2015/10/23

彼らの話と暮らしの、断片 10月3週目



 サハーブの街は、メイン通りから一本奥に入るとすぐ閑散としてしまう印象がある。
 空き地が目立つから、もともと茶色いからからの土が
 安普請のアパートに使われがちな茶色い外壁と一緒になって
 どこもここも、茶色く土っぽい。
 アンマンは石材を使った白い外壁が多いけれど、
 この色で、アンマンでも貧しい地域の丘は覆われている。
 地方の、特にそれほど裕福ではない地域も同じように、
 この色の壁に変わっていく。
 

 この日、空には短い帯のように、灰色の雨雲が流れていた。
 ほんの1分ほどだけ、ぽつぽつと、でも盛大に音を立てて雨が降る。
 スタッフは、いやねぇ、雨じゃない、といいながら、お祭りでも見るかのように笑っている。

 1件目:Sahab
 
 一階の南側だけが、彼らの家だけれど
 ドアまで立派な葡萄棚が続いていて、棚の両側にはレモンと、オリーブの大きな木
 それから、青唐辛子の小さな畑があった。
 
 合板で端のめくれた棚の上に、テレビ、
 後は、マットのみ、棚の横には子ども用の寝具一式が、抜け殻の形を残したまま横たわっている。

 お父さんはがっしりした人で、話し方にも勢いがある。
 質問の途中で、妻は1キロ以上のものは持ってはいけないんだ、と
 お父さんは眉毛を挙げて云う。
 サロンを持っていたんだけどね。

 子どもが4人、一番上の息子はもう、17、8歳に見える。
 いつも思うけれど、これぐらいの歳になると、
 家族を守るのだ、という意思が
 身体の端々から出て来て、それがどこか、私を威圧する。
 娘は6年生、お父さんの話を静かに聞いていた。
 
 前のめりで右手で空を指し、左指を口に加えながら、
 お父さんは3歳の息子のまねをする。
 バァバ(パパ)飛行機がやってくるよ、怖いよ。
 お父さんの向かいのマットに座る娘とお母さんと息子は
 そのまねを見て声を立てて笑う。
 でも、お父さんの表情はきゅっと険しくなる。
 一番したは1歳だからシリアを知らないけれど
 3歳の息子は、覚えているんだ。
 シリアに帰りたくない、って云うんだよ。




 他のシリア人の家庭も紹介してくれないか、とお願いすると
 お母さんが携帯を持ち出して、近くに住む親戚に電話をしてくれた。
 電話をするお母さんの話し方は、明らかに私たちの時と違っていて、
 ゼイト・ゼイナブから来たというのが、
 近しい人との会話で初めて、分かる。
 
 帰り際にお母さんに、
 この庭はあなたの家のですか?と訊くと
 いや、2階の人たちのよ、と小さな声で唐辛子に目をやりながら、つぶやく。
 いい庭ですね、としか云えなかった。
 彼らが住んでいたダマスカスのその町がどんなところか知らない。
 でも、緑が窓から見えるのは、きっと悪くない。


 2件目:Sahab

 赤い壁のアパートだから、そう云われて道に迷う。
 何度か道を曲がって、本当に重い赤の壁が見えた。
 ちょうど、ペトラの方にある、赤い土の色と同じ。

 建物の入り口を入ると、スプレーでいたずら書きがしてあった。
 階段に手すりがなくて、どことなく危ない。
 最上階、屋上へ続く階段には板が無造作に置かれていて、
 とりあえずは往けないようになっていた。
 廊下の壁にも、花の柄のスタンプが一面についている。
 下地が乾くと、その上にペンキのついたスタンプで装飾するのだ。
 スタンプの絵の具には、だいたい銀色か金色が使われていて
 暗くても、どこかからやってきた光を受けて、きらきら光る。

 黄色い壁に、やはり花柄の壁なのだと思ったのだけれど、
 お母さんがカーテンを開けて、地は白だったことがわかる。
 いつの間にやら、青い空が見えていた。
 
 学校へ往く準備をする女の子が
 廊下にひっかけてある、小さな化粧台の前で背伸びをする。
 高くて顔が鏡に映らないからだ。
 器用にピンを咥え、時々ふらつきながら、髪をまとめている。

 1件目の親戚に当たる家族、お母さんは1件目のお父さんと話し方がどことなく似ている。
 目の色は黒いのだけれど、話の内容で色が変わるようだ。

 濃い緑色のカーペットと、茶色いマット。
 床にぺたり、と座り、やはり前のめりで話をする。
 お母さんの隣には、きっとお父さん似なのだろう、
 金髪に彫りが深くて、目も灰色の息子が
 少しずる賢そうにこちらをちらちら見ながら
 やはり床にぺたりと座って、大きなあくびをする。

 1年生だったら、文字を一つ覚えるのに、そんなに時間はかからないはずでしょ。
 一週間に何を勉強したのか見てみたら
 全然できてないのよ。もう2年生なのに。
 学校もすぐ終わってしまうし、何を教えているのかしら。
 夜12時ぐらいになっても、勉強を見てあげてるのよ。

 それから、一瞬にして話し方を変えて、小声になる。
 お母さんの云っていることがわからない、
 スタッフに通訳をお願いすると、スタッフも英語でなんと云うのか、分からないという。
 夜、トイレに往くのがコントロールできない、という。 
 怖い夢のせいなのか、もう4年生なのにまだ、おねしょをしてしまうのだ、と分かる。
 大変なのよ、本当に。

 それから、お母さんの話し方がまたもとに戻って、
 英語ができない、語学はというのは小さな頃が大事なのに、と
 一生懸命、言葉を尽くして話していた。
 
 娘が二人、青い制服を着て玄関の周りで鞄をひきずっている。
 やはりどこか浮き足立った感じで、
 迎えのバスを待っているのだ。


 3件目:Sahab

 同じ赤いアパートには他のシリア人も住んでいる、
 2階の家を紹介されて、階段を降りた。
 家の人が出てくるまで、廊下で待っていると
 向かいの家のドアが2件とも空いていて、
 黒と白のしましまのベビー服を着た赤ちゃんを抱いた
 6歳ぐらいの女の子が出て来た。
 女の子は、むすっとしているのに、なぜか赤ちゃんを見せてくれる。
 家の中はくしゃくしゃで、マットやらベッドやらが床に散らばっていた。

 紹介された家は、狭い居間にソファやテレビが置かれていて、
 ソファの上には大きな鏡が斜めに立てかけられていた。
 スタッフに何も置いていないソファを譲ると、座るところがない。
 鏡の横のわずかなスペースにお尻をひっかける。
 ソファの奥には5つの大きなトランクが山積みされている。
 埃をかぶっているのだけれど、その存在感は大きくて
 借り暮らしの雰囲気を、助長させていた。

 身体全体が白っぽいお母さんは
 ベージュのノースリーブワンピースを着て
 淡い髪と淡い目と白い肌をしている。
 白いせいか、なんだかとても大きく見える。
 2歳ぐらいの男の子が、お母さんの腕の中でぐるぐると回ったり
 ネックレスをいじったりして遊んでいた。

 娘は8年生、目鼻顔立ちがお父さんに似ているのか、はっきりしている。
 のびのびしていて、とても健全な感じのする子で、
 お母さんと二人、こちらの質問にくったくなく答えていた。

 大きめの鏡台が入り口のドアのすぐ脇にある。
 その上にもなにやらいろいろなものが置いてあるのだけれど、
 台の上にロックミシンが置かれていた。
 ロックミシンは誰が使っているのか訊いてみたら、
 これのおかげで繕い物とかができるし、近所の人とかにね、少しだけ商売もできるのよ、
 とうれしそうにお母さんが答えてくれた。
 こちらに来てから買った、という。もう、4年、同じアパートに住んでいる。

 訪問を終えて家を出ると、
 さっき赤ちゃんを抱いていた女の子の家の扉の向こうで
 紫色のガウンを羽織ったお母さんらしき人が、
 入り口に向かって斜めに横たわっている。
 もう、どこでもいいから横になった、という風に。
 赤ちゃんを抱いて、こちらを、きっと睨んでいた。


 3件目:Sahab

 貧しいヨルダン人が住むアパートらしい。
 最上階の部屋までの階段の途中で、近所を訪ねようとドアをたたくおばさんと目が合う。
 険しい顔で、こちらを見る。

 学校へ往く支度を終えて、テレビを見ていたらしい。
 モンスターズインクがTVから流れている。
 
 二人の娘、上の子は私のことを覚えているようだった。
 とにかくよく話す子、
 4年生だけれども、少しつたない感じがある。
 お母さんも居るので、甘えているのかもしれない。
 好奇心で溢れ返った顔は、妹も同じで
 私の横に座り、手帳のメモを一生懸命読もうとしていた。

 アレッポからやってきて、4件目の家になる。
 1件目は近所と折り合いが悪くて
 2件目は家賃が高くて
 3件目はスウェーレだった
 転々としていたから、今やっと、子どもも学校に通えている。

 子どもたちに学校はどうか訊いてみた。
 一人ね、きらいな子がいるの。
 だってね、あの子がシラミを持っていたから
 あたしにうつっちゃったのよ。
 つたない口調で一生懸命説明するのだけれど、
 その子が別段嫌い、という感じでもなくて、
 髪の毛をいじりながらにこにこ話す。
 顔の二つのほくろが表情が変わる度に、上下に動いていた。


 

 4件目:Sahab

 子どもたちの何人かは、2部制なので学校へ往く支度を整え待っていた。
 そう考えると、子どもたちは随分前から
 学校への身支度を整えていることになる。
 2件目を訪問してから、確実に1時間半は経っているのだから、
 2件目に訪問した家の子は、
 あれから、1時間ぐらい玄関で待っていたのだろうか。
 
 
 お母さんはくすりとも笑わない人で
 男の子3人、女の子1人
 4人居る子どもたちを自分の周りに従えて
 家長のように、ずっしりと構えていた。
 お父さんはその場に居なかった。
 家具の塗装などの仕事をしているらしい。
 頭痛がひどくなってきている、と自分が頭痛持ちかのように、顔をしかめた。

 難民登録証を見せてもらえないか、とお願いすると
 息子がさっと身を翻して、奥の部屋から真っ赤なプラスティックファイルを持って来た。
 バラを大振りに描いたファイルの中に、登録証は入っている。
 お母さんの好みなのだろうか。

 電話が鳴り、子どもたちは駆け出していく。
 学校への迎えのバスが来たという。
 息子の持っているバッグを見てみたら
 こちらで配布したもののようで、でもロゴが外されていた。
 
 どうして外してしまったのですか?
 使ってくれているのはうれしいのだけれど、
 ロゴがないというのは、こちらとしては、重大な問題だ。
 白いからすぐ汚れるの、床とかにバッグを置くからすぐ汚れてしまうでしょ、
 もう2回も洗濯したわ。
 子どもたちがすぐにバッグを汚してしまうのが、
 いやで仕方がない、という話し口だった。

 お母さんは必ず、アルハムドゥリッラヒ ラッビルアーラミ、と
 最後まで云う。
 同じアパートにシリア人の子がいるの、アルハムドゥリッラヒ ラッビルアーラミ、というように。

 息子たちの中には、2部制ではない普通の男子校に通う子も居る。
 ヨルダン人にカツアゲされたりする。
 足を踏まれて止めら、
 お金を持っていないか、靴下の中まで探されるの。
 1JD取られたのよ。
 おちおち外に買い物に往かせるのも、ままならないのよ。


 家の中はきれいに掃除されていて
 奥の、何もない部屋では、白いカーテンが大きくたなびいていた。
 お母さんは最後までずっと、
 黒い大きな目ときれいな黒い眉毛を不用意に動かすことなく
 じっとこちらを見据えて、話をしていた。

 

2015/10/17

彼らの話と暮らしの、断片 10月2週目


 仕事でシリア人難民の家庭を訪問している。
 仕事の目的は仕事の話なので、その文脈の中でのはなし。
 個人の投稿には書くことがはばかれる。

 けれども、それぞれの家庭の様子を残しておきたい。
 無精で、形に残らないものを続ける自信がないので
 あくまで、個人の視点で印象に残ったもののみだが、
 見たことと、聞いたことを
 ここで、少しずつ書き置いておこうと思う。
 
 1件目:Marka

 白い箱型の、よくある建物の2階
 ベージュのカーテンを透かして、遅い朝の光が青い空に色味をつけている。
 きっと、西側に面した窓
 部屋の中は、どの家庭に関わらず、暗い
 だから、窓の外の明かりが、その家庭の雰囲気を決定してしまうような気がするときがある。

 勧められるがままにソファに座る。
 リビングなのだろうけれど、8人ほど座れるソファセットの脇には、
 骨組みだけのベッドがある。
 よく、ぼろぼろになったベッドの底を修理する代わりに使われる
 すのこに足を生やしたようなものだ。
 その上におばあさんが座る、すのこの上にマットを敷いて、その上におばあさんが、居る。
 柔らかなオレンジ色と穏やかな緑色でプリントされたフリージアの花柄の
 あの、だるまになってしまうような簡易のヒジャーブを被っている。
 足をベッドの端に投げ出して、薄緑色のマスバハを指ではじきながら、
 顔はこちらをじっと、見ている。
 私の好きな、象のような皺の皮膚の足首
 大きな眼鏡と褐色の肌のせいで、顔だけ見たら、性が分からない。
 歳を取るということは、そういうことなのだけれど。


 家に居るおばあさんの娘は一人、2児の母で少し受け口
 とにかく、歌うように話をする。
 ダマスカスの方の人たちが話す、あの独特の語り口と
 音に重さのある、少し低めの声に聞き惚れる。

 でも、歌のような声音と、話の内容には、いつも深い溝がある。

 聞けばヤルムークキャンプから逃げて来たという。
 シリア人だけれど、パレスティナキャンプに住んでいた。
 建物すべてが、自分の親族だけで埋まってしまう
 キャンプではよくある、高いアパートメントから
 占領されて、戦渦に飲まれる前に、家族みんな逃げて来た。
 でも、あそこには車も家も、畑も小さいけれど、あったのよね。
 キャンプの中は安くて住みやすかった。

 ジャバルフセインでも、ヤルムークキャンプから逃げて来た家族があった。
 南東に張り出したリビングの先の大きな窓から
 ジャバルウェブデの家々が眺められて
 窓の脇には、鳥かごと、インコが一羽いた。
 明るくて、壁もカーテンも白い部屋だった。

 
 パレスティナキャンプで働いていたせいか
 キャンプと聞くと、それだけで親近感が湧く。

 でも、一度もパレスティナ人には会ったことがない。
 やはり、親族を頼って
 この国のパレスティナキャンプに居るのだろうか。


 こちらの用意している質問をしている間に
 もう一人、女性が奥からやってくる。
 おばあさんの息子の、お嫁さんで
 青い目をした、色白の声の小さな人だった。

 小学校の低学年の女の子が二人
 そろそろとカルガモの子どものようについて出てくる。
 双子のように似ているけれど、
 歳は違うのだという。
 寝起きで膨らんだもさもさの髪は淡いベージュで
 やはりお母さんと同じように
 青い目と青白い顔をしている。

 子どもたちに質問が向くと
 ほとんどの家庭で、親たちの顔がほころぶ。
 すべてではない、ということも、いくつかの訪問で学んだことだ。

 この家庭では、二人のお母さんは
 ふわっと顔を緩ませて、子どもたちに視線を送る。
 どんな遊びが好き?と子どもに訊くと
 もじもじして答えられない。
 イヒキー ヤー ハビーバティー
 それでも、猫のように母親の腰に頭をすりつけて
 恥ずかしがっていた。

 女の子ばかりだし、外では遊べないからね。
 これも、よく耳にする答えだった。

 まだこれから、いくつかの訪問が控えている、と云っているのに
 いつの間にやら用意された、アラビックコーヒーが出てくる。
 その頃には、大方の質問を終えてしまって
 何か訊きたいことがあるのだけれど
 うまくアラビア語にできなくて
 結局、ずっとおばあさんの服とマスバハを見つめてしまった。

 帰りがけになって、初めて
 もう一つすのこのベッドがあることに気がつく。
 身体全体を水色のブランケットにくるんだ小さな子が
 玄関のすぐ脇で、寝返りをうった。

 ずっと奥に隠れていた、緑色の制服を着た女の子が
 台所の扉の横で、小さく手を振っていた。


 4件目:Marka

  丘を降りると、ザルカ川の支流がある。
 汚水で悪名高い川からは、何とも云いがたい
 饐えた匂いがする。

 川からそれほど遠くない丘のふもとにある
 何件かのアパートの一つ
 坂に作られているから、入り口から一つ階を降りた一室。

 お父さんとお母さんと、2歳になる子ども
 それから、2年生になる男の子、歳の離れた大きな女の子が二人。

 小柄でがっしりとしたお父さんは
 こちらの人独特の、立派で流れのいい眉毛と大きな目で
 時折お母さんの膝の上で動き回る2歳の男の子を追いながら
 息子の通う学校の悪さを、必死に説明していた。
 まだ、低学年なのに、学校の校門の前で、年かさの男子にナイフで脅される、
 本当にハラームだ。

 お母さんは目の周りに黒く入れ墨のアイラインが彫られている。
 女の子はお母さんに似て、瓜実型の顔の形と丸い目をしている。

 長女にあたる女の子は、
 ただ立って、お父さんの話を聞いているだけなのに、
 溶けるような優しい顔をしている。

 でも、彼女は脳の神経系に問題があって
 時折倒れてしまう。
 学校に通わせていは居るけれど
 心配なんだ、と話すお父さんの顔を、それでも笑顔のまま見つめていた。

 女の子のうちの一人は、以前学校で会ったことがある
 見覚えのある顔だった。 
 学校で会ったことあるよね、と声をかけると
 長女と同じ、でももう少しだけ力のある笑顔で、うなずいていた。
 


 
 

2014/09/19

善良であること、でも、現実から離れないこと



 ブローディガンの短編を久々に読む
 たまらなく小さな、どれも手に触れられるほど近いものものに囲まれたものや人の
 ほんの少しのたがが違っておかしい存在を、話にする
 不可解で理不尽で、だから愛らしく物悲しい

 世の中はそういうもので、できている
 不可解で理不尽なものを掬いとってゆかなくては
 何かしらを感じて思うことなど、できなくなってくるだろう


 視点がどんどんと上っていって
 小さなものものが見えなくなって
 善良さや理想や正義ばかりがもっともらしく見えてきたら
 そのときには不完全なものの馬鹿さ加減に辟易するだろう
 
 そして、ますます自分が正しい、と思えてくるだろう

 例えば、善良であることは
 どこかで決定的に不利で、未熟で、愚かだ
 ばかにしてはいけない
 善良さをかけらも持たない人は、本来どこにもいないだろうから
 
 ただ、善良であることを武器にはできない
 善良であることは、あまりにももろすぎる

 そういう考えを、逃げだとか、悲観主義だとか、廃退しているだとか、感じる人もいるだろう 
 でも、それが現実だ、と私はどうしても、思わざるをおえない
 ごく、平等に物事を見た結果として
 
 善良さも、理想も、正義も、きっと誰の心にだって存在している
 それぞれの文脈の中の、それらが存在している
 もちろん、自分の中にも

 どんな文脈なのか
 どこまでが世の中に許容されうるのか
 それを冷静に見極めなくてはならない

 それは、とてつもなく面倒でうんざりする作業だ
 
 ただ、どれだけ、その作業におかしさを感じたとしても
 この行程をせずに、現実に折り合いをつける方法は、ない

 心の弱い私は
 だから、その作業に向かう前に、身の回りの小さなものものへの
 不完全なものへの愛情をたっぷり味わわなくてはならない
 もちろん、自分自身も含めて

 卑小だと言われれば
 そうです、その通りです、と
 開き直るしかない



 

 

2014/09/16

久々のラヒリ


ヨルダンも秋の気配が漂い
朝の光が少しずつ傾いて
雲が朝焼けに色づく

ありきたりだけれど
本を読むのにいい時期になってきた

短編を持ってきていた
表紙がきれいだ、という理由が主だけれど
集中力がないから
長編を読み終えられない、というのも
ひとつの、理由

女性の作家でバランスがいい
甘ったるくも感傷的でもない人を探すのは
難しい

女のなんたるかを
改めて教えてもらおうとは思わない
自分だけで十分だ

それでも
時々、小さな存在の
一人の女性を
特別な重さも特別な卑下もなく
無駄な愛情や同情もなく
描いている作家がいると
無条件にうれしい

「美しい子ども」というクレストから出ている短編集
2作目がジュンパ・ラヒリだった
久々の名前に
本人の美しいアーリア系の顔を思い出す

自分を頼りにやってくる
若い同じ国からやってきた男性に心惹かれながら
結局移り住んだ国の女性と結ばれていくのを
夫も子どもいる身で
節度ある嫉妬を抱きながら
見守るしかなかった母親の姿を
子どもの視点から
適度な重さと適度な明るさで
描いている

短編のおもしろいところは
色や情景がより鮮明で
その断片が多くないところだ

はらはらと落ちた断片が
小さなまとまりのまま
まだ印象としてつかめる程度に
一つの形を成している

深みは作品それぞれだけれど
立ち上がってできる影は
必ずそこにあって
印象によって影が色づく

浅く緑ががった影が見える

ちょうど秋のヨルダンの朝の
どこか勢いをなくした
でも、穏やかな空と
よく似ている



2014/07/22

ラマダンの街


いよいよラマダンも最後の週にさしかかっている
今年はきちんとサーイメをして
過去に経験した
ラマダンにまつわるいろいろな
素敵なことも、うんざりすることも
やってみて初めて
その理由を体感できて
腑に落ちることになる

夜のイフタールだけが楽しみの毎日だ


イード明けの活動の予定が
やっと今更形を成してきて
急にばたばたし始める

毎日シリア支援といいつつ
シリアの人々にはほとんど会えず
予算と日程、数字ばかりとにらめっこ
それも仕事だから仕方ない

日没のベランダから
ワディの先のモスクから流れるアザーンを聴き
イフタールの後
急に賑やかになる
車や人や、花火、食器の擦れる音、隣の家の会話を聴く

私の周りの、ごく小さな世界は
今のところ、平和に思える

ふと、昨日の夜
うつらうつらとしながら
教員最後の挨拶のことを思い出し
ごく小さくだが、震撼する

想像力の話だ
想像力の種を抱いて
暮らしていってほしいという話

どんな人の暮らしにも
自分に似たような
小さな、大きな悲喜こもごもがある
テレビやネットでたまたま見た
女の子や、おじいちゃんや、政治家や登山家や
革命家や露天商や、会計士や赤ちゃんには
みんな等しく、暮らしがある、という話

少しでもそういうものに
思いを馳せることができれば
ものの考え方は、豊かになる、と

豊かになる、のかもしれない
でも、飲み込んで、咀嚼するには
計り知れない精神力が必要なこともある

最近、あまりにも周囲に
想像を遮断させるようなものが多くて

はたと、私は何をやっているのだろう、と
思う瞬間がある

それでも明日もまた
役人と交渉し
数字に頭を悩まし
イフタールに何を食べるか、考える

私はおめでたい、人間のようだ






2014/06/11

なぜか、アンマン城



確かに大好きだけれども
物件を探す時点で
いくらかの後悔をしていた

いくら好きだからといって
それほど都合良くは物件が見つからないのが
アンマンの難しさ
ベランダに貼り出した電話番号は
いっこうに通じず
やっと通じたと思ったら
繰り返しかかり続ける
いやがらせの電話か
もう決まってしまった、という
非情な冷たい回答がまっているだけだった

それでも
何とか見つけた新しいアパート
近所迷惑など省みず
大音量でブラームスやJames Blake, Dollar Brandを聴いたって
誰も文句を云ってこない
いい物件だ

根本的には引きこもりなのだけれど
風通しがいいのは、いい
ベランダで水タバコでも吸いながら
音楽が聴ければ、なお、いい

きっとアンマンが好きなのは
単純に
夜の灯がきれいだからだ

それからよく響くアザーン
どんな美しい旋律も
折り合いをつけてくれないのだけれど

登って降りる冷淡な坂道に
日々歩きながらうんざりし
それでも、だからこそ
一望させてくれる家々の窓を眺める
丘の連なりが
夜は美しい

遠くの車のヘッドライト
遠くに見える
ばかみたいに大きな国旗

でも、アンマン城を愛しているのか
アンマンを愛しているのか
ただ、自分のごく小さな周辺の
ごく偏屈な空間を愛しているのか
よくわからない


2014/04/08

アンマン城を眺める




3度目の正直
アンマン城の見える丘に
住み始める

もっとも諸々の事情で
1ヶ月だけの部屋だ
次の部屋もまた
アンマン城は拝めるはず

呆れるほど見事な眺めに
毎朝、毎晩、うっとりする

本当は、アンマン城に往くのが好きなのだけれど
アンマン城を眺めるのもまた、悪くない

緑に輝くジャバル・カラアの頂は
小さなアリのような観光客を乗せながら
空中公園のようだ

いつの間にか忘れてしまっていた
人々の暮らしの断片の映像を
丘の上から見下ろす

洗濯物を干すお手伝いさんや
何もすることなく、ただ空を眺める人
タバコを吸いながら徘徊する人
屋上は、どこか特別な場所なのだと、思う

そういえば、屋上に住みたかった
空に一番近い部屋なんて、素敵ではないか

屋上では、地に足着いていない
暮らしもまた、そうなってしまうのだろう
でも、そういう暮らしの基盤が
悪くないと思っていた

幸か不幸かそんな部屋には巡り会えず
今までまだ、屋上に住んだことはない

今、屋上を眺められる部屋にいる、なんて
何だか鳥のようで
いいような、気がする