髪の色がすっかり抜けて久しい。
金色の髪は、それはそれで、今までにない服の色が似合ったりして
悪くなかった。
子どもの頃、ピアノの先生としていた雑談を思い出す。
ピアノのレッスンは大っ嫌いだったけれど、
先生と話をするのは好きな、
こしゃまっくれて、生意気な子どもだった。
散々家族の色々を話した後で、
親の知らないところで子どもはなんでも家のことを話してしまうから
なかなか困ったものですね、と、まだ、11、12歳ぐらいの私は、
自分のことなど棚にあげ、訳知りな表情で、先生に言った記憶がある。
たぶん、先生も私のピアノについては諦めていたのだろう。
ピアノに向かったまま、ピアノは弾かずに、
先生が過去に留学していたドイツの話をたくさん、聞かせてもらった。
水路に囲まれた古城で開かれた結婚式に参加した話や、
韓国人はキムチの匂い、日本人は醤油の匂いがする
とドイツ人に言われた話や、
バッハの重要さを説く人々の話。
それらに加えてよく覚えているのは、毛皮の話だ。
黒い毛皮のコートが素敵だと思って買おうとしたけれど、
店の人に止められた。
日本人は髪の毛の色が黒いから、
重たい黒い毛皮のコートでは、いよいよ暗くなる。
白やベージュの方が絶対いいと勧められた、という話。
以前は洗濯物をすると、干している服がすべて真っ黒だった。
それなりに最近は、明るい色を着るようになって、
歳をとると暗い色が似合わなくなる、と誰かが言っていたのを
赤や緑の服を着るたびに、シワのふえた顔を見つめながら
鏡の前で思い出したりする。
ある日、髪の何かしらを変えたい、と思い立つと、
もうどうにもその衝動から逃れられなくなる。
切ったり、パーマをかけたり、色々してきたけれど、
この1年は髪の色に執着している。
一度金髪になれば、色が入りやすくなる。
いくらでも好きな色に変えることができるのだ。
緑色にしたまま、日本へ帰国した時には、
CAさんに随分髪の色を褒められた。
よくよく周囲を見てみたら、乗っていたエティハド航空の
ブランケットの色と同じだった。
今回もまた、いつものお店に行く。
紫色にしようかな、と口にする。
バナフサジー、というアラビア語の紫色は、
日本語の紫色よりも、おそらく赤っぽい。
フザミーという似たような色もあって、これはまさに
ラベンダーを指す色の名前だ。
お店に飾ってある濃い紫色のアネモネの絵を指差しながら、
これは素敵な色よ、と、馴染みのお姉さんは乗り気だった。
けれども、色落ちしたら確実に赤っぽくなる色でもある。
赤くなるのは嫌なんです、と言いながら色見本と睨めっこをする。
駄々っ子のような体で
粘ろうとしている日本人だと思われたに違いない。
赤くしたくなければ、青くするのが一番よ、と言われて、
今回はすっかり一色、真っ青の髪にしてもらった。
SNSに載せたいから、写真を撮らせてくれと言われて、
ふと、着ていた服の色と全く同じであることに気づく。
結局のところ、色の趣味というのは髪であろうが服であろうが
選んでしまうものなのだろう。
お店のお姉さんは、薄ピンクがかった、茶色い髪の色だった。
色白の肌と白いニットに、とてもよく似合っている。
優しいし、人にばかり気を遣っている彼女らしい色だ。
随分私の髪に時間をとってしまって、髪が染まり切った後も、
お姉さんは待っていた他の人の散髪に忙しかった。
お客が捌けるまで、支払いも済ませられなかったので、
近所のお菓子屋さんで自分の分と一緒に、お姉さんの分のお菓子も買って、
支払いと一緒に、渡した。
髪を染めている間、しきりに息子さんから電話がかかってきていたから、
きっと早く帰りたかっただろう。
お菓子を随分、嬉しそうに受け取ってくれた。
きっと、中身が好きなお菓子ではなかったとしても、
溶けるような笑顔で喜んでくれる人だ。
なんだか、私はこのお姉さんの雰囲気が
髪の色も含めて、とても好きだ。
私の方はといえば、もっと肌の色が白かったら、似合っていたに違いない。
でも、日本人の中でもすっかり日焼けして、黒くなってしまった顔に
あまり青い色は似合っていなかった。
スタッフの一人にも、ガリーべ(変な、変わった)な色ね、と言われ
もう一人のスタッフが慌てて、そんなことないわ、と
フォローしようとしてくれたりする。
まったく、他人に気を遣わせるなんて、いい色ではないのだろう。
きっとそのうちまた、色落ちして
幾らかいい色に、落ち着いてくれると、ありがたい。
他人に気を遣わせなくても良くなるから。
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