心底、漢字がよくできている、と思うものに、
忙しい、という文字がある。
心を亡なう、とは、まさにそうだな、と思う。
ひどくどうでもいい心配ごとに心奪われ、
よくよく空を見ることもなく、
無駄に疲れてしまう。
客観的視点で、どうでもいいことなのだ、と言われても、
それらをうまく消化できないのは、
もはや、歳のせいで、下らないこだわりなのかもしれない。
20歳そこそこで、「こだわりがないのがこだわりです」
と言った、昔の同僚の言葉が、今や身に沁みる。
いい音楽が聴きたい、と心底思いながら
壊れたスピーカーの入った箱を恨めしく眺める。
日本に居たら聴けたはずの、たくさんのいい演奏への
妬みが膨れ上がる。
随分大きいのに、無理して日本から持ってきたHarman /Kardon。
低音がぶよぶよしてしまったある日、
失望とともに箱にしまわれる。
昨日雨が降る、わたしがヨルダンにいる間で、
5月ぶりの、久しぶりの雨だ。
雨の日には、チェリビダッケのクープランの墓を聴く。
これは決まりごとで、この演奏を愛でるのに、
一番だと思っている。
味気ない高音だけが目立つiPadからの音に、
雨音が負ける。
そうじゃないんだよな、と思う。
けれども、Sonyのヘッドフォンでは、
雨音とクープランの墓を同時に愛でることはできない。
箱にしまっておいたスピーカーを取り出して、
恨めしさのあまり、裏側のコーンを押さえつける。
どうせ壊れているのだし、直せるお店もこの国にはない。
つよく押さえたら、スピーカーのコーンについていた
プラスティックのカバーが外れた。
こいつが、音をぶよぶよさせていたのかもしれない。
小さい頃、テレビの回線がおかしくなると、
テレビを叩いて直したのと同じ。
荒治療が功をなすこともあるなんて、忘れていた。
大学生の頃、壊れたステレオを
水洗いして乾かしていたことも、思い出す。
とりあえず、低音を確認するために、
James BlakeのUnluckを聴く。
タイトル通り、運がないことの反対を、
おまじないのように再生する。
正確に、ブーストされた電子音が、
少し不規則なりに、乱れなく、身体に響く。
初めてこの曲を新宿のTower Recordで視聴した時の、
衝撃が蘇る。
ずっと、ヘッドフォンでしか聴けなかった
ジョン・コルトレーンのMy favorite thingsの
さびれたサックスが、小さな部屋で静かに弾ける。
マーラー7番、サイモン・ラトルとバイエルンの演奏を聴く。
全然いい席ではなかった、東京文化会館のホールで
それでも、何もかもが肯定されたような、
圧倒的な包摂の感覚を、ほんの少しだけだけれど、思い起こさせた。
バイエルンつながりで、チョン・ミョンフンの
ベートーヴェン3番が朗々と、でも、小気味良い拍を打って、
溢れ出す。
James BlakeのA Case of youの、徹頭徹尾、私小説的な
ひどく親密な音が、充満する。
I could drink a case of you
ワインを1ダースも飲めないけれど、ウィスキーが
いくばくか、身体を温かくしてくれる。
ベースラインの洒落っ気と、心地よいスケール、
鍵盤ハーモニカの哀愁と表現力を思う存分楽しませてくれる、
きちんと湿度があって、でも、無駄に拘泥しないインドネシアの
My favorite thingsが、自由に踊るピアノとドラムと
青く煌めく緑をバックに、調を色彩豊かな音を描く。
そして、いつでも、どこまでもやさしくあったかく、
身体を切り刻むように切なく、透徹した視点を携えた、
Jeff BuckleyのHallelujahを再生して、口遊む。
けれども、湿度は雨季のヨルダンだけで十分だから、
打ち込みがどこまでも緻密に作り込まれているけれど、
サティ的な突き放し、淡白さででも、重めの歌声の、
教授のPerspectiveで、均等を図ろうとする。
アルバム、/04/05のPerspectiveはとても淡々としているのに、
このヴァージョンは、危うい均衡の上で、
どうにも避けようのない、人の業をなぞる。
所詮、人間に生まれてきたということは、
正義や理性だけでは制御できないものごととの
闘いの中に生きるということだ。
明晰であろうとする脳みそも、業との
拮抗と葛藤の中に絡め取られる。
そして、何よりも単純に、身体的な寒さには勝てない。
だから、せめて親密な音を再生してくれるスピーカーが
復活してくれたことを喜んで、
いよいよ寒くなってきたアンマンを、
生き延びることとする。

