2022/02/12

この日のはなし ー 自分と人生の、めんどくささ


家にあるものの整理をしている間、
色々考えることも多くて、目一杯自己嫌悪に陥っていた。

例えばそれは、1年以上開けていなかった引き出しを開けたら、
化石が出てくる、という事象だったりする。
化石は石であり、同時に死骸である、と考えると
死骸を愛でもせずに引き出しに入れておく、という
引き出しにも化石にも屈辱的な行為である。
自分の持ち物管理能力を再認識させてくれる、恐ろしい作業だ。




そんなところにふらりと、整理で出てきた品を取りに知り合いが来てくれる。
整理して、ものがなくなっていくのもありがたいけれど、
気が紛れるのもまた、ありがたかった。

取りに来た品の中にあったお酒の
中身を説明しているうちに、つい手が伸びる。
ラフロイグは空港で手に入りやすい。
以前はよく口にした、飲み慣れたお酒だった。

ヨルダンでお酒を飲むことは滅多にない。

お酒には弱くて、飲むと顔が真っ赤になるから、
飲んで家へなど帰れない。
それから、お酒を飲めば失言が増えるので、
特に仕事関連の人たちがつながりのほとんどである在外では
気をつけなくてはならない。

それなのに、お酒の飲み方には幾らかうるさい、面倒な人間だ。
楽しく、いい気持ちで飲める程度、が一番いい。
好きではない飲み方をしそうな人とは、絶対に会食もお宅訪問もしない。

バーでバイトをしていた時には、くだを巻きそうなお客のあしらいに
かなり長けていたと思う。
何より、私が飲まないから、冷静に場を見極められたからだと思う。


でも、久々の家飲みなどに、場も何も、ない。
結構早々酔っている様子のお客人を相手に、
家の片付けをしながら考えていたことや、ここのところの不安の種を
滔々とはなしていた。

聞かされる方も大変だろう、と、できるだけ面白く話そうとするのだけれど、
性の根が優しいお客人は、真面目に励ましてくれて、
だんだん申し訳なくなってくる。

話題はいつの間にか、仕事関連のことから、
今や口にするのも難しくなってきた、男らしさ、女らしさの話になる。

ヨルダンの、絵に描いたような男性社会をなんとか生き抜こうとした
意地のようなものが、たぶん私には、ある。
そして、この旧式社会で経験的に身につけたものの多くは、
さっぱりどこにも、応用できない。
そして、身につけた何かのおかげで、失ったものも、多い。

男前、とか、男気とか、いろんな言葉がある。
男前は基本的に容姿を指す意味合いだけれど、
男気になると、任侠的な色が濃くなる。
誰かのために自分が犠牲になっても尽くす、という
意味合いらしい。

私が知っている、犠牲を払っても尽くす姿勢は
女性が身近な人々に対して見せるものの方が、多い気がする。
そして、なぜかそちらの方は低く評価されがちにも思える。
あくまで社会に向けて、仕事などで自分の犠牲を払うことへのみ、
高く評価してきた世の中の現れなのかもしれない。

などとふわふわと、取り留めもなく話していた。

かっこいい男性はいるけど、少なくとも私の知る限り、
強くて優しいのは女性ばかりだ、とか、
何かしらの美学を携えて生きていくならば、潔さが欲しいし、
それがかっこよさってものじゃないか、とか
お酒など入ったら、言葉の定義など曖昧になって、
何だか適当なことを言っていた。

潔い、もしその性質を持っているという自負があるならば、
私だって言われたい言葉だ。

ちなみに、当の本人はさっぱり潔くないので、
さっきまでの片付けにかかる様々な不甲斐なさを、ひどく気にしている。
この世の中は不安だらけだから、時々消えていなくなりたい。


人生って、めんどくさいですよね、とふと、お客人は言う。
それは、まさに、
めんどくさい自分と向き合い続けるめんどくささ、なのだと
反射的に答えてみて、これほどめんどくさいことはないな、と
言いながら、自分でケラケラ笑ってしまった。

何かを言い切ることは恐ろしい。
そして、言ったことは責任となって
自分に戻ってくる、という流れを体現した話の流れだ。

逡巡して、ああでもない、こうでもない、と
考え続けることが、でも、自分には本来好きだったなのにな、
と苦々しい思いに囚われる。


いい調子で酔いが回ってくる。


社会への貢献について、話題が移る。
できるものならしたいけれど、自分自身が役に立っている気は一度もしないし、
役に立っていると言う人を、私はあまり安易に信用はしない。

こんな思考など、一生役に立てない人間の持つものだ。

そんな調子で、何か口にしては、直後に、
でもそれ、自分でもできてないけどね、とか
でも、こういう考え方もあるよね、とか
自分で言いながら、自分で突っ込んでいる。
なるほど、逡巡しながら実のところ、
自分の矛盾を口にして、逃げ道を作っているのだと、知る。

これは、どうしようもなくみっともなくて面倒な人間だな、と思い、
吸っていたアルギーレの煙を、思いっきり吐き出す。

お互いあくびをし始めたので、お茶を淹れる。




社会に対して何かを良くしていこうと、
変化を与えたり、残したりすることで、
自分の存在意義を見出すことも、時には必要だけれど、
究極的には、ごく身近に自分を気にかけてくれる人々に対して
きちんと誠実であることの方が、よほど大切な気がする。
それを卑小だとは、決して思わない。

そう言い切って、冷めてしまったお茶を啜る。
そして、言い切っちゃったな、と冷静になり、
そうではないんだよな、と私は頭を犬のようにブルブル振り、
お客人は、大きなあくびをする。

昔の青臭い大学生がするようなはなしを
いい歳になっても、酔っ払ったのをいいことに、
恥も存外もなく、むしろある意味、真実味を持って、
ふわふわと話す夜だった。


お客人が帰った後、一人ぼやぼやとまた、考え始める。
先々の不安や、失ったものものや、さっき話していたことなど。

先日、最近知り合い方と仕事の電話をしていた。
自分なりに、用件について説明をしていたつもりだったけれど、
私の話の流れに、何かを勘づいた相手は、
卑屈でめんどくさいやつだな、とおっしゃった。
大正解です、と電話口で大笑いしてしまう。
言い得て妙、とはこのことだ、と
笑っている時点で、めんどくささはいつまで経っても、
治ることはないのだと、思い当たる。

あぁ、めんどくさいな、と、思わず独り言を口にして、
歯磨きをしよう、と、諦めの境地で、立ち上がった。


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