2014/09/19

善良であること、でも、現実から離れないこと



 ブローディガンの短編を久々に読む
 たまらなく小さな、どれも手に触れられるほど近いものものに囲まれたものや人の
 ほんの少しのたがが違っておかしい存在を、話にする
 不可解で理不尽で、だから愛らしく物悲しい

 世の中はそういうもので、できている
 不可解で理不尽なものを掬いとってゆかなくては
 何かしらを感じて思うことなど、できなくなってくるだろう


 視点がどんどんと上っていって
 小さなものものが見えなくなって
 善良さや理想や正義ばかりがもっともらしく見えてきたら
 そのときには不完全なものの馬鹿さ加減に辟易するだろう
 
 そして、ますます自分が正しい、と思えてくるだろう

 例えば、善良であることは
 どこかで決定的に不利で、未熟で、愚かだ
 ばかにしてはいけない
 善良さをかけらも持たない人は、本来どこにもいないだろうから
 
 ただ、善良であることを武器にはできない
 善良であることは、あまりにももろすぎる

 そういう考えを、逃げだとか、悲観主義だとか、廃退しているだとか、感じる人もいるだろう 
 でも、それが現実だ、と私はどうしても、思わざるをおえない
 ごく、平等に物事を見た結果として
 
 善良さも、理想も、正義も、きっと誰の心にだって存在している
 それぞれの文脈の中の、それらが存在している
 もちろん、自分の中にも

 どんな文脈なのか
 どこまでが世の中に許容されうるのか
 それを冷静に見極めなくてはならない

 それは、とてつもなく面倒でうんざりする作業だ
 
 ただ、どれだけ、その作業におかしさを感じたとしても
 この行程をせずに、現実に折り合いをつける方法は、ない

 心の弱い私は
 だから、その作業に向かう前に、身の回りの小さなものものへの
 不完全なものへの愛情をたっぷり味わわなくてはならない
 もちろん、自分自身も含めて

 卑小だと言われれば
 そうです、その通りです、と
 開き直るしかない



 

 

2014/09/16

久々のラヒリ


ヨルダンも秋の気配が漂い
朝の光が少しずつ傾いて
雲が朝焼けに色づく

ありきたりだけれど
本を読むのにいい時期になってきた

短編を持ってきていた
表紙がきれいだ、という理由が主だけれど
集中力がないから
長編を読み終えられない、というのも
ひとつの、理由

女性の作家でバランスがいい
甘ったるくも感傷的でもない人を探すのは
難しい

女のなんたるかを
改めて教えてもらおうとは思わない
自分だけで十分だ

それでも
時々、小さな存在の
一人の女性を
特別な重さも特別な卑下もなく
無駄な愛情や同情もなく
描いている作家がいると
無条件にうれしい

「美しい子ども」というクレストから出ている短編集
2作目がジュンパ・ラヒリだった
久々の名前に
本人の美しいアーリア系の顔を思い出す

自分を頼りにやってくる
若い同じ国からやってきた男性に心惹かれながら
結局移り住んだ国の女性と結ばれていくのを
夫も子どもいる身で
節度ある嫉妬を抱きながら
見守るしかなかった母親の姿を
子どもの視点から
適度な重さと適度な明るさで
描いている

短編のおもしろいところは
色や情景がより鮮明で
その断片が多くないところだ

はらはらと落ちた断片が
小さなまとまりのまま
まだ印象としてつかめる程度に
一つの形を成している

深みは作品それぞれだけれど
立ち上がってできる影は
必ずそこにあって
印象によって影が色づく

浅く緑ががった影が見える

ちょうど秋のヨルダンの朝の
どこか勢いをなくした
でも、穏やかな空と
よく似ている