2014/09/19

善良であること、でも、現実から離れないこと



 ブローディガンの短編を久々に読む
 たまらなく小さな、どれも手に触れられるほど近いものものに囲まれたものや人の
 ほんの少しのたがが違っておかしい存在を、話にする
 不可解で理不尽で、だから愛らしく物悲しい

 世の中はそういうもので、できている
 不可解で理不尽なものを掬いとってゆかなくては
 何かしらを感じて思うことなど、できなくなってくるだろう


 視点がどんどんと上っていって
 小さなものものが見えなくなって
 善良さや理想や正義ばかりがもっともらしく見えてきたら
 そのときには不完全なものの馬鹿さ加減に辟易するだろう
 
 そして、ますます自分が正しい、と思えてくるだろう

 例えば、善良であることは
 どこかで決定的に不利で、未熟で、愚かだ
 ばかにしてはいけない
 善良さをかけらも持たない人は、本来どこにもいないだろうから
 
 ただ、善良であることを武器にはできない
 善良であることは、あまりにももろすぎる

 そういう考えを、逃げだとか、悲観主義だとか、廃退しているだとか、感じる人もいるだろう 
 でも、それが現実だ、と私はどうしても、思わざるをおえない
 ごく、平等に物事を見た結果として
 
 善良さも、理想も、正義も、きっと誰の心にだって存在している
 それぞれの文脈の中の、それらが存在している
 もちろん、自分の中にも

 どんな文脈なのか
 どこまでが世の中に許容されうるのか
 それを冷静に見極めなくてはならない

 それは、とてつもなく面倒でうんざりする作業だ
 
 ただ、どれだけ、その作業におかしさを感じたとしても
 この行程をせずに、現実に折り合いをつける方法は、ない

 心の弱い私は
 だから、その作業に向かう前に、身の回りの小さなものものへの
 不完全なものへの愛情をたっぷり味わわなくてはならない
 もちろん、自分自身も含めて

 卑小だと言われれば
 そうです、その通りです、と
 開き直るしかない



 

 

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