笥の肥やしになっていった。
本帰国をするときに、ほとんど人にあげるか、捨てていった。
特にワンピースなど、現地の人々もまた着る機会がないから、
渡すのも申し訳なくて、捨てた。

妄想と夢と一緒に、手放すことになったわけだ。


日本に帰ってきたら、今度は多くの上質な服は高すぎて、手に入れられない。
そもそも、いい服を着る場面などほぼ皆無な日常の中で、
実用的な服たちだけが、生き残っていく。
結局、着たい服を着られるようには、ならない。





もう20年以上変わらず、好きな映画は?と訊かれたら
その一つに、「トニー滝谷」を挙げる。
音楽も、映像も美しい映画だ。

主題は、亡くなった妻の残した服に囚われる男の話だが、
服への想いに囚われすぎて、事故死してしまう主人公、トニー滝谷の妻の、
その服への執着に、ひどくわたしは惹かれる。
お金のかかる、上質な生地、特別な空気を身に纏うように
美しく服を身につけることができる、そんな
服を見つけてしまったら、手に入れずにはいられない女性。

わたしは残念ながら、そんなお金などさっぱりないので、
服への思いで死ぬことはない。



服をめぐる記憶は、膨大にある。

新品の白い服を、習字の墨で汚した記憶。
白いカーディガンを買ってもらった姉を羨んで駄々を捏ね、
同じ柄の赤い色違いのカーディガンを買ってもらった。
ピアノの発表会に、他の子たちと同じようにふわふわした
白やピンクのワンピースを着たかったのに、着させてもらえなかった。
自分がいいと思う服は、ことごとく母の趣味とは違った。



今までの人生の中で、
いくつかの、記憶に残る服たちがある。
思えば、自分で服を買うようになってからというもの、
そんな服たちは、わたしの夢と妄想と願いを託され、
もしくは、げんを担がされていた。





高校生の時に、ずいぶん苦労して作った襟付きのワンピースは
今でもその布の柄をよく、覚えている。
真っ赤な別珍のワンピースは、高校の誕生日
バイトでは着替えるのに、誕生日だからと着ていった。
大学生の頃着ていた淡く薄い色の花柄のワンピースは、
破れてしまって部分を切り取って似た色の生地を使って、作り直した。
自分で作った真っ黒な綿のワンピースは、
同じパターンの服を、ホーチミンでも作ってもらった。
ホーチミンの仕立て屋さんのディスプレイに飾られていた
ベージュのワンピースは、手に入れたけれど、その後
ほとんど着る機会がないまま、今も実家にある。


ヨルダンに行くと、長袖長い裾、肌を見せない服ばかり
着ることになって、それまで大事にしていた多くの服たちは
登場する場面がなくなった。

とにかく、地味で目立たない服を着るように心がけていたから、
いい服を着た記憶は、ヨルダンでほとんどない。
賀詞交換会や、大使館のレセプションでは、
毎回着る服に困っていた。
同僚やその親族の結婚式でも、行き道は公共交通機関を使うから、
結局、きれいなワンピースなど、ほとんど着ることはできなかった。

春か夏に一時帰国できる時には、ワンピースを必ず買っていた。
ヨルダンに持って帰るのだけれど、ただただ、それらは
日本での束の間の思い出とともに、眺める対象となる。



ひどく暑い夏のある夕方、キャンプからの帰り
着ていた首元まで隠れる長袖シャツとパンツが
砂塵で砂だらけになって、髪も触ったらキシキシしていた。
慣れているはずだったその状態が、その日は疲れとともに
不快で、顔にうっすらついた砂をぬぐいながら、
ヨルダンの田舎町のバスステーションで、思った。
あぁ、自分の着たいきれいなワンピースを着て、
外を歩きたいな、と。
舌が染まるような着色料の入った甘いスムージーを飲みながら、
呆然と、まっかな夕陽を見つめていた。





本帰国をしてから買った新しい服など、それほどないけれど、
新しい服には、白い服が多かった。
白い服はすぐ汚れるからと、ヨルダンでは着られなかった。

そして、新たに加わったワンピースもすこしだけ、あった。
それらには、10年以上のワンピースへの思いと
その服たちが着られるであろう場面が、想定されていた。

わたしにとって、日常とは少し異なる大切な場面は、けれども、
ほとんどその場面で抱く、ひどくささやかな期待や願いでさえ、
叶えることはない。
だから、わずかなワンピースたちは、うっすらとした失望とジンクスを背負って、
結局、ほとんど着られることはなくなった。

結局、ヨルダンから持って帰ってきた、いくつかと
同じく普段使いに、と買った綿の、化繊の
ワンピースたちだけが、生き残っている。




なぜ、そんなことを今さら書いているのかと言えば、
素敵な、ずいぶんと素敵なワンピースを見つけたからだ。

その生地の色と質感を、わたしはおそらく、
トニー滝谷の、亡くなった妻ぐらいは鮮明に、思い描くことができる。


切ないのは、自分自身が、
その服を着る、大切な場面が想定できないこと、
もしくは、その場面が来たとしても、その時間が
良いものにできる確信が持てないこと、のようだ。

素敵なワンピースのことを思い出しながら、
わたしは過去の服たちにも思いを馳せる。
ずいぶんと、重荷を背負わせてきた、と。

見せたい自分、や、なりたい自分、が
服を着ただけでは当然、なれるわけがないのに、
身に纏うもので変えられるのではないか、と
他力本願で思い続けてきたことを、知る。





雰囲気があるよね、そう、亡くなった友人が、
わたしの姿を見て言ったことを思い出す。
いつも、地味だけれどとても趣味も生地もいい服を着ていた彼女は、
核心をついていた。

ふわっと、雰囲気はあっても、その実はどうかわからない。

彼女は、少しも意地悪な人ではないから、
そんな意を含んではいなかっただろうけれど、
言葉はそのままを、意味していた。


身に纏う、という言葉からは、身体にふわりと布を巻いた
人の姿が立ち上がる。
身体からほんのわずかに拡張した布が、
ほんのわずかに、わたし、も拡張させてくれる気がする。




けれども、質もデザインもいい服は、その服を着た人間が、
その服の持つ空気と合致しているときにこそ、本領を発揮する。

そして、そんな服を生かすには、
その服に似合う人間であろうと、心がける。
それが、魅力のある服であり、
魅力のある人間であるのかもしれない。


着る機会を失ったワンピースたちは、
それらにまつわる記憶が苦々しいのであれば、
その記憶を凌駕できるよう、着る人間が変わることを
望んでいるのかもしれない。

もしくは、切なさに埋もれる記憶を捨て去らずに、
その記憶も愛しんで、纏うだけの度量を持つことを、
望んでいるのかもしれない。







追記;
書きながら、マリア・ジョアン・ピリスのピアノを聴いていた。
彼女は、あまり煌びやかな、いわゆるコンサート衣装、のような
服を着ては、決して演奏をしない。
わたしは、演奏だけではなく、彼女の服装も含めて、
彼女のことがとても好きだ。

同じく、とても好きな演奏家の内田光子は、
なんとも独特な服を着て演奏している。
色こそ異なるけれど、その服の傾向は同じだ。
違う演奏会で、過去に見たことのあるシャツを着ていることもある。
気に入った服を変わらず着続けるそのスタンスは、
根っこで、彼女の演奏スタイルにもつながっているように、思える。

当たり前といえばその通りなのだけど、
特に人前に出てパフォーマンスをする人々の服装には、
その人となりが、あらわれている。



二人とも、服に何かを過度に負わせようとは、していない。
実があるのならば必要がない、ということを
端的に表現している。

こんなにたらたらと服について書いている自分が、
ひどく卑小な人間だと、思い知らされる。


ピアノの発表会の時、決してフリルのついたワンピースなど
着させなかった母の意向の理由が、今なら少しわかる気がする。