なんだか、じっくりと表情の波を見ているのが、
申し訳ない気持ちになってくる。
心中を思うと、言葉にならない怒りが
湧き上がってくるのも当然だろう、と思う。を
なんとも言えない表情、という言い回しは、
小さな子どもにこそ、一番適切なのだと、
随分と歳をとって今さら、知ることとなる。
その子は会ったその時から、機嫌が悪かった。
わたしが来るのも解せないし、
母親の関心をわたしに奪われるのも腹が立つし、
従姉妹たちが居なくなるのはことさら、ざーらーん、になる。
زعلانという単語は、日本語にはなかなかそのものを
一つの単語で表すものがない。
シンプルに、怒っている、と辞書では出てくるけれど、
この単語を使う時、往々にして単なる怒りだけではなく、
哀しみや理不尽を伴う感情を含む。
強いて言うならば、悲憤、というところだろうか。
哀しみが怒りと直結しやすい、というのも
ある意味実に、アラブらしいな、と思う。
もしくは、哀しいことが怒りを伴うことで、
感情がきちんと表出される様が、
アラブ人らしい、のかもしれない。
いろいろとイレギュラーが続く日だった。
予定されていた仕事は、スタッフの親族の旅立ちで
夕方に振り替えになった。
そんなにフレキシブルなのかと問われたら、
本来そうではない。だけれども、
大人のスタッフだけではなく、その子どもたちに
旅立ちを見送る権利がある、となると、
その権利を奪う立場にないから、
仕方なくその状況を、受け入れるしかなかった。
奇しくも何度か見てきた、出発のための荷詰めと
見送りを待つ親族たちの渦中に、身を置くことになる。
毎回感じるけれど、それはおそらく、
戦争を経験していない世代の日本人、もしくは母国からやむを得ず逃れ、
また戻るという状況に置かれたことのない人間にとって、
想像の限りを尽くしても、そのすべてを理解することは
とても難しいことのように、思う。
人によって様々だ。
希望に満ち満ちて、楽観的に喜びが全身から溢れ出る人もいれば、
不安と喜びが混じり合う人もいれば、
安堵と諦念が混じり合う人もいる。
これは大人たちの話。
小学生まで大きくなった子どもたちはきれいな身なり、
髪をきれいに結い、櫛でとかれ、
ハートの形のサングラスなどをかけて、
うれしそうに初対面のわたしに、今日シリアへ戻るの、と
言いながらハグをしてくれたりする。
その横で、予定の時間を過ぎてもさっぱり
迎えに来ないシリア行きの車を待つ大人たちは、
見送りに集まる人々を待たせても、することもなく、
挨拶もし終わったはずなのに、何をすることもできない
空白の時間をどう過ごしたらいいのか、どこか戸惑っている。
年端の行かない子どもたちは、大人たちの非日常を
本能的に感じ取って、泣いたりぐずったりしている。
そんな小さな子どもたちが、大人たちの戸惑いを、
日常の延長かのように思わせる、慰めの道具となっていく。
制度として、なのか、慣習として、なのか
状況によって、なのかはわからない。
けれど、毎回旅たちの日は不明確だ。
その日旅立つ家族についていえば、帰る帰ると
夏のはじめから言っていたのだけれど、
もう夏もすっかり終わりにさしかかっていた。
帰還に向けた諸々の手続きも時間がかかるらしい。
車の手配も、荷物の手配も、プレハブの解体も、
すべてを同時に進めていくというのは確かに、
想像するだけでもくらくらめまいがする。
家の引越しで、室内をきれいにするだけでも骨が折れるのに、
住んでいた荷物をトラックに乗せつつ、
その建物自体を解体しなくてはならない。
もちろん、解体を専門にする人々や
親族が作業をできるのだけど、
例えば、配電コードを持っていきたかったり、
鉄骨を持っていきたかったりすると、
旅立つ家族の男手がぎりぎりまで肉体労働を
し続けることになる。
たとえ、そんな作業がなかったとしても、
わたしの目には、多くの準備があまりにも煩雑で、
予定が当事者たちだけでは、制御できないように見える。
それだけでも、なかなかのストレスだろう。
そんな長い道のりの末に、帰還がある。
やってきた時も、生活を始める時も、
生活を落ち着かせる時も、大変だったことを想像すると、
帰還の大変さが、傍目にはひどく理不尽に見えてきたりする。
だが、当事者たちとその親族は、
課せられた、こなすべきものごとを、とにかく
コンプリートするために粛々と働き続ける。
家長が先にシリアへ戻っているので、旅立つ家族の家長の母親が、
家長に代わって、トラックへの荷詰めの様子を確認し、
男たちの作業やら、業者とのやり取りやらを
とにかく必死でこなしている。
解体される、今まで暮らしてきたプレハブに
小さな孫たちを置いておくことはできないから、
親族の家に旅立つ一家は待たせ、
暑いキャンプの中を早足で移動しながら、
親族の家と旅立つ家族の住居の間を行き来する。
いつもなら、居間のマットレスに座っていていい、
家長の母親も、いざとなったら、とにかく
どんな交渉でも、アレンジでもする。
こちらの女性は、どこかしら日本の女性にはない
強さを持っている、とは感じ続けていたけれど、
肝が据わった時の、動きと判断の的確さは見事で、
ただただ心底、感心する。
心の中では、荷物出しも
トラックに乗った大量の荷物の紐かけの結びなどなら、
わたしだってできる、と手伝いたいのだけれど、
そもそも女性の出る幕ではないのでおとなしく、
引越しの見物にきている近所の子どもたちに、
学校の様子を聞いたりしつつ、トラックを見守る。
鉢に入ったいくつかの植物たちまで乗せようとして、
大量の荷物の隙間に入れ込む様に、こんなものも持っていくのか、
半ばあきれ、感心し、不安を抱く。
最後、荷台の端に水タンクを括り付けられた
トラックが出発するのを、見送る。
見送ったのと同時に、家長の母親は、旅立つ家族のいる場所へと、
強い日差しの中、汗をかきながら戻っていく。
女たちばかりが待つ家は、想起するのも申し訳ないけれど
まるで、わたしが映像や映画で見た、戦禍で身動きの取れない
アパートメントの一室のようだった。
たくさんの女たちと子どもたちだけが、
小さな空間の中で、手配した車の到着を待つ。
5歳以下の子どもたちは、とにかく泣くかごねるか、
そんな子どもたちを抱えながら、大人たちは
気もそぞろに、携帯ですべき連絡をし続ける。
大好きな従姉妹たちがみんないなくなってしまうから、
何日も前からずっと、機嫌が悪いのよ、
きちんと話はしているのだけど、どうしても
きっと、納得がいかないのよね。
シリアに一緒に2日間だけ戻っていい?って
訊いてくるのよ、でも、それはできないでしょ。
だから、きちんと見送りはしなくちゃいけないの。
ひどくごねる子どもをぎゅっと強く抱きしめて、
子どもと同じように、うっすら涙目の母親であるスタッフは、
ねえ、あなたが今のわたしなら、どうする?と
尋ねてくる。
一瞬、頭が真っ白になる。
きっと、あなたと同じ気持ちだろうから、
この子の気持ちをわかっている、と伝えられるだけで、
精一杯だと思う。
ただの知識として、わたしが持ち得る回答こそ、
これで精一杯だった。
予定はすでに2時間以上遅れていて、
わたしはわたしで、仕事に戻らなくてはならなかった。
後ろ髪をひっぱられてはいたけれど、
おいとまをしなくてはならない。
旅立つ一家のお母さんに、無事な旅を、と挨拶をして
家を出ようとする。
スタッフが見送りに立ち上がると、その子も母親のスカートの裾を
握りしめながら、ひどく怒ってついてくる。
子どもに挨拶をしても、見向きもしない。
その頑なさはとてもとても必死で、
どんな小さなことも、理不尽だ、と真剣に訴えつつ、
どこかで、諦めの色が見えた。
その表情に、心臓を強く掴まれるような痛みを感じる。
家を出ると、待ちくたびれてしまった
出発を待つ子どもたちが
近くのお店にお菓子を買うために、歩いていた。
意気揚々と道路を楽しそうに進む子どもたちは、
シリアへ戻ることの意味を、ある程度わかっている、
うれしさに溢れた小学生たちだ。
家の中の混乱から抜け出して、青い空の下
にこにこしながら買い物に出る
その子たちの姿の穏やかさが、何だかありがたく見える。
つまり、わたしもまた、帰還はいいことだ、という
ステレオタイプな思考を、持っていたいのだと、
認識することになる。
仕事を終えて、あの子の様子はどうだったか、
母親にメッセージをする。
最後は落ち着いて見送っていた、と返信があった。
落ち着いてはいても、きっと、
あの、なんとも言えない表情を、必死に浮かべていたのだろう、
そう確信を持って、想像をしている。
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