2014/07/22

ラマダンの街


いよいよラマダンも最後の週にさしかかっている
今年はきちんとサーイメをして
過去に経験した
ラマダンにまつわるいろいろな
素敵なことも、うんざりすることも
やってみて初めて
その理由を体感できて
腑に落ちることになる

夜のイフタールだけが楽しみの毎日だ


イード明けの活動の予定が
やっと今更形を成してきて
急にばたばたし始める

毎日シリア支援といいつつ
シリアの人々にはほとんど会えず
予算と日程、数字ばかりとにらめっこ
それも仕事だから仕方ない

日没のベランダから
ワディの先のモスクから流れるアザーンを聴き
イフタールの後
急に賑やかになる
車や人や、花火、食器の擦れる音、隣の家の会話を聴く

私の周りの、ごく小さな世界は
今のところ、平和に思える

ふと、昨日の夜
うつらうつらとしながら
教員最後の挨拶のことを思い出し
ごく小さくだが、震撼する

想像力の話だ
想像力の種を抱いて
暮らしていってほしいという話

どんな人の暮らしにも
自分に似たような
小さな、大きな悲喜こもごもがある
テレビやネットでたまたま見た
女の子や、おじいちゃんや、政治家や登山家や
革命家や露天商や、会計士や赤ちゃんには
みんな等しく、暮らしがある、という話

少しでもそういうものに
思いを馳せることができれば
ものの考え方は、豊かになる、と

豊かになる、のかもしれない
でも、飲み込んで、咀嚼するには
計り知れない精神力が必要なこともある

最近、あまりにも周囲に
想像を遮断させるようなものが多くて

はたと、私は何をやっているのだろう、と
思う瞬間がある

それでも明日もまた
役人と交渉し
数字に頭を悩まし
イフタールに何を食べるか、考える

私はおめでたい、人間のようだ






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