2012/12/29

年納めのアンマン城



アンマン城へ往く
アンマンで一番好きな場所だ
ヨルダンに来た当初
通っていた語学学校の近くだったから
帰りにふらりと寄ったりしていた

観光客に紛れて
誰にも干渉されずに
静かに街を見下ろせる

初めて着た頃にはさっぱりわからなかった
丘の名前と場所が一致してきた
あそこがジャバル・ウェブデ
あそこがジャバル・ヌズハ
あそこがジャバル・フセイン
と、一つ一つ確認したりする


アンマン城があるのは、ジャバル・カラア

西に向かったベンチに腰掛けて
街から立ち上がる小さな音に耳を澄ます
昼のアザーンには
たくさんのモスクからのアザーンが
一斉に輪を描いて遺跡の上を回る

春のような、穏やかな日差しを浴びて
観光客向けのバグパイプ演奏を遠くで聴きながら
ぼんやりする

考えてみたら
今まで来た中で
一番緑が多い
12月だというのに、おかしな話だ

本を読もうと思って
レイ・ブラッドベリの短編を入れてきた
遺跡でSFなんてオツじゃないか、と



でも、ipodのピアノの音が
するすると身体に入ってくる

久しぶりにシューベルトの21番と
ブラームスのバラードやラプソディの小曲集を聴く

気がついたら、もう日が傾き始める
着た道を少しそれて
丘を下る

星座など 石など

アズラックへの道のりにある城を訪れる
3度目の訪問

冬のアズラックは初めてだった
暑い時期の東部は
どこにも遮るものがなくて
日差しがただひたすら身体を刺す

冬のアズラックは風が
きんと冷えて身体をかすめてゆく

どこか高い山の頂上から見上げるような
深い青い空が広がっていた

アムラ城は、好きだ

何もないところにぽつんとある建物の佇まいも
外観からは想像できないような
めくるめく壁画の色と線の豊かさも
壁画のボリュームと題材も
修復の加減も



そして、一番奥の部屋にある天井画を
いつもうっとりと見てしまう
星座図が描かれているのだ

建物の中でも、一番日当りがいい
いくつもの窓から入り込む、冬の傾いた日の中で
山吹色を基調としたした夜空が
ドーム状に描かれている

単純に、その発想が何とも、素敵だ

今度誰も居ない時に往けたら
寝転がって見てみたい





4カ所往った城のうち、壁画があるのはアムラ城だけ
あとの城は、ひたすら石の堅牢さを
誇示し続けている感がある

でも、石積みが好きなので
気になった積み方は、とりあえず写真に収める


それから、猫の要領で
とりあえず高いところには登ってみる

青い空がまた少し、近くなる
地面には、乾いた白っぽい土
それから、黒と白の石積み
その他の、形容しがたい色と形を持った
無数の石たち





2012/12/07

空を仰ぐ



一昨日、雨がやってきた
この時季初めての、長雨

南に向いた窓の外で
灰色の雲が流れていく
灰色にも、たくさんの種類がある

のっぺりとした淡い灰色
たくさんの雨を含んだ、黒の強い灰色
白んだ空に似た灰色

1年半ぶりにやっと飾った
クジラのポスターの中に居るクジラとイルカのいくつかは
空の色と、似ている

雨が降って、また一段と冷えるだろう
それなのに、雨が降ってきたのがうれしくて
青草が出てきてしまったりする


どことなく憂鬱で、どことなく親和性のある
懐かしい空なのだ


音楽がよく、耳に馴染む
きっと音も、水を含んでいる



今日は、冷たい風の吹く雲の多い空だった

出かけるのにバスを拾おうとする
でも、バスはなかなか来なかった
大通りの脇に並んだ建物のすぐ上を
雲の筋が流れていた

そういえば、ここは高地だった

上がりきらない太陽のせいで
空がいつもよりもよけいに
青く見えた

そういえば
久しぶりに、空を仰いだ

2012/11/24

星拾い



雨が降って、アンマンはまた一歩
冬の寒さに近づいている

休日のおでかけ

火星のような、なにもないところに
また、往く

歩くとしゃりしゃり、とした
貝殻を踏むような音がする
風も強くて遠くの人の声が
きれぎれになる

海岸のようだ

でも、目の前には海なんてなくて
ただただ、ひたすら
硬い石のかけらに覆われた
草も育たない土地が
視界の端までずっと、広がる

隕石が落ちた場所、へも、出かける
柔らかな丘が、広く輪になっている

どれが、空からやってきた石なのか

正直、さっぱりわからない
でも、空からやってきたことにして
面白そうな形を
とりとめもなく、拾い続けた
どうするんだろう、と呆れるぐらいの数

ビニール袋にたくさん入れて
持って帰ってきた

そう云えば、砂利道をゆく帰りの車は
ひどくゆれていた

そして、石を洗おうと袋から取り出すと
ところどころ、石は欠けてしまっていた

欠けたところから
外身の焼けただれたような質感からは
ほど遠い
生々しい石の中の、つややかな色が現れる


2012/11/17

そして、無能の人になる



例えば、宮沢賢治の話や詩の中には
たくさんの鉱物や地層が出てくる

黒い露岩、泥炭層
花崗班糲、血紅瑪瑙、
蛇紋の諸岩、巨礫層

その文字が、冷たさや色や硬さや湿り気を持って
文中に浮き上がる瞬間がある

今また、宮沢賢治の詩集などを手に取ると
鉱物図鑑を日本に忘れて来たことを
後悔する

もし、彼がこの石たちを見たら
どうやって、表現に使うのだろう
拾ってきてしまった
名前もよくわからない、石たち

草も生えないような土地には
金属のような硬さと、鋭い音を持った石
陶片に鉄釉をかけたような色だ
時折、姿を現す、周りの景色の厳しさと無縁のまるい石

ただの無機質な、火星の表面のような石の質感なのに
割ってみたら、青い色が走っていたりする

手のひらに乗る大きさの石は
転がっている時には、何でもないものなのに
手に取ってしまうと、その瞬間に
感触とともに、突然意味を持ち出す

石を拾うくせがある

そして、撫でて、見て、握ると
つい、ポケットやバックの中に入れてしまう

そういうものたちが、最近、ふえている

ひなたぼっこの場所を取られた、と
ラファがいじったりしている

2012/11/09

再びの、国境


ヨルダンで一番好きな土地はどこか、と聞かれたら
ここだ、とすぐ答える


去年のちょうど今頃
同じ土地に来た

その時は、ヨルダンで初めて、目の前に広がる
溢れる緑に、胸がいっぱいになった
私は緑と湿気に飢えていて
それは、あたたかく、湿気ばかりの国への懐かしさのせいもあって
しばらく、身体いっぱい、空気を味わっていた


الحمهとしか、バスには書かれていないヤルムーク渓谷の端

往くのに、3カ所のチェックポイントを通過しなければいけない
ゴラン高原のイスラエルと、ヨルダンの狭間だ

去年はまだ、秋の高く青い空の下にあった
そこだけが艶やかな緑に覆われていた

今年は、今季最初の雨雲が立ちこめていて
初冬を思わせる空だった

ゴラン高原は黄色く枯れた草で覆われている

それでも、その麓の小さな小さな町だけが
トウモロコシやヤシやブーゲンビリアの真っ赤な花に
色が踊るようだった

少し手前にはイスラエルのシナゴークが見える
いつかの温泉保養地



結局今年も、温泉には入れなくて
渓谷の川を眺め
草むらのロバを見て
ゴラン高原を眺めながらピクニックをするヨルダン人を見て
それから、私もゴラン高原を見上げる



厳しい岩肌とその土地を隔てる
小さな川



どことなく、育った街の端を流れる川の景色と重ねる

水と緑がある
だから、桃源郷だなんて、思うのだ

たったそれだけの理由だと、分かっている

でも、それがとてつもなく私には大事なものなのだ、と
認識するために、来たのだと、知る




2012/11/03

ひと気のない土地

ここのところ、二度ほど
ヨルダンの地方の遺跡を回る小さな旅に連れていってもらった

例えばシリアの町がよく見える
国境の町にある
例えば道もないような土漠の中の
何もない土地にある
ローマ時代からウマイヤ朝頃までの遺跡の数々

ヨルダンの歴史は、何度も聞いても複雑で
未だにはっきりと分かっていない
ただ単に、覚える気がないのだろう

でも、大小さまざまな遺跡が
国の全土にある
大きなものなら保存の手も入り
門番付きの金網に囲まれる

ただ、多くの遺跡は、大して守られもしないまま
若者のキャンプ地になったり
落書きの対象になったりして
日本の感覚のままだと随分と驚かされてしまう




正直なところ
もちろん遺跡を探訪するのも面白いけれど
そこへ至るまでの景色の方が好きだ

ここへ来て、ほとんど
何もない土地と
音のない場所を
たくさん見た

ただ、硬い玄武岩の大きな石の塊が散らばっていたり
わずかな草が生えていたり
小さな小鳥が2,3羽空高くを飛び去っていったり
遠くで車の音がしたりするぐらい




ひと気のない土地はいくらでもあって
その多くは、水がほとんどなくて
ぽい、と放り出されたら
それが、時間の差はあれど
直接死と結びついていることを
意識させられる

ただ、そんな土地は
そこはかとない魅力がある

なに、安全な車の中から見ているからだろう

そんなところにぽつねんと
遺跡があったりする

過去の人々は
どうやってこんなに生きていたのだろう

砂に白くなった生活の跡を見ながら
想像する


2012/10/27

イードの羊


ワディ・ラムからの帰り
ワディ村でイード(祝日)にいただく羊を
さばいてゆく様子を見せていただいた

今回のイードはイード・アル・アドハー
詳しくは以下を参照のこと
http://ja.wikipedia.org/wiki/イード・アル=アドハー


命をいただいている、という
生々しい感触

記録として載せておく

生きているものを
いただいているんだ

感謝して食べなくては


車の荷台に乗せられて
羊がやってくる


ちゃんと土の上で絞めなくてはいけない
血は、土に返す


皮を剥いでゆく


羊の皮は、思った以上に分厚かった


中身の内蔵は、食べられるところだけ
器に残し
その他は、皮の上に置いていた

肋骨を開く
心臓はちゃんといただくために
お皿に載せられていた

空の色を映した、羊の目
そして、肉屋で見るような
肉になった

ワディ・ラムへ往く


休暇に風邪をひくのは、恒例なんだろう
少し前から具合が悪いな、と思っていたら
出かけるその日に、立派な風邪ひきになった

そういえば、デング熱にかかったときも
夏休みだった
無駄に有給を使った思い出

でも、往きたいものは往きたい
ぼんやりした頭で、出かける


ワディ・ラムは複合遺産らしい
たぶん、私はその遺産らしきものたちはほとんど見なかった
ただ、奇妙な形の岩たちと
真っ赤な砂を眺めながら、寝ていた

砂漠の真ん中で、本気の眠りに襲われるなんて
思ってもみなかった

岩の間のくぼみで
それから、何にもない砂の上で

音がしない空間はどこか、心もとない
かすかな風の音を聞き分け
耳元をうろつく蠅にもどことなく親近感を抱き
うとうとする

砂はものすごく細やかで
ぴったりと身体に吸いつく

たくさんの小さな動物の足跡


夜の月は半月を少し過ぎたぐらいなのに
辺りのものを隈なく照らしていた
夜半過ぎ
月が岩の陰に隠れると
たくさんの星が現れる

オリオン座の他の星座がわからない
そう思っているうちに、また寝てしまった



朝は岩が赤く染まる
白くて賢い犬が
砂漠の真ん中でまるくなっていた


今度往く時にはこんなに眠れないだろう
きっと元気な時に、往くだろうから

でも、ただひたすら
眠気に任せて横になっているワディ・ラムも
悪くはなかった


2012/10/21

今年も アンマンマラソン


今年のアンマンはまだまだ暑い
去年の今頃はもう、薄手のコートを着ないと寒かったのに
半袖の人たちが、10月も終わりになろうという今でも
道を闊歩している

金曜日のアンマンマラソンも暑かった

今年は仕事先のキャンプの施設から
出場している人たちの伴走だった

出場者の他に、キャンプからのボランティア
それから、日本人のボランティアがつく

参加にあたり企画を担当してたボランティアの粋な計らいで
出場者のキャンプからのボランティアは
出場者のお姉さんで
私の仕事先の学校の生徒だった

アンマンの街はいつも車でいっぱいだ
そこを通行止めにして
街の大通りを走るコースだった

出場者のムハンマド君は小柄ながらすばしっこい
初めから歩いて参加するつもりの大きな人の群の中を
右へ左へすり抜けながら走ってゆく

その後ろ姿を見逃さないように
お姉さんのアマルちゃんと私は、必死で追いかけていた

しっかり、現在地の「7キロ地点」なんていう看板の前で
毎回写真を撮り
ムハンマド君は元気に
アマルちゃんは少しお疲れで
ゴールした

ゴールのローマ劇場では
有名な歌手がライブをしている

他の出場者が戻ってくるまで
二人はじっと音楽を聴いていた

素敵な笑顔をたくさん見ることができた

今年も伴走で参加できて、よかった





2012/09/23

ねこのことなど




預かりものの猫が居る

アラブで産まれてアラブで育つ
生粋のアラブっ子の猫
ラファ、という名前

ベトナムでやむを得ず拾ってしまって
しばらく飼っていた猫には
ブーレ、という
早いテンポの二拍子の舞曲の名前をつけた
今は、お世話になったホーチミンのおばちゃんの家に居る


飼い主は、この猫に
ラファ、と名前をつけている
ドレミファ、のファ
ソラシドのラ

こちらの猫は、ペルシャ猫のような血統が強いようで
ラファもまた、冬毛に変わり
もふもふし始めた
上の写真は先月の様子
下の写真に比べて随分とスリムだ



本人はまだ、冬毛に慣れていないようで
冬には室内を極寒にする石のタイルの上で
よく横になっている


当初の予定では、来月末には元の飼い主に戻るはずだった
けれども、結局
今回もまた、引き取りに来れない、との連絡を受ける

何にも知らないで
相変わらず膝の上で寝ている
困ったな、と
私は途方に暮れる
それから、何ともかわいそうだ、と

いろいろな猫を育てたり世話をしたりしてきたけれど
ラファはその中でも一番
分かりやすい性格だ
そして、賢い

ダメだと分かっている部屋に入れば
私の姿を見た瞬間に、逃げ出していく

いたずらをしていると
しかる前にかわいく鳴いて、知らぬ顔をする

おなかがすいた朝には
私の顔を軽くパンチする

夢中になって大好きな糸や紐で遊んでいる時には
人の姿など、目もくれない

しばらく放っておいたら
寂しくて寄ってくる

気持ちがいいとすぐ
ぐるぐる云ってしまう

でも、抱かれるのは大嫌いだ
自分の往きたい時にしか
お前の元になんか往ってやらないぞ、とばかりに


きっと自分が猫だなんて思っていないのだろう

ラファは、どうしても指をしゃぶる癖を直せない
一日に一回は、たっぷり私の小指をしゃぶっている

どこかへ出かけていても
何となく気になってしまう
今頃少し寂しがっているんだろうな、と

そして、なんとなくラファを見ながら
結局何にもしないで一日が終わってしまったりする

つまるところ
ラファは、随分とかわいいやつで
私はラファのことが、随分好きなようだ

困ったな

2012/09/10

春を恨んだりはしない

夏休みの間にこちらに旅行へいらした方に
本をお願いした
「春を恨んだりはしない」 池澤夏樹

手に取るまでに時間がかかった
夏休みのだらだらとはほど遠いことは分かっていたから
いくらかの覚悟が必要だった

夏休みのおしまいに
最後の宿題のように、読んだ

震災に関する話で
池澤夏樹自身が被災地を訪れたルポから
本人が見て感じたこと
天災にまつわる考え方
これからのこと、などが
写真と一緒に収められている

私自身が震災の時日本に居なかったこと
そして、日本へ戻ってもわずかな滞在の後
すぐにヨルダンに来てしまったことが
いつもどこかでひっかかっている

読み終えた後しばらくして
「Pray for Japan」という映画も見た
震災とその後の復興への道のりを
アメリカ人の監督が、静かな丁寧な視点で
描いたものだ


読んだからといって、見たからといって
何ができるわけでもない
でも、知ること、考えることを
必要としている


本の題名となっている
ヴィスワヴァ・シンボルスカという詩人の詩
題名の通り、どんな惨いことがあっても
いつも豊かな恵みを抱いてやってくる

それは自然がもたらしたこと
春も同じ 震災も同じ

こちらはそろそろ秋の気配で
オリーブの実が膨らんで
果物の種類が一番豊富になる
順々に季節はきちんとやってきて
時間もたんたんと過ぎている


新学期が始まる前
追試で学校へ来なくてはならない子ども達が居る中
廊下で本を読んでいた

何が書いてあるの?そう訊くので
写真を見せて
日本であった地震の話だよ、と云う

被災地のあの、瓦礫の山ではなくて
静かな街の断片が映されている


こちらにはほとんど地震がないので
子ども達はよく分からないような表情で
写真を見ていた


学校の校庭の写真が入っていたので
それを見せてみた
ブランコがある、広い校庭

きっと震災の時にはたくさんの人たちが
こんな場所で仮住まいを余儀なくされただろう

広いねぇ
子ども達は目を見開いてうれしそうな顔をする
こちらの校庭はコンクリートばかりの
狭い広場でしかないから
うらやましいのだ


次の春が来るまでに何ができるのか
こちらでどんなことができるのか

結局のところ自分のことしか考えられない

とりあえず、子どもの顔を
よくよく見つめていこう、と思う

2012/08/18

トルコへ 愛すべき猫たち

トルコの猫は、人懐っこい
多くの猫は、だるそうに寝ている
石畳の端や、店先や、ベンチの上
触っても嫌がらない猫が多い
猫好きには、たまらない

家に置いて来た猫のこともあるので
つい、猫をかまってしまう

毛足の長い猫はあまりいなくて
日本に居るような猫が多い
黒猫の割合が、ヨルダンよりずっと高かった

ストリートキャット、なるものが成立するらしい
キャットフードをあげているきれいな女の人もいたし
お店の中を自由に猫たちは出入りして
客の残しものを待っている
誰も嫌がらないし、店員も追い払わない

とりあえず、握れそうな猫の手は握ってきた
撫でられそうな猫の頭も撫でてきた
毛並みがいいので、触り心地も、いい






ぶさいく顔も、多かった
鼻に黒い点がついているやつとか
全体的に丸すぎて、猫っぽくない顔のやつとか

それから、、、、
人と仲良くやっているからだろう多くの猫は、太っていて、そして、大きかった
びっくりするほど、大きかった


トルコへ 再びイスタンブール


飛んでイスタンブール
その続きが、分からない
それに、この曲がどんな歌詞なのかもしらない

でも、確かに、イスタンブールへ飛んでいってしまいたい
そんな気に、なる

最後の日の朝
もう一度アヤ・ソフィアへ往こうと思っていた
でも、見事に寝坊をする

仕方ない、ホテルの近くにアヤソフィアの分院のようなものがあったので
そこへ往ってみる

お祈りをしている人たちが居て
管理人のおじさんが、低い声でずっと、コーランを唱えている
いい声だった

線路の脇の、小さなモスクだ

一通り見て、出口へ向かう
ドネイションを、と
管理人のおじさんがにこにこして、やってくる
もうわずかなトルコリラしかなかったので
小額を渡すと、苦笑いされた

そう、私は旅行者なのだ

飛んでいって、それからまた、去ってゆくぐらいが


ちょうど、いい具合に魅力的なのかもしれない



トルコへ パムッカレとエーゲ海


白い段々の岩と青い水
色い土と青いガラスを焼いて溶かすと
あんな感じになる

パムッカレは石灰でできた不思議な形状と美しさしか
興味がなかったのだけれど
実はその後ろに
古代ローマの立派な遺跡群があった

強い日差しに反射する白い岩に目をやられながら
ついでにそんな光で見事に焼けた
ビキニ女子達を観察する
ここでもまた、うまく写真を撮ることもできず
パムッカレの白い段々の上を
列のように並んで降りてゆく
米粒のような観光客を眺める

同じようにエーゲ海沿いのクシャダス、という街でも
青くて澄んだ水とぴちぴちの水着姿を、眺める
ここは完全に、トルコ人と欧州人のバカンスの街
浮かれた人々が朝からたっぷり身体を焼き
眠り、食べ、眠り、遊ぶ

ここでは眺めてばかり居てもつまらないので
たっぷり私も、泳ぐ
波はおだやかで、おだやか
心なしか塩気が強い気がした

それから、海岸でぼんやりする

小さな堤防の端のベンチに座っていると
片腕のないおじさんが、堤防に建つモニュメントの足元の日陰に座る
観光客が写真を写そうとすると、立ち上がって、フレームから外れる
そして、また戻ってくる
きっと毎日、来ているのだろう



夏場だけ、きっと浮かれてしまう土地なのだろう

ここで、世にもおいしい食べ物に、出会う
ごはん詰めのムール貝
ムール貝を茹で、口が開いたところにスパイス入りの米を入れ
もう一度口を閉じて煮ている、のだと思う

レモンをたっぷり搾って、いただく
ぺろり、といただく
いくつでも、入る
なんて素敵な国なんだろう、とあらためて、思う