2026/08/05

出荷される根菜の休日

 


たくさんの大小さまざまな鉄の芯が
曲げられもせずに通されているような、
どうしようもなく凝り固まった身体をどうにかすべく、
ハンマームへ久々に、行く。

随分と昔に行ったお店は、なにもかも、変わっていない。
ただ、お店の中には、従業員とわたしだけだった。
そうか、こんな暑い日にわざわざ、暑い場所へなど
行きたがる人はそんなにいないのだ、と
スチームサウナに入りながらやっと、合点がいく。

時々しか行かないけれど、ハンマームという言葉を聞く時、
わたしはいつも、ごぼうか大根か、にんじんか、
とにかく根菜の出荷を思う。
シリアの広大な畑で採れたにんじんを、
水と機械を駆使しして泥を落とす作業の映像を、
その鮮明な大量のオレンジとともに、思い出すのだ。

だから、硬くて冷たい石でできた台の上に横になる時、
ある程度の覚悟が、できるようになった。
うつ伏せから仰向けになる時、石に当たる骨盤が痛さに
注意しなくてはならなかったこと、などは
しばらく行っていないと忘れてしまっているのだけど。

雑に扱われて当たり前、それでも一生懸命他人の身体を
洗う仕事をしてくれている人々に、感謝をする。


どの土地においても変わらないことだと認識しているのだけど、
マッサージにしろ、身体を洗ってもらうにしろ、
誰が担当になってくれるのか、は運になる。
同じお店へ行っても、人が違えばパフォーマンスも異なり、
そのことについて、優劣をつけるのは、お店へ行く限り
野暮なことだ、という境地になるまで、
ベトナムにいる時さんざん、マッサージへは行った。
それでも、いつも心のどこかで期待は、する。


そのハンマームには、いつも強面のおばさんたちがいる。
お店へ入って、あぁ、そうだった、と思い出す。
強面に強面のサービス、とも限らないけれど、
にんじんの出荷は、このおばさんたちによってなされるという
一連には密接なつながりがある。

過去の経験では、いろいろな人たちに会った。
スーダン人、エジプト人、アルジェリア人。
どのような洗い方であっても、とりあえず
いいサービスを受けるため、コミュニケーションを取ることも
こちらの努力義務として課せられる。
だから、最低限の話をしながら、
懐の深さと人見知りの度合いを
測られていることを意識する。


けれども、今回は強面のおばさんたちの奥から、
にこやかでこまめに、気をかけてくれる人が
わたしの担当についてくれる。


こんなこともあるんだ、と思う。
こういう人の時には、無理にコミュニケーションを取る
必要もないから、随分とリラックスして
まな板の鯉、になることを楽しめる。

身体を洗ったり、マッサージをしてもらった後、
サウナの中でぐったりと寝転ぶ。

スチームサウナもあったかいお風呂もサウナも、
今のところわたしのためだけに稼働している。
それにかかるコストを思うと、だんだん
申し訳ない気持ちになってくる。
何せ暑くて、誰もこないのだ。


すべての工程を終え、身支度を整える。
ずっと面倒をみてくれた人と、最後に話をする。
マッサージがよかった、と伝える。
マッサージを勉強する機会があったようだ、
ということが判明する。
顔つきから、どこかアジア圏の人なのかも、と思う。
出身を尋ねてみると、シリアから来た人だった。



お店を出て、緑の木陰が揺れるテラスに出る。
暑いけれど、湿気はない気候の中で、
常に干からび気味な身体が、少しだけ水気を含む。
水に入れた時の、乾燥わかめみたいに。
身体中に埋め込まれた鉄が、アルミ棒ぐらいに
なったような気がした。





という出来事は、週末の話。
それから5日経った今はもうすっかり、
身体の中は鉄芯だらけで、乾燥わかめか、
ドライにんじんになっている。

他力本願、自助システムができていない、という
根本的な課題とまた、対峙することになる。





0 件のコメント: